カイロ・アレクサンドリア
4.Mediterranean Sea





 4月末、羽田での契約期間を終えて、ヒイロは全ての作業を完了、かつ、移管させた。
 最終日などは、ヒイロへの挨拶にくる空港関係者を4・5分で帰すという、一番の餞別を事務リーダーは引き受けてくれていた。
「何かあればアレキサンドリアに伺わせてもらいますよ。」
 そう言って苦笑する。
 翌日にはアレキサンドリアに戻って、翌月のカイロ会議に備えるための要項を揃えた。
 うまく行けば8月にコロニーに戻れる予定である。
 デュオがあの岩石でおそらくある程度の加工品を作るはずで、そう言えば、その岩石の名前をセリオンSeirionにするとか言っていた。シリウスSeiriosの方角の小惑星帯だったからとか。
「・・・・。」
 コロニーに戻れば、シャトルが作れる。
 馳せて顔を上げれば、海岸ギリギリの砂漠の向こうに空を映した紺碧の地中海が見えた。



 5月1日のメーデーを利用してアレキサンドリア宇宙港の労働者達は労働環境の公開を行った。
 治水や道路整備、住宅整備、昔ながらの市場などにも触れて回った。
 近隣地域からの移住による人口増加を促し、また灌漑設備などの輸出もし、近隣地域を穀倉地帯にしていく。
 土地だけはある。
 砂漠だが、かつてはナイル川の恩恵を受けた肥沃な土地だった。
 火星よりはまだ可能性があるというものだ。
 メーデーでの宣伝は功をそうして、土着の出資者が続々とアレキサンドリアに投資を始めた。
「主任。見つけた。」
 ヒイロは海水を利用した灌漑設備のパイプラインにいて、声に呼ばれた。
 直径3mもの大きな配管をくぐり、呼んだ奴がやってくる。
「真面目ですね、主任は。こんなところ上役の誰も見にきませんよ。」
「構造上、気になるところがあった。」
「え、どこですか。」
「いや、問題ない。設計上は薄かったが、・・・・誰かが厚くしたのか。」
 ヒイロは配管に触れる。
「配管ですか?。ええ、石油のパイプで苦労した奴らが多いですから。まして水ですから大事にしたいと声が出ていました。」
「そうか。」
「宇宙の資源が安価に手に入ったから厚く出来たんです。もう間もなく、経由するパイプ全てが出来ます。・・・宇宙はすごいですね。鉄、ガラス、いくらでもあるんですから。」
「使い方で変わる。それだけだ。」
「平和に便利に使いたいですね。戦車に変わるのはもうごめんです。」
「・・・。」
「あ、それで、テレコマス社長が呼んでますが。」
「俺は別に用はない。」
 ヒイロユイにそんなふうに答えられて、苦笑いする。主任は真面目に答えているのだろうが冗談にしか聞こえない。
「資本者の一部が総会で経営に口出しをしてきたんですよ。要求に優先順位をつけろと言っていて、困っているようでしたよ。」
「Racketeer?。」
「そんなシンプルなものじゃないですよ。総会屋です。」
「・・・。」
 メーデーより質が悪い。
「・・・・。」
「社長、苦手そうですよね。そういうの。」
 資本金が増えるのも、投資が増えるのも歓迎すべきだが、その分、口出しも多くなってくる。
「わかった。」
 ヒイロは宇宙港へと踵を返した。



「現状での出資は出来かねます。」
「・・・。」
「アレキサンドリアの発展に最初からあのような影があるなら先は見えています。」
「清濁があるのは致し方ないことだと私は思っています。」
 テレコマスの言葉に、一人の夫人は溜息をついた。
「私が望むのは、安堵という名の治安です。」
「・・・。」
「このアレキサンドリアは発展するでしょう。ですが都市にありがちな暗い風景を最初から作るようなことは避けるべきです。」
 そう言って、立ち上がり、応接室を出る。
 外には待たされた資本者達がいる。
 たいした出資もしないで意見だけをいう者達がいく人か混ざっている。
 出資者達は彼女を取り巻いた。後ろからテレコマスも来る。
 彼女は大口の出資者だ。
「結論は?。ミセスノベンタ。」
「・・・。」
 ノベンタ夫人は、深いため息をついた。
 そして口元に鋭利な微笑を乗せ、思わせぶりな態度で呟く。
「そうですわね・・・。」
 ラテンとシチリアの血が混ざる自分は清濁を確かに知っている。



 ミセスノベンタがここに来ているという。宇宙港の管理棟に戻るやいなや研究員に聞かされた。
「・・・。」
 シチリアは近い。
 ヒイロは目を伏せた。
 青い海が背後の窓から威圧する。
「・・・。」
 ノベンタ元帥の一族は地中海の恩恵を受けて資産家が多い。
 戦後に戦争責任の領地没収や財産没収などの措置はされず、その代替として関連企業にだいぶ戦後補償の肩代わりさせられていて、その経営手腕が問われているところだ。
 夫人もその一人なのだろう。
 沈黙が深くなるも、ヒイロは向かう足を止めなかった。
 まもなく研究所員や資本者に囲まれている彼女を見つける。
 彼女はテレコマスの方を向いていて、後ろ姿を見つけた。
「ヒイロ・ユイ。」
 テレコマスが安堵するような声で呼んだ。
「・・・。」
 ノベンタ夫人の肩が揺れる。軽く息を飲んだようだった。
「・・・。」
 それでも彼女は衆人環視の場であるため抑制し、こちらをゆっくりと振り返る。
 ヒイロはその目の前に歩み出る。
 女性の柔らかい声がそっとかけられた。
「あなたがいるとは知りませんでした。」
 ノベンタ夫人も一歩ヒイロへと踏み出して、見上げる。
 ああ、あの時の彼はこんなにも背が高くなったのだと思った。
「どんな考えがあるのでしょうか。」
 尋ねるも、ヒイロユイは首を横に振った。
 そしてあの時から変わっていない真摯な眼差しと声で応えた。
「・・・私の気持ちは変わっていません。」



 周囲が仰天して一歩引く。
「・・・。」
 一様に黙しているのを多少は訝るも顔には出さなかった。
 ノベンタ夫人はそのヒイロを手招く。
 そして周囲に呟いた。
「・・・。皆様。ではこれで失礼。私は彼の話を聞く事にします。」
 ヒイロはただ横について、手を差し出した。
 ノベンタ夫人は苦笑する。
 少し皆と離れてから、そっと答える。
「出資させたいなら、この老婆を口説いてみなさいと言っただけですよ。どうぞお気になさらずに。」
 そう言ってその手に掌を重ねた。
「・・・・・。」
 温厚そうに見えて、やはりシチリアの女性だった。



 小型機専用駐機場のあるターミナルに、ノベンタ夫人の自家用航空機が横付けされているのが窓から見えた。
 ターミナルのラウンジで、ノベンタ夫人はうやうやしくヒイロに一礼した。
「戦争を終わらせてくれて、ありがとう。」
 ヒイロは首を横に振る。
「・・・・人心が平和への希求を強くした。それだけです。」
 自分は戦っていただけだ。
「あなたはそう言うでしょうね。だけど私たちは皆、あなたのおかげだと知っています。ノベンタにもベンティにも出来なかったことです。」
 戦い続けることに限界を感じていた。
「・・・。」
「私達一族の誰もあなたを殺さなかったことを、自慢にさせてくださいね。」
「・・・・。」
「銃を置いていきましたね。」
 そっと呟いた。
「もう一度だけでかまいません。シチリアにいらっしゃい。」
「・・・・・。」
 夏至を迎える季節に、陽はまだ傾かなかった。





 夕刻、無造作に電話する。特に意図もない。ただ必要だとは思えた。
 ヒイロはアレキサンドリアの家の寝室でコールを待つ。
 3回で応答がある。
<こんにちは、ヒイロ。>
 多少声がうわずっているのは急いで受話器を取ったからだろう。
「ああ。」
 ヒイロは受話器を持った手で頬肘をつきながら、用件を言う。
「・・・・・ミセス・ノベンタに会うことになった。」
 シチリアなら目と鼻の先。
 ヒイロは窓の外の海に視線を落とす。
「・・それだけだ。」
<わかりました。>
 彼女はいつもどおり即答だった。
「・・。」
 もう何も言うことは無く、ヒイロは受話器を置いた。
 彼女の簡潔な潔さは相変わらず清々しかった。
「・・・。」
 海には上弦の月が映っていた。
 さざ波がその月を揺らす。
 波立つことは無い・・けれどさざ波のような慚愧が揺れている。
 ヒイロは手の甲に頬を乗せ頬肘を再びついて軽く溜息をついた。
 潔いまでに清々しかった。
 
 手紙はまだ彼女が持っている。






[11/10/11]
■セリオンは造語。オリハルコンっていいよね〜とか思いながら作った。
正直もうちょっとさくっと更新したいのに、マックのライオンの自動更新がやっかいだーTT


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