しっかり身なりを整えて行かないと、と昼寝を終えた勇吹は、ナギに頼んで髪を切ってもらうことにした。
 ちょうど龍雷が起き出してきて、髪を切るのをしてみたいと駄々をこねているレヴィと嫌がっている勇吹と長いところをばっさり切るところだけさせてやろうというナギを寝ぼけ眼で見ていた。
「レヴィ、じゃあ切っておいて。」
 ナギが龍雷の元に赴いてしまって、勇吹の肩に緊張が走る。
「肩から下だけですよ。肩から下。」
「そんなに釘刺さなくても。」
「レヴィさんだと、耳まで切りかねないです。」
「・・・・そーだね。」
 そんなやり取りを見て、龍雷が苦笑いをする。
「・・・・・。もう体は動くようだな。」
 声をかけると振り向いた。
 ナギは眠気覚ましのコーヒーをカップに入れ、受け皿に乗せて龍雷に差し出した。
「ありがとう。」
 受け取ってくれる。
 ナギは勇吹とレヴィのところに戻った。
 レヴィは肩の辺りの髪を持ってハサミを入れていく。量が多いので一太刀とは行かず、ジョキジョキと何度かハサミをくぐらせる。
「このくらいかな。」
「OK。じゃあ、あと私がやっておくから。レヴィ、奴に説明。」
「わかった。」
 そう言って、レヴィは龍雷をテーブルに手招きした。
 アイスティーの反対側にカップを置いた。椅子を引いて腰を降ろす。
「助けてくれてありがとう。なんと礼を言ったらいいかな。」
「礼にはおよびませんよ。あなたがあのまま催眠状態だと困るので解除させてもらいました。」
 素直に龍雷が言うのに対して、にこやかにレヴィは応えた。
「あなたのような腕利きの軍人が、愚者に操られて安易に立ちはだかられると非常に迷惑なのでね。その目を摘み取った、それだけです。」
 龍雷は、ハハと乾いた笑いをした。
 この男は礼を言われるのが苦手なのかな、とか思ったからだ。
「俺は重犯罪人だ。生かしておくことも無かっただろう。」
「そうでもないですよ。貴方がやったことじゃない。人質を逃がすことだってしてきた。」
「全部じゃないさ。今回、彼女達を皆助けられたのは、彼女達の運が良かっただけの話だ。」
 龍雷はカップを持ち上げて、コーヒーを飲む。
「まあ・・生かすなら、俺は生きる。」
「術の解除はうまく行きました。1年ほどは激しい戦闘は避けてもらいたいですが、それでも対して支障はないでしょう。あなたは頑丈な方だ。」
「ああ。それが取り柄だ。」
「軍に戻るつもりですか?。」
「後片付けには行かなければならないだろうが、実質無理だろう。お偉方になった同級は俺の存在をなかったことにしたいはずだ。」
 くくっと龍雷は笑った。
「働いた分の給料はいただかせてもらうがな。」
「・・・・・。」
 際どい会話してるなぁ、と髪を切り終わった勇吹はそろそろとわきを通りすぎる。
 シャワーに向う勇吹を後ろから眺めて、クスッとナギは笑った。
 言葉にはたくさんの意味が込められているようで、ないようで、勇吹ならもう少し要点を得た一語に集約できるから、言葉がもったいなく聞こえるのかもしれない。
 たくさん話して意味が少ししかないより、たくさん話して打ち解けられる方がいい。
 そんなところだ。
 ナギは髪の毛や道具を片付けながら、二人に向って言った。
「レヴィ。このままディナーにしたいのだけれど、どうだ?。」
「いいね。・・・かまわないかな?。」
 レヴィは龍雷に目配せをした。
 彼は頷いて、苦笑する。
「可笑しいくらい、捕虜扱いしないものだな。」
「そういう感覚をなくしてほしいのでね。」
「・・・・ありがとう。」
 彼らの配慮に、再び龍雷は礼を言った。





 髪はなんか、はやりらしくて、左右均等でわりと長めに切られた。
 勇吹は、前髪をつまんで、撫でる。
「長かったか?。」
「さあ。こんなもんじゃないですか?。」
 ナギの問いに、対してこだわりは無いことを応える。
 勇吹は食事の準備の手伝いをしていて、ナギが料理を取り分けられるように皿をカウンターに並べたりしていた。
 後ろでは、食前酒と前菜をいただきながら、レヴィと龍雷が長い事話していた。
 内容は主に、レヴィ筆頭のこの団体についてだ。東海三山だけでなく、仲介やスポンサーなどの客観的評価を龍雷はいくつか知っていて、諸事情や裏事情を交えながら、半ば討論のようになっていた。
「(うーん。大人同志の会話。)」
 皿を持ちながら、うなってしまう。
 手伝いながら彼らの話しを伺っているのだが、話が濃ゆいのと難しいので、途中でさっぱりわからなくなった。
「・・・・。」
 夕食にもカルノは起きてこなかった。そろそろ惰眠貪ってる状態だなとナギが笑っていた。







 11時になって、勇吹は、勉強をやめた。
 何か飲んで寝ようと、キッチンに向う。
「・・・・。龍雷さん。」
 リビングの彼が振りかえった。
「君か・・。」
 ソファを占領して横になっていたのを座りなおそうとするので、勇吹はそのままでいいですよと笑った。
 人のうちでどっかりと座れるということは、神経質そうな顔に似合わず大雑把な性格なのかもしれなかった。
 その大きな体に向って勇吹は尋ねる。
「何か飲まれますか?。」
「・・いや、もういただいている。」
 水の入ったコップを取り上げて見せる。
「日本の水はうまくていい。」
「ああ・・。・・。」
 浄水器を通しただけの都会の水だが、それでも大陸よりはおいしいのだろう。
 勇吹はぴんと閃いて、伺いなおす。
「んじゃ。もう一杯いかがですか?。」
「・・いただこうか。」
 結構自分が家事を手伝うのを知ってか遠慮をしてこなかった。
 勇吹はコップをもらうと、自分の分のグラスを並べ、棚から出した日本酒のビンをかたむけた。
「・・おい。」
「日本のおいしい水で作ったものですから。」
 と笑って彼の手にコップを戻した。
「未成年じゃないのか?。」
「万国共通の法律でしたっけ。」
「はは。野暮だったようだ。」
 肩をすくめ、勇吹の気遣いに龍雷も笑い返した。
 コップを傾ける。
「おいしいでしょ。」
 表情を見抜かれて、言われる。
「ああ。うまい。」
 そう答えると嬉しそうに笑った。
 不思議な感覚だった。
 望む表情を返してくれる。そんなあたりまえのこと。
「・・・。」
 今までそんなことなかったのに、バカみたいに気づかされる。
 コップに額をつけ、自嘲気味に龍雷は笑った。
「?。どうしたんですか?。」
「・・月並みだが、怖くないのか。」
「怖くないって言ったら嘘になります。けど、女の人達を逃がしてたりとか思えば、そうでもなくなります。」
「そうか。」
「それに、最初から変だなって。・・変ていうか。」
「何がだ?。」
「うーん。最初人違いした時に、すまなかったって言ったでしょ。わざわざ日本語で。」
「・・・。」
「謝れるって言うのは、やっぱそれを教えてもらってるからで。どっか悪くなりきれないような気がするんですよ。」
「・・・。」
「それに律儀な人って、あんまり敵にしたくないな。」
「なるほど。」
 よくしゃべる子だと思った。
 自分もだ。こんなに誰かとしゃべったのはもう、30年も前になるか。
「手、見てもいいですか?。」
「・・?。」
「いえ・・、顔はそうでもないのに、手は年取ってるなーと思って。」
「はっきり言うな。」
 龍雷は苦笑いして、かまわないが、と言った。
 勇吹は差し出された手を見る。
 節くれだった大きな手は温かく、戦歴を重ね傷だらけで。
「・・・・。」
 神妙な面持ちで見てるから不意に呟いた。
「この手は、たくさんの命をあらゆるやり方で奪ってきた手だ。」
 そんなことを言う。
 違う。誰かを守ることも出来る手だった。
「・・・そうですね。」
 肯定はするが勇吹は、手のしわに目を落とし、まるで刻まれた時を眺めるだけのようだった。
 勇吹は傍の椅子に座り込んだ。
 コップのガラス越し彼を眺める。
「これからどうなさるんですか?。」
「そうだな。まあ、どうとでもなるだろうさ。生き抜く知恵はある。」
「・・。」
「ただ、初めて与えられた自由で、何をすればいいのか正直戸惑っているな。」
「・・・・。」
「・・・どうした?。」
 羨ましそうな目をするので尋ねた。
「・・・強いから。羨ましいです。」
「そうか?。俺には君の方が強く思えるが。」
 勇吹は首を横に振った。
「強かったら、自力で逃げてます。」
「・・・・。」
 案に彼らに気兼ねしていることを告げる。
「俺には守られる理由がないから、辛いです。」
「理由がないなんて、思うのか?。」
「思います。」
「どうしてだ?。」
「この抜き身のような能力の上に、俺自身がそんなに優しくないからです。」
 可愛い顔に似ず、とゆーか日本人のくせに、はっきり物を言うな・・と再び思った。
「・・大切な人達を危険に晒して、・・そんなふうに守られてばかりだ。」
「・・・。」
 若いなと思った。
「気にしなくていいと思うが?・・・・守られることに慣れて踏ん反りがえってる奴らはいくらでもいるからな。」
「そんなのとは、あんまり一緒にされたくないかも。」
「だったら、守らせてやるんだな。」
「・・。」
「守るモノが稀少な存在だからという理由だけで、無償で守るということを人はしないものだ。守ろうと思うからにはちゃんと対価があるのさ。それは金だったり、思いだったりする。君がくれるものがあるから、彼らは君を守る。」
「・・・・。」
「優しくないと言ったが、それもくれるものの一つだろう。君を守る理由は彼らにはいくらでもあるだろうしな。」
 龍雷は酒を呷った。
「俺にだってあるくらいだ。」
「・・それはなんですか?。」
「そうだな・・・。・・そのうちこのひとときをもう一度味わいたいものだが・・・、そのためには酒を注いで、この手に触れてくれる君が必要だな。」
「そんなの誰だってできることでしょう。」
「56年生きてきて誰もしてくれなかったがな。」
「・・・・・嘘だ。気づけないでいるだけですよ。」
「かもしれないな。でも、そういうことだ。」
 年寄りの薀蓄だなと思い、苦笑う。
「それに君は神霊眼という未曾有の能力者だ。・・・・強い者にとって、守らなければならない価値のある者が守りたい者であるということは稀なことだ。彼らは幸運だと俺は思うね。」
「・・・・。」
 勇吹は目を丸くして龍雷を見返した。
 守らせてやる、なんて、
 そんなおこがましくてもいいの?。
「・・・・。」
 そのままがいい、とナギが言っていた。
 そういうことなのだ。


 なんで、この人はこんなことを言ってくれるんだろうと思った。
                      考え方
「う・・・、ちょっと新しい境地かも。」
「はは・・。」
 さも降参という声色で勇吹が言うから、龍雷は嬉しくなった。
 普通に暮らしてたら、このくらいの息子がいてもおかしくない歳だった。
 なんだかくすぐったいものがあった。
「もう一杯注がせてもらってもいいですか?。」
「もらおうか。」
 龍雷は、コップを掲げる。
 勇吹は日本酒の瓶を傾けた。
 自分のにも注ぎ足して、

「乾杯」
「干杯」

 この夜に。
「ああ・・、そう言ったら飲み干さないとダメだぞ。中国では。」
 空になったコップを見せられたので、
 勇吹はもちろん応えたのだった。