降ってくる声は、 この胸を焦がした。 そしてそれは、今も。 昌浩は彰子の腕に掌を乗せた。 物の怪の言葉のように呟いて、 そんなふうにこの家に君はなじんでいくけれど、だからこそあの時の格差を思い出して、こうして傍にいてくれることが信じられない気持ちになる。 「・・・・。」 あの時の切なさに苛まれて、こうして触れてほっとする。 たぶん慣れることはないだろう。 せいぜいくすぐったさに変わるだけ。 「(・・・・え。)」 昌浩の心臓がどきんと揺れる。 彰子の吐息が襟足にかかって温もりが重みに変わり、ことんと後頭部に触れた。肩から単衣越しの温もりが伝わってくる。 頬が染まっていくのを感じた。 笑顔でいてほしいと、すぐに会える場所にいてほしいと願った。 けど、望んだもの以上の場に戸惑う。 「・・・・彰子さん。」 極力軽い物言いで呟いてみるけれど、 「・・・。」 彰子は黙ったまま。 ただなんとなく傍にいてくれる。そんな感じがした。 「(まだ何も話してないから・・・。)」 昌浩は目を細めた。 尋ねることがない。出来ないでいるのかもしれない。 「(・・・・酷い奴だよな。)」 自分のことでいっぱいいっぱいで。 「彰子・・・どうかした?。」 尋ねてみる。 「うん・・・・でも、いいの、聞かない。」 「・・・・。」 「昌浩の考えがまとまってなさそうなんだもの。」 「・・・・・うん。そうかも。・・・何も、まだ、言えなくてごめん。」 こういうの怒る?、と尋ねると、仕事上で秘密にすることと、関わらせないように避けるのは別物だから怒らないと彰子は答えた。 「・・・・。」 それでも、いいよ、傍にいるよ、と彰子の温もりが伝える。 昌浩は前髪を梳き上げた。気を取り直すように。 そして彰子の肩をそっと押して振り返る。 視線が合った。 彰子の目は夜目がきくから、自分の照れた表情はきっとバレてる。 でもそう思って彰子を見ると彼女もほんの少し顔を赤らめていた。 普通なら扇で顔を隠すところだ。 けれど口元に手を当てる仕草すら彼女はしない。 「髪、いい匂いだね。なんか太陰が手伝っているって聞いたから大丈夫か?、って思ってたんだけど。」 「うん。大丈夫だった。それに玄武が手伝ってくれたから。」 髪を撫でて、彰子は微笑った。 「天一と朱雀がいれば早そうだけどな。」 「太陰も言ってたわ。あったまるからって。でも、大袈裟になってしまうわ。東三条邸でしてた時みたいに。」 「頭がぐらぐら揺れるとか?。」 「うん、そうなの。乾くのは確かに早いのだけれど、終わったあと眩暈ですごく疲れるから、今日ぐらいかかっても玄武と誰か手伝ってくれれば、それでいいの。」 彰子は肩をすくめた。 「勾陣が順番待ちとか言ってたけど。」 「うん、それは太陰がね、一番最初。勾陣と六合は櫛を通してみるだけだったし。」 「へえ・・。いいな。」 と、思わず口についた。 言ってしまってから昌浩は気づく。 髪を洗う場は勾陣が夕方にも言っていたように、状況が状況になる。 「あっ・・と・・。」 口元を抑えて口ごもる。 下手をすると覗きみたいになるのでわたわたと少々焦る。 彰子はクスリと笑った。そして服のあわせから櫛を取り出した。 昌浩が贈った柘植の櫛。 「昌浩もやってみる?。」 かざして見せて尋ねる。 「いいの?。」 「うん。」 彰子ははにかむと、髪をくくるかもじを外した。 渡された櫛をそっと彰子の右肩の髪に挿し入れてみる。 するすると櫛をすりぬけていく。 「・・・・・綺麗だね。」 「ありがとう。」 彰子が嬉しそうに笑ってくれる。 「・・・・。」 豊かな漆黒の髪。 本当なら触れていたのは・・・・帝だ。 「・・・昌浩?。」 はっと呼ばれてつい馳せてしまっていたのに気づく。 昌浩は苦笑いした。 「いや、なんか畏れ多いことを思い出したんだ。」 言われて彰子は気づいたのか、頭を傾いだ。 「・・・そうね。でももう関係ないもの。」 「・・・・・うん。」 そろ・・と右手を伸ばした。指先が髪の中に隠れ、昌浩はそっと梳いた。 神殺しの汚名で濡れるだろう手で。 「・・・・。」 昌浩は梳く手を止めた。 陰陽師が振るう力に、憮然とする。 この手は生殺与奪を決めることが出来る力を持つ。 神を殺すことが出来るなら、人の命さえ弄ぶことが出来るだろう。 昌浩はすっと手を引き抜いた。 「昌浩・・・・?。」 うつむいてしまったので彰子が首を傾げた。 「・・・・・彰子。・・怖くないの?。」 「・・・え?。」 「陰陽師、怖くない?。」 「・・・・・・。」 「俺は、怖いと思うけどな。」 続けて呟くと、一拍置いて、両頬に彰子の両手が当てられた。 くいっと顔を上げさせられて、見上げた彰子の顔はなんだか怒っていた。 「安倍の人達は怖くないわ。」 いやにはっきり言う。 だからその勢いに昌浩の方が毒気を抜かれて戸惑ってしまう。 「その力で、羨望と畏怖は混在するって、玄武が言ってたけど、摂関家だって似たようなものなんだから。力の種類が違うだけで。」 「いや・・あ、そうか。」 「そうよ。それに他の人と一緒にしないで。私は今は安倍の縁の者なんですからね。」 「彰子ってこういうことに怒るんだ。」 思わず言ってしまった台詞で、彰子がはっと我に返る。 ぱっと手を離して、膝に手を乗せて座り込む。 「・・・・・・とにかくそういうことなんだから。・・・・。」 顔を赤らめたまま、呟いて、・・・やおら真顔で見上げられた。 「怖くないわ。・・・昌浩。そんな言葉で安心してくれるなら何度でも言うから。」 「・・・・ありがとう。」 答えると彰子の手が昌浩の右手を取った。 自らの髪に挿し入れて絡める。再び触れてほしいというように。 掌の熱さが甲を伝って感じた。 「・・・・彰子。」 その手で彰子の頬に触れる。彼女は温もりに預けるように目を閉じた。 「ありがとう。」 その心だけで充分だった。 今は傍にあって、その声は同じ高さから届く。 そしてそれは、今もこの胸を焦がす。 君を守る理由もこの胸に満たされて、ある。 傍にいるよ・・・、俺も。 だけど、 一緒に堕ちさせはしないから。 END [03/10/13] #小路Novelに戻る# #Side.A# −Comment− 『なんて素敵にジャパネスク』を読み返した後だったりして〜。平安コミックの基本。 さてさて昌浩の方を書きました。青龍はちょっとやっぱ書きませんでした。短すぎて。 さて「うつつ・・・」のネタバレ感想!。彰子がいっぱい〜〜〜っ。(もうとりあえずそれで幸せ←融解しかけてます) 久しぶりに昌浩が彰子を助けに駆けつけていくシーンが見れた。昌浩かっこよすぎだぁ。身を翻して駆けつけていく様は、あーやっぱり妹とかそういう感覚じゃなくて本当に好きなんだなって思えた。 あとは・・・、『いつもより多めに潰されております』・・・というふうに潰されておりましたな。 そこに意図(風音編のシリアス度からの反動)を感じてしまいました。 |