木目の立派な階段を勇吹は登った。
 2階はこの屋敷の主人の書斎だ。
 ドアは開け放たれていた。部屋の中の厚顔な不法侵入者に主人の息子が廊下で立ちすくんでいた。
「下で待ってもらえますか?。」
 彼を勇吹は促した。
 かろうじて彼は頷いて、勇吹と入れ違う。
 階下に降りて行く彼を見送って、勇吹は振り向いた。
 本が積み上げられたデスクの向こう、椅子に座る不遜な神をそこに見つける。
「中々気に入った。この椅子。」
 皮をぎちぎち言わせて、くるっと回ってみせる。
「・・・目覚めていたのですね。・・アーク。」
 その椅子の傍に行く。
 顎をつかまれ、抱き寄せられる。
「まだ完全ではない。眠い・・・でも、すぐ起きる。」
「・・・・。」
 言い残してアークは消えた。
 すぐ・・・か、
・ ・・世界の消滅が。





「ここにいたんだね。カルノ。」
 勇吹の声がする。
 真っ白な部屋。占いの陣が薄墨で描かれているが術を使わなければ浮かぶことはない。
 勇吹がいなくなったからその行方を占っていた。
 占えなかったけど。
 カルノは入口の方を振り向いた。
 ハッと息を呑んだ。勇吹の姿に目を見張った。
 勇吹が苦笑いした。
 飾り気のない真っ白なサマードレス。
 スカートの裾を揺らしながら、傍まで来る。
「これが俺の本当の姿。」
 カルノは女の子が余り好きじゃないからちょうどいいね。
「・・・。」
「お別れを言いに来たんだ。」
 勇吹はちょんとカルノの前に立ってそう言った。
「アークがもうすぐ甦る。」
「・・。」
「彼と俺は、昔、人間を作った。・・そして気に入らなければ、大洪水を起こして作りなおした。」
 そんな夢物語みたいなことを話して聞かされてもピンと来ない。
 だって彼はずっと傍にいた。俺の半身みたいな存在だった。
「・・・俺はもう人間を滅ぼしたくない。」
「・・・。」
「だから、違う星に行くことにしたんだ。それで我慢してもらうよ。」
 ふふっと笑った。
「・・・。」
 勇吹はぐるっとこの部屋を見まわした。
 何もない部屋だ。外界の音も聞こえない。
 この世に二人しかいない錯覚に陥らせてくれる部屋だと前にも言ったことがある。
 泣きたい気持ちを押さえ、笑うように心がけて、呟く。
「まるで、アダムとイブみたいだ。」
 最後の楽園かな。
 でも彼と俺は合い入れない者。作ったものと作られたもの。
「・・。」
 ・・・けれど俺が作り出した物の末裔に宿る思いや優しさや熱さを、俺はいつも好きになった。
 彼はその極みで。
「・・・。」
 アークはこれらが気に入らなくて洪水を起こす。
「・・じゃあ。さよなら。」
 勇吹は一歩後ろに下がった。
 その手首をカルノは掴んだ。
 ・・・ほんとに女になってると思った。
 細い。
 いつもみたいに強く掴んだから勇吹が一瞬痛がった。
「・・・。」
 頬に触れてみる。短い髪にも。
「・・・カルノ・・?。離してよ。」
「・・。」
 大丈夫、姿以外なにも代わっていない。
「・・カルノ?・・かる・・。」
 その背をすくい上げるようにしてかき抱いた。
「え・・っ。え・・。」
 戸惑う勇吹を無視して更に強く抱きしめる。
「・・カルノってば。カルノっ・・・・。」
 でも、こういう時、カルノはなにも言わないに決まっていた。
「・・カルノ。・・。」
 そのくらいわかる。ずっと一緒にいたから。
「・・・。」
 思い出して、ぽたっと涙が溢れる。
 勇吹の震える両手がカルノの背中の服をつかんだ。
 温もりに、心が柔らかくさせられていく。
「(彼の・・っ、熱さ。)」
 好きなもの。誰よりも。
「・・・好き・・・だよ。カルノ。」
 胸の中で呟いた。
 抱きしめる腕が強くなっていく。言葉がこぼれていく。
「好・・き。・・ずっと前から。」
「・・ん。」
「・・離れ・・っ、たく・・ない。」
「・・傍にいればいい。」
 勇吹は腕を衝立て離れてかぶりを振った。
 その頬を両掌で包む。
 このシチュエイションに気づかないわけなく、勇吹は驚いたように目を見開いた。
「・・。」
 けれど、その身を任せるように目蓋を伏せる。
 口吻を交し合う。
「はっ・・ぁ・・。」
 熱い・・なんて熱いのか。
 眩暈が起きて勇吹は膝を崩した。
 カルノは、そのドレスの背のファスナーを下げていく。
「・・。」
 床に倒されてカルノの重みを感じた。
 カルノが額にキスを落として、鼻筋に触れて再び唇に触れる。
 愛撫は優しかった。優しくしてくれてるのがわかる。
 大抵のことはぞんざいなくせに、弱い人には甘く優しくしてやれる奴だった。
 もっと感じたくて、・・カルノが欲しくてたまらなくなる。
「・・・好き。」
 勇吹は手を伸ばした。



 勇吹は、驚愕で目を見開いた。
 アークが天井にいた。
 薄く笑っていた。
 そして力の触手を伸ばす。
「やめてっ・・彼を殺さないで。」
 無理だ、あいつは俺が好きなものを毟り取る奴なんだ。
「嫌っ・・。」
 その時だった。カルノが両翼を背から押し出したのだ。
 え・・と勇吹はカルノを見上げた。
 神のごとき閃光が弾ける。
「・・カルノっ。・・本気・・っ。」
「つっ。・・。」
「・・・嘘っ・・。」
 どうして食べれるのかわからなかった。
 作くられた者が作った者を食える・・のか?。
 そういう生態系を作ったのは遥か昔、自然界には設けたものに過ぎなかった。
 光が収束していく。圧倒的なカルノの強さを見せつけられる。
「・・・おまえに触れて、アークが再び目覚めるのがわかった。おまえと奴はオーラが感応し合ってんだな。ちょっかい出せばすぐ来ると思った。」
 伴侶だから。
「・・・。」
「わりぃな。食った。・・。」
 勇吹は首を横に振った。謝ることなんかない。
「平気なの?、どこも乗っ取られてない?。」
「ん・・、平気。」
 カルノは体を起こして翼を背の中に戻した。
 勇吹は辺りを再度見まわした。胸の中にも問う。けれどもうアークの欠片すら感じなかった。
「・・・。死んだらどうするんだよ・・っ。」
 泣き濡れた顔を見る。その頬に触れる。
「この体を作った時、おまえは何を込めた?。」
「・・。」
 カルノは自分の胸に触れる。
「・・このパンドラの箱には、希望と奇跡が入ってる。」
 はっと顔を上げた。
「おまえがくれたものだと思える。・・・だから信じれた。」
 神を凌ぐ事も、愛することもできると。
「この能力に生まれて良かった。初めてそう思えた。」
 引き寄せて細い背を抱きしめる。
「・・・カルノ。」
「俺はおまえと生きたい。」
                                たとえ楽園でなくとも
 おまえがくれる果実があれば、どこでだって生きていける。
「愛しているから。」