少し行くと井戸があった。中のつるべの縄をつかむ。やはり頑丈だ。人が3人ぶら下がっても大丈夫だろう。
 カルノは縄を引き寄せて、井戸の淵から足を離した。
 ぶら下がる。皮のグローブがギチギチ鳴った。
「・・・。」
 持つ手を緩めた。一気に10メートル降下。
 横穴を見つけた。高さ5メートル、幅5メートルの正方形のレンガ作りの大きな穴だ。
 トンっと降りた。
 真っ暗かと思ったが、所々光が差して中を照らす。
「・・・・。」
 それでも用心にと、・・・。
「・・・くっ。」
 心の目を開く。視界、360度。
 目を開く。視野は通常通りだが、洞窟の中がクリアに見える。
 気配で距離を感知し、作り出した擬似視野だ。
 目蓋を押さえる。
 そうした指の隙間から、ゾンビが見えた。尸解というらしい。
「・・・。」
 時間が無い。カルノは走り出した。
 全部ぶった切るなんてそんな体力を消耗することはしない。彼らは浄化の光以外で死ぬことはないのだ。
「(そんなことが出来るのは、イブキぐらいだってーの。)」
 剣は鞘に収めたまま、その鍔元を掴んだ。尸解らを薙ぎ払っていく。
 ゾンビ系は肉を引きずりながら動くから、案外動きは遅いからこれで十分だった。
 走りながら、コーナーの数をを数えた。左角、右角、別々に数え、覚えた地図と同じだけ曲がる。
「さん、7、8、イチ。」
 一本目の降下だ。
 4メートル四方の穴。深さは30メートルほど。最初の罠があるならここだ。
 梯子が取りつけられていたがそれには触れないように、カルノは飛び降りた。
 レンガばかりの視野に異物が映る。ガッと、そこに剣を突き立てた。
「・・。」
 刺さりはしない。
 ついでに勢いを殺せる。10メートルほどずって壁が終り、ダンッと地に足がついた。
「・・・よしっ。」
 たぶんガスの噴霧器かなにかだ。
 梯子の最下段にそれを解除する仕組みがあるのだろう。
 特に気にもしないで、また走り出す。もうゾンビはいなかった。退路用の通路だ。手出しはしなくても道幅を狭める障害になってしまうから、効果的でも置かれてないのであろう。
 100メートルほど直進し右折して、レンガの通路が終った。
「・・・。」
 少し息を呑んだ。
 現れたのは谷だ。地図からしても規模は相当に感じたが、それはそれは深く広い谷底だった。
 驚くべきことはこれが地下にあるということだ。
 底には川が流れ、右手の暗くぽっかり開いた洞穴に向って落ちていた。
 岸には多くの道士達がいた。沐浴だ。そして上がっては同じ方向へと歩いていく。
 行先は知れていた。中央伽藍だ。
 カルノは身を隠した。
 目の前には谷の向こう側に通じる橋が続いていた。
 幅は2メートル、欄干は無く緩やかに右へとカーブする。
 真ん中には、橋守が一人立っていた。
 手練だろうか・・・。
 剣をタスキ掛けて、スリングショットを腰のベルトから外した。
「・・・。・・・。」
 せり出した崖の向こうにもう一つ橋が見えた。あっちにも通路があるのかと頭の中の地図に、50メートル向こうの橋を付け足した。
 自分のいる橋より、3倍は広い。幅10メートル程はあるだろうか。
 そこが物資輸送用とわかったのはトラックが一台走りぬけて行ったからだ。
 橋守がそちらを振り向いた時だ。
 バネを引ききり、礫を飛ばした。
 他愛なかった。橋守の頭に命中し、当たった勢いで倒れた。
 カルノは橋へと踊り出た。倒れた橋守の傍にスライディングする。
 身を低く屈めたまま、うめく橋守の襟を掴んだ。
 がっと橋守の喉元にナイフを当て、辺りを伺った。
「・・。」
 取りあえず何も起こらない。
「・・・なんだよ見掛け倒しかよ。」
 けっとカルノは呟いた。攻略しやすいに越したことはないが・・・・、
 ・・・なるほど、とすると東海三山は結構気が利いているらしい。
 橋守に意識が戻った。襟を掴まれていることに気づく。
「・・・っ。どうして・・渡って来れるっ。」。
「走って来たに決まってるだろ。」
「橋が見えないでどうやって・・。」
「・・・・・見えない?。・・・。ああ、それなの。この橋。」
「・・・。」
 迷宮によくある奴だ。
 騙し絵。
 背景と橋の景色が一緒で、見えないのだ。橋からは橋が。
「(擬似視野で気づかなかった。)」
 あくまで物体までの距離を測っているのだ。この目は。
 質感や色は自分が知覚したことがあるものだけで呼び出しているから、この目には橋と背景が別の色で映っている。
 カルノは騙し絵に守られているだけの戦意喪失した橋守をぽいっと捨てた。
 たぶんこいつの目に橋が見えてないだろう。ここから自力で動くことはないと思われる。
「(どっかくくっとこ・・・。)」
 橋から落とすと下の奴らに侵入がばれるし、気絶させたらどれくらいで目を覚ますかが問題だ。
 殺すのが一番手っ取り早いけど、ここは退路でも使うから、それを・・見られたくない。
 橋守は腰が抜けて動けず、こちらの動きに杞憂していた。
 その襟首を再びむんずと掴む。暴れたので一発小突いて橋の終りへと引きずっていく。
「くそ、重ぇな・・・・。え・・。」
 カルノは顔を上げた。


「・・・っ。」
 はっとする。
「イブキっ。」
 一瞬だけだった。もう残像だけ。
 目の前を一瞬だけ勇吹の姿が見えた。
「・・・。」


 そして甘い匂い・・・。
 カルノは橋守の襟を放し、辺りを見まわした。。
 夕方の比じゃない・・濃密な勇吹の陰気。
「・・・。」
 とても濃厚で、
 甘く、甘く薫り滴る。
 陰湿な・・・潤み。
「・・・っ。」
 遅かった。
 最初に感じたのは、水面を胸の高さでゆらゆらと受けるような感覚だった。
「・・・。」
 感覚に乗じて視野が少し代わる。気づけば漆黒の水面に囲まれていた。
「・・・イブキ。」
 ぬらぬらと面が黒く光る。
「・・・・。」
 これは高潮に過ぎないと思った。
 気づく。
 高潮の次に来るのは・・もっと大きな波動だ。

 ――――ゴッ。


 川が落ちる向こうから、闇が奔流した。
 勇吹の身に何が起きたか問うまでもなかった。気を失ったのだ。
 意識を手放すことは、まったく力を閉じてしまうか、もしくは力が解放されてしまうかの2択だ。
 今は後者だ。意識という堰を切って、陰の泉が溢れる。
 そして敵も見方もなく押し流す。
 岸辺の道士達が飲まれた。わっと叫喚が上がる。
 自分も胸までの闇が頭部まで競りあがった。
 黒曜の津波が地下を埋め尽くす。
「・・・イブキっ。」
 その波動に流されまいと地を踏みしめた。
 体の奥が痺れてくる。
「(・・・・・・なんて力だよ。)」
 世界を真の闇に閉ざすことが出きる力・・・?。
「・・・・・。」
 橋守はレンガの割れ目にしがみついていた。橋の下の道士達も混乱していた。逃げ出す者、流されながらも耐えている者、祈る者。
 先程の勇吹の姿が連中全員に見えたのだとしたら、道士達の半数が今回の事をこれで後悔しただろう。
「・・・っ・・。」
 急に波動が収束した。
 いっさいの抵抗が消える。
 暗黒の泉の中にその身を漂わすだけ。
 その匂いに身を包まれる。
「・・・っ、くそっ。」
 拒絶の甲斐も無く、体に染み込んでいく。
「・・・・。」
 そして引き潮。

 どさっと橋守が倒れた。

「・・・っっ。」
 橋の下の道士達も、次々と倒れていく。
 これだけの陰気を流した。そしてこれだけの陽気がどこにもない
 一気に吸い取られていく。
 陽を。
「嘘だろっ。・・・・っ。」
 あるだけ。
 他の奴にかまっている場合じゃなかった。自分が一番危険なのだ。
 あいつの傍に『一番』長くいる俺が。
「・・・っ。・・う・・。」
 身を抱きしめる。痺れるような甘い感覚。
 欲求が溢れ出す。
 ・・勇吹を、・・・・食いたくてたまらなくなる。
 その蜜を、血と肉を・・・、啜って・・。
 えぐい虚構と、
 ありとあらゆる言葉を使って、勇吹を犯す。
 アイツモカナアイツモダヨ、えーてるノ目ヲ狙ッテイルンダヨ。
「うるせぇっ。」
 食えるかよ、人間の肉なんか。
 SEXだと?、あいつは男だぞ。ふざけんなっ。だからやなんだよ、この世界。こういう世界で。
 気色悪ぃ。気色悪ぃ。
 でも・・・、と淫らな想像を打ち消すのは、本当の想い。


 勇吹が笑う。・・怒りもする。
 欲しいもので、これだけは悪くない。


「・・・・。」
 ほら、気分が収まってきた。この前もそう。
 深呼吸したらもっと楽になった。
 目を開けてみる。
「・・・え?。」
 灯るのは自分の恒星。
 擬似視野で見えるようになっていた。
「・・・・。」
 強くて烈しい、光。
 揺るがない。
「光・・。」
 陰気は自分に染み込んでくるけれど、それを取りこんでなおも輝きを増し続けている。
 腕を解いて触れてみる。
 熱い・・。



 波動がやんだ。
 辺りは完全に陰の泉に沈んでいた。
「・・?。」
 カルノは肩の辺りから一筋の銀の糸のようなものが伸び始めるのに気づいた。
 ちろちろと先を長くしていく。
 よく見れば橋守からも上がっていた。
「・・・!?。」
 カルノは橋の下を見て、目を見開いた。
 橋の下は倒れた道士達の体から糸が伸びて、一面銀色だった。
 銀の糸は陽だ。
 細々でも命ある限り生産される陽気を、吸い上げているのだ。
「・・・。」
 まるで蜘蛛の糸のよう。
 神の祟りのような陰湿さ。



 ぎりっと拳を固めた。
 カルノは駆け出した。
「おまえが欲しいものはそんなものじゃないだろう?。」
 こんなはずない。
「・・・くそっ。なんで俺が光で、おまえが暗闇なんだよっ。」
 橋を渡りきる。
 両開きのドアが立ちはだかるとともに精霊が現れた。
「あなたが逢いたい人に逢える。」
 そんなもの。
 カルノは扉を蹴って開く。