ランタンの香炉




 お神酒を奉納し、榊の葉を神垂とともに飾る。
 勇吹は、祭祀を執り行う準備を進めていた。
 地鎮祭とは、土地に作為を加えることを神様に許しを得る儀式だ。
 階段から、和樹が剣道部員たちを引き連れてきた。どやどやと騒がしかったのが、厳かな勇吹の後姿に皆、沈黙する。
 ランタンを手にとって、勇吹は振り返り、笑った。
「そんなにかしこまらないでいいよ。」
「おまえがめかしこんでるからだろうが。」
「そりゃ、かしこまるのが俺の仕事ですからね。」
 風間部長と勇吹のやり取りで、その場の雰囲気がなごむ。
 勇吹は、ランタンに火を入れた。ランタンはかがり火の代わりである。
 やわらかい炎の灯る蝋燭をナギは選んでくれたようだ。
「ああ、もう来てしまったんですか?。」
 ランタンから顔を上げて、勇吹は笑った。
「・・・。」
 ふわっ、と屋上に甘い香りがたち込める。
 部員達は全員、息を呑んだ。
 目を疑うが、竜神がそこにいるのが見える。




 ランタンを祠の傍らに置く。
「・・・。」
 勇吹は、一つ深呼吸する。
 燭台の炎はチロチロと燃えて、彼の左頬を照らした。
 祠から再び振り返り、勇吹は顔を上げた。
 その姿は、清廉と白く、たおやかで、
 神に使える人が、全て美しいのなら、彼はそれなのだろう。
 勇吹は、狩衣の合わせから拍子木を取った。
「・・・。竜神様のお成りです。」
 勢いよく、打ち合わせた。
 カーンッ・・・・きーん、いん
 しゃしゃしゃしゃしゃ。
「え・・・。」
 鳴竜だった。
 勇吹は再び祭壇の向こうの竜神を仰いだ。
「ご報告いたします。北東の鬼門の守役を、この猿めに任せること、」
 しゅるんと猿が勇吹の足元に現れる。
 そして、飛ぶ。飛び跳ねる様を目で追い、最後に階段室の石像の中に入り込んだ。
「北野台と南原にさまよえる霊たちを参道に導く祭りを催すこと、お許しいただきたく申し上げます。」
 祝詞など、意思疎通のための前置きなど一切無かった。
 竜神も聞こえていると見えて、勇吹に向けて、その大きな顔をもたげた。
< 祭りは続いていくだろう。私がこの町に仇なすことはない。安心するといい。 >
「ありがとうございます。」
< ・・・そなたの器を思えば、私に敬意を払う必要などなかろうに。 >
「・・・・。」
 竜神はするりと勇吹の体に身を摺り寄せる。
 まるで小動物にするかのように、勇吹は両手を伸ばし、その鱗を撫でた。
「買かぶらないで下さい。私は私の無知と、愚かさと浅ましさを認識するので精一杯です。」
< ・・で、あるか。 >
 竜神は姿を消した。ランタンを手に、狩衣の裾を翻してこちらを振り向いた。
「これから、南原神社に向かって、参道を行きます。神社が合祀されて、さまよう霊達を全て導き、そしてこれからくる霊達に参道を示します。」




 皆を連れて昇降口を出る。正門にバイクを待たせてある和沙とはそこで別れた。
 勇吹は裏門に向かった。旧参道がそこから伸びているからだ。
「・・・・カルノ。」
 裏門に彼はもたれていた。
 目を細めてこちらを睨んでいた。
「・・・・。」
 怒っている理由はなんとなくわかった。勇吹は皆を待たせてカルノの傍に行った。
「帰ったのかと思った。」
「引き返した。」
「そんなに匂う?。」
「匂う。・・・。」
 カルノはランタンを指した。
「あと1時間で済むから。」
 説明も後でするからと、勇吹は微笑む。
「・・。」
「・・っ。」
 カルノは勇吹の首筋を分け、紐を伝ってペンダントを引っ張り出した。
「・・カルノ?。」
「・・・。」
 掌に乗せ、視線を合わす。
 ペンダグラムに住む精霊達に。
 そして、命令する。
「誰も寄せつけるな。」
「・・・・。」
 自分を含めて、だ。
 言ってカルノは手を離した。
 遠巻きに見ていた風間が溜息をついた。
「英語もしゃべれるのか。あいつは。」
 只者じゃなさ加減が度を越している。
 女子などは、純日本風狩衣姿でバイリンガルな上に、これまた美人な少年が現れて傍らにつくものだから、・・この上なく騒いでいたが。
「ペラペラですよ。」
 和樹は答えた。
「あの赤毛の弁慶はあいつの仲間か?。」
 義経に照らして、風間も同じふうに彼を呼称する。
「らしいです。」
「おまえも英語出来たよな。奴ら何を話しているんだ?。」
「・・この匂いが良くなくて、義経はあと1時間、時間をくれと言ってます。それで今、弁慶が呪いをかけました。誰も寄せ付けないように。」
「・・・。」
 勇吹が、後ろの一同を手招きした。
 そして歩き出す。後ろに控えるようにカルノはその後に続いた。
 皆より一歩先に出て、和樹はカルノと足並みを合わせた。
 うっとうしそうに横目にこちらを見やる。その腕を取って足を止めさせた。
「気のない振りをするのはやめるんだな。後悔の元だぜ。」
 耳打って、和樹は薄く笑った。
「・・。」
 手を払われるまでもなく和樹は手を離した。
 一行は裏門を出る。




 所々に灯篭の残る、かつての参道を歩き出す。
 今は閑静な、古い家並み。
 この辺りは丘陵の水はけの良い土地だ。市街地は西へ移ったけれど、往時をまだ忍べる。
 夕刻の祭。
 ゆらゆらと丸いランタンが灯る。
 北野神社から、
 南原神社へ。
 神つ道を灯す。
 不思議そうに振りかえる人達がいる。
 訝しげに見る者もある。
 行政にも問題ない行幸であることを、あとからついてくる学生達が示す。
 次第についてくる者がある。
 日本は信仰のない国だというが、そうでもない。
 頼り、又は祟らぬよう、心の奥底で神を崇めている。
 勇吹は優しげで、甘く、笑みは人を惹きつけた。
 南原神社の敷地内に入る。
 勇吹は鳳凰社へ通じる階段の上で止まり、胸元から再び拍子木を取り出した。
 カーンッと打つ。
 きーん、いん
 しゃしゃしゃしゃしゃ
 と鳴り響く。
 ここから・・・、と勇吹は、尾根伝いに指差した。
 夕暮れ時の稜線は赤く染まっていた。
 この山に、竜神は住んでいるのだ、と伝える。
 勇吹は言って、拍子木を和樹に渡した。
「・・・・。」
 和樹も勇吹の真似をして拍子木を打ってみる。
 しゃしゃしゃしゃしゃ
「・・。」
 たぶん鳴龍だと思うけれど、周りを見てもそんな但し書きはない。
 勇吹は穏やかに微笑った。
「俺の仕事はこれで終わり。」。
 冠を外して、和樹に渡した。
「あとは任せたよ。」
 勇吹は踵を返した。カルノも後につく。彼らを追うことは出来なかった。
 鳳凰社、薪能が始まったからだ。
 これはまた美しい少女が歩みいでる。
 最初はゆっくりと、そして美しく華やかな和沙オリジナルの神楽舞だった。
 のちに、降神の舞と呼ばれるようになる。




 和沙の神楽舞は見事だった。
 流石である。自分の神事の印象をかき消すような華やかさ。
 これでいい。陰気な神事から、陽気な神事へ。
 気の循環が街に起きて、もう澱まない。
 ちょっと神社から離れてはいるが、体育館の更衣室に来ていた。
 狩衣と指貫を脱ぎ、たくし上げていたチノパンの裾を降ろした。
 勇吹は匂いの経緯についてカルノに話す。
「なんで和沙さんじゃなくて、和樹が持ってるのかわからないけど。ランタン和樹に持たせたから、その時ついたんだと思うよ。。」
 カルノはコインロッカーに寄りかかって、横目でこちらを睨んでいた。
 持ってきた風呂敷に着物を畳んで包んだ。勇吹は溜息をつく。
「そんなに大丈夫じゃない?。」
「おまえの場合、大丈夫じゃない。」
「誰も寄せつけるなって言うけど、ずっとそうやって見てるけど。」
 勇吹もロッカーに寄りかかった。
「俺、別に寄りついてもいいんだけどな。」
「・・・。」
 カルノの表情が苦りきった。
「・・・わかってねぇな。」
「何をわかれって?。」
 カルノは、チッ、と呟いた。ガンッとロッカーを殴って、踵を返す。
 いい加減、理性がもたない上に、こうも言われたら腹が立ってしょうがない。
 カルノの後姿を目を細めて見やった。
「・・守られる筋合いねーんだよ。」
 呟いて、我ながら生意気だなと思った。
 分相応に、自分を守れてもいないくせに。
 勇吹は昼間来て持っていたコインロッカーの鍵を差し込んだ。開けると、百円玉がちゃりんと返る。
 中から箱を出した。
 和沙への花束である。
 オレンジのガーベラとバラと霞草などをブーケ風にアレンジして作ってもらった。
「・・・まさか、赤いバラばっかりだとは思わなかったな。」
 バッサと肩に花をもたれさせた。
「・・・。」
 カルノが用意した花。
 何か思い入れのある花なのだろうか。