小さな大きな存在




 マンハッタン。2月。
 ガラス張りのオフィスの戸が開かれる。
「Hello!。」
 午後3時過ぎだが、おはようございますのノリで、勇吹が学校から戻ってきた。
「イブキ。」
 経済研究所「所長」が携帯を持ったまま片手を上げて呼びとめる。
「勇吹。カルノの絵って今、いくらだ?。」
「100万。」
 にこやかに自分のデスクへと行き、積みあがっている書類やファックスの束を片付け始める。
「それは円か?。」
「もちろんドルですよ。何言ってるんですか。」
「・・・こら。」
 勇吹が吹っかけているのに気づいて、所長は肩を竦めやる。
 デスクをまたぎ、片付ける傍の勇吹のサイドテーブルに腰掛けた。
 とんとんと書類を束ねながら、勇吹は肩を竦めて所長に向き直る。
「『絵のことは聞くな。絶対に調べるな。』ってカルノに厳命されているんですよ。」
「あ?。」
「この間のクリスマス休暇の時に、絵のこと聞いたんですよ。カルノ、商売に向かないし、俺が窓口になりたいし。そしたらそう言われたんです。いずれわかることだろーって言ったら、いずれ、で今は絶対ダメだそうです。」
「・・・なんかやましいもんでも描いてるんじゃねーか?。」
「知りません。とりあえず、知るなというなら、今のうちは知らないでいてあげようかなーと。俺も忙しいし。」
 実際勇吹は、専門学校と事務所での仕事と、学校事務所双方の課題で忙しい。
 忙しい場合、まず、ほっとかれてしまうのが、身近な人だ。
「・・・・おまえの口から聞くと、不世出の画家もそこらへんの友人扱いだな。」
「実際、そうですから。」
 不世出かぁ、と勇吹は思いながら、二の句を次いだ。
「でもやっぱりそのうちは俺が窓口になりたいんですよ。」
 対応が悪いのはまずいから。
 顧客を減らしかねない。ニーズがあってもその流れに乗らなければ成果は半減する。
「いずれ、そうなるだろうさ。それまでに絵の歴史でも押さえておくんだな。」
「うーん・・・。」
 勇吹はそこで苦笑いした。
 秘書さんがやってきてコーヒーを持ってきてくれる。
「イブキに絵のこと聞いてもダメですよ。ボス。マネとモネとルノアールの違いもわからないのだから。」
「そうそう。」
「こら。」
 所長は、俄かに同意する勇吹の頭をこづいた。
「売る知識と理解する知識は別物だ。形容詞は押さえておくんだな。」







 勇吹はアパートの一室に向かって階段を上がる。
「!。アミィ。」
 踊り場に積もった雪の中に、ちょこんと座るトカゲ姿のアミィがいた。
「おかえりなさいませ。」
「ただいま。」
 ひょいと拾い上げる。すると首に巻きついてきた。
 表情はあまり無いけれど、アミィなりの抱擁。
 少しくすぐったい。
「食事が出来ています。」
「いつもありがと。助かる。」
「それから、レヴィ殿から電話がかかってきました。北欧で任務に入られるそうです。」
「あ、そうなんだ。どんな依頼?。」
「古代遺跡が見つかって、遺跡調査隊の護衛です。」
「2月って寒いんじゃない?。」
「地下だからそれほどでもないそうです。」
「なるほど。」
「モンスターの排除と呪文の解除が主な仕事になるそうです。今回は手が足りているから、こちらで学業に専念するようにとの連絡でした。」
「うん。わかった。」
 部屋の中に入る。アミィがつけておいてくれたおかげで温かい。コートを脱いだ。
 洗面所に行き、ザッとシャワーを浴びる。
 キッチンに行き、テーブルについた。
 人型になってアミィはテーブルに食事を揃えてくれる。温かいスープを、勇吹は手に取った。
 アミィはカルノに取り込まれてからも、自由だった。アミィに言わせると自由にさせてくれてるそうだった。
 小さなナギも、結局カルノが取り込む気がないから、存在してる。
 アミィは食事をとらなくてもいい。けれど、勇吹が1人で食事をするような感じがして、コーヒーを持ってきて、テーブルについた。
「いただきます。」
 ちょっこんと手を会わせて、勇吹は食べ始めた。





 経済研究所の所長の依頼を受けて、魔を退治したのが昨年8月。
 カンを働かせたり霊を見る力を持つ父親は現実との境目を理解するリアリストであったが、霊的な能力を持たない息子が空想家になってしまった。
 神探しと称し魔を呼び出して、神の子として触れまわろうとしたのだ。
 もちろん阻止した。そしてその元凶の息子は現在、自宅謹慎中だ。
 依頼の合間、経済研究所の仕事柄、物流や、経済の仕組みを理解することに興味を持った勇吹はそこで仕事をさせてもらえることになり、更に推薦を受けて、10月から専門学校にも通うことになった。ゆくゆく大学に入るためのコースでもあった。
 食後のコーヒーを飲みながらテーブルで経済新聞を斜め読む。
「・・・・・・。」
 勇吹は頭を押さえた。
 そして、前髪を掻き揚げる。
 本を取るために立ち上がった。
 トカゲ姿に戻ったアミィが首を玄関の方に向けた。
「あ、勇歌?。」
「はい。」
 大雪になって来ていて、出先から自分のアパートに帰るより、勇吹の方が近いとのことでさっき連絡が入っていた。
 インターフォンが鳴る。
 勇吹は玄関に降りてドアを開けた。
「いらっしゃい。」
「おう。」
 コートについた雪をバサバサ払いながら、勇歌は応えた。
「さみーのなんのって、タクシーは雪で動かないし。」
「明日休みなんだろ。ゆっくりしてったらいいよ。あ、あいつがいるか。」
 ナギの羽根で作ったフェレットだ。
「惰眠貪ってやがるだろうけどな。」
 コートをハンガーにかけて、カバンは適当にその辺に置く。
 部屋の中は温かかった。
「お風呂、湯溜めてあるけど。」
「お、入る入る。」
 勇歌はダイニングを横切ってバスルームに入った。
 スウェットを持ってきたのはトカゲ姿のままのアミィだった。
「ヒューバート。」
「あん?。おお、サンキュ。」
「他には何かご入用ではないですか?。」
「いや、いいよ。わかってるから。」
「承知しました。」
 するするとネクタイを解いてシャツを脱ぐと、そのシャツを洗濯機に勇歌は放り込む。
 アミィが手でネクタイを巻いているのに気づく。
「万能の魔物が、家事炊事。平和だねぇ。」
「力を使うことを、つまり横着をすることを、我が君が嬉しくないご様子なので。」
「・・・。そうだな。」
 前だったら、『我が君が力を使うことを禁じています。』と言っただろうが、物言いはだいぶ変わっていた。あるいはそれ以上の戒めでもある。
 それに、・・・周りが思っている以上にこの魔物は勇吹になついている。
「・・・・・。」
 他の魔物達がカルノの中に消え、指輪の束縛も解かれ、何者にも捕らわれていない自由になった自分にアミィはなんの感動も覚えなかった。
 そんなアミィに、勇吹は、おいで、と手を差し伸べた。
「(・・そして。)」
 そして、カルノはアミィに自分のかわりに勇吹を護るように頼んだ。・・・目的を与えた。
「(甘いねぇ。実に。)」
 お互い以外の存在に。
 勇歌は目を細めた。
 勝手に前に進んで、その後の人生のために思考錯誤をしている勇吹の傍に、ひとまずカルノは必要無かった。
 それが普通のなりゆきだ。
「(・・、でも、なーんか、不自然なんだよな。)」
 覚えるのは、恐怖心。
 焦燥というよりは戦慄だ。
「アミィ。勇吹の傍にいていいのは、今のところおまえだけだ。頼むぜ。」
 トカゲ姿のアミィは細目を、精一杯かっぴろげて、やがて不遜に応えた。
「無論です。」








 北欧。現地。
「よう。死にそうだな。」
 スペインから呼び出されて不機嫌骨頂のカルノがやってきて、開口一番にナギが呟いた言葉がこれだった。
「死にそうって言って死んだ奴見たことねーけどな。」
「おまえの身の内に溜まった魔の気が人の体を蝕んでいるのさ。おまえが気づいていないとは言わせないぞ?。ん?、大魔法使い。」
「・・そーかい。」
 それかよ、とげんなりと納得した。疲れを上乗せしてしゃがみ込む。
 その現象の理由とその対処の方法なら知っている。
 だが、まさか自分がそれとは思っていなかった。かったるいのが日常茶飯事で、誘惑も常日頃だから。
 背中から小柄な影が飛び出した。
「全然気づいてませんでした!。残念!。」
「やっかましい。羽虫。」
 引っつかもうとするがするりとかわされて、目の前を飛んだ。
「プリティナギちゃんです!。」
 腰に手を当てて、フリルドレスを揺らす。
「プリティナギ。」
 ナギが手を差し出して呼んだ。
 かつて本体であったナギの方へ飛んで、そのしなやかな手首に止まる。
「久しぶりだな。カルノとうまくやってるか?。」
「やってるよー。」
 にっこり応える。
「・・・・。」
 かつてだ。
 カルノは横目に二人を見上げる。
 ナギはなりたかったモノになった。
 全ての力を失い、五要素以下のモノ。
 レヴィと同じ「人間」に。
「・・・カルノ。プリティナギの言うことは信じた方がいいぞ。」
「散文的でわかんねーんだよ。」
 カルノは腐ったまま言い返した。
 よっこいしょと立ち上がる。
「そーゆーことなら、俺、帰ったほうがいいか?。」
「最初からおまえら二人は外してある。学業に専念させるためにな。好きにしたらいい。ただどうも気づいてないようだったからおまえは呼んだまでだ。」
 力は確かに失ったけれど、培った知識はそのままだ。賢明という点で彼女をしのぐものはない。
「・・・くりすますの時に言ってくれりゃーよかったんだよ。」
「無自覚とは思わなかったんだ。」
 ナギは肩をすくめた。
「自覚してるからこそ、勇吹に手を出すのを躊躇っているのとばかり思っていたからな。」
「・・・これとそれは関係ない。」
 デッサンで描き散らしているもの、大勢の彼女達。
 前髪を掻き上げた。
 この感情は劣情かもしれないがまがいものじゃない。
 解消した暁に霧散する代物じゃない。
 ぱたぱたとプリティナギが飛んでくる。
「違うよ、カルちゃん。」
 撫で撫でと、カルノの髪を撫でた。
「・・・何がだよ?。」
 赤い髪を分けて耳元で囁く。
「イブりんが、させない。」
 かつてのナギの力を宿している存在が呟いた。






 入口だけ確認して、カルノは引き上げた。
 スペイン・アンダルシアの家に帰る。
 キッチンに下りると、カナがいた。
 今日は金曜日なので、エレナがイスラムの界隈に出かけているので、バルセロナから帰省している彼女の娘のカナが片付けに来ていた。
「あー、びっくりした。もう。早いじゃない。」
 散らかった洗濯物を拾い集めてたらしく、それを見事全部落とした。
「わりい。」
 言うだけ言って、さっさとアトリエに向かう。
「あらあら。」
 カナは肩を竦めた。急いているので、何か思いついたのだろう。
 ひょこっとアトリエを覗いてみると、イーゼルを立てながら散らかったデッサンのスケッチブックをうっとうしげに蹴っ飛ばしている。
「片付けるから。あんたは好きなことしてなさい。」
 ひらひらと手を振ってそう言って、ぱたぱたとスケッチブックを閉じていく。
 狂ったように同じモノが描かれている。それ奇異に思うどころか、人物画を公表していない彼の処女作がどんなふうになるかと周囲の人を期待させていた。
 カルノはスクエアの40を立てかけた。
「リージェス。パンとハムと、何か煮込んでおくから、適当に食べなさいね。」
 よく通る高い声でそう言って、カナはアトリエを出る。
「・・・・。」
 カルノは、キャンバスに色を付けていく。




 出来上がったのは一週間後。
 からんからんと、ラチェスにリージェスが入ってくる。
 額縁を付けてない絵を抱えていた。
「マスター。これ。」
 ずいと出されたキャンバスにマスターは目を見張った。
 未発表の人物画だった。
 描いているとはエレナの娘から聞いていたが、まさかここに持ってくるとは思っていなかった。
 まじまじと眺める。
 東洋の衣装を纏い、手には花の枝を持たせていた。
 清廉とした雰囲気を出した、すばらしい出来映えだった。
「・・・・。」
 だけど、この絵にリージェスのこの子に対するどろどろとした執着を感じずにはいられない。清廉であればあるほどだ。
 この絵に対して描いてきたデッサンは、後姿や寝姿はもっとリアルなものだった。
 軽食をデリバリーして彼のアトリエに入った時、見せてもらったからよくわかる。
「持っててくれないか。」
 リージェスの言葉にマスターは言葉につまる。初の人物画だ。
「は?。」
「なんども書き直しそうになるから。でもこの絵はこれで完結なんだ。」
「発表はしないのか?。」
「しない。そいつを公にするわけにいかないから。」
「・・・・。飾ってはいいのか?。」
「サインねーけど。」
 仏頂面で呟いた。
「いいんだな。飾らせてもらうぞ。いい絵だ。お蔵入りにするにはもったいない。」
「・・・。売る気ないならやるけど。」
「じゃあ、もらう。二言は無いな?。」
「本物の方がいいもん。」
「・・・・。」
 拗ねたようにリージェスは呟いた。
 絵よりも生身の方がいい。
 そう言ってるのだ。
 まだ手を出してないんだな、とマスターは苦笑いしながら、尋ねる。
「・・・誰だ?。」
「イブキ。」
 そう言って、リージェスは踵を返した。
「どこ行くんだ?。」
「そいつんとこ。」
 絵を指差した。