夢の中の恋人




 ポストに手紙を出した帰りに、勇吹は『ラチェス』のマスターに手招きされた。
 眠れない午後のいい暇つぶしを見つけたという感じだった。
 シエスタなので、窓辺のロールスクリーンは下ろしたままだったが、マスターは勇吹にカフェコンレチェをいれてくれる。
「行きがけ見かけてね。帰りも通るだろうと思って、ちょっと用意させてもらった。」
 マスターが持ってきたのは、カルノの絵で、スクエアの40。
 桜の枝を持つ狩衣の勇吹の立ち姿が画かれていた。
 人物画は未発表だ。だからかサインはキャンバスの裏に書かれている。
 マスターは柔らかく笑った。
「嬉しいことに、くれてね、飾らせてもらっていた。ここしばらくの騒ぎがおさまるまでしまっておいたが、もういいだろうと思ってね。また飾ってもいいかい?。」
「はい。」
 勇吹の了解を得るとマスターは、別の箱から額縁を取ってきて、マットを被せ、絵を納める。
 ほろ苦い香りのカフェコンレチェはおいしかった。
「・・・。」
 スクエアの40。
 ちょっと笑顔が綺麗過ぎる気もする。
 こんなふうに笑えなかった綺麗過ぎた自分。
「・・・。」
 思い出して自嘲気味に勇吹は笑った。
 マスターは気づかないふりをして、絵をカウンター突きあたりの壁にかけた。
「タイトルは?。」
 勇吹が尋ねてくる。
「Mi Amour.」 
 もちろんリージェスがつけたんじゃないぞと付け足した。カルノは無題でいいと言ったそうだ。
 誰だ?、と尋ねたら、 『イブキ』 、とだけ答えたらしい。
 それじゃあ男か女かわからない。
「げ。」
「お客さんの間で評判でね。男か女かで、恋人扱いされてるかい?。」
 思いっきり言葉に詰まって、・・・・・だからか・・・と勇吹は一人ごちた。




 スペインでは『私の宝石』と、そう伴侶を呼ぶそうだ。
 キャンバスに色をつける微かな筆の音が耳に届く。
 傍ら、目を閉じベットに体を預けるようにして勇吹は休んでいた。
「宝石か・・。」
 そう言う意味なら、いい。
 いみじくも同じように呼称されたけれど。
 頭だけ傾けてカルノの描く絵を見てみる。F200の大きな作品だった。
 時々・・・、カルノは自分のことをどこまで知ってるのだろうと思うときがある。
 そう人物画。書かれているのは自分だ。
 東洋の石窟に描かれているような衣装は、東洋人だから案外結構はまっていた。
 コーンに金の絵の具を詰めて、カルノは搾り出していった。重そうな冠が描かれていく。質感のある衣は西洋画ならではだ。
「・・・。」
 神殿の向こうに見える浄土に背を向けて、
 寝台に座る彼は、半跏思惟の形を崩し、笑って手をこちらに差し出していた。
 他人事のような視線を送る絵画をカルノは描くつもりはなかった。
 思索に耽るよりも、
 神様のもとよりも、
 目の前の、貴方を選ぶから。
「・・・・。」
 今まで人の絵を、・・勇吹の絵を描いたあとの、嫌悪感はひとしおだった。
 自分を慰めるだけのデッサンなど、もう見る気も起こらない。
 あのスクエアの40が限度だった。
 カルノはコーンを持つ手を下ろした。パレットに色を戻す。
 備え付けの流しに、筆洗器ごと筆を置いた。
「終り?。」
「ん、ああ。今日はこんなもんだろ。」
 答えると、カルノは、油つぼに蓋をしたりと片付け始めた。
 勇吹は体を起こして、カルノを見つめる。
「(・・・・俺は何を知ってる?。)」
 何も知らない。ずっとずっと自分のことで精一杯だったから。
 ベットから下りた。
「(知らなくていいの・・・?。)」
 知りたいとは思わなかった・・・彼のことを聞くのは、少し怖かった。
 傍までいったら、カルノが振り向いた。
「(・・・・俺は、おまえの全てになりたい。)」
 それは酷く途方もないエゴで。
 勇吹?、と首をかしげる。呼ばれて勇吹は、耳元で囁いた。
「―――・・・・・。」
 そして、そっと唇に触れてみる。
 カルノは驚いて身を浮かせた。勇吹は追いかけるように爪先立つ。
「・・・・。」
 勇吹の双眸を眺め、カルノも目を閉じた。
 初めての・・・勇吹からのキスに戸惑うも、あまり汚れてない左手の指先で少し顎を持ち上げ、応じる。
 この間は血の味しかしなかった。それを思えば、勇吹の体は大分回復していた。
 血を見るのはもういい。
 俺はもう、おまえが引き裂かれるのなんて見たくない。


「・・・抱きしめてもいい?。」
「・・・あとでね。」
 両腕をつい立てて、勇吹は離れた。
「・・・・先に部屋行ってるから。」
 そう言って、肩越しをすり抜け部屋を出て行く。
 ・・・気づいて一人、惚ける。
「・・・・。」

  恋人でいいよ。 

 キスする前の言葉。
「・・・意味、わかってんのか。」
 口元を押さえ、トンと、キャンバスにもたれた。