『偽りの理由』
  
 

    ―――通りゃんせ、通りゃんせ
 
 白昼夢は交差点から。
「・・・。」
 ・・・目を凝らすと横断歩道の真ん中に目の細い狐が座っていた。
 目の前には子連れの母親の霊がいる。自分は・・順番を待っているような形だった。

    ここはどこの細道じゃ
    天神様の細道じゃ
    ちょっと通してくだしゃんせ
    ご用のない者通させぬ
    この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります

 カルノは横断歩道を渡らずに、そのまま歩道にたたずんで眺める。
 夕刻の陽射に路面がぼやけて、いっそう幻想的だった。
 先ほど問いかけられた母子の霊はこの通り向こうに見える不可視の関所を通っていく。

    行きはよいよい帰りは恐い
    恐いながらも通りゃんせ、通りゃんせ

 狐は歌いながら、ほどなくしてカルノに尋ねてきた。
 逢いたい人に会えるよ・・と。 


「カルノ。行っちゃダメだよ。」
「・・・・・。・・イブキ。」
 振り向いた。
 私服に狩衣だけ羽織った姿で、彼が後ろに立っていた。
 あやふやな夕刻の景色に切り取ったような確かな存在感は、勇吹の神性の不気味さを感じさせた。
 勇吹は関所を指差した。
「江戸時代、ここには関所があった。女の人と子供は本当ならそこから先に行ってはならなかった。」
 だから、あの母子は帰ってきたら、殺される。狐が化けたサムライに。
「・・・・・。」
「逢いたい人に会いに行っただけでそうなる。」
 『通りゃんせ』は大名の妻子を人質にとった徳川家の封建社会政策、参勤交代制度の一端を揶揄った民謡だ。 
 耳に慣れ親しんだメロディだけれど。
「・・・帰ろうよ。」
 口の中で呟いて勇吹はカルノの腕を引いた。
 ふっと周囲の景色がいっぺんに変わった。ホテルから一番近い繁華街、・・の路地裏の袋小路。
 もう日は落ちていて、ビル天辺の電飾が路地を照らす。
 勇吹が突然現れたわけじゃなかった。
 自分が迷い込んでいたのだ。
「・・・・・。」
 勇吹はつれなく手を放した。
 彼は自分の肩越しを横切って、背後のビルに張り付けられた簡素な鉄プレートの前に立つ。
 そこに祠があったとレリーフは無機質に伝えた。
 そんなもので代用されてしまう現代建築。
「・・。」
 勇吹はどうにもならないと首を振った。踵を返す。
 そしてはっとして・・、・・唇を少し噛んだ。
「・・。」
 カルノは関所があった方を見ていた。
 目蓋を細め、目を凝らしてその先にいる誰かを探していた。
「・・・。」
 喉の奥から声を出したせいか、言葉がかすれた。
「逢いたい人が・・いるの?。」
「・・。」
 ・・・。いるよ。・・だから、おまえなんかいらないんだ、本当は。
 聞かれて、・・振り向く。
 唇を結んで、彼は目を合わせないように反らした。
 言葉が少なくなっていて、勇吹は怒っているようだった。
 俺がノコノコ狐なんかについていったから。
 勇吹は肩紐を解いた。狩衣から腕を抜く。
 こちらに突き出すように差し出した。
「持ってて。まだそこらに狐がいるかもしれないから。護符代わりに持ってて。」
「・・いらない。」
「・・・。・・っ。」
 勇吹の胸を押す。彼の背がトンと壁に触れた。
「・・っ。・・んっ。」
 追い詰めて、その想いにつけこんでキスして。
 自分がこの世に留まっていたいのを勇吹のせいにして。
 抱きしめて。
「・・・・・。あ・・。」
 身体を支える力が揺るんで、勇吹の背が壁をづって落ちた。
「おまえがいればいい。」
 俺の傍に。



 路地にやってきて、どっか他でやれよとか、となり連れ込みなんだからとか、野次を吐いて、立ち去っていくカップルがいた。
 でも同じ穴の狢か。
「・・。」 
 信号機備え付けのスピーカから流れる『通りゃんせ』が聞こえなくなっている。
 夕刻を過ぎて、その役目が横断歩道脇の押しボタンに取って代わったのだ。
 極楽地獄の関所が、一つ二つと消えていく。
 そして、帰れなかった魂で、夜は溢れだす。 


END
 
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もちろん、交差点で思いつきました。
もちろん、作り話です。
地獄極楽という言葉が入るのは京都版『通りゃんせ』
狐は東京版の『通りゃんせ』で歌われてます。