GIFT:
  小説
例えるなら果てなきもの 『花ごよみ』夕月雪花様/1万ヒット記念
(昌彰/未来) 幸せに、ずっと幸せでいて欲しいと願ってしまうような、そんな微笑なのだ
花ごよみ
微熱もよう 『空色恋歌』木崎桜様/1周年記念
(昌彰/未来) 冷静に理解しようとしている自分に内心で苦笑した
空色恋歌
永久の想い 『紫音=SHION=』瀬月深耶様/1周年記念
(昌彰/未来) …ただ1人を除いては
紫音
夏休みのある日の彼ら 『GetBack.』青木榮乃様/2周年記念と残暑見舞い
(紅勾/現代) 読み終わったら即行で
GetBack.
洶湧が如く 『+夢 現+』恵利 香様/フリー
(昌彰/未来) 考えても、考えても導き出されない答えに
+夢 現+
いつだって 『雨雫』加月様/一周年記念
(紅勾) それはまさに陽炎の如く
雨雫
淑気に満ちて 『花ごよみ』夕月雪花様/2009年賀フリー
(昌彰/近未来)  けれどそれ以上に、驚いた。
花ごよみ
※当然ですが、二次配布禁止です※
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  例えるなら果てなきもの


 前よりほんの少しだけ近づいた。
 それくらいで他には特に変わったことなど無いと思っていたけれど―――




 例えるなら果てなきもの



 陰陽生に昇進していくらか経つ昌浩は、その仕事内容にも講義にも慣れつつあり、今日も今日とて、復習がてらに真剣に講義に耳を傾けていた。
 真面目で誠実な性分ゆえ講義内容がもう既に習得済みであるものとはいえ真剣に取り組んでいるが、それでもやはり時折意識は飛ぶ。
 そして飛んだ先に思い浮かぶのはいつも、結婚したばかりの妻・彰子のことである。
 彼女は今何をしてるだろうか。露樹や神将たちがいるから退屈していることはないとは思うけれど、家事や市への買い物で怪我などしてないだろうか。
 色々な事に思いを馳せ、そうしてやはり行き着くのは彼女の優しい笑顔。
 その微笑を見るだけで、心が温かくなる。想いが、溢れる。
 それは自覚していなかった頃からだったかもしれないが、自覚してより一層、強くなった気がする。そして結婚してからは尚更だ。
 彰子と結ばれたことでそれほど変わったことは見受けられないのに。
 朝、いつものように軽やかな声で優しく起こされ、着替えを手伝ってくれる。
 彼女手製の朝餉を一緒にとり、出仕を見送ってくれる。
 帰って来たら玄関まで迎えに来てくれ、今日一日あったことを報告しあう。
 そうして夕餉を一緒にとり、時間が空けば陰陽道について勉強したりもする。
 それは、彼女が安倍邸にきてしばらくしてからずっと続くこと。
 そりゃ確かに、結婚したので目覚める朝と、眠る夜は前と変わりはしたけれど…
 そこまで考えた瞬間、昌浩の頬にうっすらと朱がさした。ちらりと足元を見やれば、ぼ〜っとしていたかと思いきや突然頬を赤らめた昌浩に何かを感じとったのか、物の怪がにやりと人(神?)が悪そうな笑みを作っている。
 にやにやと笑う物の怪のそのふわふわの白い毛並みを、周囲の陰陽生に気取られないように、わしゃわしゃと照れ隠しのようにかき混ぜた。
 何するんだこの晴明の孫ー!という物の怪に小さく孫言うな、と返して正面に向き直り、小さくため息をついた。
 距離はほんの少し、近づいた。それだけだと思ったのに、どうしてこんなに−−−



「昌浩」
 講義が終わり、人々が行きかう。昌浩も塗籠に行こうと思っていた矢先、呼び止められた。
「あ、伯父上。如何されました?」
 昌浩を呼び止めたのは、預言に関しては寮内随一と謳われる陰陽博士であり昌浩の伯父である吉平であった。
「ああいや、たいした事は無い。何か悩み事があるのかと思ってな」
「…え?いえ、特には…」
 突然の吉平の言に、訝る昌浩は、先ほどの物思いに耽っていた自分を思い出し、それを見ていた吉平がこんなことを言い出したのだと理解した瞬間、若干顔を青ざめさせて慌てて頭を下げた。
 吉平は少し面食らったようが、頭を下げる昌浩にからりと笑い面を上げるよう促す。
「いや、いい。何も無いなら結構なことだ」
「すみません…」
 ばつが悪そうに僅かに俯く昌浩に、物の怪が身を乗り出してにやりと笑う。
「昌浩君の悩みってなあ、幸せな悩みだからな〜いやあ熱いねえ」 
 昌浩の肩からひょろりと白い尾をなびかせて、昌浩をからかうように目を眇める物の怪の言葉に、吉平はああなるほど、と頷く。
 物の怪姿とはいえ十二神将最強の闘将・騰蛇の神気は苛烈で、いつ遭遇しても冷やりと肝を凍らせる。けれど顔を真っ赤にしてからかう物の怪を黙らせようとする昌浩との攻防を見ていると、その畏怖の感情は薄らいで思える。
「昌浩、それで藤花殿はご健勝か?」
 物の怪の頬を伸ばしてぶら下げてにらみ合っていた昌浩は、伯父に振り返りそうして日頃の彼女を思い返して、微笑んだ。
「はい、元気にしております」
 深い深い、慈しみと愛しさと、溢れる想いを表すような蕩けそうなほど優しい瞳と微笑みに、吉平にも思わず笑みが浮かぶ。
「まあ、お前のその顔を見れば一目瞭然だな。仲がいいことは良い事だ。ああ、そろそろ行かねば。藤花殿にも宜しく」
「あ、はい。お気をつけて」
 ひらひらと手を振り去る伯父の背中を見送って、それから自分も塗籠へと向かう。
 けれど些かひっかかった伯父の言葉を怪訝に思って、隣にいる物の怪に問うた。
「ねえ、もっくん。その顔、ってどんな顔?」
「なんだ気付いてないのか?その惚気たしまりのない緩みきった顔のことだろー」
「なんだともっくん。失礼な。俺そんな間抜けな顔してない」
 はいはい、と昌浩をいなしながら、物の怪は聞こえない程度に嘆息する。
「どこまでも無自覚たー彰子も周りも大変だね〜」
 昌浩が依頼により貴族の邸に訪れる機会は、少なくない。
 そうして本人は全く気付いてないが想いを寄せる姫も居ないことは無い。
 正室が既にいることで諦める姫も居るが、中にはそれでもなお、と思う姫も居る。
 そうして大抵、ご正室がどのような方なのか気になるものである。
 さりげなく水を向けてみれば、帰ってくるのは先ほどのような限りなく優しく、温かい微笑み。その微笑に、姫君たちは心奪われると同時に、絶望のため息をこぼす。
 そうして話を向けてしまったことを後悔し、けれども諦める決心がつく。
 どうあがいても、この笑顔の先にいる相手はたった一人であり、そのたった一人には敵いはしないということを痛感する。だけど不思議と恨めしいとは思わない。幸せに、ずっと幸せでいて欲しいと願ってしまうような、そんな微笑なのだ。
 本人の鈍さは今なお健在で、まったくもって無自覚なのだが。





 仕事も早々に終わり、今はこれといって急を要する事件も依頼も無い。
 たかたかと足早に家路への道のりを歩いていると、昌浩の目に衣を被いた女性が目に飛び込む。
 隠形しているとはいえ、幾人かの神将を従えているので一目瞭然だが、それが無くとも、後姿だけでも見失うことは無いだろうその人に、思わず頬を緩めて声をかける。
「彰子、市に行ってきたのか?」
「昌浩、おかえりなさい。もっくんに六合も」
 それぞれに目を合わせ、お疲れ様、今日は早かったのね、と微笑む彰子につられるように、笑みを返す。
「貸して、持つよ。何買ったの?」
 彰子の手から包みを受け取り、もう片方の手を彰子のそれに絡ませる。
「ありがとう、あのね、お塩と昆布と。あとウリなの。最近暑いでしょう?瓜は甘いし涼しくなるのですって。だからいいかなって」
 手を繋ぎながらにっこり微笑む彰子に、昌浩は感謝と愛しさを込めて絡めた指先にきゅっと力を込める。
 いつだって昌浩のことを真っ先に考えてくれる。勿論買ったものは昌浩だけでなく皆が口にするだろう。彰子本人しかり。
 しかし徒歩で都を歩き回り、気力体力が問われる陰陽師という職についている昌浩が、少しでも疲れが癒されるよう、気温に体調を崩さぬよう、常に心を配ってくれる。
 それを彰子に言っても「夫の体調管理は妻の役目だもの。それに私に出来ることはこれくらいだから」と言って微笑むだけだ。そんな彼女の優しさが、花が綻ぶような微笑が、何より昌浩の力になっているのに、いまだやっぱりいまいち彼女は自覚していないようである。
「彰子、ちょっとこのまま散歩しないか?」
「ええ、嬉しいけど、いいの?」
「大丈夫、そんなには遅くならないよ」
「どんなところかしら。楽しみだわ」
 にこにこと嬉しそうに声を弾ませる彰子を促しながら、こちらも嬉しそうに笑って、昌浩は目的の場所に足を進める。
 そんな二人を穏やかな瞳で、追従していた神将たちは微笑んで見守っていた。



「わあ…すごく綺麗…まるで夕日に向かって微笑んでいるようね」
 昌浩の目指した先は、とある古びた寺社であったたが、そこにはいっせいに白い花を開かせた夕顔が、夕暮れ時の太陽に向かうように咲き誇っていた。
 斜陽の光に照らされて、仄かに赤くも見える真っ白いその花は、丁度昼と夜の間にしか咲かず、その様は清々しくも美しいものであった。
 普段黄昏時に邸を出ることなどない彰子にとっては、とても貴重な体験であると言える。
 いつだって昌浩は、自分に世界を与えてくれる。
 安倍邸に引き取られてから、そのまま東三条殿にいたのでは、後宮で暮らしていたのでは知りえなかった、知る必要の無かった様々なことを教えてくれる。
 それは知識であったり、物であったり、そして感情であったり。
 安倍邸に引き取られて、晴明さまも神将たちも吉昌さまや露樹さまも皆それぞれの方法で心を砕いてくれて、大切にしてくれた。
 そして何より、そばにはいつも昌浩がいてくれた。
 あの時は、これ以上の幸せは無いと思っていたのに、いつだって前以上に日毎、幸せを、喜びをくれる。
 上限なんて無いかのように、際限なく幸せであると感じる。
 昌浩の限りなく深い視線の先に、自分の姿があることが途方も無く幸せだ。
 夕日の所為ではないだろう、頬を紅潮させて瞳を潤ませながら、昌浩に微笑んだ。
「昌浩、ありがとう…凄く素敵だわ」
 巡る季節の中で、ともすれば見落としてしまいそうな何でも無い風景を、単純に綺麗だと思ったから見せたいと思った。一緒に感じたいと思った。
 それをこんなに喜んでくれるから、本当に本当に嬉しそうにしてくれるから、思わずこちらが嬉しくなってしまう。
 その微笑に心臓が早鐘をうち、その微笑を見れた事が何より嬉しいと感じる。
 心の、命の奥深くに刻み込まれた、彼女という存在が、どれほどに大切で大切で、例えようが無いほどいとおしいか。
 溢れる想いそのままに、そっと彼女の腰を引いて、華奢な頬に手を滑らせようとした瞬間、子供のような声が響いた。
「おーい、邪魔して悪いが日が暮れるぞー」
「…ああ、うん。そうだね」
 昌浩は折角の雰囲気だというのに残念だ、と思うのと同時に助かったとも思った。
 家の中ならともかく、此処は少ないとはいえ人の往来がある外で、日も暮れきってはいない。彰子は衣も被いているし、あのまま続けば些かまずい状況であっただろう。
 その辺も理解しての物の怪の忠告だったと分かって、心の中で礼を言いながら彰子に振り返る。
「少し遅くなったし、帰ろうか」
「…ええ」
 お互いの頬が赤いのは、夕日の所為ではないことは分かっている。照れくさそうに微笑みながら、来た道と同じように指を絡ませて、帰途に着いた。



 持て余すほどの想いを、幸せを、誰憚ることなく相手に注ぐ事が出来る。
 どこまでも深く強い想いを受け入れる事が出来る。
 二人は、きっと無自覚で、けれど本能で知っているのだ。
 それがどれほど幸せで、尊く、願ってやまなかったことか。
「一番苦労するのは、俺様かもしれないなー…」
 どこか遠い目物の怪は呟くが、けれども二人が幸せであることに依存は無く、その瞳は限りなく優しい。
 温かくて、幸せで、けれどそれで終わりではない。
 その僥倖は連綿と続き、積み重なる一方だ。それはなんと幸せなことだろうか。
 それを間近で見つめていられるのもまた、幸福なのかもしれない。



 微笑めば、すぐに返ってくる。
 あなたが傍にいる事が何よりの、しあわせだ――――



   了

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 難産でした。ネタが出てきません。微妙ですみません。
 「花ごよみ」が1万を無事越えられましたのは、ご来訪くださる皆様のお蔭です!
 本当にありがとう御座いますvv
 ささやかながら(本当にささやか)のお礼を込めて、アンケート1位の
 「新婚昌彰」をお送りさせていただきます!
 さし上げ品なのであまり原作をあまり崩さぬよう心がけました…?
 こんなしょぼいものですが、宜しければお持ち帰り下さいvv
 これからも細々と頑張りたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いします!
 本当に、ありがとう御座いました☆

 1万ヒットおめでとうございます。幸せな二人を読めて幸せです。
 何より昌浩が姫君達に心寄せられている辺りが、頑張れ彰子!という感じです。如月深雪拝

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  微熱もよう


 昌浩が熱を出した。
 いつもの仕事から帰ってきて、すぐに倒れたのだ。
 昌浩は好き嫌いなくなんでも食べるし、見鬼がまだ失われていた頃は妖に中てられることもなかったので、熱を出す要素などなかった。
 だが見鬼の才が戻り、陰陽師として、そして晴明の孫として夜警に出掛けるようになって睡眠不足や疲労がたまっていたのだろう。
 熱を出すのも無理はない。



  微熱もよう*



「もっくん…昌浩、大丈夫?」
 彰子が音を立てないようにそっと妻戸を開けて、部屋に入ってきた。
 どうやらもう寝るらしく、単一枚に袿を身に着けているだけだけだ。もう冬も半ばだから、裸足で来るとすぐに感覚を失う。そんな思いまでして昌浩の部屋に赴いたのだから、相当心配なのだ
ろう。
 果たして昌浩はそこに気付くであろうか。一抹の不安が物の怪の脳裏に浮かぶ。
 昌浩はとんでもなく鈍いのだ。否、実際は相当に鋭い。陰陽師でもあるから直感というものは長けている。
 それほど優れているにも関わらず、この手の話になると何故こうまで鈍くなれるのか、はなはだ疑問だ。
「おぉ、彰子。心配ない。こいつ元々丈夫だし」
 物の怪が尻尾をぱたぱたと振って答えた。
 こんな物言いをしてはいるが、昌浩が倒れた時の慌てようをみればどれだけ昌浩を気遣っているかがよくわかる。
 彰子は昌浩の右隣に膝をついて、顔を覗き込んだ。
 時折苦しそうに顔を歪めている。彰子は、そっと昌浩の額に触れた。
 良かった。まだ少し熱いけれど、さっき来た時よりは下がっている。
「う、ん…」
 ゆっくりと昌浩の瞳が薄く開いていく。
 しばらく瞳を彷徨わせた後、彰子をとらえて小さく微笑んだ。
「彰子…」
「ごめんなさい…起こしちゃったわね」
「んん、大丈夫…」
 わずかにとらえられる程度に昌浩は首を横に振った。
「彰子の手…冷たくて気持ち良い」
 そう言って、額に添えていた手を掴まれた。
 拒む理由などあるはずもないので、昌浩の好きにさせる。
「足、冷たかっただろ?ごめん、ありがとう」
 昌浩はそう言って淡い笑みを浮かべる。
 対照的に彰子は驚いたように目を瞠ったが、ふるふると首を振って微笑んだ。
 更に、物の怪にいたっては口をぱかっと開いて、昌浩の言葉を頭の中で何度も繰り返す。
 昌浩も成長している、ということなのだが、いかんせん物の怪にしてみれば、昨日のことのようにあの素晴らしく鈍い昌浩を思い出すことが出来るのだ。
 渋い顔をしてなにやら思案に暮れている。
「ごめん…まだすこ…し」
「昌浩?」
 彰子の呼びかけに答える声はない。
 昌浩は再び眠りについてしまったようだ。相変わらず昌浩の手は彰子の手をとらえている。
 それが嬉しくて思わず笑みがこぼれた。
 物の怪はその様子をすこし離れて傍観していたのだが、俺お邪魔かなぁなどと埒もないを考えていた。
 もし物の怪でなくとも、この場に居合わせていたら誰でも思うだろう。
 本気で思案していた物の怪は、彰子の声によって思考のふちから引き戻された。
「じゃあ、もっくん。私ももう寝るから、昌浩のことお願いね」
「おう。任せとけ」
 そう言って彼の相棒は仁王立ちすると、ぽんっと胸を叩いた。
 この物の怪がどれだけ頼りになるのか、彰子は知っている。今は眠りについている彼の相棒で、常にそばにいるのだ。
その理由は知らない。でも、昌浩のとって物の怪の存在がどれだけ大きいかは分かっているつもりだ。
 彰子はくすくすと笑うと、その場で立ち上がろうとした。のだが―
「ん…」
 そんな呟きが聞こえたかと思うと、ぎゅうと手を握りこまれて、立ち上がれなかった。
「え…」
 自分の手を見下ろせば、先ほどと変わらず昌浩の手と繋がれていた。
 しかし昌浩の瞼は閉じられたままで、あの真っ直ぐな瞳は現れていない。
 本当に寝ているのだろうか疑いたくなる。それ程強い力が込められているのだ。
 彰子は頬を染めてすっかり困惑してしまった。
 どうしよう。
 なんだか無理やり手を引き離すのも忍びない。それになにより、そんな昌浩の無意識な行動を嬉しく思っている自分がいる。
「もっくん…」
 彰子のすがるような眼差しに物の怪はぽりぽりと頭をかいた。
 はたから見たら、手を離すのを手伝ってくれを頼んでいるように聞こえるが、物の怪には傍にいさせて欲しいと願うように聞こえた。
 おそらく物の怪の読みはあたっている。
 あ〜また昌浩が起きたら彫刻になるな。
「昌浩が離さないならしょうがないから、彰子もここで寝ろ」
「本当?」
 彰子の顔が嬉しそうに輝いた。
 う〜む、なんとも分かりやすい…。昌浩もなかなか苦労するだろうなぁ。
 昌浩も彰子も結構良いお年頃なのだから、同衾は少々まずい気がする。いや、少々どころではなくかなりまずいだろう。
 彰子の順応性の高さに、物の怪は彰子に見えないようにそっと嘆息した。





 かたり、とかすかな物音を聞いて、
「う、ん…」
 目を覚ました昌浩は、ゆっくりと目だけで辺りを確認した。
 かすかに妻戸が動いている。誰かが来ていたのだろうか。まだ薄暗い。どうやら起きねばならない、ということはないらしい。
 ふうと息をついて、熱の具合をはかろうと手を動かした。
「あれ…?」
 しかし、手に自分以外の体温と感触を感じてゆっくりと首をめぐらせた。綺麗な黒髪が茵に広がっている。
「……」
 視線を下にずらせば、すぐかたわらに昌浩の方を向いて眠る藤原の姫が、いた。
「…………」
 昌浩は、この状況で声一つ上げることなく冷静に理解しようとしている自分に内心で苦笑した。
 もちろん驚いた。一瞬呼吸を忘れるほどに。
 しかし、前にもこんなことがあった。それが昌浩の思考をかすめたのだ。もう随分前の記憶のはずなのにやけに鮮明に思い出される。
 彰子は貴族の姫とは思えないほど行動力がある。それを昌浩はこの四年ほどですっかりと理解してしまった。頭がぼうっとしているだけかもしれないが。
 どちらにしろ、物の怪の昌浩彫刻化予想ははずれたことになる。
 昌浩は上手く回らない頭でぐるぐると考え始めた。
 また何か理由があってここにいるのだろう。昌浩に思い当たる節はないけれど。
 そうは言っても、疑問がないとは言えない。
 何故彰子がここで寝ているのかとか、なんで手をつないでいるのかとか。なんで、こんなに近いのか、とか。
 たぶんこんなに近くで寝ているのは、手をつないでいるからなのだろうが。
 もう一度深呼吸をして、昌浩は考えることをやめた。
 まだ眠気がぬぐいきれていないし、病み上がりだから、ごちゃごちゃと考えるだけの体力が残っていない。
 昌浩はそっと体を動かして彰子と向き合うようにして横になった。
 彰子の寝顔を見つめて、唇のはしをわずかにつり上げた。
 穏やかに眠っている。それがたまらなく嬉しかった。
 彰子の寝顔み見るたびに、こんな風に安堵する。特別な理由があるわけではない。
 昌浩はそっと空いてる方の手を伸ばした。すぐかたわらにいるので、すぐに手が目的地にたどりつく。
 彰子を起こさないように気を配って、優しく頬に触れた。
 なでるように手を動かすと、わずかに彰子が身じろぐ。
 それでも起きることはなく、昌浩はほっと胸をなでおろした。
 そして、再び睡魔が襲ってきた。
 彰子の寝顔につられたのか、風邪によるものなのか。
 ゆっくりと下りてくる瞼に瞳が吸い込まれていって、完全に消える。
 穏やかな寝息が辺りを包んで、ゆっくりと部屋の中に静寂が満ちていった。





「うーむ…俺はあいつらがよく分からん」
 物の怪は彰子が寝付くと同時に、晴明の部屋を訪れた。正確には居座った、だが。
 物の怪曰く、馬に蹴られるのも質問攻めされるのもごめんだ、ということらしい。
 それを聞いた晴明は心から同意した。それはそれでからかいがいはあるけれど。
 現在昌浩の部屋にいるのは、部屋の主と藤原の姫だけである。物の怪と同じ理由からか、他の神将たちも部屋に行こうとしない。
 普段彰子についている天一や玄武でさえも。
 ここは安倍家で、晴明をはじめとする名高い陰陽師が三人もいるのだから、離れていても特に問題はないだろう。約一名、体調の優れない者もいるが。
「分からん、とはどういうことだ?」
「昌浩も彰子もなかなか進展しないから、俺達は何かとやきもきしてるわけよ、毎日。
にも関わらず、同衾しちまうってのはいかがなものかと」
 物の怪の言いたいことは大変によく分かる。晴明とて同じ様な心境なのだ。
「ちょっとからかっただけですぐ赤くなるのに、よくまあ一緒に寝れるもんだ。…と言うかあの年で同衾はまずいんでは…?」
「それもそうじゃが、紅蓮。昌浩は彰子さまが隣りで寝てることなど知らんし、そもそもお前が寝るように言ったのであろうが」
「…昌浩が知らないのはまあそうだが、彰子にあんな目で見つめられてみろ。部屋に帰れなんて、少なくとも俺には言えん」
「………」
 物の怪の言葉に、晴明は沈黙した。
 そうかもしれないと、とても藤原の姫とは思えない一の姫を思い出して内心でそっと呟いた。
「それはそうと、そろそろ起こさねばならんのではないか?昌浩は物忌みだが、彰子さまはまずかろう」
 例によって例のごとく、晴明のはからいにより昌浩は本日物忌みである。
「あー…」
 物の怪は心底嫌そうに顔をしかめた。
 せっかく逃げてきたというのに。昌浩を起こさないように彰子だけ…というのは至難の技だろう。
 先ほど様子を見に行ったときに、まだ手をつないでいた。さすがに物の怪もこれには度肝をぬかれた。
 よくもまあ、ずっとつないでいられるものだ。
「ほれ、さっさと行って来い。彰子さまに寝坊させるつもりか」
「くそっ…」
 そんなに言うのならば自分で行けばいいものを。しかしそれを言ったとて、黙殺されるだけだ。
 それを十分に承知しているので、楽しそうに笑う晴明をじとっとねめつけて、物の怪は身をひるがえした。
「はあ…」
 最後にため息を残して。





「おーい、あき…」
 質問攻めを覚悟して、物の怪を妻戸を開けた。
 そしてそのまま口をぱっかと開いて見事に沈黙した。
 視界に広がる光景。太陽の日差しを受けて、室内はそれなりの明るさを保っている。
 茵には人が二人。大袿にくるまって眠っていた。まあ、これだけなら先ほども見た。別に驚くことでもない。吉昌や露樹は別だが。
 つまり物の怪は別のことで絶句しているのだ。
 自分の記憶が正しければ、彰子は昌浩の方を向いて寝ていたが、昌浩は仰向けだったはずだ。
 彰子が昌浩の方を向いて寝なければならなかったのにはちゃんとした理由がある。
 彰子は昌浩の右側にたたずんでいた。そして、昌浩は右手で彰子の右手をつかんだ。そして昌浩はその手を離そうとしなかったのだ。
 つまり。彰子が仰向けに寝てしまうと、体勢的に彰子がきついのだ。昌浩に背中を向けて寝るものまた同じく。
 彰子も昌浩も寝やすく寝るには、彰子が昌浩の方を向いて寝るしかなかった。
 更にいえば、彰子と昌浩は結構な至近距離でいる。
 あんまり離れると、お互いの手がつっぱるのだ。
 そうした様々な理由により、彰子は昌浩の方を向いているわけだが。
 何故、昌浩まで彰子のほうを向いて寝ているのだろうか。寝返り、という可能性もあるだろう。まあそれはいい。
問題はここからだ。大人しく昌浩の横にあったはずの昌浩の左手が、彰子を抱きしめる形で添えられているのだ。
 ちょっとまて、と物の怪は冷静に考えようと努めた。
 今昌浩と彰子は向き合う形で眠っている。つまり、かなりの至近距離で向かい合っているのだ。
 昌浩は今年で16に、彰子は15になる。それなのにこの状況というのは少々どころではなくものすごくまずいのではないだろうか。
 仮に昌浩が寝返りをうったのだとしよう。そうなると、必然的に彰子を抱きしめるようになるのは仕方ないかもしれない。
物の怪は無理やりそう解釈することにした。
 寝返りで昌浩の腕が彰子にかぶさる形になったのなら、それなりの衝撃が彰子にかかるわけで。
 それで彰子が起きない、というのはなかなか考えられないのだが。
 そのことに気付いているものの、物の怪はあえて触れないことにした。
 昌浩が無意識に抱きしめたとか、あるいは自覚ありで抱きしめたとか。いろいろと思うことはあるのだが。昌浩だって奥手だろうがなんだろうが、所詮青年なのだ。
「ふう…」 
 一つため息をつくと、物の怪はそろそろと妻戸を閉めた。
 前足を妻戸にかけた状態でうつむき、ゆっくりと深呼吸をする。
 そしてばっと頭を上げ、きっと瞳を煌かせた。
「よし!彰子には悪いが、見なかったことにしよう!!」
 さすがに声に出すわけにはいかなかったので、心の中でしっかりとそう叫んだ。
 そして身をひるがえすと、音を立てない程度の駆け足で屋根へと登っていった。



「…むう、紅蓮め…逃げおったな」
 物の怪の神気が屋根へと移動したのを感じた晴明は、見事な渋面をつくりあげた。
 その傍では、天一が苦笑し、朱雀があきれて、青龍はいつものしかめっ面だ。
 青龍はつい先ほどまでいなかったのだが、物の怪、もとい紅蓮が退室したので顕現したのだ。
「まったく…。すまぬが、天一。二人を起こしてきてくれんかの。彰子さまだけを起こすのは無理じゃろうて、昌浩も起こしてよかろう」
 どうやら、稀代の大陰陽師は彰子を起こせば必然的に昌浩も起きるであろうことを承知していたらしい。にも関わらず物の怪に彰子だけを起こして来いというのだから、たぬきじじいと末孫に言われるのも無理ないだろう。
 天一は主の言葉に微笑んでうなずいた。
 朱雀は昌浩の部屋へ向かう天一に当然のごとくついていく。
 その光景に晴明は苦笑を浮かべた。





 かたり、と音がして今日何度目かの昌浩の部屋の妻戸が開く音が部屋に響く。
 再び日の光を浴びて、部屋は明るみを帯びた。
 物の怪が絶句した光景とまったく同じ光景が天一と朱雀の瞳には映し出されていた。
「これは…」
 天一はそれだけ呟き、朱雀は言葉もなく沈黙している。
 二人の脳裏には、物の怪とほぼ同じ様な内容がぐるぐると巡っていた。
 しばらく妻戸付近で立ちすくした後、まず天一の足が動いた。
 物の怪のように逃げるようなことはなく、まっすぐに彰子のそばへと移動する。
 彼女への主の命令はそこに眠る姫と主の後継を起こすこと。十二神将にとって主の命令は絶対だ。たとえどんな些細なことだろうと。
 この思いを晴明が聞いていたら、さっきのは命令というよりお願いなんだがなと、苦笑しただろう。
 朱雀も天一につづいていき、昌浩の隣りへ移動した。
 天一はそっと彰子の肩に触れ、ぽんぽんと軽く叩いた。
「姫、そろそろ起きて下さい」
 朱雀は以前玄武がやったように昌浩を叩き起こそうかとも思ったのだが、彰子と手を繋いでいるため断念した。
 昌浩はともかく姫を叩き起こすのは彼の意に反する。
「おい昌浩、起きろ」
 かわりにぱしぱしと頬を軽く叩く。もちろん理に触れない程度で。一度張り飛ばしたことがあるくせに何を今更、と言われそうだが、あの時は天一が関わっていたのだ。愛するものが関わっていると人格も変わるのだ。
「ん…」
 昌浩と彰子がほぼ同時に瞼を揺らし、ゆっくりと瞳をのぞかせていく。
 それを見とめた神将は、互いの視線を合わせると、すっと姿を消してしまった。
 また半分ほどしか開かれていない目で、昌浩は彰子の頭を視界のすみに収めた。
 彰子の瞳も昌浩の首のあたりを映している。
 それぞれ視線を下と上に移す。視線が、かち合う。
 沈黙が室内を満たした。
 驚いたように見開かれた瞳。それでも飛び起きるようすは微塵もない。
 夢じゃ、なかったのか。唐突に昌浩の脳裏にそんな思いが駆け抜ける。先ほど目覚めた時に、実はこれは夢なのではないのかと思っていたのだ。
 あまりと言えばあまりな、この状況ではそれも仕方がないかもしれない。藤原の、それも帝に嫁ぐはずだった姫と、下級貴族である安倍の陰陽師が同衾するなど、ありえないことなのだから。
 しかし、それは実際に今この状況で起こっている。意味もなく心が温かくなる。
 ふっと昌浩が唇の端を持ち上げた。それを見て彰子も目元を和ませる。
 くすくすと、どちらからともなく小さな笑い声が漏れた。
 かすかなそれは、静かな部屋にゆっくりと響く。
 特に何かあったわけではない。ただなんとなく笑いたくなっただけだ。
 幸せだな、と。唐突に思って。
 普通ならこの状況で笑っていられるはずなどない。それこそ昌浩は彫刻と成り果てる。そんな
 状況なのに。
 無意識にこぼれ出た笑み。
 しばらくそうやって言葉を交わすことなく笑いあっていたら、彰子は不意に昌浩の腕に力がこもったのを感じた。
 そっと昌浩の顔を盗み見れば、頬をわずかに赤く染め、視線はいずこかへ。
 それを受けて更に笑みが深くなるのを感じた。
「昌浩、少し…ごめんなさい」
 彰子はそう言って、昨晩から繋がれたままの手をそっと離した。
 昌浩の手のひらにあったぬくもりが消え、彰子が動いたかと思うと、かわりに上半身に温かさを感じる。
「え…」
 驚いて視線を下げると、彰子が先ほどよりも近くにいる。
 どうやら体をずらして昌浩に寄り添っているようだ。
 昌浩は更に頬が熱くなるのを感じて、彰子に顔が見られないようにぎゅう、と抱きしめた。
 彰子はそんな昌浩の考えを見抜いたようで、腕の中でくすくすと笑った。
「……彰子」
 少しだけ声を低くして名を紡ぐと、笑い声が小さくなった。
「…ごめんなさい」
 確かに謝ってはいるが、まだ笑い声が混ざっている。
 昌浩はそれに気付いていたが、本気で怒っているわけではないので、それ以上は言わない。
 変わりに別のことを口にする。
「彰子、今日は少し、寝坊しちゃおっか」
 16の青年とは思えない子供じみた声で昌浩はそう言った。
 そんな言葉に彰子は、微笑んでこくりとうなずいた。


 昌浩は寝坊、と言っていたはずなのだが、その後も昌浩と彰子の小さな会話は続いた。
 晴明にいくらか小言をくらったらしい物の怪がやって来て、昌浩の代わりに彫刻となる、その時まで。




   END

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  1周年記念のフリーです〜。
 結構前から用意してました笑
 またちょっと未来設定で。成長した昌浩はきっと天然のたらしだと思います(え)
 でもまだ奥手な部分もある感じが伝わればよいのですが…。真面目に文才が欲しいです。
 「その、先」の後なので少し甘く…なってるのかしら;;

 1周年おめでとうございます。とんずらした物の怪がいいです。
 その気持ちよくわかるわ〜でした。甘い二人が良かったです。如月深雪拝

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  永久の想い


 想いは幾年経っても続いてゆく
 死してもなお
 魂は転生を繰り返す
 違う時代に生まれても
 幾度となく転生し
 やがて再び

 想いは巡り逢う

 それは
 まるで
 螺旋のように



  永久の想い



「…本当に行くの?」
「うん…、俺が行かなければこの瘴気はおさまらない…」
「だけど…危険…なのでしょ?」
「……どこにいても必ず彰子の元に戻ってくるよ。」

 世は平安。

 最強の陰陽師として名を馳せていた安倍晴明が生死をさ迷う日々が数カ月続いているという噂が流れていた。
 確かに晴明は高齢で、この時代の人間の中では誰よりも長い時を生きていた。
 噂を知った者達は誰もがこの世の終わりだと、都中が混乱しているさなかだった。
 そんなある日、かの帝の元に妖が現れた。
 それはすぐさま都中に広まり、そして誰もが恐れていた。
 陰陽寮の陰陽師は交代で見張りをするが、
 妖は強い妖力を持ち、その辺の陰陽師では歯が立たない。
 さらに安倍の一族も例外ではないかった…


 ………ただ1人を除いては。


 まだ直丁から昇進して間もない17歳の少年。
 一族の者を除いては誰も少年の実力を知らなかった。
 さらに、その少年が既に安倍家の次期当主として動いていること、
 そして、あの安倍晴明にも匹敵する力を持っているということも。

 少年が現場に呼ばれたのは妖騒ぎが始まってから3日も経った頃。
 本来ならこの場にいるには不釣り合い、と周りの人間は視線を向けていた。
 かの少年の父であり、天文博士でもある安倍吉昌が陰陽頭を何とか説得したのだ、
「自分の末の息子は安倍晴明をも凌ぐ力をもっている」と。
 吉昌、さらに成親、昌親と安倍家の直系の人間3人から説得され、
 なんとか陰陽頭は折れたのだった。

 今回の妖は、かの大妖・窮奇よりもはるかに強い力を持っていると、昌浩は感じていた。
 かの大妖と対峙した頃はまだ自分も幼く、
 たやすく倒せる訳ではなかった。
 あの頃は祖父の配下である十二神将達の力があってこそだったのだ。
 そして今、その頃と同じ感情の渦が自分の中を廻る。

「……大丈夫か、昌浩?あまり感情に飲み込まれるな。俺達もいる。」
「…全く、紅蓮には敵わないな〜。」
「当たり前だ。俺はお前が生まれた頃から見ているんだぞ。お前の考えていることくらい分かる。」
「そうだね。陰陽寮の犠牲や被害も大きい。ここでなんとか倒すしかない…。皆、力を貸してくれる?」
「もちろん」
 昌浩と共にいる十二神将達は迷いなく返事をした。







 激しい戦闘の上、昌浩達はボロボロになりながらも、なんとか妖を退治することができた。
 神将達もだいぶ神気を高めて闘っていたため、少しでも見鬼の才がある陰陽師達は闘う者たちの姿を目にし、そして唖然としていた。
 これは自分達とはまるで次元が違いすぎる、と。
 さらに周りに昌浩の実力を認めさせるには十分すぎた。
 吉昌や成親、昌親と安倍家で名を馳せている者達でさえ敵わなかった妖。
 今回の昌浩の活躍はその後、物凄い速さで貴族達に広まったのだった。

 その頃、天后の水鏡で事の一部始終を視ていた晴明は安心しきった顔で床についていた。
「これで私も安心して逝けるな…」
「晴明様っ……!」
「安心せい、天后。まだ天命まで少し時間がある。
 それまで昌浩に全てを引きつがなければな…。
 お前達も昌浩を認めてやってくれ。
 またまだ未熟なとこもあるが、あやつもきっとお前達の良き主、
 いや朋友となるだろう…」
「はい………」
 実は昌浩の実力は十二神将の誰もが次期主として認めていた。
 青龍は相変わらずな態度をとっているが、内心では認めていたのだ。
 最近では昌浩の『お願い』を渋い顔をしながらも聞いてしまうほどだった。
 その現場を目撃した勾陳と六合は開いた口が閉じなかったという。


 妖退治後、その場にいた貴族と陰陽寮の人間は宴を始めた。
 むろん、今宵の主役である昌浩は、帝直々から初めて御褒めの言葉と褒美をもらっていた。
 宴にも参加するよう、周りの人間から言われたが、「晴明に報告があるから」と昌浩は早々に帰宅した。
 疲れて、体もボロボロのなのに宴なんて出れるわけがない。
 そして何より、屋敷で待つ愛しき人に無事な姿を見せたかったのだ。


 気を使って貴族の人間が用意してくれた牛車に乗って、昌浩と物の怪は安倍邸へと帰宅した。
 安倍邸へ着くと、牛車の音に気付いたのか、彰子は屋敷の戸口のところまで駆け寄って来た。
「昌…浩…っ!」
「ただいま、彰子…」
「お帰り…なさい…」
 昌浩の無事な姿に安心したのか、目にうっすらと涙を浮かべ、彰子は昌浩へ抱き着いた。
 それを目にした物の怪は「お邪魔虫は退散だな」と晴明の部屋へとポテポテと歩いて行った。



「彰……子…?!」
「本当に…本当に良かった…。ずっと怖かったの、
 昌浩が帰ってこないんじゃないかと…」
「ちゃんと約束しただろ?俺は彰子の元に必ず帰るって。」
「えぇ……」
「俺の帰る場所は…彰子のとこだよ。この世で1番大切で…愛しき人…」
「ま・昌浩…////?」
「こんな時に言うのは卑怯かもしれない…。
 でもずっと言わなきゃって思ってた。……彰子、ずっと俺の傍にいてほしい。」
「昌浩…それって…」
「うん………////」
 突然の告白に彰子は言葉を失った。
 それは嫌なわけではなく、心から嬉しくて…そして何より驚いただけ。


 彰子も同じく昌浩に恋をしていた。
 初めて出会った親族以外の男の子。
 初めの頃はまだ幼さは残っていたが、
 いつも懸命に恐ろしい妖から守ってくれた。
 入内が決まったときは心底、自分の運命を呪ったものだ。

 昔から嫌なことは2つあった。

 1つは自分に見鬼の才があったこと。
 これは昔から怖い体験をしていた。
 しかし、この力のお陰で昌浩と出会えたから少しはいいかな、と思う。


 そして2つめは、自分の家柄。
 藤原道長の子で何一つ不自由なく過ごしてきたが、
 自分は長女という立場上、
 将来のことは自分で決めることは難しいだろうと思っていた。
 だからこそ、それが現実になったとき嫌だった。
 しかし、窮奇の呪詛を受け、入内出来なくなったとき、
 お父様には悪いけど嬉しかった。
 そして何より安倍家にお世話になることも…。


 一緒に過ごすようになって数年、
 大人びてきた昌浩に対してますます想いが膨らむのも当然のことで。

 周りの女性から文が届いているのも知っていた。
 それに何度悲しい気持ちになったことか。


「ありがとう、昌浩…。私を貴方の傍に…ずっといさせて…」
「うん、ずっといるよ。例え生まれ変わっても…必ず彰子を見つける。」
「私もよ…」









「じいさま、どこに行くのですか?」
「これからお得意様のとこに行くんだよ。」

 まだ5歳の昌浩は晴明に手を引かれ、目的地へと向かっていた。
 ここにいる老人は「安倍晴明」。
 遥か昔に陰陽師として名を馳せていた『安倍晴明』の生まれ変わりで、
 記憶と霊力を持っていた。
 そして手を引かれている末孫の名は「安倍昌浩」。
 やはり、かつての安倍晴明の末孫『安倍昌浩』の生まれ変わりで、
 記憶こそないが、霊力だけはしっかりと受け継がれていた。
 そして、現在向かっている場所にも…。

「うわぁ…おっきい…」
「こちらは、藤原道長様の御屋敷だよ。」
「ふじわら…みちながさま?」
「そう。そして昌浩より1つ下の娘さんがおる。昌浩…お友達になってあげてくれぬか?」
「うん、ともだちになる!!」


 藤原道長の長女は生まれながらに見鬼の才を持っていた。
 幼い子らは妖に狙われやすい。
 古くから藤原家と付き合いのある晴明はそれにいち早く気付き、
 幼子を守る為、結界を張った。


「お越しいただけましたか、晴明殿。」
「お呼びにあずかりまして…。道長様、この子が末孫の昌浩です。」
「そうか、この子が…。」
「えぇ。昌浩…、こちらが藤原道長様だ。隣にいらっしゃるのが御令嬢の『彰子』様だよ。わしらは仕事の話があるのでな、お庭で遊ばしていただいてきなさい。」
「そうだな…。彰子、昌浩君とお庭で遊んでおいで。」



 父親に連れられ少し不安そうだった彰子は、パァっと笑顔で頷き、昌浩の手をとって庭へと駆け出していった。
「…あんなに嬉しそうにしている彰子を見るのは久々だな。」
 しみじみと言う道長に、晴明は頷いた。

 彰子は力のせいか、外へ出るのを怖がるようになってしまった。
 外には様々な妖もいる。
 たまに外出して危険な目に遭う事も度々あった。
 おそらく自分のせいで周りの人が傷つくのを恐れたのだろう。
 そのため、ここ数ヶ月は家に篭るようになってしまい、
 当然、友達も出来なかったのである。


「ご安心下さい、道長様。あの子…昌浩にはいずれ私の跡を継がせるつもりです。あの子にはそれだけの力があります。今後、彰子様をも守れるくらいの陰陽師となるでしょう。」
「そうか…。2人の将来が楽しみだな…」
 2人は笑いながら、仕事の話をし始めた。



 一方、昌浩はというと、急に手を引かれ走ったためか、庭につく頃には少し息が上がっていた。
「はっ…はぁ…っ…、えっと…、あきこさま?」
「……『あきこさま』なんてよばれるのやだ…。『あきこ』って呼んで。」
「『あきこ』?」
「うん!『まさひろ』!!」





 記憶はなくても
 想いは
 繋がっている

 それは
 まるで

 再び出会うことが
 運命であるかのように



  END
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 んん〜…何ヶ月遅れのUPでしょう??
 めっちゃ遅くなってしまって…ゴメンナサイ…。
 「紫音」を応援してくださる皆様に捧げます。
 フリーとなっていますので、お気に召しましたら
 ご自由にお持ち帰り下さい。

 1周年おめでとうございます。強い昌浩に惹かれて強奪。。
 鮮やかな文章にぐらぐらときましたよっ。如月深雪拝

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  夏休みのある日の彼ら


 ちりん、という涼やかな音色に、勾陣は顔に伏せていた本を取り上げた。
 どうやら、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。
 汗ばんだ髪を掻き上げ、自分以外の安倍家の面々はどこへ行ったのだろうかと勾陣は寝起きのぼんやりとした頭で考えた。
 真夏の陽光が障子越しに畳の上に影を落としている。家の中は、蝉の声が外からじりじりと聞こえてくる以外はひどく静かだ。
 晴明以下、大人たちは仕事。盆休みに入る前に片付けてしまいたい件が山ほどあると、六合がぼやいていた気がする。昌浩と彰子は、確か宿題をするのだと言って図書館へ。太陰は、「こんなに暑くちゃ泳がなきゃやってらんない!」と叫んで玄武を引っ張り、白虎を保護者代わりにして市民プールへと繰り出していった。それ以外、天后や太裳たちは、わからないがきっと異界に留まっているのだろう。
 大所帯の安倍家で人の声がしないというのは、それなりに珍しい。
 ひんやりと冷たい畳の感触を素足で楽しんで勾陣は寝返りをうった。
 しばらくの間そうやって突っ伏していた後、身体を起こして立ち上がり、障子を開け放った。
 暗がりに慣れた目に射るような日の光が飛込んできて、思わず目を細める。
 瞼の裏に焼きついた緑色の残像が消えるのを待ってゆっくりと再び目を開けた。
 縁側に出てガラス戸を引くと、外の方が湿度が低いのか思いの外涼しい風が吹いてくる。
 髪を撫でた風が鴨居から下げた風鈴を鳴らすのを聞きながら縁側の日の当たらないところに腰を下ろした。
 庭先の地面がゆらゆらと歪んで見える。先ほど目が覚めた時に見た時計は二時半を指していた。太陽の下には間違っても出たくはない時間帯だ。
 安倍家が比較的郊外に建っているせいもあるだろうが、屋内で聞くのとは違う、騒音と言っても差し支えないぐらいの蝉の鳴き声がする。
 その音を背景に、勾陣は昼寝によって中断された読書を再開した。
 三分の一ほど読み進めたところで、玄関の戸が開くのが聞こえて、勾陣は顔を上げた。
 誰かが帰ってきたのだろうと思ったが、立ち上がるのも面倒だったので再び本に意識を戻す。

「お帰り、騰蛇。買い物にでも行っていたのか?」

 背後からよく知った気配と足音が近づいて来たので、本に目を落としたまま振り向かずにそう声を掛けると、紅蓮はシャツの襟元をばたばたと扇いで風を入れながら、ああ、と首肯して勾陣の隣に座った。

「勾、お前何て格好してるんだ…」
「別にいいじゃないか。暑かったんだ」
「いや、それはわかるが、何ていうか、こう…」

 七分丈のジーンズはさておき、上がタンクトップ一枚なのはいささか目のやり場に困る。
 もう少しその辺りの自覚を持ってはくれないだろうか。ついでにその格好で家の中をうろつかれては昌浩の教育上あまりよろしくないぞ、などとあれこれ頭の中で並べ立てた紅蓮が出した結論は、今は二人きりなのだからまあいいか、だった。

「あー…暑…」
「夏だからな。しかも何だってわざわざこんな時間に買い物に行ったんだ、夕方でもよかったんじゃないのか?」
「だな。俺も今後悔しているところだ…」
 うんざりしながら髪に手を入れてがしがしと掻き回した紅蓮は、そのまま後ろに倒れ込んで顔に腕を翳した。
 どうやら本気で参っているらしいその様子に苦笑して、勾陣は本を置くと台所へと立った。本性の時だと感じない寒暖が人型を取ると身に堪えるということはわかっているはずである。騰蛇の学習能力がなかった記憶はなかったのだが、と呟いて食器棚から二人分の茶器と盆を取り出し、冷蔵庫の中にあった緑茶を急須に移してそれも茶器と一緒に盆に乗せた。

「悪いな、勾」
「気にするな。私が飲みたかっただけだ」
「はいはい」

 よっこらせと起き上がって片膝を立てた紅蓮の横に柱に背を預けて腰を下ろし緑茶を茶器に注いだ。透明なガラスの茶器から透ける鮮やかな緑色が、盆の木目にゆらゆらと波紋を描いている。複雑な模様の変化を楽しんでから勾陣は茶器を手に取った。

「夏だなー」
「そうだな」

 だからどうしたと言われればそれまでなのだが、夏だ。水色の絵の具を溶かしたような色をした空には真っ白な綿雲が浮いている。向うの方に見える神社の青々とした木立を眺めてしみじみと茶をすすった紅蓮の目の前を、トンボが一匹横切った。この暑さのせいで庭の草木も心なしか元気がないように見える。日が落ちて地面が暑くなくなったら水やりをしないといけない。今やると土の温度で水が熱せられてしまい逆に植物の根が弱ってしまう。夕食の支度を始めるにしてもまだ時間はあるしそれまで一眠りするかと、紅蓮は傍らの勾陣の横顔を伺った。

「なあ、勾」
「何だ」
「昼寝したいから膝を貸してくれと言ったら怒るか?」

 許可を求めつつ、しかし横になって縁側に寝そべった紅蓮の頭はちゃっかりと勾陣の膝に乗せられている。普段ならここで暑苦しいからくっつくな、とにべもなくあしらわれてしまうところだが、勾陣は呆れたように笑ってみせただけだった。何も言わないということはつまり好きにしていいのだろうと都合よく解釈して両腕を腹の上で軽く組んだ。

「私がこの本を読み終わったら即行で叩き起こしてやるからな」
「…了解」

 紅蓮が目を閉じたのを確認して、勾陣は栞を挟んでいた箇所より少し前のページを開いた。
 一時間ぐらいは寝かせておいてやろうか。
 幾重にも伏線が張り巡らされたこの物語の結末まで、残り後200頁。


  fin.

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 早いものでこのサイトも開設から2周年。
 これも普段から来てくださっている皆様のお陰ということで立秋も過ぎたところで残暑見舞いもかねたテキストをupしました。

 2周年おめでとうございます。熱さに頂いちゃいました。
 カウントダウンな200Pが勾陣らしくて好きです。如月深雪拝

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  洶湧が如く


「ねぇ、もっくん、ここ2,3日なんかこの辺りがモヤモヤするんだよね。何でだと思う?」
 んー、と視線を宙へ投げ出して胸を指しながら悩む仕草をしながら安倍昌浩は傍らで丸くなって一心地ついていた物の怪に問いかけた。
「占には変わりないとでているんだろう? それとも占が狂っていて何か妖意の気配を感じているのか?」
 ぱたり、と長い尾を揺らしながら身を起こした物の怪は少々眠気交じりの声で応えた。
 どこかのんびりとした体だが物の怪の言う言葉が真であれば京にとっては恐ろしい事態だ。そして京を守るべき位置に密かに立たされている昌浩にとって、それは命に関わる。また、昌浩に付き従う身である物の怪にとっても同様だ。
「冗談でもそういう事は言わない! それに、京に関わることで俺が判然としないことが滅多にないことくらい知ってるだろ?」
 言葉には魂が宿ると幼少の頃から言われて育ち、成人となり周囲からも認められてきている昌浩の身は絶大な力が宿っている。冗談であっても言ってしまえば少なからずとも影響を及ぼしてしまうのは本能が知っていた。一つ一つ、言葉を選び、それに含める思いも自然と宿ってしまう力も制御しなければならなくなっていた。
 彼の力が及ぼす影響は身近な者にも及んでしまう。誰よりも昔から近くにいた物の怪には相応の影響が及んでいるはずである。
「悪かった。つい、お前とこうしていると忘れてしまう」
 失言であったことを物の怪は認めながらもこうして軽口を言ってしまうのは己の言葉以上に昌浩の言葉に込められる力の方が強いことを知っているからだ。だがそうとはいえ、確かに先程の言葉は軽く流されるものではなかった。
「だがそうとわかっているんだからそのモヤモヤとやらの原因はお前自身にあるのだろう? 心当たりは一つもないのか?」
 じっと腰を据えて真面目に話している間の癖になった動作を繰り返しながら物の怪は首を傾げた。
 ゆらりゆらりと長い尾が揺れている。
「俺自身に関することだろうとは思ってるんだけど・・・今一納得出来ないんだよね。何なんだろ・・・」
 答えはでないまま昌浩と物の怪は二人して首を傾げ、春めいてきた邸の庭を前に唸り声を小さく漏らした。



 彰子は随分と前に自身の部屋としてあてがわれたそこで文台を前に困ったように眉尻を下げ、ため息をついていた。
 文台の上には白い紙と共に愛らしい梅の花が咲いた枝がその存在を主張していた。
 そもそも文自体が彰子の元にあるのは良いのだ。珍しいことではあるが今まで生きてきた中でも文を頂戴したことはある。内容は大したものではないが昌浩の祖父からであったり、昌浩自身からであったり。時には昌浩が密かに預かった実父からの文であったり。
 昌浩から贈られてきた文の内容が甘い睦言であったことはないけれど、その一文からは彼の優しさが滲みでるものばかりで彰子にとっては何よりも甘い言葉であったことは間違いない。時には錯覚に陥ってしまうようなものもあった。その度に彼はそのような意味を込めている訳ではないのだと自身に言い聞かせてきた。
 昌浩と出会って以来、様々な感情を身に宿してきた。不安や恐怖、絶望も感じた。悲しみや寂しさ、疎外感も抱いたことがあった。己がいかに無力であるかも痛感したことがある。今も本当に彼の支えとなれているのか分からない。きっとこれらの負の感情は死ぬまで胸内に抱き続けるのだろうと思っている。
 彼と共に時を過ごし、その中で勿論抱いた感情は負のものばかりではない。それらを打ち砕ける程の喜びや幸せ、楽しい時を過ごしてきた。人一人を想い続け、誰よりも傍にいられることの喜びとその幸運に時に涙が溢れそうにもなる。経過がどうあれ、今こうしていられる幸運に彰子は一生分の運を使いきったと思っている。
 出来ることなら彼と結ばれたい。だがそれを望むのはいき過ぎではないだろうか。彼や彼の両親達は心優しく、大切にしてくれている。まるで本当の身内のように接してくれているし、自分に対して良くしてくれている。それはこの数年彼らと時を共にしてきた中で築き上げた信頼が確固なものとなってきているからでもある。
 この居心地のよい場所を手放したくない。彼の傍を離れたくはない。
 だが、自分がここに居座ることで、彼らに依存することで生じるのは彼らにとって良いものではないだろう。今は亡き晴明の後継として昌浩が一族内で既に確固な位置にいることを彰子は知っている。そして彼は元服を果たして数年経つ今も誰も正妻に迎えようとしていないことも、それに対して一族内で問われていることも。

 儚くも美しい春の花を見かけて以来、己が胸中を焦がし続けるその花を忘れることができない。

 そう綴られた恋文を前に、彰子はどうすれば良いのかと、再び息を吐いた。


      * * *


 不覚にも彰子の異変に気付いたのは物の怪と首をかしげて唸っていた日の翌日、共に市へ出かけた時だった。
 昌浩と物の怪が共に居るのだからと他の神将たちは伴わずにゆったりと久し振りのお出かけを楽しんでいた時、一人の幼い少年が彰子の元に走りよってきた。その子どもの手には文と梅の花が咲く一本の枝があった。
 微かに彰子の顔が曇る。
 子どもの手から文と梅の枝を受け取りながら、どうしたものかと彰子は悩んでいるようだった。故に、昌浩は何気なく言ったのだ。
「気になるなら今見ても構わないよ。荷物は持ってるからさ」
 昌浩にとっては助け舟でもあっても、彰子にとってはそうではなかった。
 誰からのものか分からぬこの文に対して昌浩は特に興味がないように見受けられ、それはまるで彰子自身にも興味がないように受けられた。
 昌浩の足元では物の怪がこの鈍感め! と睨みあげている。それに対しても昌浩は気付いていないようだった。
 切ない感情を抱き、文をどうにもしない彰子に、昌浩は苦笑を浮かべた。
「別に、誰からのものなのか気にならない訳じゃないよ。ただ、それを書いた人の気持ちも思うと、見ないようにするのも、見ないで捨てさせるのもダメだと思ったんだ。応える応えないは彰子次第。でも・・・」
 言いかけて押し黙った昌浩に、彰子はきゅ、と唇を噛んだ。
 何と馬鹿げていたのだろうか。彼の純粋な優しさと、文を贈った者に対する礼儀を慮っての言葉だったのに。
「邸に、戻ってからにするわ。買い物の方が大事だもの」
 笑みを浮かべて告げた言葉に、昌浩はそっか、と頷いた。



「ここ最近感じてたモヤモヤってあれのことだったんだねぇ」
 自室で文台の上に硯と筆、紙を持ち出してそのまま何もせずに座ったままだった昌浩が唐突にぽつりとそんな言葉を漏らした。
「確かにお前に関することだったなぁ」
 昌浩の背後で丸くなっていた物の怪はそのままの状態で応える。それはまるで独り言のようだったが、そのまま本当に独り言にしてしまっては寂しすぎた。
「良いのか、何も言わなくて」
 背後から昌浩の本心を探るように視線だけを投げかけて問うた物の怪に、昌浩は首肯して応えた。
「大丈夫だよ。彰子は断りの返事しか出さないだろうから。もしかしたら返事すら出さないかもしれないけど」
 けれどきっと彼女は断りの返歌を贈るだろう。出さないとなれば相手方はさらに文を贈り届けるだろうから。
「随分な自信だな。でもそのわりに嬉しそうでもなさそうだが」
 昌浩からの意外な返答に驚きながらもその身に纏う暗い雰囲気に物の怪は首を傾げる。昌浩が彰子のことを想っているのは知っている。だから想い人である彰子に恋文が贈られ、しかし彰子はそれを断るだろうと確信しているらしいのに、昌浩は嬉しそうでも安堵したようでもなかった。
「断ると思ったのは彰子がさっき、買い物の方が大事だからと言ったからだよ。それって恋文を贈ってきた男よりもうちの方が大事だって言ってるわけだろ? それから嬉しそうにしてないのは、俺自身の情けなさに辟易してるからだよ」
 情けないとはどういうことだ? と物の怪は身を起こし、昌浩に近づきながら問うた。
「多分、だけどさ。彰子は最初あの文に対して当たり障りのない返歌をしようとしてたんじゃないかな? 俺の態度がはっきりしないから、彰子は不安だったんだと思う」
 はぁ、と深いため息を昌浩は吐いた。傍らに腰を吸えた物の怪はだが、と言葉を発する。
「お前が彰子のことを想っているのは周知の事実だろう?」
「だけど、彰子にはちゃんとした言葉を贈ってないから。臆病な俺の心が、そうさせなかった。彰子を手放したくない、彰子とは今の関係で充分だ、この心地よい関係を崩したくない・・・そう、思って何も言わなかったし、何もしてない」
 そうして暫く沈黙した昌浩はおもむろに筆をとって、硯に摺っていた墨を含ませると白い紙に筆先を走らせた。



 彰子は返歌をしたため、そうしてこの文をどうやって相手方に渡そうか悩んだ。
 安倍邸には最低限の侍女しかいない。使いに出せるほどの余裕などないのだ。
 どうしたものか、とため息をついて不意に彰子は自身の背後に現れた存在に顔を後ろへやった。
「六合? どうかしたの?」
 一人で市に行く際はよく共にいることが多いが、普段は滅多に合間見えない存在だ。邸内では天一と共に過ごす方が多い。
「昌浩が困っているだろうからと」
 何に困っているのかは言わず、その視線を彰子が手に持っていた文に向けることで意図を図るように伝える。
 彰子も六合の言葉と視線の先にあった文で、充分に理解した。
「いいの?」
 まさか神将である六合にこんなことを頼んでも良いのかと昌浩に言われたからとはいえ彰子は戸惑った。
「構わん」
 早く渡せと六合は促す。
 少しの逡巡の後、彰子は六合に文を渡した。



 六合が無事に文を渡したと彰子に告げていなくなった後、夕餉の準備を終えた彰子は昌浩を呼びに行った。
「昌浩? 夕餉の準備が出来たわ」
 昌浩の自室に身を滑らせてそろりと入る。自室には了解を得ずとも入ってきて構わないと言われて以来、彰子はほんの少しの戸惑いと昌浩の領域に入っても構わないという言葉に喜びも抱いていた。
「うん、今から行くよ」
 何かをしたためていたらしい昌浩は筆を文台に置くと腰を上げた。同時に傍らで丸くなっていた物の怪も身を起こす。
「あの、昌浩・・・さっきはありがとう」
 想い人である彼の配慮で断りのとはいえ見知らぬ誰かに文を渡すことに多少の気まずさがあるがその配慮には礼を言っておかなければならないと思った。
「ううん。ちゃんと相手に文が渡って良かった」
 うっすらと笑んでみせた昌浩に、彰子はきょとん、と瞬きをした。
 何となく、彼の表情がいつもと違って見えたのだ。それに彼が今のように笑う様は、初めてみる。
 その笑みはどこか艶めいていた。
「昌浩・・・?」
 何だろうか。彼の雰囲気がどこか大人びていて、その常には見せない艶に戸惑う。
 思わず浮かんだ言い知れぬ不安に、彰子は眉を寄せた。
 だがそれも一瞬のことで、昌浩は眉を微かに寄せた彰子にどうかした? と普段と変わらぬ調子で聞いた。
「ううん。何でもないわ」
 呆気ないくらいの変わりように驚きながらも安堵した彰子は軽く首を振った。
「早く夕餉を食べに行こう。父上も母上もお待ちだろうから」
 笑って先を促す昌浩に、彰子はそうね、と微笑して返した。


      * * *


 翌日、昌浩はどこか緊張した面持ちで出仕した。
 彰子は疑問に思いながらもいつも通り彼と物の怪を見送り、一日を常と変わらず過ごした。
 そうして出仕から帰ってきた昌浩の表情は朝とは違い、どこか嬉しそうで張り詰めていた緊張はどこかへいってしまったようだった。
 昌浩の後ろをついて彼の着替えの手伝いをすべく部屋に向かっている途中、彰子はやはり気になって問いかけた。
「昌浩、今日は何かあったの?」
 言えないことであれば仕方がないと思いながら問うた彰子に、昌浩はただ笑って夕餉の後にね、と言った。
 夕餉の後であれば教えてくれるのだろうか、とどうして今はダメなのだろうと思いながら教えてくれるのには変わりないと思い、彰子は分かったわ、と首肯した。
 そうして着替えを済ませ、夕餉を吉昌や露樹と共にとり、昌浩は自室へ戻った。彰子は露樹と共に夕餉の片付けをしている。
「大丈夫だろうとは思っていたが、実際に了承を得られて良かったな、昌浩」
 自室に戻ってから物の怪が笑みを含ませてそう昌浩に声をかけた。
 対する昌浩は本当だよ、と安堵の息を吐きながら笑みを浮かべる。
「後は彰子に言うだけ、か・・・」
 どうやって告げようと今から逸る胸に昌浩は落ち着かせようと何度か深呼吸をする。
「ま、上手く言えるように祈っててやるよ」
 楽しくて仕方がない、と物の怪は笑いながらそう言うとじゃあな、と言い捨てて昌浩の自室を出ていく。
 面白がっている様を隠そうともしない物の怪に、だが物の怪がここを離れるということは彰子が来ているのだろうと推測できた。
 緊張でどうにかなりそうだ、と昌浩は息を吐く。
 昼間、道長の元を訪れた時よりも緊張していて、どこか笑えた。



 昨晩、夕餉の前に書いていた文は道長に宛てたものだった。
 それは明日会いたいと告げる文で、夕餉を食べた後に式文として送ったそれに、道長は気分を害することもなく二つ返事を返してくれた。
 道長と会いたい理由が安倍邸で花開く藤の花に関することだったからかもしれないが、首尾よく道長と会う約束を取り付けることができて昌浩は安堵しながら、彼に願う事を思うとその夜は緊張してゆっくりと眠ることができなかった。
 翌朝、出仕しても道長と会って話すことを思えば落ち着けず、運良くではあったが気付かれないような不手際を何度か起こしてしまった。
 傍らで昌浩の様子をみていた物の怪はその度に笑いを堪え、時に昌浩からジト目で見られていた。
 そうしてとうとう道長と合間見えた昌浩は、土壇場の開き直りをみせた。


      * * *


 カタリ、と音がして彰子が昌浩の自室に入ってきた。
「昌浩、今日もお疲れ様」
 今では定位置となっている場所に座りながら、彰子が笑みを浮かべて昌浩に労いの言葉をかけた。
「彰子も、お疲れ様」
 彰子の言葉と笑みに癒されるな、と思いながら昌浩も彰子に労いの言葉をかける。
 それに対して彰子は礼を言いながら、それで、と言葉を続けた。
「今日は何かあったの?」
 純粋な好奇心故の問いに、昌浩は一つ、息を深く吸いこんだ。
「実は今日、道長様にお会いしてきたんだ。彰子のことで」
 自分のことで父に会って来たと告げた昌浩に、彰子はほんの少し不安が宿る。
 どこか緊張した面持ちで、慎重に言葉を発している昌浩の、その心がみえない。何の意図があって、父である道長に会ってきたのか。
「先に、彰子に話すべきかとも思ったんだけど、やっぱり道長様の許可も頂かないといけないと思ったんだ。今の彰子が置かれている身の上がどう知られていようと、真実は違うから」
 昌浩がふぅ、と軽く息を吐く。少しずつ本題に向かっているのだろう。
 昌浩の緊張が増しているように思えた。
 同時に、彰子の中で生まれた一株の不安も、広がっていた。
「俺、彰子に言わないといけないことがある。俺の話を聞いてどうするかは彰子が決めて」
 きゅ、と一瞬だけ瞼を伏せ、昌浩は意を決して真っ直ぐに彰子を見据えて口を開いた。



 昌浩が緊張した面持ちで出仕し、帰宅時には安堵したような顔で帰ってきたから、単に仕事に関することや私的に陰陽師として何か重大なことを頼まれていたのだろうか、と思っていた。
 最近では周囲にも認められてきていると物の怪は言っていた。昌浩本人はそんなことはない、まだまだだよと笑うけれど物の怪の言葉は真実なのだろうと嬉しく思っていたのはここ最近の出来事だ。
 私的な部分では既に亡き晴明の後継として動いているのだから責任は重大なものばかりで、時には様々な意図が張り巡らされ、雁字搦めとなり最小限の動きで最大の結果を出さなければならないものもあるという。限られた環境、条件の中で求められるものは完璧なもの。そしてそれらを求めるのは実父であったり、実父のように権力を持ち、一介の下級貴族である陰陽師が逆らえば己のみならず一族の命すら奪えてしまう立場にある人間である。
 故に失敗は疎か、ほんの些細なミスも許されない。
 辛いことも、喜ばしいことも昌浩の感じる全ての一端でも共に感じたいと彰子は思っている。だからこそ、いつもと違った今朝の昌浩の様子が日中は気にかかっていたし、帰宅時には常のように戻っていたことに安堵した。
 単なる好奇心も確かにあった。だが、彼と分かち合いと、彼のことを知りたいと思ったのも確かであるし、分けて欲しいと願ったのも確か。
 聞いてはならなかったのだろうか。
 何があったの、というたった一言で自らの安らかな居心地の良いこの日常を崩してしまったのだろうか。
 昌浩は、実父にあってきたという。
 それも、己のことで。
 実父の許しを得なければならないのは、一体なんだろうか。



 昌浩は言葉を発しようとして、突然の事態に絶句した。
 何が、どうなってそうなったのか、目の前に座す彰子の瞳からすっ、と涙が溢れていた。
 何か、彼女の心の琴線に触れるような言葉を発しただろうか? だが、恐らくはまだ何も言っていないはずだ。
 けれど、彼女は泣いている。それは嬉し泣きというものでは決して違う。切なくて、悲しくて、泣いているのだ。
 原因は何だ?
 混乱して考えのまとまらない頭を必死に叱咤する。多分、今泣いている原因は自分だ。夕餉を食べるまで、つい先ほどまでは常と同じようにみえた。
 だから、多分話している最中に何かが彼女の琴線に触れた。
 だが、それは・・・?
 頭が、答えを導きだせないでいる。答えにさえも近づけないでいる。
 陰陽師としての役目を果たしている時とは違う。彼女と話している時、彼女に関することに対してはどうにもならない。
 頭も、心も彼女という存在に掻き乱されて落ち着くことがない。
 考えても、考えても導き出されない答えに、昌浩はくそっ、と胸中で毒づいて手を彰子に向かって伸ばした。



 荒々しい引力に、彰子は我に返った。
 そして直ぐに訪れた強い圧迫感に、目を見張る。
「昌浩・・・?」
 おずおずと名を呼ぶと、自分の背に回った彼の両手にさらに力が加わった。
「ごめん、俺彰子が泣いてる理由が分かんないや。考えても考えても分かんなかった」
 泣いている。
 その言葉が一瞬彰子は理解できなかった。
 彼は、自分が泣いていると言った。
「俺、彰子のこととなると直ぐダメになる。よくもっくんとか、兄上たちにからかわれるんだけどさ。でも確かに彰子のこととなると、落ち着かないんだ。冷静になんて、なれない」
 絞りだすように紡がれる昌浩の言葉に、彰子はようやく自分が泣いていたのだと理解した。
 自分と彼との間に閉じ込められていた手でどうにか頬に触れて、実感する。
「俺は、彰子を守ると誓った。一生を使って、彰子を守るって。それは嘘じゃない。今もそう思っているし、これからも変わらない。でも、それは陰陽師としてだ。だけど、俺は俺として彰子を一生守るって、そうも思ってる・・・」
 先ほどとは違う、優しい手で昌浩は彰子の肩に触れ、少しだけ引き離した。
 自由になった彰子の両手は、昌浩の胸元を握り締めて幾筋もの皺を作っている。
 少しだけ俯き加減になっている顔には、再び涙が溢れていた。
 ふるり、と微かに震える睫毛と零れ落ちていく雫。きゅ、と引き結ばれた唇に、まるで彰子を守るように覆う黒髪。
 怖がらせないように、そっと両手を頬に添えて彰子の顔を仰向けさせる。
 内から堰を切って溢れてくる欲求を、理性で必死に押さえつけながら、昌浩は彰子の額にこつん、と自分の額をあてた。
 彼女は先ほどみたいに泣いているのに、今度は焦ることもなく、微かに自分の頬が緩んでいるのが分かる。

「彰子、俺と生涯を共にしてくれますか?」




     END

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ・・Σ(=∇=ノノヒィッッー!!
 なんか、すんげぇ恥ずかしいものに仕上がって、しまった...
 あまりにも恥ずかしくて悶絶ものなんですが、最後の昌浩のセリフ、口調がちょっと違うのはワザとです。改まった感じにしてみましたがあれだな、なんだこの恥ずかしさ! 途中でR15くらいとはいえ足を突っ込みそうになったから頑張って軌道修正したのに最後の最後でまたR15くらいに足突っ込みそうになるなんて・・・! どんな罠だ!

 フリーだったのでいただいてきちゃいました。
 昌浩の自嘲がなんとなく控えめだけど切ないです。如月深雪拝

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  いつだって


 いつから共にいるのかと考えると、それはもう気が遠くなるほど昔から共に在った。
 ただそれは言葉の意味だけの事実であり視点を変えれば共にいたとは言えない。
 存在としての距離は近かった。何せ互いを同胞とも呼べて、形をもって存在する理由は同じなのだから。
 しかし、そこにどれほどの意味が在ったのだろう。
 結局自分は最初から独りである事を選んだのだから。

 陽射しの眩しさに目を細めながらも紅蓮は太陽を見上げるのをやめなかった。
 彼は邸の簀子に腰を下ろして何をするでもなく、思考だけを無意味にぐるぐると回して数刻ぼぅっとしていた。
 思考の迷路は何から始まったのだろう。――そうだ、この太陽を見上げてからだった気がする。
 雲ひとつない真っ青な空にあるそれは光り輝く輪をその円かな姿に纏い燦々と照る。その生気に溢れた様と目映さが昌浩を彷彿させた。きっと、そこからだ。
 伸びる枝葉の如く思考は広がり、太陽から己の行く道を照らす子どもへ、子どもから主へ、主の静けさと ただ穏やかに見守ってくれる様が月の光を呼び起こし。
 そうして見守るという言の葉が黒曜の瞳を持つあの人まで導いた。

 見守っていてくれていたのだと気付いたのはいつからだったか。
 自分はある意味で異端であったから他人の目など気にしていなかったのだ。だからその感覚がどうしても鈍くて、気付いたのはつい最近であったように思う。
 情けない事に、光の導である子どもとの間にあった大切なものを失った後の事であったりだとか、天狐によって彼女の存在を危うくされた時だとか。そんな事があって、やっと気付けた。

 己は愚かで。いつも、何かを失くしかけなければ気付かないほど愚かで。

 黒曜の瞳は、何処か遠くであれ僅か程でも気にかけて、在ってくれたのに。
 それはいつも形を変えて――気安さを伴っての軽口だとか厳しいほどの叱責だとか。
 どうであれ、其処に在る優しさを自分は今まで知らずに居たのだ。

 昌浩は太陽、晴明は月。
 では、彼女は?彼女のその優しさは一体何に近いのだろう。
 更に思考の枝を伸ばそうとした、その時。



「騰蛇?」



 己だけの世界であったのに、聞きなれた声が唐突に割り込んで紅蓮は慌てて背後を仰いだ。
 其処には予想に違わず黒の色彩を纏う女の姿が在った。腕を組んで面白そうに黒曜の瞳を揺らめかせて見下ろしてくる。

「お、まえ…っ!?」

 つい先程まで脳裏を占めていた存在に、驚いただろうが、と告げても素知らぬ顔で彼女は断りもなく隣に腰を下ろしてきた。

「驚いた、か。では其処まで何にお前が気をとられていたのか、興味深いな」

 ん?とその眼差しで問いかける彼女に、まさかお前だと正面切って伝えられる筈がなく紅蓮は返答に詰まってしまう。
 内容とてどう言えばいいのだろうか。今まで気づく事のなかった彼女の優しさを、そのまま言葉にしたとしてもどうも上手く伝えられる自信がない。
 ここまで何を思って、どう解釈して、そうこれだと。はっきりと形に成ってない思いを中途半端に伝えれば空中で霧散してしまいそうで。

「……たいしたことじゃない」

 そうして迷った末に自分ははぐらかすのだ。――全く卑怯な事に。
 勾陣は片方だけその柳眉を跳ね上げたが、すぐさま視線を外して先程紅蓮がしていたように太陽を見上げた。

「そうか」

 目映さに瞳を伏せて、それでも心地良さそうにその恩恵を受け入れる。
 陽射しの中でのその風景はあまりにも透明で、克明な黒の色彩が薄い絹に覆われるようで彼女の存在にまるで紗が掛かったかのようだ。
 それでも隣からは変わらずはっきりとした暖かな気配が伝わってくる。

――あぁこれだ。

 紅蓮は瞬時に閃いた。
 自分にとっての彼女の存在はまさにこれだったのだ。

 太陽のような輝きではなく、月のように静かに降り注ぐでもなく。

 瞭然とした姿を持たない、触れる事さえ出来ないそれはまさに陽炎の如く。
 身体に感じる温度だけが確かなもの。
 それが彼女からの見守られるという感覚だ

 その彼女の暖かさに気付き、応えられるようになりたいと思った。
 互いを思い、互いを信じ。そこからやっと自分は共に在る、と言う存在を理解出来るようになったのだ。

「……勾」
「ん?」

 声を掛ければごく自然に言葉が返る。
 光の薄絹の向こうで姿を現した黒曜が、ゆったりと此方を見遣った。
 彼女の、優しさに対することははっきりと口に出来ないけれど、これだけは確かなこと。


「……ありがとう」




いつだって君は其処にいた

(気付くのが遅れてごめん。それから傍にいてくれて有難う)



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 20080720
 1周年有難う御座います。
 一応、記念としてフリーです。お好きなようにしてください(笑)

 1周年おめでとうございます。日差しとしっとりとした雰囲気が素敵です。
 勾陣のどきっとさせるところがいいんですvっ。如月深雪拝

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  淑気に満ちて


 …………今年は、無理だけど。 
 来年は、うちにいられるように、一年かけて根回しする。  


 そう、決意したのはもう一年も前の事。 
 寂しい思いをさせないように。一人にしなくて良いように。 
 そうして何より---。







    淑気に満ちて







 年末年始というものは、とかく忙しい。
 各種様々な行事や決まりごとに、都に住まう人々も皆せわしない。
 宮中では更に行事が目白押しなので、準備を行う役人の忙しさは尋常ではなく、年の暮れから正月にかけて忙殺されている。
 それは昨年はじめて経験した昌浩にとっても同じことであり、また一族のほとんどが陰陽寮に在籍している安倍の者達も皆一様に忙しく動き回っていた。 
 今年はそれでも、昨年の暮れの弔辞のため、例年よりひそやかで粛々としたものであったが。最愛の皇后をなくした今上の気落ちは容易に想像できるものであり、また何かと縁を結んだあの幼い姫宮の事を思うと、胸が痛んだ。それに何より、その事に胸を痛め悲しんでいた彼女が---
「おい、昌浩や。どうしたんだ、手が止まってるぞ」
「…あ、ごめんごめん。ありがとうもっくん」 
 物の怪の指摘に、思い耽っていた昌浩はようよう己の手蹟が止まっていた事に気付き、慌てて乾きかけた筆を墨壺に浸し手を動かし始める。
「おい大丈夫か。連日の疲れでも出てるんじゃないだろうな」 
 目を細めて剣呑な面持ちで昌浩の顔を覗きこむ物の怪に、昌浩は苦笑しながら軽く頭を叩いた。
「大丈夫だよ。そりゃ忙しいけど、寮の仕事だけで変事はないしさ」 
 確かに変事の際に比べればたいした事ないだろうが、それでも疲労はする。 
 無茶はするなよ、と言いかけたがあることに思い至って、物の怪はその必要はないか、と嘆息した。  
 どうやら納得したらしい物の怪を軽く見やり、昌浩は気を引き締めて文台に向かった。 
 時間とは無常なもので、次から次へと迫り来る仕事に、感傷に浸っている暇など与えてくれない。
 ただでさえ連日帰りが遅く、新しき年を迎えてから碌に彼女と言葉を交わせていないのだ。 
 仕方のないこととはいえ、情け無い限りである。 
 ひとつ歳を重ねたというのに、まだまだ未熟だなあ、と軽く嘆息した。 
 宮中行事は粗方目処が立ったが、家の方はそうでもない。陰陽寮に所属する者が多い安倍家では、これからが正月だ。 
 家長である晴明が一条の邸にいるので、一族親族は皆こちらに挨拶にくる。そのため、去年は急遽救済処置として彼女を無人の邸に避難させた。 
 けれど今年は。
「今日は早く帰れると良いなあ」 
 小さく零れた言葉に、物の怪は横で丸くなりながら、尻尾をふさりとはためかせた。
「ならさっさと頑張れ。お前が遅いと心配するだろう」
 うん、と小さく、けれどはっきりとした声音で返事が返ってくる。
 誰が、とは言わなくてもお互い分かっている。 
 去年は叶わなかった、けれど今年は違う。家に帰れば、待っていてくれる、それが今何よりも活力となっている。



(彰子姫、昌浩が帰ってきたわ)
「え、本当?」 
 傾けていた瓶子を元に戻し、彰子は声がした方に目を向けた。 
 顕現せずとも分かる。太陰だった。 
 次いで今しがた酒を注いでいた相手に目を向けると、にこりと微笑を返してくれた。
「ああ藤花殿、お気遣いなく。行って来て下さい」
(今は誰も来客がいないから大丈夫よ) 
 背中を押す言葉に促され、太陰の言葉に嬉しそうにうん、と頷いて中座の非礼を詫び一礼してから席を立った。 
 その一連に感心とも感嘆とも取れる笑いが零れる。 
 しばらくして、元気な声が聞こえてきた。その声にくくっと自然と笑みが零れる。



「ただいま戻りました」
「お帰りなさい、昌浩。もっくん」
 玄関で蓑を脱ぎ靴を脱いでいた昌浩に、手ぬぐいを持った彰子が迎える。連日遅くなっていたから、少し早い帰邸にうれしそうに微笑む彰子に、昌浩も思わず頬を緩ませたが、ふと思い当たって慌てた。
「…って彰子。駄目じゃないか。今は年賀の来客も多い時期なんだから」
「大丈夫よ。太陰が確認してくれたもの」
「それなら…いいけど。でも」
 年賀の挨拶に訪れる貴族たちに鉢合わせたらまずいことは、彰子もよくわかっている。
 そのため昨年は一人屋敷から避難していたし、今も来客時は奥で控えている。
 分かっていても心配なのだ。それは彼女を信用していないという部類ではなく、単なる過保護の延長線だと物の怪は分析しつつ、それより問題は昌浩のほうだ、とばかりに頭を抱えた。
「それよりお前、彰子に言う前にお前が気をつけろよ。でかい声で彰子の名を呼ぶんじゃない」
「……あ。ごめん、彰子」
「ううん、大丈夫。今ね、成親さまがいらしてるの」
「兄上が?」
「ええ、少し早く終わったからと。先ほど晴明様にご挨拶なさっていたわ」
「そっか。ありがとう」
 ちらつく雪でわずかに濡れた頬をぬぐった手ぬぐいを彰子に返し、居間へと足を向ける。その後ろを彰子がついていく。
 居間に顔を出した弟の姿に、成親は相好を崩した。
「おお、昌浩今帰ったか」
「はい、兄上。いらしてたんですね」
「ああ、やっとひと段落してな。多分他の面々も後で来ると思うぞ」
「そうですか」
 少々疲れが見えるものの、元気そうな兄の姿に、昌浩も嬉しそうに微笑んだ。
 ややあってそうだと思い出し、いささかあわてた様子で頭を下げた。
「すみません、俺なんのお構いも出来てなくて…」
「何気にするな。藤花殿が色々良くしてくださってたからな」
 成親は杯を軽く持ち上げて、片目をつぶった。
「そうでしたか」
 兄の言葉に、ほっとしたようなどこか照れくさいような笑みを浮かべる昌浩に、成親は面白そうに笑った。
「それはいいから、着替えてきたらどうだ?」
「あ、はい。すぐ戻りますね」
 くるりと勢い良く回れ右をして昌浩は部屋を出、後ろにそっと控えていた彰子もまた軽く一礼をして彼を追った。
 その様子をひらひらと手を振りながら見送った成親は、一拍置いてから、首をかしげる。
 昌浩についていかずそのまま居間に残った物の怪に首を擡げた疑問をぶつけた。
 先ほどまでいた太陰は、物の怪が部屋に入ってきた時点ですでに姿を消している。素早い…。
「なあ、騰蛇。あれは当たり前なのか?」
 あれ、が何を指しているのか言及しなくても分かる。この家ではすでにいつものことで誰も気に留めていないが、たまに来る成親には目を瞠る光景だろう。
「ああ、いつものことだ。本人たちはまるで自覚してないがな」
「そうなのか」
「ついでに言うと新春に新しく仕立てた直衣も彰子が頑張って手がけていたな」
 秋ごろ伊勢に赴いたりで何かと忙しく、ようやく手をつけられるようになったのはぎりぎりであった。上達したけれども露樹ほど速く縫うまでには至ってない彰子だったが、それでも露樹に頼んで昌浩の直衣を任せてもらった。時間はないけれども一針一針丁寧に縫う彰子の姿は、最近のことである。
「ほほう」
 顎に手をやりながら成親は面白そうにうんうん、と頷いた。
 仲の良いことはいいことだ、と一人満足そうに笑う成親に、物の怪は半眼になって嘆息する。
 そこに、来客の声が聞こえた。おそらく一族の者だろう。
 まだ昌浩は着替えている途中だろうと踏んだ成親は、やれと腰を上げ玄関に向かった。



「おや吉平伯父に時親じゃないですか。仕事は終わったんですか」
「おお成親。来ていたのか」
「一応ね。叔父上と昌親はもう少ししたら退出されるそうだよ」
 成親の出迎えに、吉平は闊達に笑い吉平の長男の時親はやわらかく微笑んだ。
「平算たちは後で来るのか?」
「ああ、弟たちもまだ仕事が残ってたみたいだからね。先に父上と来たんだ」
 軽く肩をすくめる時親に、成親は逃げてきたの間違いだろうと揶揄した。
 従兄弟の中でも年も近い時親と成親は仲が良く、互いにとって悪友みたいなものだった。
「ところで昌浩は?もう帰ってると聞いたが」
 陰陽博士である伯父の問いかけに、成親はああ、と頷いた。
「昌浩は先ほど帰ってきましたよ。今着替えているところです」
 それより先にお祖父様の所へ行きませんか?と促す成親に吉平と時親はそろって頷いた。
 相変わらず飄々とした祖父だが、元気そうで何よりだった。
 けれどもうご老体なのだから、貴族たちももう少し控えろ、と皆思っていたりもする。
 挨拶を終えて居間に戻ってきた面々を、狩衣に着替えた昌浩が迎えた。
「叔父上、時親兄上。お出迎えできずすみません」
 神将から先に聞いていたのだろう。別段驚く様子もなく迎える昌浩に、吉平と時親は破顔する。
「やあ昌浩。お疲れ様。元気そうでなによりだよ」
「時親兄上も」
 天文生の時親と顔をあわせる機会は陰陽博士である吉平ほどではない。それでも十以上歳の離れた従兄弟を昌浩は兄と慕い、従兄弟たちも成親や昌親がするように昌浩を可愛がっていた。
 新年の行事に忙殺されているので互いに疲労が顔に出ているが、元気そうな姿に活力を取り戻す。
 立っているのもなんなので、と昌浩が円座を勧め二人は腰を落とした。成親ももともと自分に宛がわれていた席につく。
 ちょうどそのとき、奥から酒盃を手にした彰子が入ってきた。
 吉平と時親は初めて見える少女の姿に驚き、ついで宮中で耳にしていた事を思い出し納得する。
 けれどそれ以上に、驚いた。艶やかに流れるぬばたまの髪に、花が咲くように愛らしい顔。そうして優美に一礼する所作に。十二神将に見慣れている彼らだから目を瞠るにとどまっているが、将来楽しみであるだろうことは間違いないと二人は心の中で笑った。
「お初にお目にかかります。安倍家でお世話になっています藤花、と申します」
 すっと差し出された瓶子から酒を注がれながら、二人は闊達に笑った。
「噂はかねがね。昌浩の許婚の姫とは貴女のことでしたか」
「お目にかかれて光栄です」 
 にこやかに向けられる言葉に、昌浩は顔を真っ赤に染め、彰子も頬を赤らめた。
 それはただ初々しいなあ、と微笑ましく映るに過ぎず、面白そうに昌浩をからかう。
「昌浩も隅に置けないね。こんな可愛らしい姫とどこで知り合ったんだか」
「……いっ」
 まさか東三条殿の庭ですなんて言えるはずもなく。
「そうだな。それに水臭いぞ。私たちになんの報告もないなど」
 それは彰子が許婚ではなく故あって預かっている、本来なら入内しているはずの藤原の総領姫だからなんて更に言えるわけもなく。
 だらだらと冷や汗を流しながら固まっている昌浩に、成親がくくっと笑いながら助け舟を出す。
「まあまあ、それくらいにしてやってください。許婚と言っても内々でまだまだ先の話なので、言えなかっただけですよ」
 天の助け、とばかりに目を輝かせる昌浩だが、物の怪は半眼になった。当の噂の張本人は目の前でうまいように言っている成親である。
「しかし、帝もご存知と聞いたぞ」
 その言葉に、昌浩は嫌なことを思い出して蒼白になった。
 あれは秋の伊勢行きのときのことだった。聞かされたときは驚きはしたがそれ以上に心が塞がっていたため考える余裕がなかった。しかし無事帰ってきて、色々な面で落ち着きをとり戻したとき、彼女の父である道長から呼び出しを受けたのだ。
(あの時は必死で弁解したけど、道長様…今までで一番怖かった)
 彼の心情を思えば、分からないでもないが。
 顔を青くしている昌浩をよそに、成親はおかしそうに笑った。
「あれは行成殿がうっかり口を滑らせたからですよ。後で申し訳ないと謝っていました」
 行成の話と、昌浩の話、双方を聞いた成親は、昌浩とは違う見解を示していた。
 確かに感情面では昌浩に対して厳しくあたっていたのかもしれない。
 けれどこれで、道長の中に可能性と選択肢が生まれた。それは成親の思惑通り、ひいては昌浩にとって何よりな方向に。
 うっかりと口を滑らせ、図らずとも大いに進歩させてくれた友人に、成親は心内で賞賛していた。



 ようよう納得して一区切りついたところに、彰子の後ろに、天一が現れた。
(姫、露樹さまの準備が整ったようですよ)
 彰子の代わりに厨の様子を伺ってくれていたのだろう。そっと報告をくれた天一に、彰子は振り返り微笑む。
「本当?ありがとう、天一」
 その様子に、またもや吉平たちは目を瞠る。ついで彼らに振り返り、彰子は一礼した。
「しばらく失礼いたします。ごゆるりとお過ごしくださいませ」
 すっと立ち上がって厨に向かう彰子を、昌浩も慌てて立ち上がって追いかけた。
「あ…藤花、俺も手伝うよ」
「ううん、大丈夫よ。昌浩は成親さまたちのお相手をしていて?折角親族の皆様方が集まったのだもの」
「でも…」
「ありがとう、でもすぐだから。ね?」
「うん…」



 彼らのやり取りを見ていた吉平が、若干呆けた様子でぽつりとこぼした。
「なあ騰蛇殿。藤花殿はまさか懐妊…なんてしておられないよな?」
 その呟きに、物の怪は噴出した。
「ぶはっ!!っか…って吉平、お前なんつーこと言い出すんだ」
「いやあ、しかしなあ」
 腕を組みうなる吉平に、成親は耐えられないと言ったように笑みをこぼした。
「いや伯父上がそう思われるのも無理はないと思うよ。あの過保護ぶりには身に覚えがある」
 うんうんと頷く納得している妻を一人しか持たず大事にしている安倍の男衆に、物の怪は疲れたように嘆息した。
「まあ、過保護なのは確かだが、あれくらいいつものことだ」
 特に伊勢から帰ってからは輪をかけて。けれどそれは少し前まであった互いを想いあっているのにすれ違い尚いっそう気遣う、見ていて痛々しいものではなく、穏やかさと想いの深さだけを残したその光景に、あの時を知っている物の怪にとっては喜ばしく安堵するものであった。
「…へえ」
「そうかそうか」
 物の怪の言葉に、何か納得したように頷く二人に、物の怪は訝るように見上げた。
「なんだ?」
「ん?いやね。噂には聞いていたが、真実のところどうなんだろうなと思っていましたから。ねえ父上」
「そうだな。まあ実情がどうあれ、確かなものが見られたのでよしとするか」
 実際のところの関係性や彼女の出所などはどうあれ、昌浩が姫に向ける眼差しが、姫が昌浩に向ける微笑が、何より雄弁に物語っている。それが何より重要な点だ。
 彼らの返答に、物の怪は苦虫を噛み潰したような顔をした。
 さすがは一緒に住んでいなくとも、晴明の血を引く者達。こういうたぬきな性格は、確かに晴明の息子と孫だろうよ、と物の怪は思った。
「それに姫は見鬼なようですね。それも相当な」
 完全な顕現ではなく、見鬼の者が見える程度に姿を現した天一の姿をしっかり捉え、怯えるどころか普通に言葉を交わしていた。あの様子からすると彼ら神将との仲も良好そうだ。
 その点に関して、実は成親も感嘆していた。昌浩が帰ってきたとき知らせに来た太陰は隠形したままだったため、成親には声は聞こえていてもその姿を捉えることは出来なかったのだ。しかし彼女はしっかりと太陰の位置を把握しうけ答えていたように思う。当代一の見鬼は真だったと目の当たりにした瞬間だった。
「ああ…まあな」
 驚きをあらわしているように見せて確認するかのような問いかけに、物の怪はくえない奴らめ、と嫌な汗をかきながら嘆息する。
「ま、なんにせよいい物が見られたなあ。帰って北への土産話としよう」
「それは確かに」
 吉平の言葉に、成親は苦笑気味に賛同した。

 少し前まで、何かあったのだろう。けれど昌浩も姫も物の怪も誰も何も言わない。
 一緒に伊勢に同行した弟の昌親は少しは詳しいかもしれないのだろうけど。
 何かあったのだろうと推測はできても、どうにもしてやれなかったから。
 今彼らの穏やかな光景を見て、安堵した。
 直衣を仕立てたり、着替えを手伝ったりまさしく夫婦同然のことを無自覚でやってのける二人に驚きはしたが、悪いことではない。寧ろその逆で、外堀を埋めている甲斐があるなあ、とほくそえんだ。
 何より、一段とその眼差しに強みが増した気がする。
 いまだ許婚と言われたら、慌てふためいて弁解するところは変わらないが、その瞳は以前とはどこか一線を隔しているように思う。
 現実社会になぞらえるまでは思い至らずとも、きっと昌浩は何があっても藤の花を手放したりはしないだろう。
 そう確信できる、瞳だった。

「どうしたんですか?皆して」
 きょとんとした顔で戻ってきた昌浩に、皆一様にしたり顔で頷く。
「ん?いや将来が楽しみだなあ、と思って」
「??」
 頭に疑問符を浮かべる昌浩の頭を、わしゃわしゃとかいぐる。
 少しずつ大人になっていく昌浩をまぶしそうに眺めながら、成親は闊達に笑った。
 



           ***



 
 あの後帰邸した吉昌とともに昌親が訪れ、間もなくして平算たちもやってきた。
 近しい親族がそろったところで宴は始まり、頃合を見て解散する。
 皆今日の目的はお祖父様の息災と噂の見極めと、昌浩で遊ぶことだろうなあと成親と昌親が思っていたりしたのは昌浩には秘密である。
 ともかくようよう落ち着けたころ、彰子が白湯を持って昌浩の部屋を訪れた。


「…やっとひと段落つけたねえ」
 彰子から椀を受け取って昌浩は白湯を美味しそうに飲みながら人心地をつく。
「そうね、昌浩ずっと忙しかったもの。お疲れ様」
「彰子も隠れたり親族の対応してくれたりで忙しかっただろ?ごめんな」
「ううん、こうして安倍のお家で昌浩や皆と過ごせるもの。すごく嬉しいわ」
「うん…俺も嬉しい」
 去年は彼女を一人にさせてしまった。仕方のないこととは言え、親元から離れてしまった彼女に随分と寂しい思いをさせてしまったことは、今でも申し訳なく思う。
 だから今年はともに年を越せて、年明けを過ごせたことが、本当に嬉しい。
 しかし彰子が安倍で当たり前に過ごせるのは、昌浩の許婚という立場に落ち着いたからであろう。
 そう考えると実際に彼女が過ごせる根回しをしたのは外堀を埋めていた成親で、去年決意したのにこの一年色々な事件に見舞われて結局何も出来なかった自分が情けない限りである。
 今日だって先んじて来たのは、ある程度事情を知っていて彼女とも面識があり、尚且つ適当に対処できる自分がうってつけだろうと踏んだ成親の配慮だろう。
 彰子にも色々と気にかけてくれた。彼女にとっても随分と救われたことだろう。そう思うと少々悔しい気もする。
 散々からかわれはしたが、要所要所で助け舟をくれた兄に、昌浩は心底感謝しつつ、いつかあんな風に色々と気遣えるようになりたいなあ、と思った。
「昌浩…?」
 黙りこんでしまった昌浩を不思議そうに伺う彰子に、昌浩はなんでもないとかぶりを振る。
 それからそっと小さなその手をとった。
 小首をかしげて見上げてくる瞳に、目を細めてきゅっと握る力を強めた。
「彰子…」
 忙しくて、今までゆっくりと言葉を交わすことが出来なかった。 
 彼女手製の真新しい直衣の感触が照れくさいけど嬉しいことも、今身に纏っている狩衣の綻びを繕ってくれた礼もまだきちんと伝えていない。
 いやそれ以上に。昨年は色々あった。運命を分かつ決断が、転機が何度も訪れた。
 虞を抱き、すれ違うこともあった。
 自分が、あるいは彼女がこの屋敷を離れていた時期もあった。
 それでも。
 手放しそうになったこの手を、離さずにいられる今が。
「…ありがとう」
 数え切れないくらい、日常の小さなことから大きなことまで。
 いつもいつも本当に助けられてばかりで。
 けれど何よりも。
「ううん、それは私の台詞だわ。いつもありがとう」
 護ってくれて、気遣ってくれて。
 いつもたくさんの幸せと喜びをくれる。
 けれど何より。
「…今年も色々あるかもしれないけれど…宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします」
 改まって畏まった挨拶に、可笑しそうに二人同時に小さく噴出した。




 新しき年がはじまる。
 平穏か波乱か、分からないけれど。それでも。
 ありがとう。
 傍に在ってくれて。
 そうして願う。これからも隣にいてくれることを。
 


 願わくは、幸多からんことを。













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新年明けましておめでとうございます!昨年は大変お世話になりましたv
今年も何卒宜しくお願いいたします。
原作が今秋なので、すぐに訪れるだろう正月ネタ。やっちゃったーな妄想なのでパラレルとでも思っていただければ幸いです。時親のキャラとかもう捏造甚だしい…(汗)吉平伯父は13巻での表記が微妙でしたが…事情知らない…ですよね?なかんじでひとつ。
こんな感じで今年もぐだぐだなサイトではありますが、どうぞ宜しくお願いいたしますv
皆様のご健康とご多幸を心より申し上げますv


あけましておめでとうございます。とゆーか頂いてきちゃいました。ラブラブシチュだけど抑えた感じで、彰子が安倍のおうちにいるのも、それに対する吉平の思考も。ああ・・ラブラブに浸りたいのでもう一度読みます。そして長文なので読み応えあるしっv。ありがとうございましたっ。如月深雪拝

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