もう、束縛しないし、
 手も、伸ばさない。




 ・・・・けれど、傍にいてくれたら嬉しい。







 見なれた車窓の風景が流れて行く。
 お昼前の電車はかなり空いていたが、勇吹は手すりに凭れ立って乗車していた。
 いろいろ巡る思いはある。
 あのカンの良さはずるいとか、
 なんでわかるんだとか、
 自分はわからないのにとか、
 でも堂々巡りになるのでやめる。
「(・・・・・・とりあえず。)」
 ぐっと思考を頭に押し込む。そして自分の鈍さを電車の棚にでも上げておく。
「(とりあえず、最後の一線は踏みとどまっておこ。)」
 自分の身は清らからしいので、捕食として必要な時もあるだろうから。
「・・・・・。」
 勇吹は車窓から目を反らし窓に凭れた。
「(友達とか・・じゃ、ないな。)」
 普通、友達関係が前提ならここは思いとどまるところだろう。
「(・・・・・・飛ばされたというか、・・・・あっさり踏み越えやがってもう。)」
 くしゃりと短くなった前髪を撫でた。
 でもカルノは、友情とかいうグレーゾーンはあまり用意されているようには思えないから、勇吹は肩をすくめやる。
 キスされたことに別に嫌悪感は無くて、噛み付かれたぐらいにしか思わなかった。
「(アップに耐えるしな。あいつの顔。)」
 だから自分はかまわないのだ。
 けれど彼がかまうのだとしたらそれは無責任で腹が立つから、謝る理由がなんなのか確認した。
 そしたら予想外に倒されてしまったのだが。
 勇吹は窓の中の自分を横目に見た。
 あんなに明らかだった母親の面影は、髪を切っただけでほんの少し残すばかりになる。
 奴に対して、自分は、マシな方なのだろうか。
「(・・・・・カルノと比べることが、不毛だ。)」
 電車がホームに滑り込んで北野駅に着き、勇吹は降りた。
「・・・・。」
 束縛しないし、
 手も伸ばさない。
 でも傍にいてくれたら嬉しい。
 思いを乗せて階段を一段飛ばして降りていく。
 嫌がらないでいてくれて、気に掛けてくれて。
 調子よく簡単に言い当てられて怒ったけれど、もう半分の気持ちはどこかホッとして、嬉しかった。
「(あのカンの良さはずるいよ。)」
 自分はわからないのに。
 彼の心が、気持ちが誰に向っているのか、
 わからないのに。


 誰をさしおいても、
 まだ傍にいてくれるのだ、と、
 わかったから。


 それがおこがましくても、
 嬉しかった。







 改札を出て東口へ向うと、逆光の向こうに、和樹と和沙がいた。
「義経っ。」
 和沙が弾かれたように走り出した。
 呼ばれて軽く上げた手はそのまま和沙を抱きとめることになる。
「・・・・。」
 女の子に胸で泣かれたことなどないから、慣れない場にちょっと戸惑う。鼓動が早くなるのも止められない。
 伸ばされた両腕が背中を抱き締めていくのを感じながら、近寄ってくる和樹に勇吹は困ったように笑った。
「ごめんなさい。」
「おまえが謝ることじゃないだろう。」
 和樹が仏頂面でぶつっと呟いた。
「うん、でも心配かけたから。」
「・・・大丈夫なのかよ。顔色悪いぞ。」
「和樹達こそ。」
「あたりまえだ。寝てねーよ。はぐらかしてないで、体、大丈夫なのかよ。」
「麻薬の影響がちょっと残ってるだけだよ。すぐに直るってさ。」
 そう言って、勇吹は和沙の頭をぽんと撫でて、離した。
「レヴィさんが、いい訳しに行ってくるように、というのでいい訳しにも来てるんだけど、なんか食べない。」
 傍のイタリアンレストランを指す。
 和樹が肩を竦めやった。
「俺の驕りでいいならな。」




 食事を済ませて、飲み物とデザートが運ばれていた。
 連れ去られた後のことを聞かれたから、どう言おうと一拍おいて、
「連れ去られたけれど、仲間や神様達に、賞味4時間で救出されました。」
 と、簡潔極まりないが、答える。
「・・・おしまいかよ。」
「おしまいです。」
「怖かったとか、痛かったとか。」
「疲れただけ。別に対して怖くなかったし。」
 ただただ嫌だった。カルノ達が自分のせいで傷つくのが。
「夢物語みたいな話だし、言いようがないって言うか。・・それに自力で逃げられなかったのを一から話すと虚しくなるし。」
「・・おまえさ。弁慶に仕向けられる敵と、義経に向けられる敵、どっちが強大だと思ってんだよ。」
「・・・それ俺らの話?、オリジナルの話?。」
「オリジナルの話でいいよ。」
「・・・義経。」
「そ。・・そんでおまえはその義経なの。・・・・・弁慶の方が義経より強いだろうさ。けど強さは関係ない。敵が求める首級は義経だ。義経が欲しい敵からすれば強い弁慶も義経の附属物にすぎない。・・・だから赤毛の弁慶は自分の身を自分で守っているように見えるかもしれないけど、彼に襲いかかってくる敵と、おまえに襲いかかってくる敵は全然レベルが違うの。情けないと思うには、敵が強すぎんだよ。おまえの場合。」
「・・・・・。」
 なんでそんなにわかったように言うのだろう、しかも当たってるし、と、レモンスカッシュのストロー口をくわえながら思う。
「それは俺もわかってるんだけど。」
「わかってるなら一人で今、出歩かないだろ。」
「俺に家に閉じこもっていろっての?。」
「守られろって言ってんの。」
 和樹も龍雷と同じことを言う。
「大人しく守られてる性分じゃなさそうだけどな。赤毛の弁慶と示し合わしてするんだよ。その方がよっぽど効率よく局面を切り抜けられる。」
「・・・。・・・はい。」
 勇吹は大人しく返事した。守られることを方々から薦められるというのも変な感じだ。
 生返事に聞こえたのか和樹の目が半眼になる。コーヒーをテーブルに戻した。
「信じてやれよ。」
「信じてるよ。」
「信じるしかない、だろ、まだ。」
 氷がからんと乾いた音を立てた。
「・・・うわ・・、きついね。」
 渋面をごまかすように軽口を叩いた。
 が、それまで大人しく聞いていた和沙が呟いた。
「最後の一線で手を離せる貴方の方がきついわ。」
「・・・・。」
「”関わるな”。なんて言っちゃダメよ。好かれてる子に。」
「・・・・手遅れかも。」
「前科持ちかよ。」
「すいませんねぇ。嫌な性格で。」
 なんか、ほんといい訳しにきた感じになってしまった。
「ま、前向きに善処するように。」
 和樹は立ち上がった。会計のレシートをつまんだ。
「政治家みたい。」
「政治家になるんだもんよ。」
 支払いを済ませて外に出る。
 彼らも帰るそうで、改札を一緒にくぐる。
 けれど、電車は逆方向だ。
 先に勇吹の乗る方向の電車が滑り込んでくる。
 その時、振り向かせるように勇吹を和樹が呼んだ。
「敷島。」
 電車の音で周囲には聞こえなかっただろうけれど、
 勇吹は一瞬呼吸が止まった気がした。
 ・・・・懐かしい響きだったから、胸が詰まった。
 こんなふうに友達に呼ばれていたのはほんの少し前なのに。
 その時は、名前でなく苗字が特別な響きで聞こえるなんて、思わなかった。
「・・・・なに?。」
「外人とばっかりと暮らしてると、苗字も名前も韻だけ踏んでカタカナになっちまうだろ。」
「・・・・・。」
「ちゃんと漢字で覚えておけよ。意味と一緒に。」
「・・・うん、わかった。」
 勇吹は乗り込んだ。
 扉が閉まる。
 手を振って、・・・・・しばらくして見えなくなる。
 勇吹は再び窓に凭れた。
 うつむきそうになるのを堪えるようにポケットに手をつっこむ。
「・・・・。・・・?。」
 何か入っているのに気づく。覚えがない。
 取り出してみると、船弁慶と書いてあった。
「(いつの間に。)」
 能舞台のチケットだった。4枚入っている。
「(・・・行ってもいいのかなぁ。)」
 ・・・きっかけを探してる。
 和樹も和沙も、自分も。
 考えているうちに最寄りの駅についた。
 赤い残像にバッと顔を上げる。
「・・・・え。」
 開く前の窓の向こうにギョッとした。
 行きの電車で悶々と悩んだ原因がいた。
「・・・・。」
 勇吹はこめかみが痛くなった。
 まあ、もう深く考えるのはやめているので、かまわないのだが。
「・・・・来るかな。普通。」
 あきれと冗談口調を混在させながら尋ねた。
 カルノが不貞腐れた声で呟く。
「映画。見に行くんだよ。」
 たぶん部屋に龍雷がいて、居場所に困ったかしたのだろう。それか掃除のため追い出されたか。
 カルノが乗り込んでくる。・・・勇吹も降りなかった。
 言いまわしは誘っていないけど、わざわざここに立ってるってことは、仕切りなおしということだ。
 それにしてもちょうど降りる位置を知ることが出来るというのは、やっぱり魔法使いなら出来なきゃだめな芸当なのだろうか、などと思う。
 今のところ自分には無理な芸当である。
 勇吹は肩をすくめた。
「何が見たいの?。」
「適当。」
「タイタニックは?。」
「却下。」
「右に同じ。・・・んーと、リーサル・ウェポン4は夏からだっけ。」
 まだやってないよなぁとぼやいた。




 長めの停車の後、ベルがホームに鳴り響いた。
「・・・・・・。・・!っ」
 カルノが、はっと辺りを見まわした。
 ぐっと勇吹の二の腕をつかんだ。
「降りるぞ。イブキ。」
「え?。」