喉が乾いて、彰子は目が醒めた。
 茵から手探りで湯呑を取り、その喉を潤す。
「・・・。」
 室内は真っ暗だ。
 今日は月が出ない日なのだと安倍邸の面々は言っていた。
 こうして暮らしているうちに私も暦がわかるようになるのかしらなどと戯れに考える。
 昌浩などはおかまい無しの様だけれど。
「・・あ。」
 思い立って起きあがって彰子は手探りで大袿を取って肩にかけた。
 そうだ、ここは安倍邸なのだ。
 妻戸をそろそろと開ける。外はひんやりと寒く視線を向けた庭には闇だけがあった。
 こっそりと簀子に降りる。やはりそろそろと足を前に出し、簀子の端を探る。
 顔を上げた。
 軒の向こうに無数の煌星が見えた。
 月明かりも、かがり火もない星だけの空。
 星だけの空は、天と地を近づける。数え切れない星々に押しつぶれてしまいそうな圧倒感を受けながら、彰子はしゃがみ込みしっかりと大袿を羽織った。
 こんなに多いと本当に人の数だけ星があるのも頷けた。
 陰陽師は星を見る。彼らが動いたと言った私の星はどれだろう。



 夜警を終えて築地塀をよじ登った時だった。
 彰子が、大袿を羽織って端近に座り込むではないか。
「なんで〜?。」
 物の怪を見る。寝るように言ったぞと答えられた。
「まあ、いいや。もっくん、俺今からここ降りるから驚かないでって言ってきてほしいんだけど。」
「わかった。」


 とてとてと感じなれた物の怪の気配が近づいてくる。
「・・もっくん。あれ、夜警は?。」
「今、帰ってきたところだ。」
 鼻先で庭の向こうをついと指した。
「急に土を踏む音がしたら驚かすだろうと思ってな。」
「あ。」
 暗闇になれた目が塀の上に昌浩の姿を見つける。彰子はぱたぱたと手を振った。
 昌浩は頷いて、壁を下り始める。
「・・・なにをしているんだ?。」
 親元を離れて東三条邸を離れて、来たばかりだから、こっそり泣いているのだと昌浩はいざ知らず物の怪は思ったのだが。・・・けれど取り越し苦労のようで、彰子の嬉々とした返事が返ってきた。
「星見てたの。すごいわねぇ。」
 好奇の眼差しで空を見上げた。
「ああ、そうか、東北対屋じゃ見れないだろうからなぁ。」
 女房達はこんな寒い中見せてはくれないだろう。仮に目を盗んで見たとしても一般に明るい星は南に多い。
 とんと物の怪の前足が膝の上に乗る。
「にしても彰子よ、よく暗闇平気だな。」
 夜明け前の、闇が一番深い時分だ。こんな時間に一人起き出したりして。
「?、星明りがあるから、真の闇じゃないでしょう?。」
「でも、怖いとか。」
「?。なにもいないってわかってるから。」
 聞いても首をかしげるだけの彰子に、やれやれと物の怪は肩を落とした。
 異邦の妖異に襲われたというのに、他にも数多あるだろうに、
 普通なら、思い出して怖いとかありそうなものだ。
 豪儀というか大胆というか、度胸があるというか、感性が違う。
「ただいまー。」
 そしてまた一人、感性の違う子が端近に寄ってくる。
「おかえりなさい。」
 小声で彰子は昌浩に言った。
「彰子。何してるの?。」
「星を見ていたの。星ってこんなにあるなんて知らなかった。」
 寅の刻まで、まだ半刻ほどはある。彰子は声を落とし少し前屈みになって話す。
「昌浩はこの星を全部知ってるの?。」
「・・・・一応。」
「苦手だがな。なぁ晴明の孫」
「孫言うな。」
「じゃあ、子の星ってどれ?。」
「庭からは見えないな。真北だから。屋根の向こうになる。」
「動かない星っていうから見てみたいのだけれど。」
「彰子。動くか動かないかでこの寒さの中見るのはやめよう。夏でも見れるから。」
「そうなの?。」
「うん。」
「じゃあ、すばるは?。」
「ああ、それなら見れるよ。」
 昌浩は少し後ろに下がって空を見上げ、そして再び端近に戻ってきた。
「え。」
 大袿越しの肩と膝下に腕を入れられて、ひょいと抱え上げられる。
 物の怪もあんぐりと口を開けて、目を丸くした。
「(うそ。え。)」
 彰子はびっくりして硬直する。
 簀子から離れて、昌浩は庭の真ん中まで行く。
「真上にあるから。屋根の左端。」
 耳打たれる。
 白い息が舞った。
「・・・。」
 彰子は見上げた。
 青い六連の煌き。
「うん。」
 すばる・・・星が集まって一つの固まりになっている様から、『統ばる』と呼ばれるようになったらしい。
 中宮の女房の草紙から知った星の名前だった。古くだと万葉集にもある。
 綺麗だった。
「・・・。」
 けれど彰子は星から目を離した。昌浩を振り返る。
 他には?、と笑顔で尋ねられる。
 けれど、この胸に灯るものの方が気になった。
「ん・・。」
 曖昧な返事を返して、彰子はとんと頬を昌浩の肩に乗せた。
「え・・。」
 あ・・、と昌浩は遅れ馳せながら事態に気づいた。
 心臓が跳ねあがった。
 見れば物の怪が、いや、まいったねとでも言いたげに、ぽてぽてとを簀子を行ってしまう。
「ご・・。」
 口篭もる。ごめんは、変だ。
「(うう。俺のバカ。)」
 自分の心臓の音が聞こえてしまうかもしれない。・・・でもそれは聞かれてもいい音で。
「・・・・。」
 ・・少しこうしていたいと思った。
 昌浩は彰子を抱えなおす。
 彰子は軽かった。もう少しこうしていられる。
「・・・。」
 昌浩は気づいて火照ったのか、首元が熱かった。彰子は微笑んだ。
 私を統ばる星。
 私の星はここにある。



 星を見上げて、やがて昌浩が言った。
「中入ろうか。」
「うん。」
 頷くと昌浩はそろそろと庭を移動し階段まで行って彰子を降ろした。
 とてとてと昌浩の部屋の方向から物の怪が戻ってきた。
「火鉢に火入れたからあったまれや。」
「ありがとう、もっくん。」
 彰子は答えた。
 もうすぐ起きる時分になるから、このまま起きていようと思った。
 物の怪を見る。物の怪は沓を脱ぐ昌浩を見ていた。
「・・・。」

 そう、
 彼は、統べる煌。




END
[03/3/10]

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−Comment−
子の星は北極星。北辰という呼び方は近世のイメージがあるけれどどうでしょう実際。
すばるは、清少納言の枕草子からインスピレーションをもらいました。
枕草子は1001年とある。鏡の檻〜の時点は1000年冬。微妙です。
1000年という千年紀は、藤原行成様のお歳から計算しました。歴史の教科書に載ってる方なので・・・。
たぶんあってると思うのですが、間違ってたりして。


間違ってました。
999年冬です。鏡の檻〜の時点、彰子の入内は。
中宮になるのが1000年2月。枕草子参考書にちゃんと年表が書いてあるのに、見落としてました。
面倒な計算までして・・・間違えるとは。
この年表見て一つ発見しました。内裏が燃えたのも史実なのですね。帝が一条院に移ったのも。