今宵の残り香





 スッと沈むような感じがして、気がついたら、自分たちが住むマンションのリビングにいた。
 ナギが待っていた。
 傍らにはレヴィの体があって、ソファに腰掛けて目を閉じている。
「・・・・。」
 いつになく神妙な面持ちで、ナギは語らず、勇吹をレヴィから受け取った。
 勇吹は寒気を抑えるように体を竦めていた。
「姫。少し、見てもらえるかな。」
「ああ・・・、でも大丈夫だろう。・・・・なにか飲ませたのか?。」
「西王母は孔雀の薬だって言ってたよ。それをこう一飲みで。せめて止める間くらいほしいんだけどね。」
「要は抵抗もなく、飲んだんだな。」
「そう。」
 そうだとわかるとナギは嬉しそうに笑い、そして肩を竦めやった。
「勇吹だから仕方ない。」
 軽くウィンクし、豪語する。
「勇吹は私の酒が飲めるんだぞ。」
 ・・・初対面で。
 レヴィは苦笑いをした。自分はどうだったかと問われれば絶対に飲まなかっただろう。
 カルノが横をすり抜けて行く。
 ナギは用意しておいたバスタオルをカルノに放った。
「お疲れさん。よく連れて帰ったな。・・・お湯ためてあるからな。早くあったまれ。」
「・・・。」
 いつも通りのぶすくれた表情を返した。
 タオルを脇に挟んだまま、彼はキッチンで手近なコップを取り、水を汲む。
 ナギは勇吹を連れてリビングを出ていった。
「ふう・・。」
 レヴィは一つ息をついた。
「・・・。」
 そして四つ目のこの体をソファに座らせて、目を閉じた。
 同時にレヴィの体が目を覚ました。
「・・・・。」
 四つ目はまだ昏倒したままだった。ソファに腰を下ろしまま動かない。
 カルノはそれを見届けてから、くるりと背を向けた。






 部屋に入る。
 勇吹はハッと顔を上げた。驚いてとんと壁に背をつける。
 思わず胸のペンダントを握った。
「・・・。」
 ナギは部屋の奥に入って、カーテンを閉めた。
 窓ガラスに大量の化け物達がところせましと押し合い圧し合い張りついていたのだ。
「大丈夫。レヴィの結界はそうそう破れない。」
 おいでおいでされた。
 勇吹は部屋の中に入って、ベットに座り込んだ。
 深い息をつく。
「・・・なんなんですか?。あれ。」
「おまえの匂いにつられてきてるんだろ。」
「・・この匂い、なんなんですか?。」
「・・・・催淫香。」
「冗談でしょう?。」
「なんだ、レヴィから聞いてないのか?。」
「聞いてません。」
「ちっ、あいつめ、そこんところ都合よくぼかしてしゃべったな。」
 指をはじいた。が、最初の最初、勇吹に説明しなかった自分もそうなのでフリだけだ。
「道教の方術の一つに、体内の陰気と陽気を練ることで寿命を延ばせるという考えがあるのだが、男女陰陽の交接の術という手段をとるので、・・・当然、俗化して、セックスの口実になったんだ。これはその典型だな。」
 ナギの手が髪に触れ、手際よく髪飾りを外していく。
「俺はその餌食になるところだったんですか?。」
「女仙を降ろしたあとにな。」
「・・・うー、考えたくない・・・。」
 勇吹は脱力してうめいた。
「そういう世界だからなー。ここにいるのがレヴィとカルノでよかったな。あいつらはこの手のシチュエーションが大嫌いだ。」
 なんとも言えない表情になる。
「二人は、大丈夫でしょう?。」
「あいつらはな。でも、この状態でその辺歩いてみろ。人も獣もごっちゃで襲われるぞ。」
「・・・。カルノはそれを知ってたんだ。」
 そして、ペンダグラムに、誰も寄せ付けるなと釘を刺した。
「・・・最初、カルノは傍から離れただろう?。」
 発端だ。
「用心のために離れたのさ。結局理性がまさったがな。」
「・・・俺、酷いこと言ったかも。」
 映画、見に行かなかった。
「・・・・・どんどん言うがいいさ。そのくらいがちょうどいい。」
 ナギは微笑んだ。
「あいつは人との交わりを避けて、生きてきた。だからすこーし、摩擦を起こしてやって、人との間合いを肌で感じさせてやらないとな。・・そしたら、手加減を覚える。更には力と精神のコントロールが出来るようになる。」
 言葉が足りないのも治ってくる。
「・・・わかりました。」
 勇吹はホッとしたように笑顔を返した。
 髪留めが全て外れて、髪飾りは取れた。
 ナギは髪を梳って、ゴムを取って一本に束ねた。
「髪一本一本結わいて増やされてるから、切るしかない。とりあえず、休んでからにしよう。」
「はい。」
 そしてナギは服の結び目だけ解いていってくれる。
「ナギさん。」
「ん?。」
「心配かけて、ごめんなさい。」
「ああ、本当だ。」
 言って立ち上がって、ピンと額を弾いた。
「ゆっくり休め。」
「・・・・はい。」
 ナギはベッドサイドから離れて、明かりを消した。
「・・・・。」
 ドアの向こうに彼女が消えて、閉まると、勇吹は、ぱたんとベットに倒れ臥した。
「・・・・はあ。」
 我慢していた胸の気持ち悪さを解いて、うずくまった。





 部屋から出るとざっとシャワーを浴びたカルノに遭遇した。
「・・まいったな。」
 前髪をかきあげてやるせなさそうにナギは呟いた。
 正直、理性がぐらついた。
「・・・。」
 ナギは、扉を振り返り、方陣の軌跡を描いて部屋に封印を施す。
 匂いが外に漏れないように。
「・・・・別に寄り付いてもいいとよ。」
 カルノがぼそっと呟いた。
「・・・それは、おまえにだけ言ってるんだろ。」
 ナギは苦笑いした。
 疲労しきって眠いカルノは勇吹の部屋でぶっ倒れるつもりのようだった。
 自分の横を通りすぎてノブに手をかける。
 ナギはその腕を取った。
 キッチンに引っ張って行く。
「あー、レヴィ。いいからいいから座っていて。私がするから。」
 レヴィが、ガラスポットを持った状態で流しの前に立っていたので、紅茶が飲みたいということが見て取れた。
「カルノ、はい。水差しとコップ。」
 をトレーに乗せて差し出した。
「勇吹を守れ。全ての人間、及び、精霊どもから。」
 自分たちを含めて。
「・・。別に、いいけど。俺だって例外じゃないかもしれないぜ。」
「嘘付け。」
 ナギは微笑んだ。
「・・。・・あれ、いつまで続くの?。」
「そんなには長くはないだろう。1時間くらいじゃないのか。しんどいのは。」
「・・。」
 受け取ってカルノは回れ右をした。
 ダイニングを出て行く。
「・・・。」
 部屋を出てすぐ、勇吹がベットに倒れたのを感じた。
 そして声も立てずに、自らが取った行動の代償として、禁断症状に苦しんでいる。さっきまで平気そうにしてたくせに。
 勇吹はカッコつけたがりで、
 そしてその一線分遠い。
「レヴィ、ハーブティーでおいしいのがあるんだけど。」
「いいね。もらえるかな。」
 レヴィはソファに座り込んだ。
「どうだ?、疲れたか?。」
「そうでもないな。このくらいなら。」
「そのようだな。」
「・・・・イブキは大丈夫だろうか。」
「まあ、あれくらいなら。・・・それに勇吹が快癒を断るだろう。」
「・・そうだね。」
 ソファに頬杖をついて溜息をついた。
 そして別のことを考えた。
 勇吹の凄烈な力、カルノの戦士としての素養を窺い知る事が出来た。
 作戦も連携も、存外巧くいった。
「・・・。」
 様々な達成感を胸に収めつつ、このあとの自分の仕上げで、今回の一件は片がつくだろう。
「飲んだら・・。」
 四つ目に視線を投げる。彼はまだ目を閉じて催眠状態だ。
「彼の洗脳の解除にかかろうか。あ、あと・・とり憑かれ癖を直してしまおうか。」
「そうだな。」
 ナギはカップをレヴィの前にセットした。
 メリオールポットに蒸らした茶葉からは、ラベンダーの薫りが漂う。
 清涼な薫りだった。