私事雨が止みそうだと、外に出たのだ。 ただそれだけ。 ただそれだけだけど、 そうして、何度か連れ去られた。 手の甲を見る。穿たれた心の傷を見る。 それなのに、いい加減懲りるということを私は覚えないらしい。 彰子は自嘲して被衣の内側で笑った。 外に出ることにこんなにも躊躇がない。 彰子は空を振り仰ぐ。 それはやはり外が好きだからなのだろうか。 「好き」 と言葉にしてみると、体が否を唱えない。 好きだからと引き返さず、このまま歩き続けることにした。 彼の祖父も神将も気づいただろうか。それはわからない。 彼らは万能ではなくて、それゆえに私は連れ去られもした。 そしてこの期に及んでも、常に見張られている、ということの方に嫌悪がある。 「好き」 しっとりと濡れる緑の葉も、 白く柔らかく煙るような雨も。 触れてくる水気を疎む姫ではなかった。 東三条邸にいるときから変わらずに。 何が私で、 どういうものが私なのか、 東三条邸にいる時は、一の姫であればよかったのだ。 入内したなら、后であればよかっただろう。 だが、私がいるのは、陰陽師の家。 そしてその家の誰もが、私が私であればいいという。 無理をしないでいいのですよと、彼の母が諭す声がする。 では、『私』とはなんだろうか。 彰子は瞑目する。 その問いに答える思考は堂々巡りを繰り返していた。 その『私』を昌浩は嫌わずにいてくれるだろうか。 どんな『私』なら嫌わずにいてくれるだろう。 答えは、そんなものは無い、だ。 そう、・・どんな私なら、と思う事は、 叶わない願いを無理やり叶わそうとする願いと変わらない。 人によってはそれを呪術にしたりもする。 術策によって陥れたりもする。 私もそういうものと同じで、危なかった。 「・・・。」 耳を澄ませば、風音の声がする。――あなたがどう思っているか。 私は会いたい。 私は傍にいたい。 人を傷つけても、嘘をついても、 昌浩は昌浩であると思うから、 私は会いたいと願い傍にいたいと思う。 どんな昌浩でも、たとえ私を見なくても、 私は会いたい。 「好き」 それは私への花向けの言葉 その言葉を言霊だと思い、勇気と元気をその言葉からもらう。 体も心も否を唱えなかった。 彰子は煙る彼方をみはるかせ、更に囁く。 否などあり得ない「好き」を。 [09/2/4] #小路Novelに戻る# −Comment− マジで3年後とかいうオチになると思ってたのですよ。 私のこの予想は絶対に外れない。てゆーかそれ以外にありえない。 ものおおうすごい絶対的確信。なので読む前から離れ離れを受け入れなければならないという覚悟を決めていた。 覚悟ですよ。あーやっぱり離れちゃったかーという風になるための覚悟。 (切腹するような気分とまでは言いませんが、胃のあたりが重いぞーという感じ) なかばよろけながらおそるおそる読み進めた彼方。 予感粉砕(感涙)。 これだから少年陰陽師は読んでて元気が出るのです。 [09/2/12] 彼方〜感想> 「・・騰蛇、何を燃やしているんだろう」 この台詞に尽きます!。 うん、そうよっ、 私の想像していた超絶不幸な結末を燃してくれて、ありがとうっ。 実は、悶々と、考えていたのだ。 彰子は姫宮とともに伊勢に残り、 昌浩だけ京に戻る。 次のお話は3年後ぐらいから・・。 なんてのを想像してた。 だって、あの篁だって楓と一緒にいられなくなったんだよっ。 そういう冷却期間を置かれるだろうと思ったのよ。 だから綺麗さっぱり燃やしてくれてありがとう、紅蓮。 [09/2/3] 以下文章コメント。 読解文を書きました。 風音の言う「あなたがどう思っているか」、というのは実は結構パワーが要ります。 しかも一歩間違えば、我がままとか自分勝手になってしまう。 だから「今の場合はあなたの思いのほうが大事」 「迷いの路〜」のBGMが、私の中で中島みゆきの「わかれうた」でした。 出だしの歌詞だけがエンドレスTT 「彼方〜」は、槇原敬之の「どんなとき」も。 だからこの文章はそんな感じなのです。 [09/2/4] |