妖扇はらり、ひらり、・・・ぽとり。 彰子は正月明け午後の往来を振り返った。 こすれては落ちる、そんな音がする。 「・・・・。」 気にはなるが、この往来できょろきょろするのは少し目立つ。 市は暮れほどの混雑はないが、休みの間に減ったものを買い足しに来る人で賑わっていた。 彰子は頼まれた干し物を買ってその賑わいの中を歩く。 敷かれた筵の上に乗せられた菜や穀類、陳列棚に載せられた装飾品。 そんな店を眺めていると、 「あ・・・。」 彰子は目を見張った。 装飾品の陳列棚から、 はらりと子供用の小さな扇が開き、 ひらりと舞いあがり、 ぽとりと地面に落ちた。 そして、再びはらりと開き、ひらりと舞いあがり、ぽとりと落ちて、その陳列棚からあきらかに離れようとしているのがわかった。 見鬼だからと言ってもあらゆる不思議に耐性があるというわけではないので、突然のことに彰子は固まってしまって見送ってしまった。 「(・・・・どうしよう。)」 お店に戻った方がいいよといった方がいいだろうか?。 この場の誰も気づいていないようだった。 扇は一度跳ねあがるように舞い上がり、築地の上に乗っかって「はらりひらりぽとり」を繰り返す。 生き物のように・・・。 彰子は追いかけるように、小路に入った。 ぽとりと目の前に扇が落ちてくる。 「ね・・。お店に戻った方がいいよ。」 小声で話し掛ける。 「・・・・・。」 はらりひらり・・・ぽとり。 返事無し。 雑鬼と妖と憑き物の区別がいまいちついていない彰子はこの只物ではない扇が何物か判断できなかった。 目も口もついていないし、 かと言って何かがとり憑いている訳でもなく、 自動的に舞い上がる以外は普通の子供用の扇に過ぎなかった。 はらりひらり・・ぽとり、 彰子は捕まえてみようとする。 ぱっと手を伸ばすが、ひらりと逃げられる。 再度やってみるが空を切るだけだった。。 動きはゆっくりなのに、つかめない。 首を傾げて・・、着いて行ってみることにした。 「・・・・・・。」 その後ろでいつの間にかいた物の怪は眉を寄せた。 表情に変化は乏しいが六合も同意見のようだった。 「こらっ。彰子!。」 「きゃあっ。」 彰子は突然ふって湧いた物の怪の声に驚いた。 「そんなふうにほいほいついていくなっ。」 「・・・・あ、ごめんね。もっくん。」 彰子は苦笑いしてぱたぱたと手を振った。 「もっくん言うな。俺は物の怪じゃない。」 「あ、そうだわ。これが物の怪?。」 彰子は扇を指差した。 物の怪の眦がつり上がった。 「ち・が・うっ!。」 白い毛を逆立てて否定する。 彰子が困ったように笑った。冗談が過ぎているのはわかっていたが言ってみたかったので言ってみた。 「物の怪というのはだな・・・おあっ。」 切りがないので、六合はその物の怪の胴体を持ち上げて彰子の肩に乗せた。 「往来がないわけじゃない。」 「・・・・。」 物の怪はええいくそと、押し黙った。 「ごめんね。もっくん。」 「だから、もっくんいうな。・・・わかってる、六合。・・・行くぞ。彰子。」 「?。どこに?。」 「昌浩が待っている。」 そう言って鴨川の方を指差した。 昌浩も帰り道に内裏から抜け出す子供用の扇を見つけたのだ。 何事かと追いかけていって、すると、一筋向こうの道に同じように彰子が扇を追いかけて歩いているではないか。 この人通りの多い中、声をかけるわけにも行かなかったので、扇は真っ直ぐに進んでいるしと、通りの向こうの鴨川で落ち合おうということになったそうだ。 扇の正体も教えてくれた。 妖扇、だそうだ。 口も目もないけれど、人語も理解しないけれど、車之輔と同じ妖だと、物の怪は説明した。 日が落ちるにはまだ半刻ほどあるかなと思った。まだ寒いとはいえ、日が延びてきていた。 昌浩は冬枯れの桜の木に寄りかかった。 扇は・・いや扇たちは周辺からいくつか現れていたので追いかける必要は無くなったのでここで物の怪達を待つことにした。 はらりひらり・・・ぽとり、と大変まどろっこしいが、これがまたつかめない妖だった。 しかも言葉通りなので途中までむかっ腹がたってしょうがなかったのだが、本当に捕まえられないのであきらめた。 山から下りてきた風に髪を押さえる。 東の山を眺めた。 そこには将軍塚がある。風音のことやその企み、ムカデの思惑、そして怪僧。 まだ、何もつかめていない。 眺めて焦燥が胸に押し寄せ、つきりと痛んだ。 「(力が足りない。考えが浅い。)」 つかみたいものがつかめない。 そう・・例えば、物の怪の本当の気持ち。 物の怪が・・・紅蓮が預かり知らぬところで時々物思いに沈む。 「・・・・・。」 自分に出来ることは少ない。・・・けれど、昌浩は溜息はつかなかった。 焦燥を払い、僅かに目を細め、後悔ではなく決意だけを胸に刻む。 はらり、ひらり・・・ぽとり。 妖扇がまた一つ通りすぎて行く。 築地が切れたところで木に寄りかかっている昌浩の後姿が目に入った。 彰子は思わず嬉しくなった。 こうして外で会えるのがなんか嬉しかった。 「昌浩っ。」 呼んだら振り返った。本当に嬉しくなって彰子は駆け出す。 「おあっっ。」 ぼとっ、と、思いもかけず急に走り出した彰子に肩から物の怪が落ちた。 昌浩は目を丸くして唖然とした。真剣に悩んでいた後だ。 彰子が袂まで来る。その手を取ると彼女は、はにかんで、 けれど後ろからの声に苦笑いに替えて振り返った。 「あーきー・・・こっ。」 昌浩の心を知らず、物の怪は彰子に唸った。 「ごめんなさいっ。だって落ちるとは思わなかったんだもの。いつも昌浩が飛んだり跳ねたりしていても大丈夫じゃない。」 謝りつつ反論する。 「貴族の姫が走るからだっ。」 がおうっと言い返す。 「貴族の姫は関係無いもんっ。」 「・・・あー、はいはい。」 昌浩が間に割って入る。 「妖扇が、どっかいっちゃうからさ。」 そう言って彰子の荷物を持って、手を引いた。 「行こ。もっくんも。」 「・・・・おう。」 物の怪は歩き出した六合と並んで歩き出す。 先を歩き出した二人を斜に眺めた。 まだ日が暮れるまでには時間があった。誰かが見ていないとは言い切れない。 彰子は被衣を被っているから誰かはわからないだろうが女というのはよくわかるし、昌浩は出仕帰りで、よく知られている表の顔だ。 物の怪と六合がいたとして常人から見えないのだったら、つまりそれは完全な二人歩き。 まずいかなぁと思わないでもない。 「・・・・・ま、いいか。」 実に幸せそうに歩いているので、たぶん本人達は気づいてないだろう。 はらり、ひらり・・・ぽとり。 妖扇が行く、そのあとをぽてぽてと着いていく。 町が切れて、少し行くと鴨川が作った枯野に出た。 ヒュウッと一段と冷たい風が強く吹きつける。 「冷た。」 風に冷たい雫が混じっていた。 妖扇達は鴨川の中州に集まって行く。 「あ・・。」 彰子が指差した。 扇は旋回しながら宙へと舞い上がる。 「・・・っ。」 続いて白い影が現れた。 白い影は輪郭を伴い始め、その扇をつかむ。 くるくると、 後ろ髪を結い上げて、一房ずつ横髪をたらしていた。 白い装束の一尺程の小さな少女達が現れた。 くるくると舞い始める。 はらりと扇を開き、ひらりと振り扇ぐ。 「っ。」 さあっと雪が降った。 辺りの枯野を白で染め上げる。 はらり、ひらり、くるくると、 楽しそうに舞い降りる。 彼女達はこちらに気づいているようだった。 「風の子さんたち。」 彼女達が手招く。 そして、つかまえてごらんと可笑しそうに笑った。 昌浩は荷物を物の怪の前に置いて土手を降りた。 彰子も後に続いた。 ひょんっと飛んで手を伸ばす。ひらりとかわされる。 くるくると回っている彼女達を雪の上でつかもうとする。 手からすりぬけてしまう。 「あー、遊ばれているな。彰子まで一緒になって。」 物の怪は端から見ての感想だった。 その時、がらがらと物音がした。途中から、急に駆け足になる。 聞き覚えのある音はやはり車之輔だった。 「おー、車之輔。散歩かぁ?。今日は早いな。」 呑気な式神の声に、妖車は長柄をギシギシ言わせた。 寒いと言うのに、これから雪になるというのに、風邪をひかれますと言外に訴える。 「大丈夫さ。・・・・帰り、乗っけてってやってくれな。」 車之輔はぎしぎし頷いた。 はらりひらりと、彼女達を捕まえようとして、捕まえられず、まるで雪のようだった。 「あ・・・、そうか。」 「え?、昌浩?。」 風の音に聞き返す。 「雪だよね。」 昌浩は立ち止まって振り返った。 彼女達は嬉しそうに名を呼んでくれた元気な子供に笑いかけた。 「私達は雪ん子よ。――風の子さんたち。」 はらりと扇を広げた。 「遊んでくれて、ありがとう。」 ひらりと扇を振ると、雪で白く染まった地に更なる雪を落としていく。 眺めていると、夕暮れとともに辺りは暗くなってきていた。 彼女達は輪郭を薄れさせた。その姿を雪明りに変えていく。 「消えちゃった。」 少し彰子は淋しそうだった。 「帰ろうか。」 昌浩は手を差し出した。 「うん。」 彰子はその手を取った。 「あ・・。」 二人して呟いた。 確かに、つかめているものに気づく。 「・・・そっか。」 「うん。」 笑い合う。 そして昌浩は照れを隠すように指先を絡めて、引いた。 彰子もはにかんで後につく。 さくさくと雪が鳴る。そのくらい積もり始めていた。 「あれ。車之輔。」 「いつの間に。」 土手を上がって、昌浩と彰子は目を丸くした。 「車之輔は散歩の通りすがりだ。心配して止まってくれたんだぞ。」 「ありがとう。車之輔。大丈夫だよ。」 ぎしーっと鈍い音が鳴った。 物の怪が通訳する。 「・・・そうはおっしゃられても大丈夫じゃありません。これから本格的な雪です。歩いて帰るなんてダメですから。お乗り下さい・・・・乗れとまで言ってるぞ。」 言葉を伝えると、ぎしぎしと何度も車之輔は頷いた。 「ありがとう。甘えさせてもらう。」 「ありがとう。」 彰子はそっと長柄に触れた。 昌浩は乗り込む。 彰子の手を引いた時、車之輔が若干屈むようにしたから嬉しくて可笑しくて笑った。 被衣の雪を払う。寒すぎて雪が溶けなかったのか、ほとんど濡れていなかった。彰子は首に再び巻いた。 前簾を下ろすと、二人分の体温と、車之輔の温かさですごく温かかった。 昌浩は物の怪を引き寄せる。 「ぬおっ。」 襟巻きにした。 「昌浩っ。」 物の怪が非難の声を上げるが、その場の全員に流される。 がらがらと車之輔が、動き出した。 「?。」 一条へ戻るのではなく西へと動き出したからだ。 「・・・・・雪の花が咲いているから見に行こうとさ。」 昌浩の肩の上で物の怪が教えた。 「雪の花?。」 「木の枝に着氷して、花に見えるからそう言われている。」 梅の枝に。 桜の木に。 はらり、ひらりと、 雪が降る。 舞い落ちて、風と戯れる。 日は落ちたけれど、雪明りが闇の訪れを遅らせてくれていた。 END [05/2/6] #小路Novelに戻る# −Comment− 奈良国立博物館で厳島神社の平家納経が公開されていたので見に行ってきました。 厳島神社の世界遺産の実力を感じました。 平家納経すばらしいです。平清盛に対する価値観が代わります。 もともと源頼朝があまり好きではないので、なおさら平清盛への高尚さを感じました。 今度東京で公開されるのでお近くの方は是非!。 さて平家納経の傍に、子供用の扇がありました。檜扇です。 私、初めて檜扇見ましたよ。 子供用(又は神具)で小さいけれど、しっかり形が残っていて必見です。 その檜扇で思いつき、 雪の京都で構成を完成。 雪の京都はずっと行きたかったんですよ。なかなか気圧配置に確信が持てなくて、やっとです。 バターケーキも、難しいと思う・・・。 乳化のようななめらかになる瞬間を捕らえるのが難しい。 |