2.



「いらっしゃい。」
 玄関に入ると、マーガレットが出迎えてくれた。今日の不動産屋一家の昼食にカルノと勇吹を招待してくれたのは彼女である。映画を見倒して、すっかり寝ぼけきって帰宅した二人に、それじゃご飯を作る気にならないでしょうと、店前の掃除を始めた彼女が誘ってくれたのである。
 お招きありがとうございますと、勇吹は答えた。
「いいのよ、、大勢で食事するほうが楽しいもの。それに、こんなふうに食べられるようになったのもあなた達のおかげなのよ。」
「そうかな。」
「そうよ。前は、テーブルに一緒につくなんてありえなかったんだから。」
 マーガレットは、即興のウェーブをかけたブラウンの髪を揺らし微笑んだ。
 彼女はジョージの2番目の奥さんで、前の奥さんの父であるカロンや息子であるアレンと仲良くなりたくても拒絶されていた。アレンは父の再婚相手と腹違いのバカな弟達が好きではなかった。ジョージは弁護士の資格を取ったくせに母親を失ったことでのらりくらりしてる息子が鬱陶しかった。カロンはアパートの経営を継がせてやった実の娘の夫に不満はなかったが、自分のことを理解してもらおうとは思っていなかった。
 そんな関係を修復したエピソード。
「よう来たな。」
 薄手のコートをマーガレットに預けていると、リビングにいたジョージが玄関まで顔を出しに来た。
「あれ、お義父さんは一緒じゃないのか?。」 
「あら、カロンお爺さんまだ来てないの?。」
 マーガレットはドアの向こうのリビングを見まわして逆に聞き返した。
「ん?。ああ。マークも遊びに言ったままだぞ。」
 するとカルノが一度閉じた玄関のドアを開けた。
「俺が呼んで来てやるよ。ついでに受け取りたいものあっから。」
 そう言うカルノにジョージが肩をすくめた。
「なんだよ。また、危ないものか?」
「かもな。」
 笑って、ドアの外に出て行く。
「これまた、高そうなブーツを買ったものだな。」
 軽い足取りで走っていく彼の後姿を見ながらジョージが呆れ顔で呟いた。昨日カジノで勝ったことをカロンから聞いている。筋がいいと大絶賛だった。
「あの人に誉められるというのは難しいんだ。」
 良いんだか、悪いんだかと、肩をすくめてジョージはリビングを通りぬけ勇吹を庭に案内した。庭にはクロスが掛けられたテーブルが置かれ、アレンがいた。昼食のセッティングを手伝っている。
「アレン。昨日はありがと。」
「ああ、いいよ。俺の知識もまんざら使えないものでもないなって思えたしさ。」
 皿を並べでしまい、アレンはジーパンのバックポケットから一通の封筒を出した。勇吹の目の前にひらっと見せる。勇吹が、ああっと驚いてその封筒を受け取った。
「前に言ってた法律事務所、決まったぜ。」
 中には採用通知と、詳細の書かれた便箋が入っていた。アレンが前々からここに就職した言っていっていたところだった。
「すごいじゃん。おめでとう。」
 勇吹はアレンの肩を抱きしめる。
「サンキュ、勇吹。」
 弁護士の資格を取ったのは、母親を楽させたいためだけだった。その思いが強かった分、彼女を亡くしてもうどうでもよくなってしまった。
 けれど、勇吹はそんな自分とは違くて、
 義理の母親をも探すためにここアメリカに来ている。
 その強さを見習いたくて、そんな彼を助けたくなった。また動き出せるきかっけをくれた勇吹を、アレンは抱き返した。
「おまえの方ももっと調べられるようになるよ。職場を通せば情報公開してくれるからな。」
「仕事あるのに迷惑じゃないかな。」
「なわけねーだろ。」
 勇吹を放して、胸をポンと叩く。
「弟の頼みくらい聞けるようになるんだよ。俺は。」
 照れくさそうにそう言ってくれる。その言葉が勇吹はなんだか嬉しかった。こっちもテレを隠して、冗談で応じる。
「マークの家庭教師は?。」
「もうちょっとでかくなったらしてやるよ。低学年の勉強の仕方なんて忘れた。それまではおまえに任せるよ。」
 兄貴がいて、弟がいる。自分の家庭環境に似ていた。
 違うのは、マリアくらいだ。
「あれ?。カルノは来てないの?。」
 パンとグラスをトレーに乗せて、マリアが庭に下りてきた。勇吹は振り返る。
「来てるよ。今、カロンじいさんの所に行ってるよ。もうすぐ来るんじゃないかな。」
「この間、また逃げられちゃった。友達連れてきたんだけれど。」
 大勢でけしかけたらしい。そりゃ逃げるよ、と兄達は思う。
「カルノ女の子苦手だからなぁ。」
 さりげなくカルノをフォローした。
 マリアは可愛い、かもしれないが、11歳になって最近年頃なのかいろいろ聞きたがるところがあった。
「カルノ、戻ってきたわよ。」
 玄関から見えたらしく、お兄さん達がカルノをかばうのに対抗して、マーガレットがマリアを応援する。
「え!。ほんとっ。」
 嬉しそうにマリアが振り向く。
「毎晩ノロケ聞かされて、攻略法考えさせられてんだよ。」
「それは大変だね。」
 アレンの耳打ちに、勇吹はさもありなんと苦笑う。
 リビングの向こうにカルノの姿が見えた。
「?。」
 様子が変だった。いつになく深刻な雰囲気にどうしたのかと尋ねるマーガレットを押し退けて、まっすぐに庭に来る。
「勇吹。ちょっと、来い。」
 くいっと手招きして、すぐに踵を返す。
「・・・わかった。」

          ***

 子供への暗示は成功したようだった。
「さすがサリエルだな。」
 車のシートにもたれ、満足そうに男は頷いた。電話越しでも暗示をかけることが出来る自分の片腕を頼りに思う。
「予定通り、標的が動いたよ。」
 二人の少年達が不動産屋に入っていく。
 それを見届けて、男は携帯を取ると、この町のどこかで待機している部下達に連絡をいれた。

          ***

 よくわからなかったが、席を離れ、カルノを追いかける。向かいの事務所のドアが開いていた。
 中から叫び声が聞こえた。マークの声だった。
「・・・!っ。マークっ。」
 様子で、ことの事態を理解する。追いかけてきたマーガレットとマリアを勇吹は制した。
 マークの右手がシュレッターに巻き込まれていたのだ。辺りに血が飛んでいた。カロンが痛みで暴れるマークを押さえつけて、止血を行っている。
「勇吹。」
 マークの隣に立ってカルノが呼んだ。
「わかった。カロンじいさん、そのまま、マークを押さえておいてください。」
「救急車だろう。早く呼べっ。」
「待って。」
 事務所の電話を取るジョージの手を勇吹は制した。
「待って、救急車を呼んでも彼の手は治らない。それに呼ばれたら俺達が困るんで。」
「何を言ってるんだ?。」
 怪訝そうに見返した。けれど、勇吹の普段しない厳しい表情に手を止めてしまう。
 Yシャツの袖をまくりながら、勇吹はマークの傍による。ヒト、フタ、ミ、ヨ、と日本の数字の言い方を呟いていた。
「行くよ。」
 カルノに合図する。勇吹は手をかざした。カルノも血だらけのマークの手首に右手を触れさせる。
 ポォ・・と、勇吹の額が光る。この場ではカルノしか見えない光だ。
 勇吹が瞬きをして目尻から、涙がこぼれた。カルノの手が、ぼやけて、マークの小さな手が作られる。
「・・・嘘。」
 口元に手を当てて、マーガレットが呟いた。辺りを見まわせば、飛び散った血や肉片はまだそこにあるのだ。
 痛くなくなっていく手を、マークは茫然と見つめる。
「これ、なに?。」
 そう言って勇吹を見上げた。
「手に決まってるだろ。ボケ。」
 勇吹が答える前にカルノが言う。マークがカルノの方を振り向いた。
「だって、こんなふうに直っちゃっていいのかなって。」
「いいんじゃねーの?。」
 言いながらカルノも勇吹に手を直してもらっている。
「魔法です。わかりやすく言えば。」
 勇吹はジョージ達を振り返った。厳しい表情を少しだけ緩めて、茫然としている彼らにそう説明する。
 彼らは驚きでなにも答えなかった。
 何を答えて言いかわからなかった。
 すごいとも、不気味とも、
 大切な子達だとも、関わってはいけないとも。
「カルノ、いったん部屋に戻ろう。後片付けはお願いします。」
「ああ。」
 カルノは勇吹の後についた。

          ***

「っ!。」
 不動産屋を出て、アパートの階段を上がろうとした時だ。
 背後で車の激しいブレーキ音が響いた。
 二人は振り返る。また2台、アパートの前に白いセダンが止まる。ドアが開かれて、数人の男達が顔を出した。スーツを来ていながらも彼らの動きは鍛えぬかれていることが一目瞭然だった。
「ちっ。白昼堂々かよ。」
 カルノは念動力で彼らをなぎ倒した。勇吹は、階段の影に隠れ車のナンバーを確認して手帳に記入すると、カルノに叫んだ。
「カルノ、俺、先に部屋に戻る。」
「ああ。」
 逃げるためだここから。相手が正体不明なら尚更だ。また一人、男が突っ込んでくる。カルノは彼に念動力を叩きつけた。
「え。」
 念動力が効いていない。間合いを狭められた。
「ぐっ。」
 鳩尾に男の拳がもろに入った。膝に一気に来る。両膝を突いたところをその男に肩を支えられ、更に拳を食らった。
「カルっ・・・・!。」
 その他の男達が自分の方に来る。カルノがいなければ、なにも出来ないことを知っているのだ。
「・・・くそっ。」
 勇吹は階段の手摺を乗り越えた。カロンの愛車のバイクに気付く。かけてあったワックス用の雑巾の中に手帳を包んだ。
 捕まると思った。せめて、カルノの傍に行こうと思う。
 飛びかかってくる男達を何とか避けて、カルノの傍にいた男に体当たりした。
「・・。・・・カルノ、平気?。」
「ああ。」
 勇吹に支えられながら、カルノは鳩尾を押さえ立ちあがった。
「てめぇらなんなんだよ。」
 勇吹に体当たりされた男は含み笑い、土をスーツ払って立ちあがる。こいつが頭だなとカルノは思った。
「悪魔だよ。」
 その返事に勇吹とカルノが身構えた。・・・・・瞬間、男が前傾姿勢をとり、二人に向かって地を蹴った。
「!。くそっ。」 
 力で押し返そうとしたが、やはり彼には効かない。カルノと勇吹は、避けようとした。
 けれど、体術のプロらしかった。早い。
 勇吹に足を掛けて転ばす。そして、カルノの首の付け根に注射器を当てピストンを押した。
「痛っ。」
 針が刺さる痛みを感じ、一気に膝から力が抜ける。瞼が上がらない。
「カルノっ。」
 身体を起こして勇吹は叫んだ。カルノが倒れるのが見えた。
「・・!?。」
 ドタドタっと、複数の足音がした。何本もの黒いズボンの脚に囲まれる。視線を上げる前に衿を捕まれて立ち上がらせられた。
「痛たっ。」
 後ろでに手首を捕まれる。
「放せっ・・・。・・・・・。カルノっ。」
 勇吹は叫ぶ。頭と思われる男に抱え上げられてカルノは車に押し込まれた。
「コード、ジンを仮の研究室へ連れて行く。シェーンは俺のホテルに運んでおいてくれ。ああ、それから2人残れ、ここに。」
「・・・・。」
 勇吹もはまた別の後部座席に押し込まれる。
 男はフッと笑って、勇吹の視線を受け流した。