BGM/二つの願い




 勇吹は、ダイニングテーブルにシャーペンを放り出した。
「はーあ、面倒くさいぞっ、っと。」
 軽く伸びをし、そのまま背凭れにのけぞる。
「(・・もうすぐ夏か。)」
 開け放した窓から、夏を思わせる濃い青空と雲が見え、新緑の季節の風を感じた。
 パラッ・・・・とテーブルの上の書類が風に飛んでいく音がした。嫌気が差していたので放っておく。
「・・。」
 でも、思いだけは巡っていく。勇吹は溜息をついて、もう一度座りなおした。
 書類を拾い上げてるカルノが視界に入った。勇吹は苦笑いした。
「バイクの免許ほしいとか思わない?。」
「?。バイク乗るのに免許なんていらないだろ。」
「そういう話じゃないんだけど・・・。」
 それでもそう言う返事自体がカルノらしいなと思う。勇吹は立ち上がると、カルノからパスポート申請のための用紙を返してもらい、テーブルの上に戻す。飛ばないように筆箱で抑えた。
「・・それじゃ、バイクじゃないけど、チャリでどっか行かないか。」
「いいけど。」
 今日は、週2回の完全休業日。土、日と決まってるわけじゃなくて、今日は火曜でフレックスタイム制の休業日。
 レヴィはナギの買い物に付き合わされて、さっき出ていった。
 自分達は・・普段、たたき起こされる分、思う存分朝寝をした。
「朝飯どこ?。」
 ・・もう12時半である。
「冷蔵庫にサラダがあるよ。パンは自分で焼けってさ。」
「サラダいらない。」
「食えよ。・・コーヒー飲む?。」
「ああ。」
 カルノはパンを仕掛ける。冷蔵庫を開け、しょうがなさそうに木の器に盛られたサラダを取りだし、ついでにプリンを取って、テーブルに乗せた。
 勇吹はコーヒーメーカーを仕掛け、カップを取り出す。
 食べて、着替えて・・、1時半かな。
 それでも、日も延びたから少々遅くなっても平気だろう。
「・・あー、この間雑誌に載ってたとこ行こうぜ。」
「?。」
 フォークをくわえたままカルノはブックラックに挟み込まれた雑誌を引き抜く。
「アウトレット見に行こうぜ。」



 煉瓦が敷き詰められた通りにクラシカルな深緑の街灯が映える。
 この辺り一帯の丘陵のせいで坂と階段が多く、ヨーロッパの路地を表現したような閉塞感は、かえってお洒落な雰囲気をかもし出していた。
 アウトレットだけでなく、古着屋や流行のブティックが並ぶ。
 車は入れないため、自転車とキックボードが通りを占め、年齢層を下げる。下校中か制服姿の高校生も目立った。
「・・俺の学生証はまだ有効なのかなぁ。」
 オープンスタイルのカフェからの風景は、自分の置かれている状況を少々目の当たりにさせられた。
 不貞腐れた表情になっているのが通り向かいのウィンドウに映っている。
「(カルノー、早く来いよー。)」
 勇吹は少し溜息を混ぜて深呼吸し、背凭れにのけぞる。
 よぎる寂しさを紛らわせるように。
 ・・お待たせしましたと、アイスココアが運ばれてきた。
 勇吹は椅子に、ちゃん、と座りなおした。
 ウェイトレスが下がるのと行き違いにカルノがやってくる。
「Can I have the same drink as that.」
 カルノが彼女に(容赦なく)注文を頼んだ。
 ・・やっぱり困っている。気持ちはわかる。
 ちょっとは気を使えよと思うが、こういうのがカルノたる所以なのでしょうがない。
 フォローの役所が自分にハマっているのと同じだ。
 椅子から立ち上がると、その音で彼女は振り向いた。
「・・これと同じものをお願いします。」
 勇吹はすぐ通訳し、彼女は、かしこまりました、と応えて下がった。
「早かったじゃないか。思ったより。」
「ああ、LEVI'Sの専門店あったからおまえに見てもらおうと思ってさ。」
「え、あるの?。」
「広場の向こうにあったぜ。わかんなかった?。」
「わかんなかった。うん、俺も見たいから行くよ。」
 カルノはデイバッグを右隣の椅子に下ろして、勇吹の前に座った。
「型落ちだけど、ダウンで良いのあったから買ったぜ。」
「これから夏だぞ。」
「おまえと違って今度、どこ放りだされるかわかんない状態なの、俺は。」
「・・そーだね、ご愁傷様。」
 なるほど納得して勇吹は肩を竦めた。巻き添えを食うなら俺もジージャンぐらい買っとくかなーと思う。
 その時、椅子ががくんと揺れた。
「っ。・・?。」
 後ろ隣の制服を着た学生がこちらを睨んでいた。座っているのは知っていた。
 椅子が揺れたのは蹴られたためらしかった。
「うるせーな。めだってんじゃねーよ。」
「・・。」
 勇吹はむっとした。たぶん英語のことだ。
 真っ向から・・、当然無視する。
 つーかおまえも学生なんだから多少は喋れるだろーが、と思う。
「・・無視してんじゃねーよっ。」
「痛っ。」
 襟をつかまれ立ち上がらせられた。
 きゃあっと周囲から歓声がわいた。物珍しげな視線が集まる。
 勇吹は睨み、言い返した。
「離せよ。・・っ。」
「・・。」
 何か言いかけて、けれど言わせてもらえなかった・・学生はうわっと声を上げた。
 カルノが彼の襟を後ろから引っ張ったのだ。
 勇吹の襟から手が離れる。
「・・。カルノ。」
「Is there any expression in…Ibuki?」
 勇吹がなにしたってんだよ、と凄む。そして突き飛ばした。
「Come on.」
 喧嘩なら上等だとカルノがはりきりそうになる。
「そこまではいいって、カルノ。」
 その肩を引っ張った。勇吹はカルノの前に出る。
 面を合わせ、その学生に言い放った。
「日本の学校がこのレベルだと思われたくないから、帰れよ。」
「・・。」
 シラけてその学生は舌を打つとゴミを片し、通りへと出ていった。
 カッコ悪と言いかけた連中も口をつぐんだ。
「やっぱ目立つのかな。」
「勇吹がこんだけ喋れるのをうらやましがってるだけだろ。」
「まーそうなんだろうな。」
 言われて普通に応えたけれど、あ、ちゃんと喋れてるんだとちょっと再確認である。
 自分だってこう言う状況に置かれなければ、大して話せなかっただろうけど。
「二人とも見目がいいからだよ。しょうがないさ、因縁つけたくなる面構えしとるよ。」
 お待たせしました、と今度はマスターがアイスココアをテーブルに置きにきた。
 ロマンスグレイといった言い回しが似合いそうな人だった。笑顔が優しくて、低めな声も良くてその場を取り持ってくれる。
「Thank You.」



 LEVI'Sの専門店を出て、そのまま自転車を駅に取りに行った。
 帰るにはまだ早いような気がしたので、その駅の向こうに見える風ヶ丘に行こうということになった。
 上り坂をまっすぐ登って行く道は参道で、稲荷社に通じていた。丘まではこの鳥居群をくぐって行くようだった。
「えー・・っ、やだっ。」
 カルノが当然だが文句を言った。
 鬱蒼とした林の中に延々と続く赤い鳥居はそれだけでもお化けが出そうな雰囲気がある。まして自分達は見えるので雰囲気で済まされるはずもなく、実際に鳥居の間で、世の狭間を行き介する者達がいるのがわかる。
 案の定、声で彼らがいっせいに振り向いた。
 興味津々な者、訝しげな者、表情は様々だった。
「うーん、他の道探そうか。」
 さすがに彼をこの鳥居の中をくぐらせるのは酷かもしれなかった。奥の方に行くにつれて、ちょっかい出してくる奴がいそうだった。自分は嘲笑も中傷も面白いだけだが、カルノはたぶんそうは行かないだろう。
 お化けの一人が鳥居の屋根に向かって石を投げた。上手い具合に屋根に乗っかった。
「?。」
「気を引こうとしてるんだよ。」
 勇吹は足元の石を拾った。久しぶりにやってみる。
「せっ。」
 投げてみる、が、
 石は空を切って鳥居を越えてしまった。
「あー。」
 階段を軽やかに打って落ちる。辺りにいた者達は、けけっ、と笑った。
 勇吹は頬を掻く。
 そして、パンパンと拍手を打って、形だけでもお参りした。
 また別の者が指を差した。ちょっと錆びてしまっている標識がかかっていた。
 『風ヶ丘展望台駐車場』とある。
「もっと上まで自転車で入れるみたいだよ。」
 ちょっと歩いて、向こうを覗きこむと丘に行ける車道があった。そっちで道を巻こうということになる。
「・・。」
 カルノは屈んで小石を拾った。投げる。
 かちゃ、かちゃんと鳥居の天辺に落ちた。
 お化けたちは、手を叩いて喜ぶ。
「なー、これなんかあるの?。」
「願い事が叶うって言うよ。」
 勇吹は自転車のスタンドをはずしながら応える。
 目で、なんかある?、と尋ねてみる。
「・・さーな。」
 ・・・・叶ってるのだろうか。少しずつでも。
 鳥居群のお化けたちと別れて、更に自転車をこぐ。
 最後の急な上り坂がきつかったが、駐車場までは5分くらいだった。
「・・。」
 自転車を止めて、駐車場から展望台への階段を上る。
 涼よかな風を感じた。
 風は、公園の芝生を揺らし、丘を越えて行く。
 さっきの町並みが見える。その向こうの住宅街。・・水田を経て遥か向こうに山が見えた。
 カルノが目を細めて、軽く伸びをした。
「んー。」
 いつもこんな時はこうするから、身体に風を受けるのは好きみたいだった。
「・・なんかヘンな町だな。古いのと新しいのが共存してら。」
 そう呟いた。
「そうだね。ほら、さっき行った町、メインストリートはS字を描いてるんだけれど、あの鳥居に伸びる参道は残されてる。だから霊が迷わない。ちゃんと考えて作ったんだね。」
 ここは新しい風が吹きこむ場所であり、あの霊道を通って浄化された気が、天へ駆け上る場所だった。
 すがすがしくて、気持ち良かった。
 勇吹は、芝生の上に腰を下ろして、顔に乗っけて寝転がろうと、もらってきたLEVI'Sのカタログをバッグから取り出した。
「・・イブキ。」
「ん?・・。」
 カルノが背中合わせ、隣りに座ってくる。
「・・。」
 視線が合う、そして肩を寄せ合って、そのまま二人して倒れこんだ。
 カタログは跳んで、視界が青一色になる。
 そうして二人とも黙り込んだ。

 ―――――しばらくして、勇吹は尋ねた。
「ねー、今何考えてる?。」
 頭の下の腕が少し動いた。
「・・。」
 沈黙は、逡巡で、
 応えてくれたけれど、その言葉にドキッとする。
「一番の願いが絶対叶わないものだったら、二番目から叶っていくの?。」
「・・。」
 だから、カルノは時々つまらなそうにするのだろうか。
「・・・・さぁ。神様の気まぐれによるんじゃないかな。」
「気まぐれで絶対叶わないものでも叶うのかよ。」
「うん、気まぐれで。」
「・・。」
 カルノは身体を起こした。青ばかりの視界にカルノが映る。
「なんか、おまえみたいだな。」
「・・。」
 他意はなく、そう思ったので呟いた。
 それに一番の願いは、叶えられないってわかってるから、・・彼女も望まないから。
「・・。」
 カルノは落ちているカタログを拾い上げる。日本語ばかりだがナンバーとかわからないでもない。
「そういうおまえは何考えてたんだよ。」
 なにげに聞いてみる。
「・・・・家族とも、友達とも離れてさ、なにをしようとしてるんだろうなーって思ってた。」
 こんな青い空の下、寝っ転がったりしていて。
「・・・・。」
 カルノは怪訝というか憮然というか思いっきり不信そうな目をした。
 最初の使われ方を果たすかのように、ばふっとカタログが顔面に押し付けられる。
 何でもできるんだよって、呟くのが聞こえた。



「ただいまー。」
「おかえり。ご飯もうちょっと待ってねー。レヴィ・・勇吹にペーパーナイフ。」
「?。」
「なんか書留で送ってきたから、結構大事なもの入ってるんじゃないのか?。」
 テーブルに大きな封筒が置かれていた。
 堂々たる筆走りで、自分の名前が書かれていた。すぐ兄のものだとわかった。
 レヴィが筆立からナイフを取ってくる。
「お兄さん?。」
「ええ・・。」
 ちょっとドキドキする。封にスッ・・とペーパーナイフをくぐらせた。
 なんだろう。
「・・うわ。」
 思いっきり今度は地の出た字で、和紙全面に、『そろそろ困ってるだろ、ありがたく思え』と書かれていた。
 入っていたのは、戸籍謄本と、住民票、学生証、保険証の遠隔地証明と、再発行された勇吹の銀行口座に、VIZAカード。
 レヴィは、封筒を眺め和紙の方も眺めて、書道ってかっこいいなぁと感心している。
「・・なんでこう甘いんだろ。」
 勇吹はぼやいた。欲しいなと思っていた書類が一通り揃っていた。
 きょとんと、レヴィは顔を上げた。そしてクスッと笑う。
「違うよ、イブキ。甘いんじゃなくて、信用されてるんだよ、それだけ。」
「そうかな。」
「そうだよ。信頼と実績、見に覚えある?。」
「・・かな。」
 そう言われると少し心が軽くなった。
 うん、あとで電話して、お礼言おうと思う。
 その時、先に部屋に行ったカルノが、どたどたっとリビングに入ってきた。
「レヴィっ、なんだよ、これっ。」
「なにって、パスポートだけど。」
「中身だよ。中身。」
「長期滞在にしたのまずかった?。」
「それもだけど、それだけじゃねぇだろがっ。」
 怒っても、レヴィはにこやかに笑うだけだ。
 ぶちっと大いにカルノはむくれて、踵を返していった。
「カルノー、あと30分でご飯だからなー。」
 ナギが調子良く笑って、声をかける。
「あ、俺も、荷物片付けてきますね。」
「シャワーも浴びてこい。待ってるから。」
「そうしますね。」
 勇吹は封筒と荷物を手にとって、廊下に出る。
 機嫌をそこねながらも、着替えを持ってカルノが部屋から出てきた。
「先にシャワー使うぜー。」
「ああ、うん、どうぞ。」
「・・言っとくけど、おまえは、カルノ・グィノーだけ覚えてればいいからな。」
「は?。」
 ばったんとシャワールームの戸が閉められる。
 勇吹はコンコンとその戸をノックしてから、喋った。
「あーもー、はいはい。いいけどさ。頃合いみて話せよ。」
 その場を離れて勇吹は部屋に戻った。
 バッグはその辺に放って、封筒は机に置いた。パスポート申請用紙に重ねるように。
 『今度住民票がいるようなことになったら自分で取りに来い、言っとくがそっちに移してやんねーからな』ともあった。
「・・。」
 家族がいて、友人がいて、いい環境ですごしていて、魔法だけでなく普通の勉強もさせてもらっている。
「ちゃんと、勉強しよ。」
 それが今の自分に精一杯のことだから。
 いつか彼らに何か返せますように。






END






BGM/二つの願い ・・槇原敬之ですね。