昌浩の掌には、二羽の白く輝く鳥がいた。
 ここは二条大路と町尻小路の交差するところ。
 二羽の白い鳥は鋭く鳴くと彼の手から飛び立った。
「・・・。」
 物の怪は、昌浩と視線を合わせて頷いて、肩から築地塀に飛び移る。
 昌浩は、築地塀の石垣に背をもたれた。
「(この琴は、彰子のなのかなぁ・・。)」
 三尸に聞きたい。
 それを確かめることは、いけないことだろうか、と。





 宴から退席したのは、酒の匂いで酔ってしまいそうだったからだ。
 酔ったら確実に寝てしまうだろう。
「・・・。」
 東北対屋は、南の庭からは離れているので雅楽の喧騒も虫のざわめきぐらいだ。
 彰子は琴を出して、眠気を紛らわそうと弦を弾いていた。
「(・・・。)」
 うつらっと、首ががくんっと垂れた。
 その勢いのよさに彰子は半ば自分に呆れ、頬に手を当てる。
「(・・・眠ってしまいそう。)」
 誰かとお話しか、貝合わせでもしたほうがいいかしらと考えた。
「・・・。」


 かたんっ・・かたんっ・・と御簾が揺れた。


 彰子はおもむろに顔を上げて振り向いた。
 目を見張った。
 月影が、白い物の怪達を照らす。
 微かに息を飲んだ
 名を呼ぼうとして、口を覆う。
 物の怪は片目をすがめた。
「・・もっくん。」
 小さな声で彰子は呼んだ。
「・・・。」
 部屋の中ほど、彰子の傍へ物の怪は足を進めやった。
「寝そうになってただろ。」
「・・・やだ、もっくん見てたの?。」
 彰子は頬に両手に当てる。
「そこの塀を上がった時な。思わず笑いそうになった。」
「もう・・。・・・。」
 ツゥーッと白い鳥達が板張りの床の上を飛んでくる。
 彰子が両手を差し出すと、その指先に止まった。
「・・。っ・・。」
 二羽の鳥・・昌浩の式は変化して、一枚の紙になる。
「・・・。」
 手紙だった。



 眠気覚ましに。

 でも。
 おかしいよね。
 君なら、告げ口されて困るようなことはまだないと思うから。



「字、下手だが、気にするな。」
「あら、お父様だってそうよ。誤字も多いの。」
「おまえの父と比べられてもなぁ。」
 そして、白い紙が弾ける。
「きゃっ、・・え。」
 貝だった。両掌の中に二枚の貝が落ちる。
「二段変化。昌浩の術も中々のものだろ。」
「すごーい・・。」
 あの二羽の鳥が一枚の紙になって、今度は二枚の貝殻になる。
 そんな贈り物など貴人の誰もくれたことはない。
「・・・。」
 彰子は貝殻を見つめる。
 物の怪と同じくらい真っ白な一組の貝だった。
「填めてみ?。」
「?。・・あ。」
 かこっと小気味いい音が鳴った。
 彰子は嬉しそうに何度かかこっかこっと鳴らした。
 本当にいい眠気覚ましだ。
「・・・用はそれだけだ。じゃあな。」
「・・っ。」
 彰子は貝殻から顔を上げた。
 退屈していたから話し相手になってほしいと思った。
「・・・・。」
 けれど、思いとどまる。
 外に昌浩を待たせてあるのだろうし、そう言えば物の怪は『見えない』から不信がられる。
 こればかりは本当に不便だった。
 好きに誰かと会えないのも、見えているのに無視するしかないのも。
「・・・?。どうした?。」
 私はあとどれだけ、見過すことになるのだろう。
「ううん。なんでもない。」
 人を、見えている物の怪達を・・・考えると辛い。
 手のひらに乗せて差し出した。
「片方を昌浩に。」
「・・・。」
 夕焼け色の瞳が見つめてくる。
 ややあってその小さな手を伸ばして、くいと彰子の手の甲を押し返した。
「くっつけておけるものは、くっつけておいた方がいい。」
 彰子は軽く目を見張った。
 どうせちょっとした玩具だしな、と言って物の怪は片目を瞑って見せる。
「な。」
「・・・。うん。わかった。」
 手を戻す。
「・・・。」
「昌浩に、ありがとうって伝えて、それから手紙の返事・・・。」
 彰子は人差し指を唇に当てた。



 そうかしら。
 あなたから手紙をもらったことは誰にも言えないのに?。



「・・・おう。じゃあな。」
「またね。」
 ぱたぱたと手を振る。
 くるりんと物の怪は飛び跳ねた。
 彰子は琴の弦に触れた。
 昌浩に聞こえるように奏でる。
 築地塀を跳躍して行き、物の怪は最後に三回転をして見せた。
「・・っ。すごいっ。」
 思わず音を立てて拍手してしまう。
「(あ、・・。)」
 口を覆ったが、遅かった。
「一姫さま・・っ。」
 音を聞きつけて、女房の空木が駆けよってくる。
 貝を袖の内に隠した。
「どうなさったのですか。」
「あ、ううん。うまく弾けたから手をたたいてしまったの。」
 無難な嘘をついた。
 やっぱり、三尸に告げられないためには起きていないとダメね。
「・・・。」
 すっかり目が醒めて、彰子は楽しそうに続けた。
「そうだわ。お父様にもお聞かせしたいの。宴の最中で平気かしら。」
 一の姫の様子に安堵した空木は一礼し、伺ってまいりますと言って下がっていった。

 ほっと息をついて、物の怪が消えて行った方を振り向いた。
 彰子は貝をそっと手にとった。


 心を重ねて、
 想いを封じ込めて、
「昌浩。」
 二つの貝殻を合わせる。



    ***



「だとよ。」
 言葉をまんま伝えると、頭を掻いて昌浩はバツの悪い顔をした。
「悪いことしちゃったかな。」
 物の怪は眉を寄せる。
「おまえなぁ・・、なわけないだろうが。女の襞ってやつをわかれよな。」
「もっくんはわかってるみたいな言い方だな。」
「もっくん言うな、晴明の孫。」
「孫言うな。・・・じゃあ、どういう意味なんだよ。」
「・・・。」
 昌浩は13歳で、まして彰子に直接会っていない。わかれという方が無理があるかもしれない。
「・・・・。今宵は庚申待ち。でも、おまえのこと、おまえのためになるならいくらでも心に隠してやろうってことさ。」
 物の怪は後ろ足でたち、昌浩を見上げた。
 昌浩は困惑気味になり、おもむろに挙手した。
「・・・。物の怪さん。やっぱりよくわからないんですけど。」
「・・あとはそりゃあ、おまえの情緒の問題だあな。それもまた経験経験。」
 きょほきょほと笑いながら物の怪は先んじて歩き出す。
「あ、まて、こら。」
 昌浩は追いかける。
 物の怪の左耳がピクンと持ちあがる。
「お・・・彰子の琴だ。」
「え・・・。」
 昌浩と物の怪は対屋を振り返った。
 琴の旋律が響き始めた。
 立ち止まって昌浩は耳を傾ける。
 物の怪はそんな昌浩を見上げて微笑んだ。
 そしてその膝裏を押す。昌浩は見事にしりもちをついた。
 恨めしげに物の怪を見やる。
「一曲ぐらい聞いていったって、誰も咎めないと思うぜ。」
 それもそうだと昌浩は築地塀の礎にすとんと腰を下ろした。
「寝ないかぎりはね。」
 片目を瞑り、楽しそうに昌浩は言い足した。



 夏の夜は明けるのが早い。
 もうあと半刻ほどか。
「・・・。」
 横たわる、深き闇を見つめた。



























 入内前日。


 調度品の確認をし終えた彰子は部屋に戻ってきた。
「・・・。」
 茵の傍の文机の前に座った。
 下に小物入れがあってそれを開けて、絹の巾着を取り出す。
 そっと、膝の上で袋を開けて、一対の貝殻を手の中に転がした。
「(・・・・昌浩。ごめんね。)」
 この貝殻を持っていくことは出来ない。
 持っていく貝合わせは、真新しくとても綺麗なものだ。
「・・・。」
 彰子は小さな頃から慣れ親しんだ・・けれど持ってはいけない貝合わせの箱の中に納めた。
 これなら一対を保てるだろう。一対でなくては遊べないからだ。
「・・くっつけておけるものはくっつけておこう・・ね。」
 あの物の怪は、自分や昌浩が思うよりもずっと、いろんなことを知っているのだろう。
 淋しさも悲しさも切なさも味わっているのだろう。
 だから、くっつけておけるものはと言ったのだ。
 私と、昌浩は違ったけれど。
「・・・。」




 かたんと音がした。
 彰子ははっと顔を上げた。
 ・・・御簾が揺れただけだった。


「あ・・。」
 彰子は、肩を落とした。全身の力を抜いて、茵に座り込む。
「・・・。」
 少しうつむいた。
「(・・・だめね・・まだ・・。)」
 精一杯心に嘘をつこうとする。
 が、想いは痛烈だった。
 こんな心を抱えたまま、私は入内するのか。
 とてもとても不誠実だ。これでは。
 帝にも。・・自分にも。
「・・・。・・君待つと―――、」
 溜息をついて、脇息に頬杖ついた。
 古い恋歌を口ずさむ。


「 君待つと我が恋ひをれば我がやどの簾動かし秋の風吹く 」


 御簾はかたんかたんと乾いた音を立てて揺れ続ける。


 こんなにも逢いたい。
 彰子は掌をかざして見つめた。
 御簾越しの温もりはまだ残っている。

「・・・。」

 こんなにも、
 真白き風が吹くことを願う。





END
[03/6/26]

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−Comment−

額田王の歌です。
うーんこのページは彰子と昌浩を書きたかったーという感じですね。