草紙





 梅の枝が床の間を飾る。正月から1ヶ月、どんどん春らしくなってきていた。
 思わず顔がほころんでしまうような春の陽気に包まれて、東北対屋も暖かかった。
「・・・。」
 けれど、そんな日和と裏腹に、彰子は、しょんぼりと高欄にもたれていた。
 朝から受けた歌の講義が難しかったのだ。
 技術もさることながら、歌に必要な材料を知らなさすぎたのだ。
 春の、夏の、秋の、冬の云々。
 恋、愛、哀、憎。
 しめくくりに、「若さゆえです。物事の機微を捉え、感じて行くことです。努力を惜しまずに頑張ってください。」と、言われた。
 微苦笑しながら「頑張ります。」と几帳越しに応えたら、「定子様は嗜みのある方です。漢文も読まれておりますぞ。」、と溜息をつかれた。
 微かに息を飲んで彰子は色を無くした。
 定子様にも歌を指南されている方だった。
 彼女の方が才気があるのに、父親の後ろ盾の元、無学な自分が妃としての地位を絶対とせんとしようしているのが、理不尽に思われてならないのかもしれない。
 せめて私にもう少しの学があれば見る目も変わるだろうけれど、今のままならただの成り上がり者だ。
 渡殿から焦ったような声が響いた。
「姫様、日に焼けます。」
「大丈夫よ。」
「いけません。」
 そう言われて手を引かれて立ち上がらせられ、日陰に移動する。
「・・・。」
 疑心暗鬼で、
「(元気が出ないから・・・、・・外に出て春の陽気から元気をもらおうと思ったのに。)」
 それに、どこからか薫ってくる花の香りを辿っていたのに。
 でもそれを口にするわけにはいかなかった。
 自分の不用意な一言は、自分に使わされた人の人生を左右させてしまうから。花の香りを尋ねたら、手折られた枝が届けられてしまうから。
 簡単に・・・。
 彰子は女房を見送って、文台の前に腰を降ろした。
 学者が置いていってくれた草紙に視線をを落とす。
 定子の女房の日記の写しだった。
 鋭い感性と、巧みな描写で評判が立っているようだった。
「感性を磨くにはやっぱり・・物を書いた方がいいのかしら。」
 左手で文台に頬肘をつき、右手で頁を送る。
 自分は日記を書かない。
 昔、少し書いたことがあるけれど、書いたことが父親にまで知れ渡っていたので、やめてしまった。
 人に見られたくはないけれど、こうして誰かの日記を見ているのは好きだから、その時の父親を攻めてやめたのではなく、どうせ伝わるのなら料紙がもったいないので、口で言えば済むことだった。
 ぺらぺらと読み進める。
「まぁ・・。」
 溜息がこぼれる。
 宮中での高度なやり取りに驚いてしまう。
 言葉の端々に使われる故事いわれ。
「・・・・。」
 下人に対する辛辣な物言い。
 美しいもの、憎しもの、綺麗なもの。
 これが手本なのだろうか。
「綺麗なもの・・・。」
 機微を捉えなさい、と学者の言葉を思い出して憂鬱になる。

 綺麗なものを、
 綺麗ねって言うと、
 姫様のものにはかないませぬ、と応えられて、
「(綺麗だって言ってるのに・・。)」
 彰子は頬肘をついたまま庭に視線をやった。・・・が、それはフリだけで、
 考え事という世界を眺めて、馳せる。


 木彫りの仏。
 大事にされた小物。
 金箔や螺鈿よりも
 新しい物よりも、

 私の価値が否定されて、
 塗り替えられて行く。

 手折られた梅の枝よりも、
 あるべき姿の、木々。


 あまり下々の者とお話召されるな。
 そう言っては誰かを遠ざけてられているような私が、機微を感じられるようになるのかしら。
「(疑問よね)、定子様はどうなのかしら。」
 育ちはそんなに変わらないはずだ。
「・・・・。・・・・。」
 彰子は眉を寄せた。
 ある考えに思い至って、文台に墜落した。
「(可愛くないもの。)」
 無害な妖怪なら平気だし、この間は見つけた屋敷から出る抜け道を試したりした。
 性格が絶対に違う。
「聡明で、しとやかな方ですもの。」
 うつむいてしまう。髪がさらさらと文台に流れた。

 妃に、なりたくないな。

「・・・。」
 ハッとして、ふるるっと首をふった。
 お父様ってば、本当に私みたいなのを妃がねする気なのかしら。
 彰子は再び草紙に向い、読み進める。







 日記って毎日に変わりばえがあれば楽しいのかもしれないな。
 そう思ったのは、今日、安部晴明の末孫に出会ったからだった。
 なにせ、変わった生き物を間に挟んで会話できる同じくらいの子は初めてで。
 ましてや、
「お孫様だもの。」
 って言ったら、言い返された。
 思い出しながら彰子は脇息にもたれながらふふっと笑う。
 陰陽師は安倍晴明のみにあらず。
「(そうね。)」
 自分の価値観が広がったような気がした。
 否定して狭まるのではなく、否定されて広がる言葉もあるのだと思った。
 それを自分と同じくらいなのに言える彼がすごいと思った。
「(あの子が歌を詠んだら、どんな歌になるのかしら。)」
 当人が聞いたら卒倒しそうなことを思う。
「それにしても本当に見えるのね。同じように。」
 東三条邸で自分ほど見ることが出来る人はいない。
 安倍家だとすごい会話になりそう、と楽しい気分になった。
「(昌浩。・・ね。)」
 呟いた後、はっとした。
「(いけない・・。私、ちゃんと名前言ってない。)」
 この名前を呼んでいいのは限られた人だけだからと、
 不用意に名乗っては行けないと、日頃から躾られているせいだ。
 文台に、ちょっと半泣き入って撃沈する。
 教えて、『くれた』ものに、
 返していないことが、すごく不誠実に思えてならなかった。
「(どうしてこんな躾が身についてるの。)」
 そんなふうに悔しくなった。
 もう一度機会が訪れたら、絶対に名前を言おう。
 そうと決めたら少し元気が出た。
 なんとなく、そんなことで落ち込まれても昌浩が困るだろうと思った。
「・・・。」
 そう言った決意を書くのにも、日記はいいのかもしれないなとも思った。







 彰子は夏の初めに書き出した日記を、こうしてやめてしまった。
 書きたいことは山ほどある。けれど書きたいことは、昌浩の事ばかりで、書き続けて彼に迷惑がかかるのは目に見えていた。
 入内の決まったこの身。他の誰に思いを寄せてはならない。
「・・・。」
 文台に突っ伏したまま、開きもせず、ただじっと草紙を眺めていた。
 そして思い出す。
 書き始めた理由。書いてきたこと。
 彼が教えてくれたものを、
 くれたものを。

 彼が思っていることをそのまま口にしているから、
 自分も思っていることを、そのまま口に出来た。
 まるで鏡のよう。

 彼がまっすぐだから、
 私も心に嘘をつかなくて済んだ。


「(・・・・・昌浩。)」
 これが恋と呼べるものかどうかはわからないけれど、
 これ以上は、自分が何を書き出すかわからなかった。
 蛍の約束も、書いていない。
 一番書きたいことが書けないのなら、もう書かない。





 綺麗なつぼみを選んで手折られる、梅の枝。
 
 でも、温もりを忘れないから、咲くの。
 精一杯、咲くの。

 そして、枯れて、
 二度と咲かない枝に変わり、果てるだけ。










 梅の香りがする午後。
 正月後の初の物忌みで吉昌は久しぶりの休息を得ていた。
 しかも小春日和になって、室内よりも外の方が暖かいので、簀子に座り露樹の夕食の下拵えなどを手伝っていた。
 あとから来た彰子も一緒に手伝ってくれていたのだが・・・、
「あらあら、嬉しそうですね。」
 露樹が面白そうに笑いながら近寄ってくる。
「はは。まあ。」
 吉昌は苦笑いしながら、膝の上でことん寝てしまった彰子を見下ろした。
「暖かいからね。」
「そうですね。・・殿?。なにか心にかかることでも?。」
「いや・・・、この子の父君を思うと喜んでいるのも悪い気がしてね。」
 吉昌らしい遠慮の仕方だと思う。
「そうですねぇ。でも、それよりも息子に恨まれないようにしてくださいね。」
 ほほと母親が退いた。その後ろには彼の末息子がいた。
 ず・る・い、と顔に書いてあった。
 大人げなくも、張り合いたくなるが、そこはそこ、努めて冷静に。
「たまには、いいだろう?。」
「吉昌。嬉しそうだな。」
 昌浩の足元で物の怪が首を伸ばす。
「見えますか?。」
「見える。女の子ってのは可愛いもんだよなー。」
 からからとからかうと、べしっと物の怪の後頭部がはたかれた。
「言うに事欠いて父上にそんな物言いするんじゃないっ。」
「へっへーん、昌浩が羨ましいだけだろーっ。悔しいなら吉昌くらい徳が高くなるんだな。」
「こらこら。」
 場を収めようとする。
 彰子が身じろいだ。
「あ・・起こしてしまいましたか。」
 起きあがって目許をこする。
「つい気持ち良くて。吉昌様だったら大目に見てくれるかしらって。」
 まだ寝ぼけながらも笑顔で呟く。
 信頼されている・・・・つまり自分はまだまだ要修行、ということのほかならない。
「(うー。)」
「あ、昌浩。」
 昌浩が心でうめいている最中、気づいた。
 気づいたとたんぱっと笑顔で立ち上がった。
「昌浩、おかえりなさい。ねぇ、ちょっと来て。」
 パタパタと階を降りて昌浩の手を取った。
「え・・・え・・。彰子ってば。」
 引っ張っていかれる。
「・・なんだ?。」
 物の怪は吉昌を見上げる。
 吉昌は、子供たちがまだまだ子供で、微笑ましくて、笑った。
「今日は暖かかったから・・・。」




「ほら、こんなに咲いたのよ。」
 庭の白梅に二部咲きと言っていいくらいの花がついていた。
「すごい。昨日は全然咲いてなかったのに。」
「うん、本当にあっという間だった。」
 彰子は手近な枝に触れる。
「今日ね、ずっと見ていたの。ぱっ・・ぱっ・・て開いていくの。」
 嬉しそうに彰子が言う。
「春が来たって感じがするね。」
 ずっと寒かったら。
「うん。・・。」
「ずっと見てたの?。」
「うん。こんなに梅の木が綺麗だとは思わなかったから。」
「?。」
 彰子が枝を見上げたまま、馳せるように呟くから、
 昌浩は首をかしげる。
「手折られた枝だけでも綺麗だけれど、ほんの少し青ざめて見えるの。」
「・・そうなんだ。」
「うん。」
 再び頷く、・・と、つないだままの昌浩の手が自分の掌を握り返した。
「彰子は、歌とか詠んじゃったりするの?。こうゆうの。」
「・・・・。」
 情緒が無い言われたのは1年前。
 今はいろいろわかる気もする。
 でも今の心境は常春状態なのだ。いつでも咲けるそんな感じ。ある意味、情緒も無い。
「(だって、今だって昌浩の温もりが伝わってくるんだもの。)」
 ずっと元気でいられてしまう。
 ・・・・・あ、そうだ。
 聞かれたので前に思ったことを思い出した。
「昌浩は?。」
「え。」
 と濁点付きで振り向き、ぶんぶんと首を横に振った。
 ダメだしされたのは私も同じ。
 可笑しくて彰子は破顔する。
「うん。私も苦手。」




 でも、空に、梅の花が咲いてるの。










END
[04/2/7]

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−Comment−

また彰子の話を書いてしまった・・。
勾陣の話は書けるだろうか・・・。
書きたいけれど別人になりそうだからしばらく保留。
昌浩ともっくんの話は都に帰ってからだなぁ。
出雲の里は難しい。
こうなったら現代パラレルで、風音をっ・・。


『約束の蛍』
躍動感あふれる雑鬼が見物でした。漫画ならではです。

『玄の幻妖を討て』
成親お兄ちゃんは、エライさんをものともしない軽口とシリアスのバランスが絶妙で、大好きだー。昌親もあの丁寧さでいろいろ抑制してるのがいいなぁ。
玄の幻妖を討ての三人兄弟のやり取りは、仲が良くて面白くて好き。
表紙も三人でしたね。いかにも仲が良さそう。そして末っ子に甘そう。
それにしてもなー、道長を前にして、仲が良すぎるのはある意味辛辣なのでは?。

『蒼天』
これも兄ちゃんずが出ていて、この3ヶ月くらいで急激に主要人物になっている気が。
彰子を彰ちゃんと呼んでいる成親がいいな。いかにも面倒見てましたって感じで。

『真紅の空を駆け上がれ』
読み終わってのすぐの感想。
・・・雑鬼ーずが、見えないのは、非常にまずいっ!、まずいだろーっそれはっっ。
篁、さり気に出てきてないで、渡しに来いっ(・・・うわ、無理だな。んじゃ融。)
・・・でもこの人に線香くらい上げに行くんだろうか。生き返らせてくれたし。

彰子は今回少なかったな。
会いたい人に会えるおまじない。袖ひっくり返す奴があったなーとか思った。

暦を作っていた方が性にあっていると繰り返し思う成親が、末っ子のしんどさを思う気持ちを浮き掘りにする。
やっぱり、この兄は好きだぁ。