カイロ・アレキサンドリア
2.海岸











 ヒイロは手を引いてくれる。
 緩やかなスロープは海岸まで続いているのだろう。
 初めての町は心躍る。
 地球は広くて、主要都市には行くけれど、地方には知らないところが多すぎる。
「ヒイロには、行ったことがない場所はある?。」
「・・・・・ほとんどだが・・。」
 ヒイロのあきれた声が返ってくる。
「そうなの?。どの地方にも詳しいから行ったことがあるのかと。」
「地図と産業を見れば、大体わかる。それだけだ。外務次官だったおまえの方がよほど現地入りしている。一桁違うはずだ。」
「まさか。」
 リリーナは苦笑した。
 現地入りしていてもほとんど会議室直行だ。
 それを数に入れていいものか。
 コンコースを離れて、商店の並ぶ場所に分け入る。
 そこで彼女の手が離れた。
 見つけた手ごろな商店を覗き込んでいる。店主を呼んでいる。
 ヒイロは片手を腰にやって、軽く溜息をついた。
「こんにちは、マスター。」
 リリーナの明るい声が店先に響く。
「おいおい。マスターなんてもんじゃないよ。見ないお嬢さんだね。観光かい?。」
「ええ。初めてきたの。このレーズンと、プルーンをください。」
 指を差しているのは干したレーズンとプルーン。
「量は?。」
「1kgずつ。」
 ヒイロが横から呟いた。
 リリーナが顔を上げ、ヒイロを見上げる。
「ヒイロ?。」
「・・・・よく来る。」
「そうなの?。」
 ざっと見て良さそうな商店だったから入っただけだ。ヒイロが来るというなら、当たりだったのだ。
 同じでなんとなく嬉しい。
「なんだ、おまえの連れ合いか。というか気配なくて気がつかなかったぞ。」
「隣にいた。」
 気がつかない方がどうかしているという言い方だ。それには美人に目が行くに決まっているだろと店主が答える。
「お嬢さんもコロニーから来たのかい?。」
「いいえ。私は地球生まれです。学校が一緒だったんです。」
「ほう。」
 店主は聞きながら、目方を測り、両方で500。
 リリーナが勘定する。
 店主が鼻白んだ。
「金出させんのかよ。」
「買いに来たのは彼女だ。」
「このあたりで美人を邪険にするとろくなことないぞ。」
「知ってる。」
「ツケるぞ、こら。」
「いいんですよ。これから私の料理を食べてもらうんですから。」
 リリーナはくすくすと笑いながら勘定を済ます。
 店主が目をしばたたかせて、さてどんな料理になるのだろうと考える。見てくれは少女で、しかも育ちが良さそうだ。
「なるほど、そいつはいい。」
 店主は笑った。
「・・・・・・何を作るんだ?。」
「宇宙食に決まってるでしょ。」
 得体は知れないけれど、意外とおいしいという意味で、地球とコロニーの間ではやっているジョーク。
「・・・・。」
 ヒイロはレーズンとプルーンの紙袋を左手で抱える。
 もう片方の手は再びリリーナと繋いで引っ張った。




 他にも魚介類や野菜を買い足して、ヒイロのアレキサンドリアのアパートについた。
 アパートとは言ってもこの辺りは郊外で戸建てばかりが並んでいる。
 潮風にさらされる北側の面は壁ではなく、特殊建材を屋根から斜めに付け、壁兼屋根になっていた。その屋根はこの地中海一帯の風合いに合うように白だ。
 南西に玄関、南東に庭。
 戸を開けて、入る。中は意外と広く、ダイニングキッチン、リビング。窓の向こうには庭が見える。
 庭にはプランターが合った。
 リリーナは荷物をリビングのソファ前のラグに置いて、庭に出る。
 庭の北側も防風防潮のための木が植えられていた。
 その垣根の間から海が見えた。垣根からは靴の踏みあとが続いていて道路を挟み海岸に出られる。
「海に行ってもいい?。」
「・・。」
 ヒイロは水の入ったビンを手に取った。
 応諾にリリーナは少し勾配のある小道を軽快に降りていく。勾配には背丈の低い雑草が生い茂っていて、クッションになった。
 道路を越えて、盛り土をおりると、砂浜。
 リリーナはサンダルを脱いだ。
 砂浜に足をつける。そのまま靴は放って波打ち際まで。
 今日は風が弱く、打ち寄せる波も静か。
 その素足をさざ波がさらう。
「気持ちいい。」
 足に伝わる砂と貝殻の感触が疲れを癒していく。
 ヒイロはサンダルを拾って、波打ち際まで来る。
「泳ぐ場合、海には入るのか?。」
 尋ねられて口元に手を当てて考える様な仕草をする。  
「プライベートビーチがあればですが、大統領になってからは一度、南太平洋で。」
 あれをプライベートビーチと言えるかどうかだが。
「プールがなくて、コテージの真下が海でした。」
 苦笑する。
 南太平洋諸島は地球の温暖化の影響を受けたままで陸地が極端に少ないため、ホテルが海の上にある場合がほとんどだ。
「ヒイロにとって海はどんなふうに思うもの?。」
「・・地球に来て墜落した場所が海だった。」
 不機嫌な返答にリリーナも胡乱気だ。
「そういうことを聞いているのではないわ。」
 あの兄に落とされたことを私に言われても困る。
「俺にはそういうことだ。」
 ヒイロはつっけんどに答える。
「ではコロニーの方々は?。」
 リリーナが話を戻す。
「宇宙からでは波打ち際は想像出来ない。巨大な青に圧倒されている。地球に来てからも水量に圧倒される。俺でも思う。コロニーにも火星にこれだけの海を作るのことは出来ないと思う。」
「私はその水量を無尽蔵だと思ってしまうわ。」
「誤りだ。」
 過信、驕り。
「ええ。現に水質汚染、温暖化と砂漠化。圧倒される境地を地球の人は知るべきね。」
 リリーナは思うところがあるのか、大統領の顔をした。
 ヒイロはリリーナの物思いに水を差す。
「ミスプレジデント。」
 言った瞬間、リリーナが口元を引き結んだ。
 リリーナの感に触っている形容詞。民間の映像を見てちらと思った。
「なんだ。まだ言われなれてないのか?。」
「まだです。」
 リリーナは正直に言った。
「政策の進行より、そういうことは気にするのか?。」
 リリーナの政策は思いのほか受け入れられている。マスコミ沙汰にされることも取り立てて揶揄はなく、ユニークなものばかりだ。
「そのまま定着しそうで・・・・。」
「定着するだろうな。」
 他人事な返事にリリーナは胡乱気にヒイロを見る。
「子供っぽくないですか?。政治が。傀儡に思われるかも。」
「だから4年間だ。子供の政治が育つには充分だ。」
「・・・・そうね。」
 リリーナははっきり言われて顔を上げる。
 そういうふうにタイムリミットを切られればなるほどあまり気にならない。
「言われるのは嫌なのか?。」
「いいえ。言いえて妙だと自分でも思うから、なんだか釈然としないだけです。」
 リリーナは波打ち際を、もう少しだけ深みにいく。
 スカートをつまんで波間の魚を見る。
「・・・・・。」
 ヒイロがリリーナのサンダルを水とともにその辺に放る。白いシャツも同じ場所に放る。
 そしてそのままズボンが濡れるのもかまわずに、ざぶざぶ入っていく。
「え。」
 リリーナが目を見張る。そして止めるまもなく、潜っていってしまう。
「ヒイロっ。」
 指先が離れスカートが波に浸る。
 そしてそのまま屈んだ。リリーナも足のつくところで潜る。
 水の向こうにヒイロが見えた。
 彼が浮かんでくるのが見えたから、リリーナも海面から、顔を出した。
「・・・・・・・。おまえ。これ、料理できるか?。」
 手に突き出して持っているのはオクトパス。生真面目に尋ねられる。
 この辺りでよく獲れる。
 にゅるにゅるとやたら大きい。
 リリーナはスカートの裾を押さえながらわなわなと肩を震わす。そして大声で怒鳴る。
 こちらは全身びしょぬれなのだ。
「その前に食べ切れませんっ。」
 つまるところヒイロはコロニー出身で泳いだことがあるのだろうかとか思ってしまったのがそもそも間違いで、彼はエージェントだったのだから。でも初めて会ったときも泳いできたところに遭遇したわけじゃないのだ。
「・・・・・・。」
 それもそうだとヒイロは思ったのか蛸をリリースする。
 盛大に墨を吐いて逃げていく。
「なんだ。泳ぐのか?。かまわないぞ。」
 人の悪い笑みを浮かべる。
 意地悪なのはわかっているので、リリーナは胡乱気に睨む。
「・・・・。」
 服で泳ぐのは危険で特にスカートは特にで。季節も一月だ。でも今日は足を浸しているだけではもったいないくらい温かい。
 磯が砂の向こうにあった。
 リリーナは潜る。
 スカートを大腿の辺りで結んでしまう。そしてより深く潜る。
 瑠璃色の魚が泳いでいた。
 カレントは感じない。これならプールで泳ぐより楽だ。塩水で浮くから。
 息継ぎで海面に出る。
 ヒイロが手を取った。
 ぐいっと海の中に引き込んだ。
 それでもリリーナは慌てずに、潜ってくる。
 つながっていない方の指先が動く。
 それは宇宙空間における一般的な手話で。
 泳ぐのは好きよと、リリーナは海の中で笑っている。
「・・・・・。」
 水中で宇宙の訓練を受けているのだ。
 それはリリーナなりに火星へ行くためのスキルをつけているということで。
 ヒイロは同じ手話で答える。
 上出来だ。
 リリーナが笑う。
 そしてリリーナは手を離し、海の中で体をくねらせて、深みへと、行く。
 本当に泳ぐのが好きとしか思えない。
 ヒイロはリリーナが止まった場所の隣に立つ。
 小さなハコフグの幼魚がいた。
 そして水面を目指して、ゆっくり浮かんでいく。
 そこで海面に上がった。
 そろそろ体温が奪われてしまう頃だ。
 潮位の変化も感じた。カレントが生じる。
 波打ち際まで誘導する。
 足がついた。
 ヒイロはそこでリリーナの腕を引き、その体を引き寄せる。
 リリーナが目を見張る。
 背に両の腕を回し、
 水気でへばりつくように抱く。
 リリーナは身を竦ませた。腕の服を掴む。
 息の上がるその口で、俺の名前をつづる。
 濡れた服は抱きしめるほど水が滴り水圧がかかる。緩慢になる左手を彼女の右頬に当てた。
 ヒイロは目を伏せる。つられるようにリリーナもまた。
 唇を重ね合わせる。
「ヒイ・・ロ。」
 息を吸われて、唇を吸われて、リリーナは立ち眩んだ。
 泳ぐことで冷えた体はヒイロの熱い体を感じた。
 互いの肌を波が浚っても離れることはない。
「・・・。」
 呼ばれてことさらに抱き締める。
 聞いていたい、触れていたい。
 傍に置いておきたい。
 濃密な潮の気が感情を唆す。
 暑苦しいまでの地球の大気、重力。引き寄せ、引き合う引力。
 それらが希薄な宇宙空間に慣れた自分は、地球にいて少なからず影響を受けていると感じている。
 潮が引いて時折現れる砂浜に、気の遠くなった彼女が膝を崩した。
 抱きながら膝をつく。動作のためにわずかに唇が離れた。
 目が合う。
 打ち寄せる波が彼女の髪を揺らす。
 ヒイロは、リリーナを砂浜に倒した。従順で身じろがないリリーナの体の横に手をついた。
 波が彼女の肩まで到達しても、彼女自身は俺だけを見て、意に介さない。
 肘から下の腕をついて、ヒイロはリリーナに覆いかぶさり、キスをした。
「・・・・」
 波打ち際の砂がまとわりつき、甘さを助長する。
 リリーナが吐息を吐いて酸素を求める。
 そのかすかな息が甘くて更にキスを深くする。
「・・・・。」
 日差しで温まった砂が背を温める。
 体の上に乗るヒイロの体はそれよりも熱くて、その温もりに気が遠くなる。
 タンクトップでいるから余計に隠せない、彼の浮き出た鎖骨、浅黒い肌。
 その体躯に組み敷かれて拒絶を感じないのは強い種を求める本能に近い。
 唇が離れ、一度額に触れ、ヒイロは離れた。
 顔が見えた。
 リリーナはうっすらと目を開けて一度微笑み、また砂浜にまどろむ。
「・・・・立てるか?。」
 訝しげなヒイロの声がする。
「・・しばらくもすれば。」
 温かさに眠ってしまいそうになっているリリーナは苦笑した。
 ヒイロは立ち上がると、もう少し向こうになってしまった自分のシャツとサンダルを拾い上げにいく。
 リリーナも起き上がった。髪の砂を軽くはらい、立ち上がる。
 ヒイロの元に行く。・・すると、肩からヒイロはシャツを掛けてくれた。乾いていてやはり温かい。
 日は傾いてきている。ヒイロは踵を返した。
 リリーナはそっとその後姿に追いついて、背中のタンクトップの布地をつまんだ。
 頬も砂だらけだが、歩いているうちに落ちるだろう。
 波の砕ける音がした。
 背の布を引く彼女の手がくすぐったい。





 アパートに戻り、リリーナはシャワーを借りる。
 コロニーのアパートと同じように、シャワールームに向かう同線にタオルや着替えのあるチェストが置いてある。置き去りにしていた着替えも無造作に一番下の引き出しに入ってた。
 リリーナは苦笑する。どうしてか不自由しない。
 シャワーを浴びて、白のハイネックに紺の膝丈のチュニックを被る。
 シャワールームを出て、あらためて部屋を眺めた。右奥北面にも部屋があり、本棚が見えた。ドアが開いていたので覗くと、コロニーと同じように本棚と机と端末があった。ヒイロの部屋だ。本棚にはヒイロのノートが3冊並んでいる。
 リリーナはリビングに戻る。
 シャワーを先に貸してもらったかと思えば、ヒイロは外の放水用で済ませたらしい。
 もう着替えていた。相変わらずの軽装で、黒のランニングシャツに半ズボン。
 そして庭先のプランターを見ていた。
「トマトもらってもいい?。」
「ああ。」
「育てるのって定住しないと出来ないからうらやましいわ。」
「そうだな。俺も地球に来たからやっている。」
「案外難しいとか。思ってる?。」
「ああ。」
 トマトは案外いつまでも木になり続けているが、他は枯れたりいつまでも芽が出なかったりする。
「コロニーと違って、火星は地力を付けさせることが出来るかもしれない。ここカイロは砂漠も多い。地力について研究の余地がある。」
「・・・。」
 思い描く先が一緒なのが嬉しい。
 リリーナはトマトを収穫して、キッチンにおいた。
 もう少し、アパートを探検する。
 二階があるのだ。
 階段を登っていくと二階はロフトだった。寝室として使っているようだ。
 階段から覗き込んで、外から見たとおりの斜めの屋根の、斜めの天井を見る。
 天窓があった。
 その時、ヒイロが部屋に上がってくる音がしたので尋ねる。
「ヒイロ。ここからは何が見える?。」
「・・・・・・・・。」
 ヒイロが声のする方を振り向いた。
 リリーナは階段の途中にいる。
 適当に答える。
「・・・・・・おまえのスカートの中が見える。」
「・・・・・。」
 リリーナはスカートの後ろをばっと押さえる。
 ヒイロは階下を通り過ぎていった。
「ヒイロっ。」
 顔を真っ赤にして、怒鳴る。
「・・・・。」
 怒鳴られて、ヒイロは眉間を寄せる。さっき砂浜でのことの方がよっぽど焦るところだろうに、よくわからない。
 訝しげにしながら、ヒイロは階段下の戸を開けた。
 リリーナは目を見張る。納戸ではなく、地下への階段があるのだ。
「セラー?。」
「そんないいものじゃない。」
 まとめて買ったものを閉まっておくのに場所をとらないでいいから使っている地下室だ。
 ヒイロはプルーンとレーズンの紙袋を持って降りていく。
 リリーナもついていく。急な螺旋階段は細い足場で、レンガだ。壁もレンガ。
 5m下のそれなりに深い地下室。円形で、井戸の中のようだ。広さもそのくらいだ。
 リリーナは地下室の床に下りた。上を見上げると戸からの明かりが見える。リリーナは目を細める。
「・・・・・・井戸?。」
「よくわかるな。」
「思いつきですが・・。」
 リリーナはヒイロを見た。
 ヒイロは床の金属のプレートを指差した。
 Well Waterと簡単に書いてあった。
「こんなに海岸近くで出るの?。」
「出る・・ただまだ飲めない。」
「鉛が出るのね。」
「ああ。基地が近くだからな。」
 爆弾処理後の土壌汚染が深刻なのだ。
 ヒイロは買ったものを棚に置いた。他にもジャガイモなど根菜が置いてある。
 リリーナは今日の料理に使う野菜を手に取り、それをスカートの持ち上げた裾に入れていく。
「・・・・残念ね。せっかくの砂漠の井戸なのに。サンテグジュペリが嘆くわ。」
「・・・・そうだな。」
 中世に、この地中海の向こうに墜落したパイロットの名だ。
 そしてリリーナは階段を登っていく。
 さすがに目をそらす。なぜなら自覚がない分だけ先程よりずっと性質が悪いので。
 ヒイロはリリーナが上がりきったのを見計らって、登っていく。
「灌漑施設を作るの?。」
 キッチンに立っているリリーナに尋ねられる。
 ヒイロはその隣に立って腕を組んだ。
「ああ。それとともに砂漠を物流都市に変えていく。」
「・・・・・・そのための宇宙港?。」
「そうだ。・・・・・。」
 言いながら、ヒイロは難色を示した。
「反対する人がいるの?。」
「後回しにする連中が多い。」
 リリーナも眉を寄せる。
「・・・・・厄介ね。」
 反対派より、そのほうが不味い。後手はリリーナも嫌うところだ。
「おまえはもっと厄介だろう?。」
「民間の後押しがあるので意外と平気です。」
 バジルとパルメザンチーズのサラダ。魚介のマリネ。
 メニューを考えながら、軽快にナイフで野菜を切り刻んでいく。
「どちらかといえば、公務の合間に私の勉強の方が追いつかなくて。」
「・・・・・・勉強?。」
「卒業は後回しにして、出来るだけ、シャトルの操縦の講習をしているの。」
「・・・・・。」
 この間怒鳴られた件だ。
 怒鳴ったからには有言即実行がリリーナである。
「自転車みたいに簡単に乗れるシャトルがあればいいのですが、なかなか覚えることが多いですね。」
「あたりまえだ。」
 それでなくても政経に絡んで覚えることはたくさんある。そこに技術系の知識を突っ込むのだ。
 無理がある。
「・・・・・。」
 自転車みたいに乗れる・・・。オート操縦とはまた違う考えだ。
 ヒイロはひとりごちて自分の部屋に入っていった。
「?。」
 何か取ってきてくれるのだろうか。奥の部屋の扉の向こう、端末の前に座った。
 リリーナは調理にいそしむことにした。
 米をサフランで炊いて、
 ターメリックの効いたスープを。
 その時、玄関の戸を叩かれた。
 リリーナはヒイロの部屋を再び振り返る。
 ヒイロは応答しない。
 「・・・・・。」
 リリーナは首を傾げる。そして自分が玄関に向かってもヒイロは何も言わない。
 玄関の戸は窓があって、外が見える。
 エントランスには初老の男と背の高い青年がいた。窓の向こうのこちら側を見て、彼らが目を見張る。
 リリーナはそっと扉を押し開けた。
 エントランスに少しだけ出て、そっと腰を落とし挨拶とする。
 男達は動揺していた。この家から出てきたのが女性だということだけで十分に。
 その上、清楚な奥ゆかしい立ち振る舞いに二たび驚かされていた。
「・・・・・失礼だが、こちらはヒイロ・ユイの家かな?。」
 背の高い青年が尋ねる
「はい。ヒイロは今、宇宙と通信をしています。」
「こんな美しい女性がいるとは思わなかった。どうか気を悪くしないでもらいたい。今日の話は日を改めることに。」
 青年は紳士然として、帽子を取って会釈した。
「いいえ。おかまいなく。どのようなご用件でしょうか。私でよければお伺いいたします。」
「カイロ会議の事務者レベルの協議でのアシスタントを引き受けてほしいというものだ。」
「どちらの?。」
「私の父の。」
 後方の初老の男性だ。
 先程から一言もない。
 リリーナはすっと目を細め、同時に口を開いた。
 三人しかいないのにその場の空気が震撼する。
「・・・あなたの、でしたら引き受けますわ。」
 凛と引き締まった雰囲気に男達は飲まれる。
 清楚で可憐な淑女然とした様相は、今はかけらもない。
「・・・・・。」
 向けられる眼差しは厳しい。  
「カイロ会議はこれからの地球の環境会議。借り物の文章を読み上げる安易なものは困ります。」
 少女にありがちな無知を思わせた奥ゆかしさは、先を見据えた見地に粉砕される。
「これからのカイロ・アレクサンドリアをどうなさりたいか。」
 リリーナが言葉を続けていくうちに、向かいの彼は、急に不安気になった。
 ああ、彼は大きすぎる父親の影でいすぎたのだ。ただ夢はある。
 ヒイロにはビジョンがある。背の高いこの土地の人達にそっくりの彼にはもっとそれがあるはずだ。
「夢を語る最初の会議です。」
 リリーナは言い切った。
 青年は黙した。
「・・・・・・そろそろ、解放してやれ。」
 後ろから声がした。
 リリーナが振り返る。
「ヒイロ。」
「おまえは退路を断った上で、自分と向き合うように仕向けすぎる。」
 そう言ってヒイロは手の甲でリリーナと青年との間をさえぎった。同時にリリーナをエントランスの内側に入れる。 
「だが。そういうことだ。テレマコス。俺はそう陳情したが、聞いてないか?。」
「・・・・・。」
 沈黙だ。聞いていないらしい。
「俺はおまえ達の家族愛に水を差すつもりはない。俺には家族がないからな。」
「ヒイロ・ユイ。」
「ただ俺はおまえに期待する。」
 現状のままのアシスタント案なら断るということで、ヒイロは戸を閉めた。
 扉の窓の向こう、彼女の肩を抱いて誘い部屋に戻っていく。
 その彼女は先程の様相を全く思わせない、貞淑で守るべき弱き女性に見えた。
「・・・・・。」
 青年は頭を抱えた。
 動揺しているのが自分でもわかる。
 父親を見た。
 邪険にされ横に置かれ怒り心頭しているかと思った。
 だが父は小さく帰るぞというだけだった。
 それには同意出来た。
「・・・・。」
 父子が帰っていく。
「あの・・ヒイロ。」
「おまえの予想は当たっている」
「・・・・。」
「カイロ・アレキサンドリアの人口増加のための中間レポートは奴が書いている。」
「そう。・・ヒイロは?。」
 リリーナが知りたいのはそこだ。
 青年はともかく初老の男にはヒイロへの苦々しさをにじませていた。初見でわかった。
「上役によく思われないような、アシスタントになる理由があるのでしょう?」
「・・・俺はカイロを火星への玄関口にしたいと言っただけだ。」
 周辺の土地改良が進む。人が移住してくる。
 街が栄える。
 そしたらコロニーとの関係修復が先だと言われた。
 安全パイ。だが他と同じことをしていてはダメだ。
 そのための人口増加のためのツールをテレコマスが書いている。
 リリーナはキッチンに戻る。途中だった野菜入りのフライパンに再度火を入れる。
「あとで彼のレポートもらっても?。帰りの列車の中で読むわ。」
 リリーナは、作っておいたターメリックのスープを入れ、仕上げの香辛料を振った。
 立ち上った香りこそ今日のメインディッシュ。
 ヒイロは上の棚から料理に必要なの皿を取り出した。







 リリーナはヒイロのノートを読みふける。
 ころんとベットの上を転がって仰向けになる。
 ベッドはこの土地の人に合わせられ、セミダブルのはずがやたら大きい。この二階は完全にそれに占領されていた。
 ベットの頭は南に向けられ、その東側の壁には窓があった。
 海から登る月も陽もすばらしいものだろうと思えた。
「・・・・・。」
 そして、
 天頂を通ろうとする上限の月が見えた。
 リリーナは本を持つ腕の間から、天窓にそれを見つける。
 彼の故郷はあそこを回っている。
 ヒイロが部屋に上がってくる音がした。・・・・ヒイロは少し庭に出ていた。セキュリティに会ったのかもしれない。
 やがて下の明かりを落とし、階段を登ってくる。
「・・・・。」
 しどけなく横たわる彼女がいる。
「・・・・月が見えるわ。」 
「・・・・ああ。」
 白道の角度によっては見える。
 ヒイロはリリーナの胸に置かれた自分のノートを手に取る。
 ベットに登り、枕を立てかけて、もたれて座る。窓辺の筆立てからペンを取った。
 リリーナは起き上がり、彼の隣に座る。
 地球の位置と火星とコロニーの図。
 シャトルの航路。
「これだけの距離を飛ばせればいい。」
 火星の位置が最も地球に近くなる場合の航路だ。
「・・。シュミレーションよりだいぶ短いわ。」
「だろうな。」
「最低限ということね。」
 厳密な数値だ。
 リリーナはノートの図とにらめっこする。
 そのまま読書に再突入しそうだった。
「・・そろそろ寝ろ。」
「もう少し読みます。」
 反論するから少し背に乗りかかって耳元で囁く。
「・・・襲うぞ。」
「・・寝ます。」
 ぱたんとノートを閉じた。
 ヒイロは手を伸ばしてルームライトの明かりを落とす。
 部屋は天窓の光を残していっそう暗くなる。
 白い指先が遠慮がちに伸ばされる。肩に触れるからその指先をつかんで彼は彼女をぐいと胸に引き寄せた。
 背後の光の梯子が彼女の表情を影にする。近づいて見えた顔は微笑んでいた。
 そして、ややあってリリーナは目を伏せこの胸に額をつける。
「あなたが地球にいて、戦いに駆り立てられない」
「・・・・。」
 リリーナは祈りの言葉のように呟いた。
「こんな夜が永遠に続いて欲しい。」

 あなたが地球にいて、兵士でない夜が、永遠に。

「・・・・。」
 永遠などない。
「永遠とは。」

 Elle est retrouvée.
 Quoi ? L'Éternité.
 C'est la mer allée
 Avec le soleil.

 引用された詩はもう少し長い。
「・・・」
 永遠とは、沈んでいってしまった太陽を思うようなものだ。心の中にあり、寂寞を伴う。
 この夜も私の護衛を兼ねているから、私がいる限りそんな夜は私達の間にはまだ訪れないのだから。
 知っている。永遠などない。
 ならば今夜は、たとえるなら一炊の夢。
 そしてだからこそ夢はもう少しだけ甘美だ。


 胸に頬を寄せ、触れ合う彼の体から鼻腔をくすぐるような匂いがする。
 適当な行水のせいか、汗のせいかはわからない。
 1月の夜に寒いどころか、ヒイロの体は熱かった。
 浅黒い肌と匂いと熱に女は傅くだけ。
 ランニングシャツの肩をなぞる。
 外さないチェーンに指を絡ませた。












[10/10/26]
■ランボー詩集を読んだので。
 確かディカプリオ・・エジプト行ってたよなーとか。
 一応縁のありそうな詩を拝借。

 海・・・うん。似合わないと思った。当時のセル絵。
 だからぷちあてつけ。

 カイロ編、うまくまとめられっかなー。頑張ります。
 けっこどうでもいい説明文はさらっと流していくつもりで、場面は飛ぶかも。

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