カイロ・アレキサンドリア 1.手紙 地中海南岸アレキサンドリア基地。 ここはカイロから続く広大な基地だ。 このカイロ・アレキサンドリアの事業は雇用の創出だけでなく、兵士から普通の民間人へという意識改革、土地活用による移住など、様々な人的受け皿として、全世界的に注目されている。 かつての軍事基地の建物の中には、北アフリカの周辺諸国からやってきた労働者達が集まっていた。 労働者の多くは戦争の終結により仕事を失った者たちだ。兵士に限らず、輸送してきた者、食料を提供してきた商人など、様々だ。 一筋縄でいかない雇われ労働者達だ。 穏便からは遠い者も当然押し込まれている。 そんな中に彼らの上役とコロニー技術者達11名が入ってきた。 雇われ労働者達は皆一様に鼻白んだ。 聞いてはいた。 温室コロニー育ち、が技術支援する。 地球のやり方ではなくコロニーの宇宙技術で空港作りをする。 「技術支援で宇宙から来た研究員達だ。」 上役がとうとうと説明する。 この宇宙港の意義やら、方針やらをだ。 だが、誰も聞いていない。そんなこと当に知っているからだ。 やがて、技術者の一人が上役に招かれる。 「彼が技術支援の主任だ。」 東洋人だった。背がこのあたりの人種に比べればだいぶ低い。 しかも背後に並ぶ他の技術者に比べて、相当若く見えた。東洋人は若く見えるからだろうか。 痩身で、白いYシャツなため、なまっちろくも見えた。 その彼は300人近い労働者を前にして、言った。 「ヒイロ・ユイです。よろしく。」 おおおよそよろしくやろうという声音ではなかった。 最初の小事は、コロニー技術者側が起こした。 排水の大型循環施設の取り付ける足場から滑落しかけたのだ。 コロニーなら・・宇宙空間なら重力が無いため落下しない。 階下の主任が助けて事なきを得たらしい。 地球側からすれば言わないことない、というところだ。 ただそれ以後は安全策が明確に取られてコロニー側のその手のミスはなくなった。 その際にも技術者の主任が徹底を図ったらしい。しかも地球側のクレームを全部吸い上げての安全策らしい。 コロニーの技術者たちは当初寄せ集め感があったが、今では一体感があった。コロニー出身者同士が良いと言う理由ではない。 チームとして連携がうまくいっているのだ。 その一体感を生み出しているのが主任だった。 それははた目からもわかった。 そしてその一体感を生み出している主任が、一番一体感がなかった。 単独行動が目立ち、上役も目をつけている。 ほとんど会話という会話をしない。業務連絡だけなくせに、意見だけは通すのだ。 その業務連絡がまた可愛くないほど、的を得ているらしい。 1月、そんな中でトレーニングジムが作られた。 福利厚生の一環だ。 完成して、お披露目も兼ねてか3時ごろの休憩時間に見にきたい奴は来いと、労働者達に声がかかった。 どうもあのなまっちろい主任が呼んでいるらしい。 合理的な広さにトレーニング機器が並べられていている。プールもあった。 もう一つ特徴的なのは、レスリングでも柔道でも出来るような対一で取っ組み合うような場所があることだ。正方形30m四方のマットが引かれている。 こんなものは用意しない方がいい。公然リンチ場のようなものだからだ。 そこに主任はいた。 白シャツに黒のチノパンの仕事着のまま。 「相手になってやる。」 睨み付けられた。 「力が有り余っている奴らだけ来い。怪我をするからな。」 フェザー級に言われて、労働者達は、盛大に自尊心を傷つけられる。 一人男が出てきた。 「自分、段持ちなので、加減できますが・・。」 「ルールなんかいらない。複数でもかまわない。」 男達から、えへらとした笑いがかき消えた だが・・結局、白シャツを脱がすことすら出来なかった。 主任の攻撃はただ一つ。背負い投げだけだった。 それを攻撃をかわしてどの角度からでも決めてくる。 「・・・・・・。」 技を限定しさすがに100人近い相手をしたためか、息を切らしてはいた。が、主任は襟を整えるだけ。覗いていたチェーンがチャリと音を立てる。 「・・・仕事に戻る。暇な奴は3時に来い。相手になってやる。」 労働者達はこのジムの意味を理解した。 リンチ場などではない。趣旨は似ているが、そういう方向性は今失われた。 本当に気を吐く場なのだ。 「・・・・。」 そんなことを温室コロニー育ちの若い技術者が思いつくものだろうか。 更に労働者達は知っている。 普通に配られるプロフィール。 彼はまだ年少、18歳だ。 格段に不祥事は減っていった。 そして気に入らないのは上役達だった。 女の政治。 信任の大統領がまず直面したのは、議会の男女差別だった。 「・・・・・。」 女性起用の優遇策は社会の安定に不可欠なものだ。それを法的に補償する。 だがそれは男の起用機会を減らすことでもあった。 ただでさえ競争社会なのに、この上、女まで出てきたら、凡庸な者はさらに末端へと追いやられてしまう。 非難は世襲議員の焦りから起こった。 ただ大統領は説明を繰り返した。 その非難が、自身のみ保身からくるものか、社会の安寧から望むからか。 民衆は理解していた。 その後旧態依然とした議会は、解散させるべきだという世論も出た。 だが大統領はそれには首を横に振った。 土地のつながりを重視したためだ。 新大統領になったからと全ての仕組みを否定すれば、無用な混乱を生むだけだ。 そういう議員にこそ、理解してもらいたかった。 協力できれば新たな仕組みの導入を心安くすることができる。 ただしばらくは押し問答が続くだろう。 大統領執務室のドアは開け放たれていて、その戸の傍でセツがうやうやしく失礼いたしますと言った。 「どう・・・。」 どうぞ・・と言おうとしてリリーナは口を閉ざす。 セツは書函を持っていた。 リリーナの心臓がことんと期待に揺れた。 彼女は書函を差し出してくる。 「・・・・・。」 メールではなく手紙。 いつ届いてもかまわない。 いつ読んでもかまわない内容だけを書き込んだ。 そしてこれは2通目の手紙。 ヒイロは私に手紙を出してくれた。 一通目にはアレキサンドリアでの住所を知らせるもの。 だから私は返事を書いた。 それから今日は1ヶ月半後。 書函から白い封筒を手に取る。 その文字に触れる。 ヒイロの字。 これだけで、心が穏やかになる。 リリーナは返事を書いた。 外務次官より大統領の公休は明確で。 1月10日11日の二日間。 いつ届くかわからない手紙で。 「あなたに会いにいきます。」 その手紙を受け取ったのは当日朝。消印は3週間も前だ。 郵便網の整備がいるな・・とどうでもいい事を考える。ただ世の中メールで、手紙は物流の一部でしかない。 そんな当てにならない郵便で、こういうことを書くかどうか、だ。 アパートにも入らず郵便受けの横の白壁に寄りかかってヒイロは手紙を眺める。 会いに行きます。 当てにならない手紙で書いたのは。 「・・・・。」 いなければ探す気だ。 アレキサンドリアは快晴。地中海の海面も蒼を湛えて穏やかで、何か起こるなど考えられないそんな日だった。 ややあってヒイロは携帯端末を出す。。 探されて騒ぎになるのは困るので、端末を弾き、リリーナのセキュリティを呼び出す。 どこだ。という問いに、列車でカイロまで2時間。とあった。乗り換えてアレキサンドリア駅まで来る。 まだ時間はある。 ヒイロは仕事に向かう足だったのでそのまま出る。 アパートがある宅地は海に面した少し高台のところだ。基地は海の傍の道路に降りて真っ直ぐ西へ移動する。 右手に突き抜けてその先で落下するような地中海を見ながら、無機質なアスファルトの道路を歩いて、30分。 搬入路でもあるので大型のトラックが行過ぎていく。既知の運転手と目が合ったやいなやヒイロはそのトラックの背に軽々と飛び乗った。 「いつもあんな通勤しているんですか?。」 あとから運転手に言われた。 いつもじゃない、と適当に答えた。 基地に着いてからは、指示を与えて、自分の設計図も上役に提出した。 主任という立場は慣れないが、仕組みだけ管理していればいいのだ。考えるのは研究員や労働者たちに任せることにしていた。 そしていつもどおり休暇願いを上役の机に放ってきた。 もともと午前か午後を不在にしている。 午前か午後には、町の図書館で本を読んでいたり、郊外に出てみたり、海に入ったりする。 上役補佐の一人がエプロンにいたヒイロの傍に来た。 上役に提出した書類の返事のディスクを手渡される。ヒイロは白いYシャツのポケットにしまいこんだ。 「今日はこれでおしまいだ。お疲れ。」 アレキサンドリアの風土に合った褐色の背の高いこの男は、上役の息子だ。名は神話のオデュッセウスとペネロペの息子と同じ。年は23だ。 上役に目を付けられているヒイロだが、この上役補佐の方にはそうでもない。 「明日は休む。」 それどころか半ば秘書のような役目もやってくれている。 「わかった・・と言いたいけれど、休むって言ったって、おまえの場合ほんと休んでいるのか?。」 「・・・・。」 「いろいろ父達に案件を提出してるの、あれ、ほとんど休暇にして調べたことだろ。俺、サービス残業はいけないと思うなぁ。」 上役の息子はぼやいて肩を竦めた。 「だからせめて、調査中の給料くらい取れよ。出ないと他の奴らがもらえなくなる前例になるから。」 「・・わかった。」 ヒイロは立ち上がる。 「で、今日は?。」 「今日は他からもらえる。」 「・・・・・・・おまえ、副業いっぱいありそうだな。」 上役補佐は苦笑した。 「・・・・・。」 ヒイロは再び徒歩で、基地を後にした。 ヒイロに返しそびれていたジャケットの袖が頬に触れている。 リリーナは特急の窓辺に頬肘をついて外を眺めていた。 殺伐とした戦争の爪あとを残す町並みを抜けながら、そこにある麦畑を眺める。 窓が開けられたらいいのにと思う。 さすがに砂漠を横切る列車なので開かない。麦畑は地球の美しい光景の一つだと思いながらリリーナは自分の時間をオンからオフにしていく。 一等客室なのはリリーナが大統領だからではない。 この列車は地域に根ざした路線を走り、客室はビジネスや観光で小規模の移動に使われる外国人のための車両として日常的に使われている。 客室はせいぜい3平米弱。だが人一人くつろぐのに充分だった。 そもそも大統領は専用機で空を移動する。 「・・・・。」 買っておいた切符にセキュリティのジョーが驚いた。 切符を買えるのか・・と。 行き先や列車に乗ることによるセキュリティの問題を問うのではなく。 リリーナは苦笑して買えますとしか言いようがなかった。 買えるようになってしまっただけだ。 「彼を探すために、買えるようになったんですよ。」 飛行機でもバスでも列車でも。 全ての手段を利用したわけではないが、大体わかってしまった。 「・・・・どんなお嬢様なんですかね・・あなたという人は。」 深窓の令嬢の、その傾ける執着に半ば諸手を上げる。 そして大統領府を出る前にセキュリティ達は心強い言葉をくれた。 「列車での移動中、私達はいます。ただわからないと思います。どうぞ旅を楽しんでください。」 「ありがとうございます。」 我侭で迷惑をかけているのはわかっている。だけどこれだけは譲れない時間なのだ。 ジョーとセツはそれを知っている。そして我侭ではないと思っていた。 ドーリアン大統領は十二分に己の時間をを犠牲にしている。 「チーフによろしくとお伝え下さい。」 ジョーはいつもどおりに彼をそう呼んだ。 そうしてこの列車のどこに彼女達がいるかはわからない。 いないのかもしれないと思うほど、一人旅を満喫していた。 終点のアレキサンドリアまであと1時間。 頬肘をついたまま、目の前には広がる麦畑。 火星に、未来に、 彼に。 この思いを傾け、馳せる。 アレキサンドリア駅。 戦中は戦争の物資物流の拠点だった。 だがその軍事色はこの2年で薄れ、かつての様相を取り戻しつつあった。 駅を中心にして商店と市場が緩やかに続いていく町並み。 駅前の白い階段にはベゴニアが咲き並んで、冬だというのに駅前を暖かく包む。 アレキサンドリアは地中海でも温暖な場所だ。 ヒイロはタンクトップのインナーに白いシャツを着ていた。ボトムも明るめの青のデニム。 正直他の色は暑い。 周囲もそのような格好だ。 ヒイロは駅前のコンコースに立つ。 改札向こうからリリーナが見えた。小さなトランク一つ。 白いワンピースにジャケットを羽織る。そのジャケットは自分のだ。 一年前、渡したままだった。 サイズが既に合わないので、返されても困る、と思ったりした。 リリーナは背筋の通ったお嬢さんのそれで歩いてくる。 通行人が令嬢の気ままな一人旅かと振り返るも、集られるような隙は無い。 旅なれた感があるのは、彼女自身外交官だったからだろう。 「・・・・・。」 セキュリティが外れた。 彼女達もご苦労なことだ。 ヒイロは肩を竦めた。 リリーナが気がついた。 とたん笑顔になって、小走りになった。 「ヒイロ。」 ヒイロはまた背が伸びていた。見上げないと顔が見えない。 作業はホワイトカラーと言い切れないのに、すらりとした立ち姿はそのままで。 「今朝届いた。」 胸のポケットをさぐってかざすのは私の手紙だ。 声は完全に呆れ混じりで。 リリーナは目を見張る。 「え。」 受け取って、両手の中の手紙の消印を確認する。 確か余裕を持って出した。ヒイロの予定はともかく、私はこの日に絶対に行くという内容の手紙だ。ヒイロがいなかったら探す気満々で。 ただこの手紙は先触れであって、別にサプライズのつもりはなかった。 「3週間もかかるの?。」 手紙から顔を上げてヒイロを見る。 「俺が知るか。」 リリーナから手紙を抜き取り、ヒイロもどこをどう通って来たのだろうというのを改めて探る。 これだけで差出人がリリーナとわかるものはなにもない。本当に迷っていたらしい。 ヒイロは手紙をポケットに戻した。郵便事情なだけで、問題ない。 リリーナはくすぐったくて、ヒイロの手首の袖を引いて肩に額でそっと触れる。 嬉しい。サプライズでも来てくれたから。 これで二日間一緒にいられる。 大統領という地位は重いけれど、こうしていると気にならない。 「・・。」 額は今の肩の位置だから、これが背の高さの差だった。 ヒイロは髪のかかる肩を抱いて胸に引き寄せる。ほんの少しだけ頭を前に傾けた。 お互い何も言わなかった。 会いたかった。 それだけで。 ヒイロの胸元でちゃりと言う。 「?。」 なんだろう。額に堅いものが当たった。 襟の内側にチェーンが見える。 リリーナは軽く目を見張った。 ヒイロがアクセサリーをしている。珍しいというか飾り気の無い彼だから。 リリーナは右手を伸ばし首筋を伝う。 「・・・。」 ヒイロは無言で、動かなかった。 だからそのまま指先でチェーンをなぞり、ペンダントトップまで。 「あ。」 シャツの襟からちゃりと出て来る。 現れたメダルに自分のシルエットを見て、更にリリーナは目を見張る。 「それ私が、・・・・ヒルデと。」 買ったものである。 思い出しながら伝える。 「もらった。」 ヒイロはうそぶく。 「・・・あげてません。」 思わずムキになって反論する。 「置いてあるからもらった。」 しれっと知らん顔だ。 「私からヒイロにあげるものがただでさえ無いのですから。勝手にそういうことにされると困ります。」 「必要なものは自分で揃えられるからいい。」 「・・・・。」 要はいらないということだ。 そうだと思う。持ち運びに困るし、身に着けるものも日用品も正直現地調達するほうがいい。 でも半ば面白くないのは事実。 そして半分以上嬉しいのも事実。 悔しいけれど、口元が嬉しさで弛む。 リリーナはチェーンを指に絡め、ヒイロを引き寄せる。 ヒイロは当然とばかりに屈んで、仰のいて重なってくる唇に応じる。 再会のキスだった。 [10/10/6] ■カイロ篇なんとなーく始めました。 小説目次に戻る → |