夜の、始まり ――――一年半前。 「はーあっ。片付かねー。」 カルノはキャンバスに埋もれながら、座り込んだ。 頬肘をついて、くさる。 「・・・。」 この部屋はレヴィの事務所の一角だ。 「・・だいたい、狭すぎんだよ、この部屋。」 住むにはちょうどいいが、絵を描くには狭いのだ。 でも仕方ない。 元々、絵のための部屋になるとは思わなかったのだし。 「・・・。」 それに描きたい絵が絵だ。 ここだと描けないしな。 1ヶ月前に裏仕事兼バイト兼学生のためマンハッタンに行ってしまっている勇吹の隣の部屋へぶち抜いてもいいが、(怒るだろうが)。 「・・・・・。」 カルノは、馳せる。 波の音がする。・・そしてプールがある。 「・・・。」 カルノは立ち上がって、適当に身なりを整える。 転移の魔法を唱えた。 カルノは別荘の傍に転移した。風に乗って着地する。 「おー・・・。(まだあったんだな。)」 見上げながらごくシンプルにそう思った。 トンと指先で扉を押して、中に入る。 盗みに入られて荒れているかと思ったが、そうでもなかった。 「・・・だろうな。」 別の住人が住んでいるからだ。そいつがこの家に入るもの全てを追い出そうとしている。 「・・・なあ、俺。」 強い思念だった。 あの時のままの俺がそこに居た。 目を剥いてこちらを睨む。 「・・・触ルナ。」 カルノはかつての自分に溜息をついた。その分だけ自分が変わっているのだということにも気づかされてその溜息がよりいっそう深くもなる。 「(勇吹。つれてこようかな。・・・いや、だめだ。この家は秘密基地にするんだかんな。)」 勇吹はオープンそうに見えて結構秘密を抱えている奴だった。それをわかることができない自分も悔しいし、秘密にされているのも癪に障っていた。 こっちだって秘密を増やしてやる、と思っていた。が、それも時間の問題か。あえて調べようとしないかになるに決まってるのだが。 鈍いくせに俺の考えていることはバレバレみたいなのが悔しい。 逆に俺は鋭敏なのに、勇吹の考えていることがさっぱりわからないのが不思議で悔しい。 「(くそ。)」 なんか腹立ってきた。 とりあえず、目の前の自分をなんとかするのは自分ですることにした。 「でも、おまえ、言ってることとやってること違うことになるんだぜ。」 「・・触ルナ。」 「あきれるくらい俺は手が早いぜ。」 言って、その頬に手を伸ばす。 続いて小さなリージェスがハッとカルノを見上げた。 「留守番させて悪かったな。俺の中のおまえはもうだいぶ楽をしてるぜ。」 「・・・・。」 「あとは俺に任せろ。」 呟くと、すうっと消えた。 と、同時に、時間を経た分だけぼろさを感じる部屋になった。 「・・・・ご苦労さん。」 カルノは胸を押さえて沈黙する。 「・・・・。」 目を開けて、とりあえず、指先で陣を描き、泥棒避けの魔法を施した。 いろいろ法的なことをこなさなければならない。 相続の件。これは身元保証人もいるだろう。 家を改築するにしても、業者に頼むか魔法で直すか。 自分の経緯をどこまで話すかも問題だ。 それに秘密基地にする時決めた時点で、レヴィ達に頼る気は無い。 「さて、どうしようか。」 町に下りていって、画材屋があったので覗き込んだ。 喫茶店も兼ねているみたいだった。 客はまだ入っておらず、シエスタからそんなに時間が経ってないからだろうと思った。 「ドル使える?。」 マスターらしき男に尋ねる。 一瞬軽く目を瞠った・・が、落ち着いた声で。 「使えるよ。」 と言った。 「じゃあ、カフェコンレチェと軽食を適当に作って。」 オーダーしてカウンターに座る。 カルノは店内を見まわした。 カウンターとテーブルと椅子は濃い茶色。レンガの壁には絵画が掛けられている。レコードによる音楽。道側の壁は取り払われてアコーディオンのドアだ。自然光を取りこむのにいい。今は開け放たれてオープンカフェになっていた。 カルノはマスターにちらりと視線をやった。 マスターは実にのんびりとした動作で、それでいて手は無駄なく動いて注文を揃えて行く。 カルノが向けた視線にも気づいてはいるようだが、ほったらかしてる雰囲気だった。 ありきたりな空間は、彼の存在一つで、穏やかになる。 「(煮詰まった時、来れるな。)」 すぐさま相手の性情がわかってしまう感性に辟易もする時もあるが、こういう時は便利だ。 とりあえずの餌場を確保して、カルノはマスターに尋ねやった。 「ここ、取り寄せもしてくれるの?。」 「君次第だよ。輸送料はそっちもち。」 「ふーん。」 「まあ、君なら、輸送料くらいだせるでしょ。」 とんと、カフェ・コン・レチェを置いた。 「・・俺なら?。」 訝んだ声色で一睨みするが、マスターはおもしろそうに答えるだけだ。 「この辺りの、今一番の噂さ。新鋭のリージェスはあの家のリージェスか。」 「げ。」 「希代の画家が顧客になってくれるのは大歓迎だが。」 続けてハムサンドとポテトをテーブルに乗せた。 「ちゃんと、法的手続きは済ませて来いよ。」 「・・・・。」 見抜かれている・・・。 マスターは実に楽しげで、カルノは胡乱げにその顔を眺めた。 カルノは教会を見上げた。身元保証なら教会の親父に頼めとマスターが教えてくれたので来た。 その戸を押し開ける。 奥のオルガンの前で掃除してる奴が振り向いた。 「・・・。」 刹那、目を瞠る。 「・・リージェス?。」 息を飲んでそれ以上言葉にならなかった。 「・・・。」 今度はカルノが息を飲む番だった。雑巾を床に放り出して青年が近寄ってくる。 「なんで覚えてんの?。」 「そりゃ・・・。つーかおまえこそ俺のこと覚えてるのかよ。」 「ルシアン。」 かつての幼馴染だ。悪戯を一緒になってやった記憶もある。 「おうよ。」 ルシアンは腰に手を当てて返事する。 覚えていてくれた。忘れないでいてくれた。それが嬉しい。 そういうこともあるのだなと思う。 「生きてたんだな。」 「なんとかな。」 「噂はしてた。半信半疑だったけどな。帰ってこねーし。」 「ああ、ラチェスのマスターに聞いた。」 カルノは傍の長椅子の背にもたれる。 「落ちついても、帰ってくるつもりなんざ、無かったさ。」 「そっか。・・でも帰ってきたじゃないか。」 「それは、いろいろ後ろめたい思惑があってどうしてもな。」 カルノはにこやかに答える。 答えながら心の奥で、そうか俺、帰ってきたことになるんだ、とか思った。 「ほほう。」 「軽い気持ち出なきゃ、帰ってこれねぇよ。」 「そういうものかもな。」 ルシアンは同意を示す。そしてやおら尋ねる。 「・・お父さんやお母さんやお姉さんは?。」 それはあの時点では聞けなかったことだ。 「・・・皆、あの時に死んだ。俺だけが生き残った。」 「・・そうか。」 ルシアンは十字を切った。祈りの言葉を奉げる。 そしてカルノの胸をぽんと叩いた。 「おかえり。リージェス。」 「・・・・ああ。」 「何か手続きとか必要なことがあれば言えよな。親父が身元保証もしてくれるだろうし。」 リージェスと言う名を雅号としたのはこの町で便宜を図るには充分なようだった。 「サンキュ。頼む。」 一週間もして家に大工が入った。柱や壁や窓などの外装を補強してもらった。 細かいリフォームは直したいように自分で直し、ここに来て10日目の今日はアトリエになる部屋を片付けていた。 床を治していると、バスケットを抱えた婦人が入ってきた。 「お邪魔するわね、リージェス。」 「・・・。」 「少し手を休めた方がいいわ。」 昔より歳をとった顔で、でも同じ笑顔で言う。 「・・・エレナ。」 「覚えていてくれて嬉しいわ。」 すとんとカルノの傍に座り込んだ。 「・・カナは?。」 姉と同い年だった子だ。 「元気よ。服飾で今、バルセロナにいるわ。」 「・・・よかった。元気で。」 「ええ。私もあなたが生き抜いていてくれてよかったわ。」 エレナの驚異的な整理力であっという間にアトリエとダイニングが片付けられていった。 まるで魔法だ・・・と思いながら、魔法のこともついでに話しておいた。彼女は精霊やらを見れる自分を知っているし、信仰心とは別に、現実を大事にする人なので、受け入れてくれるだろうと思い、そしてその通りだった。 布団やカーテンはエレナやカナが揃えてくれて、内装が結構形になった。 ので、カルノはさっそくキャンバスを組立て始めた。 夕べの別荘地に木槌の音が響く。 その音に、周囲の人達は耳を傾ける。 キャンバスに地塗りをしておいて、乾かして一先ずはおしまい。 カルノはスケッチブックを広げて、デッサンを出した。 さらさらと、書いていく。 さらさらと、けれど、まとまらない想いのように、まとまらない絵を。 彼の絵を。 |