貝殻







 昌浩と物の怪は鴨川沿いの道を北上して行く。
「暑い・・。」
 かんかん照りの道だった。京の夏は暑い。
「なんでこんな暑いところに遷都したんだろう。」
「季節は関係無いんじゃないのか?。」
「平城京はどうだったんだろ。」
「あー、あっちも同じ感じだ。」
「・・・どこも一緒か。」
「せめて海に面してればなー・・。」
「四神相応の地がなかったのかな・・・。」
 などと、暑さでどうでもいい会話が続いていく。
 森が見えた。下鴨神社だ。
「・・・少し楽かも。」
 そう呟いて足を速めて、木々の影に入る。
 一心地ついたように昌浩はふい〜っと溜息をついた。
 傍の石垣に腰を下ろす。
 夏越祓が先日執り行われ、次の行事である乞巧奠で忙しくなるからその前にということでの今日の休暇だった。
 けれどその乞巧奠が間近なため、こまごまとした用事を片付けに午の刻まで陰陽寮にいて、
 そして半分になった休暇で、昌浩と物の怪は賀茂の辺りまでくり出していた。
 明日は庚申待ちで夜起きていないといけない日だ。だから今日の夜警のかわりだった。
 それに夜だけでは、京の町を全部調べきれないとも思っていた。
 昼に妖はあまり活動はしないが、残滓ぐらいは感じ取れるだろう。
 ・・・・・・あの異邦の妖異たちの。
 袂から水筒を出して口に含んだ。
「大丈夫か?。少し頭を冷やしていった方がいいと思うぞ。」
「うん、そうかも。烏帽子持っててくれる?。」
 ぽんと手渡して、鴨川の河原に降りる。
 人目があり、姿の見えない物の怪は烏帽子を持ったままついて行くわけにはいかないので石垣で待つ。
 手拭いを浸して、熱くなった脳天に当て、首筋を吹いた。
 物の怪のところに戻る。
 木陰に入り、拭いた所に風が当たると幾分気分が楽になった。
 一心地つくと、集中力が戻ってくる。
 物の怪から烏帽子を受け取ると、ぽすっと被りなおした。髷のままだと変に見られる。
「よし。始めようか。」
 昌浩は立ち上がった。
 一度深呼吸し、ゆっくり落ちついて両手を合わせた。
「ノウボウアラタンノウ、タラヤアヤサラバラタサタナン・・・。」
 残滓を感じ取るため、意識を凝らす。



「特に、異常はないみたいだね。」
「そうだな。」
「収穫無しか。」
「それに越したことはない。焦るなよ。相手は大妖なんだ。」
「・・・・うん。」
 下鴨神社から更に北上して、深泥池まできた。
 ちょうど座りのいい一枚岩があったので、昌浩は腰を下ろした。
 母・露樹が用意してくれたにぎり飯の包みをとく。
 水際で足を浸す物の怪を呼んだ。
「もっくんも食べる?。」
 物の怪に合わせて、波紋がみなもを伝っていく。
「いらん。育ち盛りなんだから食え食え。基本的に食わなくて平気なんだからよ。」
「あ、そうか。うん。じゃ遠慮なく。」
 昌浩は池を眺める。このところの雨が降っていないせいか水位が下がっていた。
 水が引くと、普段は見れない池の底のものが現れ出でる。向こうには昌浩の背丈ほどの崖が見えた。そこも池の淵のようだ。
 そこまで行ってみようと、食べ終わった昌浩は包みをたたんで袂にしまうと、立ち上がった。
「・・・・。」
 波紋がついてくるように見えるかもしれない。物の怪は昌浩の半歩後ろをついていく。
 昌浩は水の中に落ちた木の実や石を見て歩いた。
 池の淵まできて、白い・・真っ白いものが目にとまった。
「・・・?。」
 そこには貝殻が打ち上げられていた。
「へえ・・。」
 昌浩はちょんとつついて、掘り出した。
 しゃがみこんで内側についている土を池の水で洗い落とす。
「・・・お。」
 首を上げて、ばしゃっと物の怪は水の中に入った。
「えっ・・・・。」
 はっと昌浩は物の怪を振り返る。
 物の怪はそのまま四つ足を器用にかいで・・・・頭から潜った。
「もっくんっ。」
 昌浩は仰天して叫んだ。物の怪は、火将で・・と、
 彼の心配を余所に、物の怪は鵜のごとくツイーッと潜水する。
 ニ尺ばかりの水底で止まり、前足で土を一掻きして、真っ白なそれをくわえ取る。
 昌浩の呼ぶ声がした。
「もっくんってばっ。泳げるのっ?。」
 物の怪は浮上する。
「・・・。おまえと一緒にするな。」
 くわえていたそれを・・・真っ白な貝殻を頭に被せて、物の怪は片目をすがめ答える。
「・・・・俺だって、泳げるもんね。」
 ホッとした表情を隠すように昌浩は胸を反らした。
 物の怪は再び四つ足をかいで、地上に上がった。
「ほれ。」
「うん。」
 昌浩は貝殻を受け取ると、物の怪の目の前で、自分が持っている貝殻と合わせた。
 カコッと小気味いい音が鳴った。
「はまったっ・・・はまって・・・るよね。」
 ぐるっと貝殻を回してはまり具合を見る。
「上流貴族が船でも浮かべて、貝合わせして落としたとか、そんなところじゃねえの。」
「かな。すごい綺麗だ。」
 白で、光にかざすと物の怪の毛並みのように白で、こんな白が世の中にあるのがなんとなく嬉しかった。
 昌浩がふふっと含み笑いするので、
「なんだー?。」
 物の怪はきょとんと首をかしげた。




    ***




 次の日。

 今回の庚申待ちは自宅で身内だけでという家が多いようだ。
 無理もない。清涼殿の火事の後で、まだ四十九日も明けていないのだ。
 夜風に当たる貴人にも会ったけれど出歩いている人は疎らだった。
「皆でどんちゃん騒ぎ出来ないとなると、誰か寝ちゃう人もいるかもね。」
「心にやましいことがなけりゃいいんだが、そうもいかないしな。特に上の方が気を揉む日だ。」
 昌浩と物の怪は夜道をてくてく歩いた。
 今は亥の刻をまわったところで、まだまだ庚申の夜は宵の口だ。
「孫―――っ。」
「孫言うなっ。」
 間髪入れずに昌浩は怒鳴り返した。
 雑鬼どもが嬉しそうに駆け寄ってくる。その姿は愛嬌があるのだが、
「孫じゃん。」
 どうにもこうにも改める気はないらしい。
 ふるふると拳を震わせる。
「なー、どこも宴やってるんだぜ。酒飲もうぜー。」
「まだ飲めない。それに飲んだら確実に寝る。」
「おまえ、そんなに悪いこともしてないだろう?。」
「大丈夫だって。」
 雑鬼達が口々に言いたてる。
 物の怪は、おや、と肩を竦めた。ずいぶん気の効いた言葉である。
 だが昌浩は気がついてないらしく、むくれたように雑鬼に答える。
「大丈夫なわけないだろう。俺が。」
「例えば何が。」
「いろいろ。」
 そう言って、昌浩は雑鬼から踵を返した。
「晴明の孫ーっ。」
 雑鬼第ニ陣だった。
「酒持ってきたぞーっ。」
「へっ?。」
 声のする方を仰ぎ見れば、酒樽が傍の屋敷から飛んでくる。
 酒樽には足と手が生えていて化生だ。化生とわからずに使用人が酒をいれたのかもしれない。
「冗談じゃないぞ。」
 あんなのに押しつぶされたら死んでしまう。
 昌浩は飛びのけられるように構える。
 酒樽は塀の上に着地した。
 もう一度跳ねるかと思った。
 酒樽が前傾した。


 ばしゃあ・・・っ。


「・・・・・。」



 昌浩はしょうがないので家に引き返した。
 安倍家の庭先で、父・吉昌と母・露樹が談笑しているのが聞こえたので、門から入った。
 露樹は昌浩の姿を見とめるなり、驚いて呟いた。
「まあ、昌浩。そんな浴びるほど飲んだのですか?。」
「・・母上。」
 それは母なりの冗談だろうか・・・返答に窮し、頭を掻きながら昌浩は乾いた苦笑いを浮かべる。
「ちょっと、いっぱい引っかけてきたんだよな。」
 肩に乗った物の怪は尻尾で背中をぱしっとはたいた。
「騰蛇殿。」
 吉昌は苦笑する。
「あー・・。着替えてきます。」
 夫婦水入らずを邪魔してもなんだろう。
 簀子に上がり、廊下を極力濡らさないように部屋へと急ぐ。
「・・・あー先に絞った方がいいかな。」
 厨に行先を変更して、廊下を折れた。
 昌浩は目を見張った。
「じいさま。」
 水瓶から、水を注いでいる晴明がいた。
 水なら、母が用意していそうなものだ。
「なんでこんなところにいるんですか?。」
「そりゃあ、久しぶりの二人きりじゃからの。頼むのはちと無粋じゃろ。」
「そんなの気にする二人じゃないと思いますけど。」
「こっちが気になって仕方がないわい。」
 そう言って湯呑を持つ手の人差し指で昌浩を指した。
「・・・。ところでなんじゃその格好は。」
「ぐ。」
「なんと、まだ雑鬼にからかわれておるのか?。」
「ぐぐ。」
 やれやれと、晴明は肩を落とした。
「雑鬼とはいえ、愛嬌のあるものばかりではない。」
 その言葉に物の怪はピンと耳をそよがせる。
「邪がわかりやすく鬼の顔をしていると思うでないぞ。ゆめゆめ忘れぬようにの。」
 晴明は昌浩の額を指弾した。
「・・・。」
 なんか言い返せないかと考えあぐねいていたその時だった。
 晴明は築地塀向こうの空へ視線を移した。
「え・・。」
「孫――っ。」
 と声がした。
 昌浩も振り向く。
 そして続いて知らない妖気を感じた。
「ああ、もうっ。」
 着替えられないまま再び昌浩は家を飛び出した。
 晴明は苦笑いした。半分怒りながらも元気に走って行く昌浩の後姿はいつ見ても頼もしい。
「父上。」
 気配に気づいた吉昌が神妙な面持ちで簀子を歩いてくる。
「案ずるでない。吉昌。あれは、頑張っておるよ。それに、ご指名は孫のようじゃしの。」
 晴明は笑った。




 門を出て、堀川小路を南下し、中御門大路を通り過ぎた所で、三匹の雑鬼に追いついた。
「おい。どうしたんだよっ。」
「変なの見つけたから追いかけてんだ。」
「変て、どこにいるんだよ。」
「そこの角を曲がった。」
 右へと折れる築地塀の先を指す。
 この通りは、春日小路だ。
 昌浩と物の怪は立ち止まって残滓をだどる。
 築地塀から小路を覗いた。
「・・・犬?。」
 路には一匹の中くらいの犬がちょこんと座っていた。
 雑鬼がいうところの「変な」とはあの犬のことか?。
「変て、どう変なんだ?。」
「それを調べるのが陰陽師!。」
 雑鬼は声を合わせた。
 昌浩は脱力した。
「ああ、そうかい。」
 ガセかよ・・と一人ごちる。
 が、それならあの妖気は正体はなんだったのだろうと思いなおす。
「・・・よし。」
 昌浩は、符を襟の合わせに挟み戻し、春日小路へと歩き出した。
 少し距離をおいてしゃがみこむと、手招きする。
「こいこい、おいで。」
 狛犬のようにずんぐりとして、丸い顔の犬だった。
 じっとしていたが、ゆっくりとした動作で立ち上がった。 
 そばに寄ってくる。なんだかころころしていて可愛い。
「・・・。」
 昌浩の目がハッと一瞬見開かれる。
 物の怪は目を細めた。
 邪がわかりやすく鬼の顔をしていると思うな・・・・、晴明の言葉。
「・・ほら、こーいこい。」
 昌浩は続けて手を振った。
 どうにもこの手を引っ込める気にはなれない。
「・・・。」
 犬は昌浩の伸ばした手に、頬を摺り寄せてくる。撫でてやるとそれはもう嬉しそうに顔を押し付けてくる。
 物の怪は安堵の色を含んだ溜息をこっそりついた。
 ・・・晴明の言うことは正しい。けれどそれは、異質なものに隔意を持たない昌浩の性情を否定するものではない。
「ちゃんと気づければいいんだよね。」
 犬を撫でながら、昌浩は物の怪に確認する。
 本人は自覚無しだが、こちらの胸中を汲んでいた。
「・・・・。そうだ。」
 首肯して物の怪は、犬の傍に寄った。
「・・・・この辺じゃ見ない犬だな。」
 首輪をしているのでどこかで飼われているようだった。
 物の怪はついと鼻先を向けて何事か話しかけた。
「・・なに?、異様な気配だったから追いかけた?。・・東寺から!?。」
「東寺から!?。」
 昌浩も同じように叫んだ。
 なんでも、東寺からぐるっと左京を回ってきたらしい。
「なあんだ。」
「この暑いのに全速力で走ってるからさー。」
 と雑鬼どもがぼやいた。
「・・・。おまえら〜。」
 振りまわされたことが決定した昌浩のこめかみに青筋が立つ。
「今度は確かめてから来いっ。」
「それを調べるのが陰陽師〜。」
 雑鬼どもは再び声を合わせてそう言った。何事も無いことが確認できて喜んでいるのだ。
「・・・あーもー、・・・・っ。」
 首筋にひやりとしたものを感じた。それは西の方から。
 犬もまた何か感じたのかふいっと西の空を見上げた。
 昌浩はその視線を追った。
「・・・。・・・っ。」
 残滓・・、けれどそれは遠すぎてわからなかった。
 上空を旋回したような節があった。
「鳥獣?。」
「わからん。・・遠すぎるな。」
 物の怪は目を細めた。
「・・・消えた。・・・だめだな。もう追えん。」
「・・・・そっか。」
 昌浩は肩を落とした。
 物の怪は犬に再度話しかける。
「おい、帰れるか・・・そうか問題ないか。じゃあ早いとこ帰れ。あれはおまえにどうこうできるもんじゃない。」
 使命感の強い犬のようだった。くうんと残念そうにひと鳴きした
 昌浩はぐしゃぐしゃと撫でてやる。
 わんっとひと鳴きして犬は、堀川小路を駆けていった。
 じゃーなーと一言残して、雑鬼も闇に消える。
「くそおっ。祓うぞこらっ。」
 その闇に向って昌浩の怒号が響いた。





[03/6/26]

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−Comment−
道長は字には
「細かいことを気にしない、おおらかな」という形容詞がついています。大抵そう書いてある。
巧いのか下手なのかわからない評し方だな。誤字が多いのも結構有名らしい。
行成だと、どの本読んでも絶賛されてますね〜、さすが。