幻想の不整合



「・・。」
 目蓋越しに射すスタンドの明かりが不意に消えた。肩を揺すられる。
「レヴィさん、寝るならちゃんとベットに入ったほうがいいですよ。」
 背中から勇吹の声がした。スタンドに伸ばされた彼の手が引っ込む。
「・・。ん・・ああ、イブキ。」
 レヴィは顔を上げた。眼鏡をはずし、目じりをこすった。
 とらえどころのない取引先のファックスを読んでいたら眠くなって、どうやら本当に寝てしまったようだ。
 勇吹は机の傍から離れた。参考書を返しに来たのだ。後ろの本棚を見上げ、勇吹はそのシリーズの続きを探しているようだった。
 再び眼鏡を掛け直して、レヴィは本の所在を教えた。勇吹はその本を手にとって、返す本をその空いた部分へと差し戻す。
 レヴィはファックスをファイルに挟んだ。あとは明日にしよう。
 勇吹を振り返る。
「(もう、読んだのか。・・早いな。)」
 またこれから読むの?、と尋ねるともう寝ますよと答えた。
 そう言うけれど、だいぶ夜遅くまで明かりがついてるなんてことはざらだ。ずいぶん勇吹は日々の時間を魔法等の勉強に当てている。
 同じ年頃の神聖騎士と比べてどうなのだろう。
 見た目はそつなく量をこなしているように感じるけれど、勇吹の自分自身への厳しさは相当なものだ。
 ・・・無知は言い訳にならない。
 自分の存在でもう誰も傷つけないために、そして自分の存在を否定しないために。
「(でも、気張ってないんだよなぁ。)」
 レヴィは溜息をついた。
 そつなく生活をされてしまっているから、これでいいのかなと安心してしまう。
 勇吹なら大丈夫だと思ってしまう。
 ・・そこで、勇吹のことがわからなくなる。
「(言いたいことは言っているけれど。)」
 さみしさも口にする。
 でも、言わなくていいこと、とした勇吹の言葉はたぶん、人よりずっと多い。
「・・勇吹の喋り方っていいね。」
 ふとそんなことを思ってレヴィは口にした。
「そうですか?。英語でも?。」
「うん。きっぱり物を言うにしても、謙遜にしても、柔らかい。でもすごく真っ当な要点を踏まえるでしょう。 ・・だから皆、君の話を聞くだろうし、耳を傾けられる。」
 それ聞いて勇吹は微笑った。言われなれてるのか、否定も肯定もしなかった。
 ・・・そうして余計な思考を重ねては、勇吹がもっとわからなくなる。
 神霊眼だということをかんがみても、似て非になるものと言いきれなくて。
 勇吹が言葉を返してきた。
「レヴィさんだってそうじゃないですか。」
「・・俺は、どうかな。」
 肩を竦める。椅子から立ち上がって、レヴィはファイルをラックへと戻した。
 その時、戸がノックされた。
 二人はそちらの方を振り返る。
「レーヴィ。」
 かちゃっとナギが顔を覗かせた。
「あ、勇吹がいる。」
「ナギさん・・、・・・・。」
 振り返って勇吹は、そのまま言葉に詰まったようだった。
「(・・あー。)」
 これはわかりやすくて、レヴィは苦笑いした。
 赤ワインを移したデカンタをトレーに乗せ、彼女は部屋の内側に入ってきた。
 白いシャツドレスは襟もスリットも深く入って、ワインの香りでとどめを刺している。
「・・。ナギさん、はっきり言いますけど、目の毒です。」
「似合わん?。」
「いや・・、もうなんでもいいです。ボルドーですか?。」
「カロンセギュールだよ。」
 ブラインドでレヴィがワインを言い当てた。
 シャランとグラスが絡む音。
 彼は傍らのキャビネットからグラスを取り出していた。
「一緒にいかが?。」
 ナギが誘った。
「いいえ、遠慮します。せっかくの時間でしょ?」
 そういうと、ナギは笑って部屋に戻ったら同じものがあるよと言った。
 本を肩に乗せ、照れを隠して勇吹は肩を竦め返した。
「おやすみなさい。」
「おやすみ。」
 クスッと笑い、二人の間に挟む。
 レヴィはちょっと屈んで、ナギは少し仰のいて、示し合わせて勇吹の頬にキスした。


***


 けだるい5月の午後。
 時折風に乗って横断歩道で流している笛の音が聞こえる。
 ・・・詮無いことを考えていた。
 カラカラと窓のスライドする音がする。
「カールーノー。」
 小さな翼を広げてナギが飛んできて、ベランダの縁に手をついた。顔を覗き込まれる。
 相変わらずの、呑気で明るい笑顔を間近に見る。
「煙草はいけないぞぉ〜。」
 くわえていたフィルタを取られた。
 ナギは掌のうちに隠し、また広げる。ボッと鮮やかな赤い光を放って燃えた。
 ・・・灰が風に吹かれ飛んでいく。
「・・。」
 青空に映える金色の髪。
 煙草を注意されたことより、気に障ったから。
「そこに立つな。」
 肩越し自分を見下ろせる高さ。
 きょとんとナギはした。続いて、むくれた顔をする。
 でも自分が、それだけでわかるだろ、という態度を崩さなかったので、煙草は取り上げたしと、言われたとおりにナギはフェイドアウトしていった。
「(・・・どうせ知ってやがるんだ・・。)」
 深く聞いてこないのはあの化物なりの配慮か、画策か・・どっちでもよかった。
 しらけて部屋に戻る。
 ふわっと、カントリークッキーの香ばしい焼き上がりの匂いがした。
 ナギがオーブンから出している。
「・・。」
 そこを横切って一枚失敬した。
「こらこら。」
 くわえたままどこか行こうとするカルノを呼び止めて、ナギはシートを敷いたバスケットの中に焼きあがったばかりのクッキーをざらざらといれた。
「カールノ。これ持って勇吹の部屋にいくように。」
 ポンと手渡された。
「・・。」
「そしたら、ちょっと埋まる。」
 ナギは肩を竦める。そして、でもね、と苦笑いした。
「でもね、勇吹は幻想だよ。カルノ。」
「・・。」
「人によってあいつはいろんな奴になる。・・私も、レヴィも重ねてる奴がいる。」
 独り善がりのまどろみだけれど・・、
「勇吹に酔い過ぎないようにね。」
 アルコールももってく?、とナギは言った。
 昼から飲むかよ、とカルノはあきれた。
 ・・けれど、そんなこんなを知らないのに享受してくれる。


 部屋のドアを開けると、勇吹は勉強していた。
「・・・・・。」
 ・・屋上に行ってる、と中に向かって言うと、カルノはそのまま玄関の方へ踵を返した。
 勉強してる奴を見てるとなんか虫が好かなかった。
 なんだよそれーと勇吹の声が廊下の向こうからした。
 靴をつっかけて、外に出る。屋上なんてすぐ上だった。階段を1階分上って、重めの扉を引いた。
 夏至へと向かう季節の光は眩しく、けれど5月の風はまだ涼しく、心地よかった。
 遠く山は春霞む。
 水道施設の上に登る。ぽさっとバスケットをコンクリートの上に置いて縁に座り込んだ。
「・・。」
 俺にとってこの生活は無意味なんだよ。
 ・・・・嘘つけと思う。
 もう、そうでないような気がしていた。
 でもそうすると、どうしてここにあいつがいないんだろうとか、生きていてほしかったとか、考えてしまって・・すごく寂しくて、やっぱり無意味なように思えて。
 彼女を置いてきぼりにしてる気がして、自分自身がすごく不実に思えて嫌なのだ。
 けどそんなふうに気にしてる自分を一番叱るのは記憶の限り彼女だ。
 ・・・・・・最近、こんなことばかり考えている。
 ・・ぎぃ、ばたん、と屋上のドアが開く音がした。
 カルノは首だけでそちらの方を振り向く。
「カルノ。」
 勇吹がここ水道施設の壁ごしへと走り寄ってくる。
 天気良かったんだ、なんて言う。朝から部屋にいるからだ。
「カールノ、これ、持ってて。」
 ポーンと一冊、本を投げて寄越す。
「捨てていい?。」
 魔法関係の本だった。
 1.5リットルのコーラのペットボトルも一本投げてきた。
「ダメ。」
 勇吹はそう答えて笑うと、水道施設のコンクリート壁の屋根に取りつく。指先だけの握力と懸垂で、なんとか腕をひっかけ登ってくる。
「毎度毎度こんな高いところどうやって登ってんだよ。」
「同じようにやってるけど。」
「あー、そうなんだ。」
 基礎体力の違いかい、とぼやいた。
 勇吹はナギの焼いたクッキーをつまみ、くわえながら背伸びした。
 ふわっと屋上を一陣の風が吹きぬける。
「・・。」
 勇吹が肩越しに立つのは嫌じゃない。
 ――幻想だよ。
 言いながら、ナギはまどろんでいるという。
 勇吹が与えてくれるのは安らぎだけじゃないから。
「・・。」
 人の話を聞くとか、受け入れるとか、叱るとか、
 自分達がどこかで欠いてしまった温もりを勇吹は持ってる。
「・・。酔っ払いだよな。」
 それは、手遅れなほど。
「え、やっぱ酒くさい?。」
 勇吹がぎくっと呟いた。口元に手を当てた。
 カルノはうんざりといったふうになってよろける。
「(・・あー、なんでこんな奴なんだよ。)」
 俺の中の彼女のイメージが壊れる。たぶんナギもレヴィもそうだ。重ねては後悔してる。
「・・なに飲んだんだよ。」
 とりあえず聞いてやる。
 ・・勇吹に。
 

END