最期の最後 ずいぶん前の話になる。 行き先は聖騎士団の貴婦人の元。 窓辺に降り、その窓を勇吹はノックした。 「・・・・・。」 穏やかな相好で、アンヌは振り返った。 「あら。いかがいたしました?。」 勇吹も負けず劣らずの相好で苦笑いする。 「貴女への信仰を示しに。」 そう言って、勇吹は窓辺を乗り越えた。 取り澄ました顔でアンヌは迎え入れる。 「ご冗談を。・・・人の王が。」 「それもそうですね。」 勇吹は袖口を捲り上げた。 「・・・・これいりませんか?。」 聖痕だった。 アンヌは穏やかな表情を強張らせた。 「魔物や精霊がつけた物じゃないですよ。」 「・・・・。」 それは見ればわかる。 愛の言葉を。 繰り返し繰り返し。 神からの恋文。 「俺の痛みと信頼と、レヴィさんが騎士団を動かせる権限と引き替えにどうですか?。」 見る者によって、それだけの価値が、この聖痕にはあった。 「・・・・是非も無い。」 言って、アンヌは聖痕を受け取ったのだ。 アンヌは回想する。 敷島勇吹は自分を特別な地位に押し上げる。 来訪を告げられ、まもなくレヴィが聖堂に現れた。 突然の訪問だが、アンヌは驚かなかった。 レヴィはアンヌのいる壇上に上がる。 一切の儀礼は無く、レヴィは穏やかに・・・脅迫する。 その壇上は既に一触即発で。 アンヌの囁きは大義名分を世界に与えたのだから。 「アンヌ殿、あなたの言論への批判はしません。ですが、精鋭を貸していただきましょう。」 敵は、神・・・そして人。 そして勇吹自身だ。 「ええ、もちろん。」 アンヌは口元に笑みを乗せて了承した。 「・・・・。」 「貴方が望むなら、いくらでも。」 アンヌは了承を繰り返す。隕石のときも基地として全体意思の統一に力を貸してくれた。 「・・・・っ。」 訝かんだ時、アンヌの左頬が鮮血で染まり出す。 レヴィは目を見開いた。 ――――災イダ アンヌは微笑んだまま、衣から片腕を抜き、左胸をはだけた。 首筋を伝い、聖痕は左胸を傷つけた。 汝ヲ慕ウ者ニ破滅ト死ヲ。 ソシテ、地上ニ陥落ト滅亡ヲ。 アンヌ自身にこの能力は無い。 誰が災いか・・・。 誰を・・指しているかはわかりきっていることだった。 穢れ無き大いなる力は、常に災いと隣り合わせになる。 だからこそ傍に強大な魔がいて、彼を守っていた。 「・・・・・。」 レヴィはアンヌの肩の服を掛け直した。 「そう・・・動じないのね。」 「大げさに動じて見せてもかまいませんが。」 「情けない男に用は無いわ。」 アンヌは笑みを称えて、レヴィから離れて鈴を鳴らした。 「凡ての内容を記録させていますが、お読みになりますか?。」 「・・・・それはもちろん。」 呼びつけた側女に、そっと指示をする。 多数の気配がフロアに生じた。 ハイマン、シェーラ、ラフィと各団体の代表が精鋭を引きつれて一堂に会したのだ。 「レヴィ。」 そしてそこにカルノが合流した。 「連れてきたぜ。ナギは家で、状況を見てる。」 「ああ。ありがとう。」 その時だ。 「・・・・。」 アンヌが恐々とした。 「出て行きなさい。」 最初は静かな声で。 怪訝にカルノは眉を寄せた。 「は?。」 視線はまっすぐ自分に据えられていた。 今度は大声で怒鳴った。 出て行きなさい。 汚らわしい。 同じ場で息をするのもおぞましい。 まさか忘れたとは言わさないわ。 貴方は汚らわしい生き物。 貴方は世界で最も汚らわしい生き物。 マジかよ・・・と半眼になった。 「あー・・・・そう言う態度に出るのかよ。」 カルノは、言うところの意味を理解した・・・がそれでいいのだろうか。 「・・・・レヴィ、俺、出てるわ。話が進まないだろ。」 「ああ、そうしてもらえるかな。」 レヴィは肩を竦めた。 カルノは堂を出る。でも外に出るわけではなく入口の壁にもたれるだけだ。会話は充分に聞き取れる。 たいした距離じゃない。 なのに、アンヌは平静を取り戻し、テーブルの水を含んだ。 「・・・・お強くなったこと。」 レヴィに聞き取れる声で呟いた。最大限の賛辞だ。かつてのカルノならその言葉、嘲りに変えていただろう。 ワザとなのは、外部の者には一目瞭然だった。 騎士団の盲目的信者へのデモンストレーション。 ついて出てきたヒューバートが、カルノの隣りの壁にもたれた。 「汚らわしいついでにどうかな。」 煙草のパッケージを差し出して、尋ねる。 「もらう。」 一本取り出して、カルノは口にくわえる。ヒューバートは手持ちのライターで火をつけてやった。 ユーハが続いて出てくる。 「なにあれ。」 「言葉通りに取ればいいんだよ。」 「ほー。・・・・そこの敷島勇吹の弟、なんか言ったら?。全世界的にデキてるって言われようとしてるんだし。」 「べーつーにぃ。少なくとも問答無用の神様よりマシなんじゃね。こっちのほうが。」 ヒューバートは気にした風もない。 ユーハも勇吹の件を今しがた聞いたばかりだった。だが、大体の状況はわかった。 世界が勇吹に求めているのは救世主たることで、でも勇吹はそんなものになるわけが無い。 そして勇吹が死んだ後にその魂を奪おうとする神がいるという。 勇吹にとっては二重の危機だった。 「・・・・。」 この聖堂の中にいる者達も同じくらいの理解のはずだった。 神の話は唐突であったが、でも有り得なくない話だった。 「・・・・・勇吹は神に魅入られたんだろ。」 ろくなもんじゃないねとユーハは吐き捨てる。 「あんた相談されてなかったの?。」 「すいませんね。俺、そこまで信用されてねーんだよ。」 「最強の魔法使いのくせに。」 「自負してるけど、足りないみたいだぜ。神様の方が強いって勇吹は判断したんだろ。」 「もし言われてたら?。」 「俺は、ここにはいねーだろうな。信頼されてるし。」 「はーん。それも自負してるわけね。」 ユーハの言に、不遜に笑うとカルノは煙草を床に放ってもみ消した。 「アンヌは?。」 知ってたんだろ、とユーハは問う。 「転記しただけだろ。そこでアンヌに話を持っていける勇吹の神経もわかんねーけど。」 「適任だあね。説明もしなくていい。ただもらってくれるだろうさ。コンスタントにラブレターくれてるみたいだぜ。アンヌ様は、自分を飾れる。」 ヒューバートは堂内を振り返る。聖痕の読み上げが始まった 「ものすごい痛みらしいし。普段からあんなの背負っててお兄ちゃんが耐えられるとは思えねー。勇吹兄は痛みを覚えなくていいし、アンヌ様に権威の象徴を売れる。アンヌ様も了承したんだろうな。勇吹兄は対価にそれほどのものを要求したわけじゃない。勇吹兄は痛みさえ無くなればいいし、もし精鋭が欲しくなった時だけ貸せばいい。アンヌ様自身になにか要求したわけじゃない。利害がお互い一致しただけだろうさ。」 「つーかさ。勇吹の奴も、もう少し、人選考えて欲しいぜ・・。」 カルノにはその二人の関係が理解できない。たぶんこの場の全員がそう思ってるに違いない。 ぽつりとユーハが呟いた。 「・・・最大限に生き残る用意じゃない?。あいつ強かだし。」 「ああ。」 どうやったらあそこまで懐柔出来るのか、知りたいところだ。 胸に抱いて、飾る宝石に相応しい。 その瞳に絶望の色をたたえ、 その顔に、嘆きの雫を。 どんな宝石にも飽きた。 喜ぶ玉体にも飽きた。 今は、そなたが欲しい。 我が身をこばむ肉体。 痛みにうめき、 心を傷つけ、 哀しみの宝石と化して、我が身を飾れ。 そのために私はそなたにすべての運命を仕掛けよう。 アンヌは自分の囁きを正当化する。 「私は嘘は言っていないわ。」 彼は人でありたいと思っていた。実際、人の子であって、神の子ではない。 レヴィは眦を寄せる・・・が勇吹はこれを嫌悪しなかっただろう。彼はそういう斜に構えたところがあった。 「あなたは勇吹に何を言ったんです?。」 「いっそ狂ってしまえばいい、と・・。」 手を差し伸べただけ。 狂気地味た、けれど正気へ、 正気地味た、だが、真実狂気の世界から。 「本当に、是非とも聞きたいね。」 少なくともこの狂喜の女は、勇吹の味方なのだ。 これは布石。勇吹が生きるために自分で用意した仕掛け。 そして正気の勇吹はあの女を味方につけて、最期の最後で生きようとしているのだ。 |