話遡って勇吹の話。




 レヴィ達と住むマンションの最寄駅から5駅、時間にすると20分。尾根一つ越えた街に、この体育館があるのに気づいたのは、リフォームの展示会を見にナギと出かけた帰り道だ。
 今日は土曜日の午後。
 運動公園と称して構内設備に、体育館、トレーニングルーム、オールラウンドな広場、野球場、プール、テニスコートとあるうち、勇吹はトレーニングルームに来ていた。
 体力作りの一貫で近所の分室を利用しようと思ったのだが、トレーニングルームは使用するのには一度講習会を受けなければならないとのことで、それを受講しに来ていた。
 柴が植えられた広場は、フリスビーを投げて犬と遊べる広さがあった。周囲にアスレチック、ランニングに使える散歩道。
 小一時間ほどのトレーニングルーム講習会を終えて、勇吹は体育館前の中庭の柴に座り込んで、設備案内を眺めやる。
「・・・・。」
 体育館では剣道の練習試合が行われているようだった。声と足踏みと、竹刀の音がする。
 勇吹は立ち上がる。ドアが開いているので、そこからひょっこり覗いて見た。
 試合は終わっていた。合同練習の最中のようで、30人くらいが2列で向き合って打ち合っていた。
「(・・掛稽古かぁ。)」
 1分刻みで相手を変えて、それを5分。更に3セットとかになれば、動きっぱなしの結構きつい稽古になる。
 ドアにもたれてぼんやり眺める。
 いいなぁと思う。こんなふうに時間を共有して、同じ気持ちになれることが。
「・・。」
 勇吹は一つ溜息をついた。いいなと思うだけだ。高校の友達に会いたいとか思慕が募るだけだ。後悔ではない。
 ・・後悔はないのだ。別に。
 勇吹は体育館から出て、駐輪場に向かう。
 マンションに帰るためには、距離にして6km。でも、この辺りの坂を下り(行きは上り)商店街を抜け、尾根を越えていかなければならないので、時間にして1時間ちょいかかる。通うには少々遠いか。
「・・それになー・・。」
 反対側、尾根の中腹を眺めた。学校がある。勇吹は苦笑いして漕ぎ出して、来た道を戻ることにする。
 南原神社を左手に右に折れると、商店街に出れる大通りだ。
 勇吹は自転車を止めた。
「・・。」
 コーンとつつみの音がした。
「雅楽?」
 続いて篳篥の高く細い調べ。
 自転車を脇の駐車場に止めて、階段を登ってみる。
 音を頼りに、勇吹は境内を進み、拝殿に向かった。そしてその右手に大きな社がある。
「(・・。能舞台があるのか。)」
 へぇと感嘆する。体育館の設備といい、これといい、維持する市の姿勢に感心する。
 何かイベントでもしているのかと思ったが、練習のようだった。
 音はCDで、女の人がそれを消した。軽く溜息をついている。
 手にしていたのは能面だった。
 おもむろに彼女はその面を頬の辺りにかざし、扇を開いた。
 ああ、と思った。静御前の舞だ。薪能の仕舞でよく舞われたりするので知っている。
 勇吹はしばらく遠巻きに眺めていた。
 彼女の視線がこちらを向く。勇吹は軽く会釈をした。なんとなく邪魔した気がしたので、勇吹はそこを後にした。
 社務所の傍を通り抜けて、鳳凰社薪能とポスターが貼ってあるのに気づいた。
 あれは、たぶんこれだなと思いながら神社を後にした。



 いい町なんだけど・・少々風通しが悪いか。
 日が延びて、日没が5時を過ぎるようになってきていた。帰るのが遅くなってしまうなと思いながらトントントンと階段を登っていく。
 黄昏を迎えて、勇吹は目的の北野台高校に辿り着いた。
 そうして後ろを振り返る。新しい市街地が西に広がっている。
 ここは北野台、向こうは南原。さっきの神社はそこにある。
 そして・・。
 勇吹は、まだ真新しい碑を見上げる・・北野神社「址」。
 碑には、開発によって、一昨年、北野神社は南原神社に合祀されたとあった。
 この校庭には、ちょっと前まで神社があったということだ。
 校庭を横切り、校舎の裏手へと歩いていく。
 土曜のもう遅い時間だが、生徒はまだ部活動で残っているようだ。吹奏楽部の金管楽器の音が構内に響く。
 合祀されたことによる風評被害の酷い学校だった。通う生徒はたまったものじゃない。
 ただ行政が言うところのこの風評をどうこうしたところで何の解決にもならないだろう。
 この校舎は神社があった場所から北東の位置に建てられている。
「・・。」
 南原神社の南西には鳳凰社があり南西の鬼門への守りを固めていた。
「(・・それがここにはあるのだろうか。)」
 それを確認しに来た。
 ないのか、それともあっても作用していないのか。
 どちらにしても・・北東の鬼門からこの校舎は無防備同然だった。
「・・。」
 勇吹は立ち止まってハッとする。
 日が暮れていく。
 緩やかに風が揺らいだ。
「(・・げ。)」
 裏庭菜園の中空に亀裂が入った。
 鬼門だとわかる。
 唐突な風圧が勇吹の身体を襲った。
「痛っ。・・。」
 巻き起こる粉塵から目をかばいながら様子を伺う。風だけならこのまま収まるまで待てばいい。
 何か出てくるなら、追い返さなければならない。
 本来ならそういった「ろ過」を社や祠だとか祭られた動物とかがするのだが、今この場面にしゃしゃり出てくる気配が微塵もなかった。
「・・。」
 後者だった。なんか出てきそうだった。
 蔦のようなものがウネウネ見える。
「(おいおい。・・)・・え。」
 ビロンと亀裂から蔦が漏れ出したその時だった。
 肩までの栗毛色のウエーブが光る。ふわりと風になびいた。
 ここの女生徒だろう・・白スカーフのセーラー・・、
 が、木刀を腰に構え、邪気を迎えうつ。
「っ・・。」
 討つか討たれるかのキリギリの間合い。
 かっちりと決めた間合いは結界になる。
 邪気を制した。
「・・澳津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、道返玉、死返玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼。」
 勇吹は言霊を紡ぐ。
「ふるべゆらゆらとふるべ。」
 追い返す。抵抗で風が勢いづいた。
「姉さん。」
 剣道着そのままに駆けよってくる奴がいる。
 そんな中、風が収束した。
「・・。」
 辺りに沈黙が落ちる。
 視線を感じて、もはや何もない中空から、彼らを振り返る。
 この場合、どちらが怪しいのだろう。
 じーっと何してんだよと不振な目でこちらを見てくる。
 やっぱり、部外者の自分の方だろうか。
「えーと・・、まずは、ありがとうございます。助かりました。」
「体育館来た奴だよな。」
「それはたまたま偶然だけどね。」
「ふーん。ああ、俺、市倉和樹」
 そう言えば上座の方に市倉と名があった。
「こっちは姉の和沙。おまえは?。」
「ノーコメント。」
「名のれねーの?。」
「うん。ごめん。」
 どうにもいい言訳が思いつかない。
 これは逃げるが勝ちかもしれない。
「じゃ、怪しい奴はこれで。」
 踵を返し、フェンスを飛び越える。
「おー。義経。」
 弟の方が面白そうに呟いた。
 あのねと訝しむが、それもそうねと掌を返す。
 そして和沙は走り、フェンスに取りついて叫ぶ。
「また明日ねっ。」
「ええっ。」
 土手の下から驚いて勇吹は振り向く。彼女のさわやかな一笑が困惑にとどめをさした。





 翌日。
 ・・どっちだ、と思ったが、体育館も能舞台も急には借りられないだろうということで、学校にやってきた。
 プレハブの方で、竹刀がぶつかり合う音が聞こえた。
 和樹の方がいるかなと、そちらに足を向けた。
 プレハブは板に墨で天武館と立派な看板がかけられ、柔道部と剣道部が使っているようだった。
 勝手に入りこんで中を見まわすと、案の定、ネームに市倉と書いてある奴がいた。
 日曜日なので、5人と少ない。柔道部は休日のようだった。
 切り返しの最中だった。それが一区切りつくのを待って、片手を上げる。
「来ましたよ。」
「あー、義経。」
「誰それ。」
「おまえのこと。昨日姉貴と決めたんだよ。名のらねーから。」
 勇吹はばつの悪そうな顔をした。
「姉貴、まだ12時まで、体育館で稽古中だから、こっちで待っててよ。時間平気?。」
「平気だよ。」
 勇吹は肩を竦める。
「昨日さ、和沙さんが構えていたのはあれは剣道?。」
「ああ、あれ?。義経の能の型だよ。」
「型?。」
「平知盛の幽霊集団に対抗する義経の型。」
「あー。」
「俺も出来るぜ。」
 竹刀差しから木刀を拾って、隣りの柔道場の畳の真中に二人は行き、立ってみ?、と言われる。
 和樹は構えた。
「・・すごいな。」
 感嘆する。
 一歩動けば切られる感覚に。
「だろ。・・でもさぁ。」
 和樹は構えを解いて肩を竦める。
「実際幽霊を目の前にしてあの型を実践に使おうなんて発想しねーよな。」
「和沙さん、いつもあんなことしてるの。」
「能って幽霊が出てくる舞台多いだろ、あれで感覚とか間合いとか時々感触を確かめてる。」
「鬼門ってわかってるよね。」
「そういうのなのか?。」
「・・なんだと思ってたの。」
「地鎮ミス。」
「当らずしも遠からずってとこか。この校舎に地鎮のための祠ある?。」
「あるぜ。」
 和樹は指を天井に向けて差す。
「屋上。」
「じゃあ、12時まで、ちょっと見てくるよ。」
「なら、姉貴連れて、そっち行くよ。」




 殺風景な屋上だった。それをかもし出しているのが例の祠だった。
「・・これかぁ。」
 いやはや立派だが、たぶん一般生徒から見たらこれは墓石にしか見えないだろう。
 しかも使えてない。家の形をしていて、それで悪霊の住処になっている。
 勇吹はそっと座って目を閉じる。
 この学校の建て方も位置も間違っちゃいないけれど。
 街をろ化し切れてない鬼門を見る。
「(そう・・そして。)」
 祭がない。
 神様達に通り道を示す祭りと、
「・・。」
 そして、今直、北野台に棲む竜神を祀る、祭がない。


「・・。」
 屋上への戸口付近で、和樹はこくっと息を呑んだ。
 入れないと思う。
 義経がかもし出す、踏み込んだら、八裂きにされそうな厳かさの・・結界?。
「・・大丈夫よ。」
「って、うわっ。」
 屈んでいたお尻を和樹は和沙に蹴っ飛ばされた。
 物音で勇吹が振り向く。
「ちょうどいいわ。私は弁慶をやるから。」
「マジかよ。ここで船弁慶やるのか?」
 勇吹の後方に彼女はさっさと行ってしまう。
 唐突だなぁ、とぼやく。
 ただ姉貴がこのシチュエーションを逃すはずがないということだけはわかった。
 能にかける情熱は、和沙の父親もすごいが、彼女はそれ以上だと親父は絶賛していた。
 一ヶ月後に、自分と和沙は能楽堂で、船弁慶を演じることになっている。
「(型。)」
 和樹は息を整える。
 この気を上回る、知盛を。
 気の間合い。それを読み取れればいい。
「(なにがすごいだ。てめえのほうがすごいじゃねーか。)」
 人に対する結界の張り方をわかっている。
「・・。」
 和樹は、和沙が持ってきた薙刀を手に取った。
「・・義経。ちょっと和樹に協力してね。」
「船弁慶を?。」
「そ。あの子の役作り。急な話で悪いけど。」
「はあ・・。」
 木刀を放られる。
「これ持って、適当に構えをとって、動かなくていいから。」
 先ほど和樹に見せていただいたので、わからないでもないが。
「・・君は?。」
「静と言いたいところだけど、弁慶。」
「前シテは静でしょ。」
「くわしいじゃない。」
「薪能くらいの知識だけどね。」
「ふうん。とりあえずは知盛のところだけ。演目は船弁慶だからね。弁慶がいなかったら始まらない。」
 ちょっと利かん気な物言いは勇吹の肩を竦めさせた。
「もしかして、静、苦手だったりする?。」
 能舞台で見かけたとき、溜息をついていたのを思い出す。
「・・意外と減らず口な人?。」
 言い返されて、笑った。
 和沙はCDプレーヤーを再生させた。
 早笛の音が響く。
 和樹は目を閉じて、息を吸う。鼓動が耳元で打つ。
 地謡の音を聞く。
 勇吹は少し両足を開いて少し腰を落として、木刀を脇で構えた。
「(剣道・・やってたことあるんだな。)」
 和樹はゆらゆらと薙刀を振う。
 構える義経の前に弁慶は立った。知盛と対峙する。


「・・。」
 ・・・・見ルベキモノハ、見ツ



 和沙は満足したようだった。二人にジュース奢ってあげようと言って、購買に出かけて行った。
 和樹は嵐が去った、と言う顔をしていた。。
「体力使うぜ、これ。」
「でもうまかったよ。」
「そりゃ、姉貴に引きずりまわされてますから。でもおまえもくわしいじゃん。やってた?。」
「いや。ただ関係なかったって言ったら嘘になるけどね。」
 勇吹は笑った。そして立ち上がって祠に向かう。
「これ置き場所変えたら怒るかなぁ、学校の先生。」
 祠の片隅に取り付けられている石の猿の頭を撫でながら和樹に尋ねる。
「さあ。どうすんだ?。」
「これを、・・。」
 勇吹は猿を台座から引っこ抜く。
「・・ちょっと持ってて。」
「・・ああ。」
 校舎の階段の屋根に勇吹はジャンプして手を引っ掛け、懸垂で登り上がる。
「・・パス。」
「はいよ。」
 勇吹に猿を渡し、和樹も屋根に取りついて上がってくる。
「これを・・、この辺に置きたいんだ。」
 校舎の淵ギリギリに勇吹はちょこんと猿を置いた。
「風質がかわるよ。それに屋上の雰囲気も変わると思うんだ。これだけここにあると。」
「なるほど。」
 確かに、いかつい感じが、ユニークになる。
 和樹は納得して頷くと、しばし考え込んだふうになる。
「・・・・おまえなんか肩書きある?。」
「あんまり使いたくないな。それに使ったら報酬取るよ。」
「・・おまえ。結構やな奴?。」
 善意ならタダで、権威がいるならゼニがいる。
「そうだな・・うん。しょうがない、親父に頼んで見るか。」
「親父って、何してる人なの?。」
「教育委員会上がりの市議。」
「・・それは心強い話だね。」
 下から、ちょっとーどこにいるのよっ、って言う声がする。
「姉さん。」
「あ、いた。」
 言うが早いかブリックパックを投げて、和沙も登ってくる。
 手を差し出す暇もない。
「わー、可愛いっ。これ。」
 猿に向かって、和沙が叫んだ。
「決まりだね。和樹、市倉先生によろしく言っといて。」
「はいよ。」
「なんの話?。」
「この猿をあそこからここへ移していいかって校長に頼むって話。」
「和父さまにお願いするの?。」
「そう。」
「お父さんのことそう言うふうに呼んでるの?。」
「だって私の父は能楽者だもの。南守聡彦。彦父さま。政治家じゃないわ。」
「・・実は複雑な家の構成してる?。」
「多いにね。」
「仲が良ければ全てよし。後顧の憂いはかきすてよ。」
 和樹は深々と頷き、和沙は朗々と言う。
「誰の持論?。」
「母。」
 合掌
合唱。
「さいですか。」
 ブリックシリーズのヨーグルトを飲みながら、疲れたふうに勇吹がよろける。
 気にした様子もなく、和沙が和樹に意見する。
「移すなら、文化祭がいいんじゃない?。」
「そうだな。」
「いつなの?。」
「ちょうど3週間後。」
「南原神社の鳳凰祭の日に合わせた?。もしかして。」
「よくわかるな。この市の方針なんだと。」
「へぇ。」
「北野神社は無くなっちゃったけど、祭は残しておかなきゃってね。」
「2学期に文化祭をすると3年が受験勉強に困るって言うのもあるんだけどな。」
「うん。よくわかるよ。」
 なあんだ、と思った。
 祭はあるのだ。
 本当に嬉しそうに勇吹が笑う。
 このご時世、神社の維持管理に手放すところが多くなり、祭が縮小、省略されるようになってきた。
 その中でこういう風潮があるのは嬉しい。
「さてと。義経。剣道しようぜ。」
「・・あのさぁ、なんでそうなるの君達は。」
「やりたそうにしてたくせに。」
 和樹は屋根から降りる。
 勇吹は、ふう、と息をついて、猿を持ち上げる。
「あんまり人と関わりあっちゃだめって言われてる?。」
「・・そんなふうに戒めてるよ。一応ね。まー、誰かと関わり合いになりたい性分だから、手抜きだけど。」
 答えて、和樹に猿を渡し、自分も屋根に手を掛け降りる。
「義経っ。」
「え、・・っだぁっ。」
 ぽんと和沙が飛び降りる。
 勇吹はその体を抱きとめて、勢いを殺すために、半回転する。
 足を痛めないようにゆっくり着地させた。
 ほっとした表情もつかの間、血相変えて義経が怒鳴った。
「舞台する人が、なにやってるんですかっ。」
 ああ、こういうことを怒るんだ、と思った。
 ごめんなさぁいと小さく手を合わせて、和沙は笑った。
 踵を返して、ウェーブのブラウンの髪が柔らかく揺れる。
「・・。」
 顔を赤く染めたのがわかった。
 甘いリアクション。
 抱きとめた感触もまだ手に残ってる。
「・・。」
 ・・ドンナニヨカッタカ・・普通の高校生活を送れていたら・・・・。
「・・義経?。」
 からかおうと思った。だけど、出来なかった。
 勇吹がハッと表情を引き締めたから。
 そして和沙に重ねて、より遠くを見るように目を細めた。
 そういうのダメなんだ、ってわかる。
「鬼門の前に飛び出てくるのは叱らないで、こういうのは怒るんだ。」
「ちゃんと仕掛ければ未然に防げるからだよ鬼門は。でもこういうオテンバは本人次第だろ。しっかり言っといた方がいいよ。」
「うーん。でも、親父も聡彦親父も俺も、姉貴には甘々、なんだよな。」
「・・・そうみたいだね。」
 そう言って、木刀を拾った。
「3時までつきあうよ。昼ご飯はどうするの。俺は食べてきたからいいけど。」
「弁当あるから。あとで食べるからいいぜ。」
 和沙は先に行ってしまったようだ。和樹も勇吹も階段を降り校内に戻る。
「で、おまえ何段なのさ。」
「中学どまりだから、初段だよ。和樹は?。」
「こないだ2段を取った。おまえ強い方?。俺、副将だから、結構行けるぜ。」
「さあ?。」
 天武館に着いて、和樹は部室に入り、替えの胴着と袴と手拭いを、余っている面と胴と垂れと篭手を勇吹に渡す。
「義経。竹刀、軽い方がいい?。」
 竹刀を3本見せられて尋ねられる。
「いい。」
「じゃ、これだな。」
「それ、全部和樹の?。」
「そうだよ。一本は買ったばかりの、もう一本は練習用、兼、軽量中。で、これが試合用。計量ギリギリの重さにしてあるぜ。」
 剣道の試合の際、竹刀は検査を受ける。糸はちゃんと張っているか、竹が割れてささくれだっていないか、そして、計量がある。
 決められた重さに達しなければ、その竹刀は使えない。
 じゃあ竹も綺麗だし、糸もピンと張ってるしと買ったばかりの竹刀を使えばいいと思うが、新品の竹刀ほど重いものはない。
 手に馴染まないというより、振りまわす俊敏さに劣るのだ。
 だからせっせと選手は竹刀を鑢で磨いてくる。
 器用な奴はばらして磨き、組み合わせてくる。
「俺もやったよ。軽い方がしなるしさ。」
 勇吹は面と篭手はつけずに道場に上がる。
 部員が食事していた。
 きょとんと振り向かれる。
 軽く準備運動をする。そして竹刀を振った。
 感じは悪くなかった。
 和樹は面をつけてきた。面越しに呟く。
「姿勢、いいのな。」
「そう?。」
「堂に入ってるよ。・・打ってこいよ。」
 スッとかまえる。勇吹も構えた。
 気合を込めるその波の刹那、
「面っ。」
 トン・・、パーンッ、と篭手と面を打つ音が軽やかに響く。
 いい音ーと部員から声が上がった。
 続いて、和樹の竹刀を跳ね上げての胴。
「上手いじゃん。」
「間合いが上手く行けばね。俺、軽くてさ。鍔迫り合いになると吹っ飛ばされて面食らいやすいんだよね。」
「なるほど。」
 また少し打ち合い、軽く汗をかいたぐらいで、勇吹が面つけるよと言った。
 面と篭手を前に座した。前髪を上げて手拭いを頭に巻き、面を被る。
「おい1年。見とけよ。」
「風間先輩呼びましょうか?。」
「あの先輩呼んだら、相手取られるから絶対呼ぶな。」
 釘差して、ストップウォッチを放った。
「時稽古。3分を3セットやったら、試合しようぜ。」
「いいよ。」
 篭手を食め、勇吹が答える。
 始めっ、
 1年の声がかかる。
 威勢良く和樹が気合を掛け、同時に、面狙いで竹刀を振る。
 ツキ狙いで勇吹は胴を押し下がらせる。間合いを取り、面を打つ。
 和樹は頭を傾けて、肩に流した。
 鍔迫り合いになる。
「てめっ、初段の癖に、ツキ使ってんじゃないぜ。」
「使ってみたかったんだよ。」
 苦笑いする。
 このぉと思う。優しそうな顔をして、調子に乗っている。
 ぐっと押して勇吹に面を決める。
 それにしても肩が痛い。さっき打たせていた時もそうだったが、面にしても篭手にしても、勇吹は手の力を竹刀に確実に伝えて、技を決めてくる。
 やめっと、3分がたった。
「おまえ、竹刀、どう持ってる?。」
「どう、って普通だよ。」
「インパクトのときは?。」
「普通に絞ってるけど。」
「左手で竹刀振れる?。」
「基本だろ。」
 言いながら、勇吹は竹刀を左に持って振った。
 へー、と部員が感心したように呟いてきた。
「風間先輩が聞いたらなんて言いますかね。」
「気に入らないんじゃないか。こいつと対極の剣道だろ。声は素っ頓狂だし。フェイントとか好きだし。おまけに余計な所作多いし。」
 そして更に時稽古を2回。
 食事を終えた後輩と同輩を交えての、1分交代5分の掛稽古を3セットをこなす。
 で、試合だ。
 後輩3人に審判を頼み、和樹が赤、勇吹が白。
 場内へ一礼し、歩みいる。
「お願いします。」
 互いに一礼し、竹刀を抜き合わせ、しゃがみこむ。
 こういう感覚は好きだった。
 闘志を浴び、闘争心をかき立てられる。
「始めっ。」
 声とともに立ち上がって、勇吹は第一刀を繰り出す。
 ――――っ。
 さっきまでと打って変わった奇声。面越しの鋭い視線。
「・・。」
 面狙いで、防ぎ鍔迫り合いになった。
 胴狙いだった。
 それがわかったのは、こっちが押したときだった。
 彼は足を踏みしめ、腰を踏ん張る。押した力がまともに返ってきた。
「・・胴――っ。」
 腹に打ちこまれる。
 一本、と主審、副審ともに白旗を上げた。
「(どこが吹っ飛ばされやすいんだよ。)」
 と、思うが、本当の話なのだろう。息を読まれた自分が悪い。
 構え・・始めっ、と2本目が再開される。
 ドドッと鍔迫り合いを繰り返し離れては気合を放つ。
 パーンっと、和樹は竹刀を跳ね上げて面を打った。
 勇吹の竹刀が一瞬正眼から外れたときだった。
 パッと3本の赤旗が振り上げられた。
「構え・・始めっ。」
 3本目。
 勇吹の面と、和樹の胴が交差した。
 副審の一人が赤、一人が判断できず交差、主審は白。
 こうなると、勇吹の面の方が優勢となる。
 案の定だった。判定として白が上げられる。
 中央で、構え、一礼。
「ありがとうございました。」
 久しぶりにまともな剣道をしたような気がした。
 型通りの奴がこんなに強いとは思わなかった。
「楽しかったよ。ありがとう。」
「・・いいや。」
 こういう誠実なセリフを吐ける奴が、なんで名前を言えないんだろうと思った。
「まさか、負けるたぁなー。」
「審判に有利な技ってあるからね。」
 にこやかに笑って、勇吹は座して、面をはずした。
「帰るのか?。」
「うん。2週間後にまた来るよ。祠で気になることがあるから。その頃にはお父さんと話ついてるだろ。」
「2週間後の・・そうだな土曜の方がいいな。完全週休2日制に向けて、この学校、隔週の土曜が休みになってんだけど。生涯教育とかで学校開放してて、地域の人結構来ているから目立たなくてすむと思うぜ。」
「そうさせてもらう。気、使わせてごめん。」
 勇吹は面の中に、篭手を入れて、部室に行く。
 着替えながら、楽しい、と思う。
 こう言った環境の方がやはり馴染む自分に気づく。・・違った環境にいるから尚更わかる。
「(こういうの怒られるのかな。)」
 被っていた手拭いで顔面の汗を拭う。
「・・やっぱり良くないよな。」
 自分の手を見る。手を見て・・、この手が何もしなくても誰かを死なせてしまった自分だから。
 着替えてしまって、防具をきちんと片付けて、部室を出る。
「竹刀、サンキュ。」
「おうよ。いいだろ。」
「うん、使いやすかった。手拭い洗って今度返すよ。・・じゃ、帰るね。また2週間後によろしく。」
 勇吹は天武館を後にした。
 体育館に寄っていく。ステージで練習を続ける和沙に手を振り、駐輪場に向かった。
 八重桜が綺麗だった。
「・・。」
 チラチラと、落ちる花びらをつかもうとする。
 ・・すりぬけて、
 それは思い出に同じ。