三毛猫ヒルダ 勇吹とカルノが、猫を拾ってきた。 シロの耳がぴくんと動いた。 菜種梅雨の今日のような晴れ間に、田植えが行われるようだ。 「・・PTSD、か。」 そんな簡単な言葉でくくってくれるな、と思いながら、勇吹は医大病院の中の喫茶店に足を向ける。 カルノに手を振った。彼は喫茶店から出てくると、渋い顔で提案した。 「コーヒー、不味過ぎ。スターバックス飲みに行こうぜ。」 「いいよ。」 二人は外に出る。出るとすぐ、田の薄緑が目に入った。病院は長閑な田園の真中にある。 スターバックスががあるのは隣駅だから、リハビリがてら歩いていこうかということになった。 勇吹は診断結果を、相変わらず他人事みたいに話し始めた。 最近テレビで言われているようなことを、ご多分に漏れず自分もそうだと言われた、とか、 怪我の治療は良好で、肝機能も大分正常になってきた、とか。 線路を超えて、左へ行く道を探しながら、並木道に出る。 「・・・うーん。ないなぁ。」 「駅から大分離れたぞ。」 「線路沿いに行けば、いいと思ったんだけど。」 「大分離れたけど。」 「おっかしいなー、前に地図で見た感じ、こっちのほうだと思ったんだけどな。」 傍にあったコンビニに入ってみる。 道路マップを見て、勇吹は、げ、と呟いた。 「市街地、病院の裏みたいだ・・。俺、なんの地図見たんだろ。」 「・・・バス乗ろうぜー。」 カルノのげんなりした声が返ってきた。 「そうだね。」 久しぶりに見る日本の新聞を一部、それと肉まんを二つ買って、バス停に向かった。 ぽつっときた。今日の天気予報は曇りだ。 不精して傘は持っていない。 「・・・強くなるかな。」 掌を空に差し出して雨を確かめてみる。 返事が無かった。 カルノは怪訝そうに眉を寄せて上の方を見ていた。 「・・・どうしたの?。」 尋ねて勇吹は、カルノの視線を追った。 あ・・、と口の中で呟く。 「・・・うーん。・・・どうやって、登ったんだろうね。」 勇吹の溜息は、まったくもってそのとおりで、二人はバス停の上にしがみついて降りられなくなっている子猫を見つけたのだった。 カルノは、基礎を踏み台にし手を伸ばし、猫をすくい上げるようにして捕まえる。 びっくりして、みーみー手の中で暴れた。 「こら、動くなよ。」 両手で押さえて、勇吹に見せてみる。 白地に黒ブチ赤ブチが綺麗なメスの三毛猫だった。 「まだ、本当に子猫だね。」 とても小さな猫で、大真面目、掌に収まってしまう。 「どこからか抜け出してきたのかな。野良かな。」 「別に、どっちでもいいけど。」 言うが早いかカルノは、首根っこを捕まえてジャンパーの中にひょいっと入れてしまった。 勇吹が、苦笑いする。 「お持ちかえり?。」 お腹すいてるかな、と、肉まんの肉のところをちぎって、服から顔を覗かした子猫に見せてみる。やっぱりお腹がすいていたみたいで綺麗に食べてしまった。 「帰ったら、獣医に連れていこうか。大事無いか検査した方がいいってきくから。」 そうして・・・・ややあってバスが来て、乗り込んだ。 雨が振り出して一段と強くなっていた。 隣の駅に程なくつき、コーヒーは買ってかえることにした。 ホワイトシェパードのシロが、縁側に寝そべっていた。 勇吹の祖父所有の犬だ。番犬のために飼った犬だが、これがなかなか賢い。 子猫は・・・玄関の靴入れの下に入ったままだ。 カルノはシロの頭を撫でた。リビングの功勇を振り向く。 「なぁ・・。なんであっち側に来ないの?。」 「・・・?。・・・ああ、スペインか。」 功勇はお茶を持って、スラックスに犬の毛がつかないように、カルノの隣に座り込んだ。 彼は帰ってきてからスーツのままだった。午前中と昼、歯科の業者に出向き、そして一度戻ってきて、このあと、東京で就職活動している大学の友人達と会うからだ。OBもくるらしい。 来年から経営に携わるので、春休中に各方面に顔を出しているようだった。 功勇は傍の部屋の戸をこんと叩いた。 「これは俺達の力じゃないからな。」 「・・・言うと思った。」 「だったら聞くな。ばーか。・・まあ、俺達は行くなら、飛行機乗っていくさ。」 ずぞーと茶を功勇はすすった。 「おまえは、俺達に勇吹との時間を返してくれた。それで十分さ。」 もう、ないと思ってたからな、と呟く。 「・・・・。」 「・・・・お、猫出てきた。」 とてとてそろー・・っと歩いてくる。 シロがスックと大きな体を起こして立ち上がった。猫はまたびっくりして、再び玄関の方に走って行く。 ちょうどに、祖父と勇吹が社務所から戻ってきた。 ひょいっと猫を勇吹はすくい上げた。 「ただいまー。」 「おう。で、いつ来るんだ。」 「掃除が主だけど、土曜にね。」 「祭祀はできるのか?。」 「するよ。春先からいろいろ込んでくるし。」 「無理すんなよ。俺も4月の半ば頃までいれるしよ。」 「うん。」 「おう。」 勇吹は猫の背を撫でた。 触りたいと言う功勇に渡す。獣医に連れていって、結果は問題なく、いたって健康ということだった。 「ホームズみたいに賢くなっかな。」 「そうそう、あれも、メス猫だったっけ。」 「・・?。ほーむず?。それが名前?。」 勇吹もじいさんも言っていた。 敷島家住人の皆が皆、ホームズと言うので、カルノは首をかしげた。 「違ーう。ホームズは日本で一番有名な三毛猫の名前さ。」 「なんじゃ、まだ名前決めとらんのか?。」 じいさんはテーブルの急須からお茶を注ぎながら言った。 「じいさんと一緒にするなよ。せっかくのホワイトシェパードの名前なのにさ。」 「シロはシロじゃろが。他のどんな名前も似合わんぞ。」 「はいはい。一回決まっちゃうとな。」 功勇は猫をシロの目の前に落としてみる。 シロは気にしたふうもないが、猫は、脱兎のごとく逃げる。行き先が袋小路で、その小さな尻尾をパンパンに膨らませて、駆けずり回る。 元気だなぁ、とシロも含めた家族全員が子猫を眺めやった。 勇吹は再び猫をすくい上げた。 「ワルキューレの、ブリュンヒルデにあやかって、ヒルダ、がいいな。」 「ヒルダ?。」 「カルノは知ってるよね。」 「知るかよ。」 勇吹の目が半眼になる。 「唯一の西洋人だろぉ。」 「悪かったな。」 嫌味かおまえ、と呟いたところで、祖父が正しく答えた。 「『ニーベルンゲンの指輪』じゃな。」 「お、流石じいさん。伊達に有閑老人やってねーな。」 言ったとたん、ごつっと功勇は頭を小突かれた。 「このくらい知っとけ。馬鹿者。」 ワルキューレとは、オペラ『ニーベルンゲンの指輪』に出てくる、女戦士達の総称だ。 「北欧の神話で、それをワーグナーがオペラにしたんじゃよ。」 ブリュンヒルデはストーリーのヒロインでもある。 正義と、愛を貫き、また唯一葛藤する登場人物だ。 彼女の最期に、地上と天上が消滅していく。それはオペラの終幕でもある。 「ヒルダか、情熱的でいい。決まりじゃな。」 オペラ、見に行くか、というじいさんの誘いを、功勇とカルノは丁重にお断りする。 確実に寝てしまうという理由から。 そして、ヒルダと言う名前に異論はないようだった。 |