胸中








 物の怪と昌浩に就寝を促されて彰子は立ち上がった。
「もっくん。」
「・・・なんだ?。」
「ちょっと・・。」
 そう言って彰子は手招きをする。
 妻戸の向こうに二人は出て行った。
 昌浩は我知らず息をつく。
 彰子に気を使わせているのがわかって、でも何も言えない。
 頭一つ振って、髪留めを外し、狩衣を脱いだ。
 水差しを取って一口水を口に含んで、茵に入った。
 あの子は自分の銀の炎を止められる人でもあり、自分の心の箍を外す人でもある。
 強かで、でも危険な人。
 そう思わないように、強く、早く強くならなければ。
 何も賭さなくていいように。
「・・・。」
 すぐに横になる気にはならなかった。目は暗視の術を施したままだったから書が読める。
 茵の横に置かれたそれを取った。
 経本と同じ様に折りたたまれている書で、読んでいる途中の頁を開く。
 視線を落とすが一度始まった思考は他には移らなかった。
 何かを賭して守ったとして、それは守った人にも痛みを残す。
 魂と見鬼と引き換えに紅蓮を。
 誓い引き換えに彰子を。
 後悔は無い。
 代償を支払って、たとえ守った人がそのことに傷ついても、自分が被るであろう喪失の痛みに比べれば。
 そう・・。
 昌浩はぐっと唇を噛んだ。
 痛い。守られて、痛い。
 胸を押さえる。
 代償を払った時よりも痛い。
 彰子の胸に吸い込まれていった剣の痛みよりも痛い。
 守られて生きるより、見過ごされて死ぬ方がマシだった。



「なんだ?。」
 物の怪は手すりに乗り彰子に尋ねる。
 彼女は淡く微笑んだ。
「!。」
 次の瞬間何がなんだかわからなくなった。
 袿を袖からすとん抜いて、物の怪の頭にかぶせてしまう。
「おいっ。こらっ。」
「・・もっくん様になるのね。」
「え、あ、そうか?。」
 一瞬我が身を省みる。
 物の怪がノリに乗ってくれるので彰子はほっとして安心して回れ右をした。
「・・ちょっとまて。」
「大丈夫。襲ったりはしないから。」
「こら、彰子。」
「うん・・・一言・・・三言くらいかな。言うだけ。」
 そういって微笑んで踵を返していった。
「・・・。」
 眦を細める。
 そこに同胞の神気が隣に生じた。
 勾陣だった。彼女は斜に見て肩を竦めた。
「似合うじゃないか。」
「・・・おまえな。」
「どうするんだ?。」
「とりあえず、たたむ。」
 いそいそと袿をたたむ姿に、騰蛇にもどうしていいかわからないんだなと勾陣は嘆息した。



 単衣のまま、そっと滑り込む。
 胸を押さえている昌浩がいた。
「・・・。」
 そっかもっくんには隠さないのね、と思う。
「もっくん。彰子はな・・・・。」
 白い気配に昌浩は尋ねて、・・・目を見張った。
 更に単衣なことに息を呑む。さっきは着ていた。
 彰子は後ろ手に妻戸を閉める。
「彰子。」
 昌浩は立ち上がらない。自分も近づけない。
 妻戸にもたれる。
 沈黙に耐えかねて先に動いたのは昌浩で、重い息を吐き出し、茵から出て立ち上がる。
 手近の袿を取った。
「なに?」
「う・・ん。あのね。」
 昌浩はいつもどおりの優しさで肩にかけようとする。
 でもそれでは意味が無い。
 今は出来るだけ覆うものは無い方がいい。
 妻戸にもたれているから、彼の手から離れた袿は自分の肩から落ちた。
「一つだけ言いにきたの。」
 その手を取った。暖かいとこっそり思う。。
 それを刀が吸い込まれていったこの胸に当てた。
 胸は夜の冷気で冷ややかで、その話だということがわかって、昌浩は眦を寄せた。
「・・・あなたも私も何も変わらずに過ごしたから。たぶん明日も大丈夫。」
 皮肉りながらも笑う。それは悪いことじゃないから。
 でも一つだけ。
「私はね。後悔してないわ。・・それから、たぶんこれからも後悔しない。」
 それは昌浩も同じことが己自身には言えた。
 だが強い声音で昌浩は否定する。
「だめだ。二度とするな。」
「・・・。」
 言われると思っていた。
「・・・大丈夫。私はあなたより決して先には死なない。」
 だから微笑んだ。
「だって昌浩、守ってくれるもの。」
 触れられたこの胸のうちにある、
 何があろうとも、この心だけは揺るがない。
「・・・・・これでも?。」
 昌浩は胸から手を放してその彰子の手に触れる。
 鳥妖が残した甲に残る傷を辿った。
「・・。」
「他にもあるよね。」
「・・・これ以外なら見た目なら治るから。」
「・・・。」
 昌浩は感情的にならないように勤めてゆっくり言葉にしていく。
「・・でも、怖かっただろ。」
 握る手に力がこもって行く。
 彰子は昌浩を見上げて肯定とも否定ともとれないことを言った。
「・・怖かった。でもそれは怖かったと言えば済んでしまう。」
 聞いてくれる人達がいる。
「本当に怖いのは、もっと別で。」
 真摯な眼差しをして、
「その恐れに比べたら、なんでもないの。」
 二の句を継げて微笑う。
「・・・それは?。」
 微かに息を呑んで、尋ねた声がかすれた。
「・・。」
 それは、離れ離れになってしまうこと。
 死別だけでなく別離もだ。二度と会えない・・思うだけでも恐ろしかった。
 でも彰子は首を横に振って黙した。
 先程言った言葉に矛盾して昌浩を困らせてしまうだろうから。
 昌浩の眼差しが責めるものに変わる。
「昌浩が・・・教えてくれたら、ね。」
「・・・・。」
 心身に自制を超えたものを抱えていることだ。
 この身に宿す白い焔と、心外なぼど激しすぎる心
 言葉に出来ないのは昌浩も同じだった。
 言わなくていいこととは思えない。
 聞かなくていいこととも思えない。
 いつか凝ってしまうだろう。
 ただ、今は言えなかった。
「・・それじゃ。」
 彰子は緊張を破った。
「もっくん、困ってるだろうし。」
 そっと手を解いて壁から背を離した。
「今度こそ、おやすみなさい。」
 いつもどおりに、彰子は笑った。




 袖口を引かれた。
「・・・。」
 抱きしめてくれたなら、私の恐れはなりを潜める。

 抱きしめたなら、この激しすぎる心で、・・・その境地で酔うことが出来る。
 自制など本当は苦しいだけだった。







END
[08/02/04]

#小路Novelに戻る#

−Comment−

・・・またお蔵行きにするところでした。
あぶなー・・。