読経が中央伽藍に響く。
 低い低い荘厳な合唱だった。
 しばらくして、この歌に、高音域の涼しげな鐘の音と軽やかな弦楽器の音が、重なり始めた。
 穹窿が輝いて、飛天が出現する。
「・・・おお。」
 弦楽器を操りながら、くるくると飛天は跳ねながら光を下ろしていった。
 仙界への道が御簾の向こうでつながったのだ。
 つり目は立ち上がった。
 巻物を広げて、仙女の名を読み挙げる。
「・・・・。」
 飛天が勇吹の服裾の上で跳ねた。
 頬を撫でるように柔らかい感触が触れてくる。
 風・・・?。
 目蓋越しの外が明るくて暖かかった。
 火・・・?
 けれど、もう目を開けられなくてそれを勇吹は確かめることが出来なかった。
 倒れ伏して、物思いに沈む。
 香が充満し、潔斎された空間に仙女達は次々降臨していった。
 道士達は、互いにほくそ笑んだ。
 三山がなんだ。こちらには西域がある。
 支部道場という、この不遇を返上し、かつての地位を取り戻す。
「・・・。」
 それを実現させることが出来る者を御簾越しにつり目は見下ろした。
 ・・・それにしても神霊眼はなんて力の持ち主だ。
 これを獲得できなかった三山は愚かだ。
 ふっと、肩をすくめ寝台から視線を離した。
 広間の方を振りかえる。
 大勢の道士達が乱れぬ合唱を続けていた。
 自分はこの者どもの首領。
 大勢を排除し裏切り、ここまでのし上がってやった。
 そして更なる地位をこの神霊眼で獲得してやる。
「・・・。」
「・・・・おい。なんか変じゃないか?。」
 大きな目が呟いた。つり目は思索から我に返って顔を上げた。
 その視線を追う。
「・・・・。」
 降りて来た仙女達が、寝台に向けてそそくさと平伏していくのだ。
 三日月目はぎくりとした。
 さっきの悪寒を思い出したからだ。
「・・・・っ。」
 その瞬間だった。道士達は全員目を見張った。
 眼前に神々しい金の輪ができる。その光の中に、向こうで倒れているはずの敷島勇吹が現れたのだ。
 胸より高い位置をふうわりと飛んで、その水袖を翻しこちらを見下ろした。
「!!っ。」
 どよめきが広間に広がった。
 皆それぞれにその姿が見えているのだ。
「・・・・。」
 辺りを見まわして・・、
 ・・・・目蓋を閉じ、彼は消え失せる。
「・・・。」
 そして透かし彫りの仕切りの向こうで、彼は両手をついて本体をゆっくりと起こした。
 髪の毛がさらさらと頬を滑る。
 目は開いているのに、あらぬ方を向いていた。
 右手を一瞬差し伸ばした。
「・・・あ。」
 かすかに唇を動かした。肘を引き、指先を折る。
 三日月目は、呟いた。唇が乾いて声が震えた。
「祟らないと・・・・皆思ってなかったか?。」
 どうして、そう思えたのか。





 身じろいで物思いに沈む。
「・・・。」
 不思議と囚われているような気はしなかった。
 その理由は酷く傲慢で、
 自分は神聖な存在で、人間組織相手なら殺されない絶対の自信があり、
 神霊眼で、この場のエーテルを無に帰すことが出来、
 そして彼らが助けに来ないはずがなく。
 まして、・・・カルノは。
「・・・来ないで。」
 なんて・・・こんな身のほど知らずな言葉も無い。



 朦朧として、もう夢か現かわからない。
 自分に意識があるのかもあやふやになっていく。
「・・・・。」
 気がつくと・・真っ黒な泉の水面に半身を浸していた
 頭の後ろに冷たさを感じる。・・・感じたかと思った時だった。
 世界が見えた。
 視界以上の世界。
 360°の視野に気後れしながら目を押さえた。
 ほら・・と、
 レヴィの所作を気づき、
 近づいてくるカルノを見る。
 ・・・・女の子達を助け出す四つ目、
 そして道士達の思惑までも知ることが出来る世界。
「・・っ。」
 ドクンと血が騒ぎだした。体が一瞬大きく震えた。
 視界が閉じられた。
 泉が波立つ。
 その波に絡めとられ勇吹は陰の暗がりに落ちた。
 目の前が真っ暗。
 前のと同じだ。こんなふうに墨で塗ったように目が見えなくなっていた。レヴィに直してもらうまで。
 その時どうしてたっけ、・・そう、すぐ手を伸ばしてた。手を伸ばせば、カルノに触れられたんだ。
 触れられたから。
「・・。」
 一瞬手を伸ばした。けれど、引っ込める。
 俺はこうやっていつも、カルノを束縛してたんだ。



    赤い・・バラ。
    酷く気になった。
    カルノが抱きしめるその花束。

    カルノの眼差しの先に、知らない人がいる。
    その人は、
    強くて、
    バラは、・・似合う人?

    これだけたくさんのピースを、想いを集めても、
    まだ俺の知らない人。

    だから尚更かなわない人。

    カルノは俺のものじゃない。



 勇吹は身を竦ませた。
「え・・・。あ・・・。」
 体が疼く。
 奥から湧き上がってくるような疼き。
 感じたことの無い震え。
 泉に身を浸しているのに、皮膚に渇きを覚えた。
 自分に向って流れ込んでくるものが、足りない、ここにない。
 決定的な悦感を得られないもどかしさに勇吹は身を震わせた。
 もっと、あったはずだ。
 たくさんの光。
 己が恒星を持つ者。

「――――・・・。」
 グラリ・・・と勇吹は後ろに倒れた。
「・・・。」
 尽きていく意識。
 姿態は、輝きを落とし・・・・・闇に飲まれる。





「・・・・・―――っ。」
 ザッッ――――ッン、

 中央伽藍の空気が震撼した。
 ありったけの陽が勇吹めがけて動く。


 上下層の関係無く、道士達がいっせいに倒れ、伏していった。
「・・・・・。」
 神を弄んだ罰というに相応しい有様。
 なんて圧倒的なエネルギー。
 つり目は、御簾の向こうの彼を睨み、膝を突く。
 倒れまいとして御簾をつかんだ。
 陰が纏わりついてくる。
 嫌らしいまでに甘い香りが、この身を撫でていく。
「くそ・・。」
 陰は陽の捕食にすぎない。
 そう思ってきた。
 けれど、今、その逆が起こっている。
「・・・う・・あ・・。」
 気力を練るが何度も萎えさせられる。
 陵辱だ。これは、まるで・・・。
 顔を上げ、再び彼に視線をやった。
「(・・・西・・王母・・。)」
 まさか、それに匹敵する力の持ち主だというのか。
 陰を陽で養う女神。
 捕らえた者との器の違いを思い知らされる。
 落胆でつり目は倒れた。
「龍雷・・。・・・。」
 呼び、コードを呟いた。最後の足掻きだった。