3.



 車が向かった先は郊外ではなくダウンタウンだった。
 省庁や裁判所、図書館が多いこの町には、家族探しの情報を得るためにアレンに連れられて何度か足を運んだことがある。
 ホテルやオフィスの入った高層ビルの中を車は走っていく。
 逃げ出すのは不可能のようだった。勇吹はもう騒がずに、カルノが乗せた車が病院に入っていったことだけを確認した。
 目的のホテルについたのか、車は地下へと入り、エレベータホールの前でゆっくりと止まる。
「降りろ。」
 勇吹は、促がされるまま車から降り、エレベータに乗せられた。
 エレベータは駐車場から、ダイレクトにスィートまで行く。 
「(カルノ。)」
 研究室。言葉を聞いただけで怖くなる、不安になる。
 最上階のドアを開けて、3人の男達は勇吹を押し込んでいった。
「痛て・・。」
 強く捕まれていた手首を押さえる。痕が残っていた。
 勇吹は窓の傍に行く。下を覗いた。当たり前のように、高く、道路が遠かった。
「逃げようとしたって無駄だよ。」
「・・・シャロム。」
 パタンと、扉が閉じられる。
「そうしてると、ホント、普通の人間だな。」
 嫌な言い方だ。
 近づいてくる。勇吹は後ずさった。けれど、後ろは窓で逃げようがなかった。
「おまえこそ、もう少し悪魔らしくしたらどうなんだ?。」
 せめて負け惜しみだけでも呟く。
 スーツで身を固めた彼は、大人の雰囲気をかもし出していた。明らかに自分より社会に精通している感じで、心技ともにそこらの人間よりも充実している様子がある。
「へぇ、こんなときにジョークが言えるのか。」
 面白そうに笑う。
 シャロムは名刺を差し出した。
「カンパニー?。製薬会社社長?。」
「そう。それが人間社会での俺の肩書きだ。俺は悪魔としてはとりえがない方でね。人間の生活をしているんだ。」
 悪魔のもとで働き、悪魔の作った製品を人間が買っている。悪魔と言うものが人間のように存在することが出来ると言うのを知っているから、そういうこともあるかと思う。
「謙遜するなよ。カルノの術を避けられるくせに。」
「あらゆる心霊現象を、受け付けない体質でね。」
 背も高かった。自分より20センチは高い。胸板も厚い。目の前に立つシャロムを勇吹は見上げた。
「俺の術も効かないって言い方だな。」
 そして、下手に逃げようとすれば、力で捕まえられてしまう。
「そう、だから逃げられない。普通の少年だからね。」
 窓際に追い詰められる。
「君みたいな子が誰の保護も受けないでいるとは思わなかったな。」
「俺と・・カルノをどうするつもりだ。」
 そう聞かれた瞬間シャロムはクスリと嬉しそうな顔をした。
「・・・・。」
 さあっと背筋に悪寒が走る。
 考えとしては安直だがね、と彼は前置きした.
「でも君がいれば実際それが可能なんだ。」
 冷や汗が止まらなかった。冷静さを保つが精一杯だった。
「・・・・君を神として君臨させる。そして戦争を起こしてもらう。・・・カルノは、いけにえだ。」
 人質ではなく。
「絶望させた人間は、洗脳しやすい。」
 後で残骸を君に見せてあげるよ、とシャロムは呟いた。



 離れていると不安になる。
 傍にいれば、俺が守れるから。
「(くそ。眠い。)」
 視界がはっきりしてくる。天井が見えた。ここはどこだと思うが、大体の予想はついた。
 何か堅い台の上に寝かされていた。
「・・目覚めるぞ。」
 聞き覚えのある『言い方』だった。
「遺伝子の変異?。資料によればそうだが。人間?」
「レントゲンの結果もこれと言って・・。」
 Tシャツをめくりあげられ、ジーパンにも切り込みが入れられて、コードが貼り付けられていた。
「情報が足りない。もっと集めて来いっ。」
「解剖してみないとわからないか。」
「薬になるような部位ってあるのか?。」
「ただし、以上に高い霊力です。保有量が半端じゃないです。」
「念のため、もう一度麻酔を打っておきます。」
 ああ・・・。冗談じゃない。
 起上がろうとして手首が鉄の枷で封じられているのに気付いた。おまけにそれが念動力を封じる呪いが掛けられているらしかった。
「(もう誰に弄り回されてたまるかっ。)」
 堅く両掌を握った。それを勢いよく引く。
「ぐっ。」
 骨の砕ける音がした。けれど引きつづける。
「動くぞっ。」
 ああ、動くよ。生きてるからな。
 ボンッと周囲の機器が破裂した。押さえつけようと何人か銃口を向けたが、呪いに対してカルノの魔力の反発が起こりそれに吹っ飛ばされる。
「術が効かないのか。こいつ。」
 手を鉄枷から抜き取りカルノは起上がる。
「ワリィな。俺寝起きが悪いんだ。」
 そう呟いて不適に笑う。その睨みに負けて、研究者達は動けない。
 コードを払い、ベットから降りた。
 床にも呪いがペンキで描かれたいた。
「・・・・・。(俺の力なら破れる)。」
 両手を組み、身体を押さえつけて背中に力をこめた。
「・・・・・っ!。総員退避っ。」
 研究の担当責任者が叫んだ。
 めりめりと音を立ててタイル張りの床がめくりあがっていく。
 カルノは使えるようになった念動力を研究者達の退路であるドアに向かって叩きつける。
「そうはいかねぇな。」
 鋭い爪を持った黒い翼が天井に向かって勢いよく生える。
 悪魔・・・と、誰かがうめいた。
 ドアはひしゃげて開かない。
 カルノはそんな様子の彼らに怪訝な顔をするが、こんな姿じゃ無理ねぇかと思う。
 その代わりに聞きたいことに答えてもらえそうだ。
「勇吹はどこだ。」
「・・・向かいの、・・・ホテルの最上階・・。」
 研究者の一人が指差した。
 カルノは指されたほうを振りかえった。
「ふん。・・。」
 ゴゴ・・・・窓ガラスを含めた壁全部が抜け落ちた。
「・・・。」
「(人間じゃない。・・人間だったとしても。)」
 その力のスケールに研究者達は声も出なかった。
 カルノは一瞥して、抜けた壁の淵を蹴った。高く飛びあがったのは下にいる奴らに顔がばれないようにするためだ。
「(勇吹・・。)」
 ホテルの方を眺める。
「どこだ・・・いた。・・っ!。」


「結局、人を殺すのが好きなんだな。」
 シャロムの言葉に勇吹はそう言って睨み返した。
 後でということは、まだ、無事なはずだった。
「ちょっと、違うかな。悪魔だから、体質的に人が死ぬのや血を見るのが平気と言うのもあるけれど、得たいの知れないものを食らったり使う人間を見るのが好きなんだ。なんにしても売れるものが出来上がる方が嬉しいな。企業家としてはね。」
 その時だ。トュルッと部屋の電話が鳴った。
「・・・んだと。」
 受話器を取ったシャロムの表情が変わった。それを見て、勇吹は病院を振りかえった。
 ゴッ・・と病院の壁の一部が崩れ落ちる。
「カルノっ。」
 赤い髪と黒い翼が瓦礫の間から飛び出すのが見えた。
 窓の内側から叫ぶ。
 聞こえないに違いなかった。けれど、届く。
「勇吹っ。」
 カルノが気付く。
 翼を羽ばたかせてビルの手前でスピードを押さえる。緩やかに飛びながら、身体を窓側へと引き寄せた。勇吹の右手のあるガラスの外側の部分をコンと叩く。
「離れてろ。」
 彼の声が聞こえた。勇吹は頷いて窓から離れる。
 バリンッと厚手の特殊ガラスは音をたてて割れた。カルノは念動力を使い、破片を地上に落とさないようにし、部屋の中に降り立った。
「カルノっ。」
 よかった、無事・・・だと呟きかけてやめた。手首が赤く腫れていた。
 骨折?。
「手を、カルノっ。・・・んっ。」
 駆け寄ろうとした勇吹の身体をシャロムが引き寄せた。
 銃口を勇吹の頭に突きつける。
 撃鉄を引いた。
「そこまでだ。」
「・・・・昨日見た映画よりダセェな。」
 チッと舌を打った。けれど、カルノは勇吹に向かって歩き出す。
「近づくな。」
 シャロムは勇吹の右足に銃口を変えた。
 ・・・・けれど、勇吹の背後に立っていたシャロムには勇吹の表情が見えなかった。
 勇吹は気持ちを静めるために目を閉じ、そっと深呼吸した。
「・・・・。勇吹、今だ。」
「っ!。」
 勇吹は眼を開ける。
 ドンッ・・と、シャロムの身体に穴があいた。
「ぎ・・あ?!。」
 シャロムは少し勘違いしていた。あらゆる心霊現象を受け付けない身体でも、その構成要素はエーテルでないはずがなかった。
 この部屋は結界もなく、勇吹の神霊眼は間違いなく発動する。
 勇吹は悪魔のエーテルを掴み、それらを自分の背へと終結させた。
 真っ白な翼がその背に出現する。
 頬に涙が伝った。
「ぐあ・・あ。」
 シャロムは身体を仰け反らし、横転する。
「(鳥、翼、・・白い羽根。)」
 翼を作ろうと思ったのは、飛べたらここから脱出できたかもしれないからだ。
 ガクガクとシャロムはのた打ち回った。
「・・・・。」
 カルノは足を速め近づいてきてそれに手を伸ばした。
「な・・にをする。」
「食うんだよ。」
「な・・・、ひっ!。・・・。」
 シャロムの身体が捩れ、歪んだ。
 カルノの指先に引きつけられていく。その皮と融合していく。
「うくっ。」
 彼の意識が流れ込んでくる。それを強引に押しつぶした。ワルイとも思わない。
「・・・・・・・・・。」
 断末魔が途切れた。聞こえなくなった。
 息を整えて勇吹は、カルノの傍に駆け寄ってくる。
「・・・カルノ。」
 彼の手首に触れる。そっと神霊眼を使う。
 手錠の痕みたいだった。それに折れているのが一目瞭然の腫れ方だった。
「鎖か何か、引き千切ったの?。」
「ん?。ああ。」
 痛みが引いてくので、何てことない返事をカルノは返した。それより勇吹が背中にはやしたものが興味深くて眺めていた。
「・・・・ごめん。助けに行けなかった。」
「別に頼んでねぇよ。」
 ドタドタッと廊下から足音が聞こえた。カルノは翼をたたんだ。
「勇吹。逃げるぞ。裏口わかるか?。」
「なら、あそこの非常階段で一階分降りてそこからエレベータで2階に下りて、そこからエレベータで2階へ降りて、またそこから非常階段へ出た方がいいと思う。」
 部屋のドアに張ってあった非常階段の案内の見取り図を思い出して答える。
 勇吹も、まだ役に立たない翼を背中にしまった。
「後で、造ろうぜ。それ。」
「うん。」

           ***

「シャロム様っ。」
 バタバタっと何人かの人間が入ってくる。
「・・・・。」
 パソコンで警備室のモニターにアクセスして再生してみる。
「社長・・・。」
 社員達は焦燥感に刈られる。
消えたと解釈するしかなかった。

           ***

 非常口のドアを開けると、バイクに跨ったカロンがいた。
「じじいっ。」
 カロンはバイクを止めた。ヘルメットをはずし、いつもの厳しい表情で階段を降りてくる二人を出迎えた。
「よくここがわかりましたね。」
「車のナンバーさえわかれば、ロサンゼルスは俺の生まれた町だ。タレコミしてくれる奴がいるんだよ。」
 それでこんな所にまで突っ込んでくるとは、カロンじいさんの本領と言う所だろう。
 二人見張りがつけられたはずだと尋ねたら、倒したに決まっているじゃないかと、こともなげに言われた。
「ほれ、おまえ達の荷物だ。どうせうちから出てくつもりだったんだろ。」
 バイクの助手席に乗せられてある二つのバックを指差した。
「驚かしてすみません。」
「久しぶりだよ。あんなに驚いたのは。ベトナム以来だよ。」
 戦争よりはマシな力だと、呟く。
「大体のものはいれておいたつもりだが、ないと思ったらほとぼりが冷めてから顔を出せ。あの部屋は開けておくからいつでも帰って来い。」
 そう言って、カロンは手を差し出した。
「ありがとうございます。」
 勇吹は握手に応じる。誠意がこもるように堅く。
「おい。じじい。あれ、入ってるか?。」
「ああ。入れておいたぞ。」
「そ、ならいいぜ。おい。勇吹行くぜ。」
 よく、挨拶もしないで、勇吹の肩をつかむ。
「カルノ。」
 カロンが呼びとめる。
「なんだよ。」
「あんまり、勇吹に心配かけさせんなよ。」
「・・・わかってるよ。」
 カルノはちょっと振りかえってそう言った。勇吹がお辞儀して彼の後につく。
 二人を見送ってカロンはヘルメットを被り、バイクにエンジンを掛けた。


          ***


     マークを助けてくれてありがとう
     ホントはあの場で言えたらよかった
     おまえたちを傷つけてしまったかもしれない
     ちゃんと謝りたいと思う
     だからいつか訪ねてくれ
     昼食会の続きもしよう

     鍵があるだろう?、父が言うには家の別荘の鍵だそうだ。
     地図を同封したから、良ければ使ってくれ。
     勇吹、おまえの両親のことは責任持って調べておくから、
     都合のいいときに連絡をよこすといい。
         
                                 弟達へ

 急いで書いたらしく、全ての形式を省いたものだったけれど。
「アレン・・・。」
 カバンの中に必要なものは入っていた。もうあの家に帰ることはないだろうと思っていた。
 けれど、荷物と一緒に封筒が入っていた。手紙と地図と、鍵と、少し水増しされたアルバイト代。
 がたん、がたんと列車が揺れる。勇吹は車両の一番端のボックス席に座っていたからよけいにだ。
 途中の停車駅につく。
 駅で物を売っている人が何人かいてカルノが何か買っていた。
「勇吹ー。ジュースいる?。」
「ああ、うん。もらうよ。」
 帽子のつばを押し上げて、戻ってきたカルノからオレンジジュースを受け取る。
「手紙読み返してんの?。」
 ボックス席の反対側に腰を下ろして、缶に口をつけながら尋ねられる。
「ああ、・・うん。」
「おまえ人付き合いいいからな。邪険にされなくて良かったじゃん。」
「・・・・・。」
「そのうち会えるといいよな。」
「うん・・・・・。」
 声がどうしても詰まってしまう。涙が手紙に落ちて、インクがにじんだ。目深に帽子をかぶり、涙をぬぐうが止まらなかった。
「・・・・。・・・。」
 ジュースの缶を足元に置いた。
「ああ。もう。・・・。」
 勇吹の隣に座りなおし、がしっと頭をつかんで引き寄せる。
「あんまり、俺らしくねーこと言わせたり、させたりすんな。」
 ごめん・・と小さく聞こえた。
 あまりにも自分の家族みたいで、そこからまた離れていくことが寂しかった。
「会えるって。生きてりゃな。」
 カルノは勇吹の帽子をつばをつかんで、目深にかぶらせた。
 電車が発車する。
 窓の外に、シェラネバダ山脈の雪を頂いた山並みが見えた。