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-情景背景-




 中国大陸の歴史は奥深い。殷/周/春秋/戦国/秦/前漢までがBCにおさまってしまう。日本は縄文時代だが、はてさて同じくらいの文明があったのではないだろうか。
 では、神仙思想を大雑把に以下のように考察してみた。
 神仙思想は、現世利益。
 仏教は、死後の安堵。
 神道は、現世の安堵。
 道教(陰陽道)は神仙思想の手段になったり、神道の護身術で受け入れられたりする。
 風水も神仙思想に絡んで、現世利益を得るための手段だろう。
 どれも空想の産物だが、神仙思想は業深さが何か際立つ。
 死は恐怖で、老いることは恥辱であったのだろうか。そうではないことを仏教は説く。が、神仙の世界を求める気持ちは、死と老いを嫌い、様々な辛苦から解き放たれて、常春の中で生きたいと思うところにある。仏教で言うような死後の極楽浄土より、今生きているこの時点でそれがほしいという願いの中にある。
 現世の楽土観念が神仙の世界だ。
 さて、その楽土を構成するのが、東海三神山と崑崙。どちらもよく耳にする神仙の住む山の名前である。この二つの山の歴史について触れてみた。
 まず、東海三神山から。
 東海三神山は、中国・春秋戦国時代の頃の文献があるそうだ。渤海に浮かび、蓬莱山を主峰にして、方丈、瀛州という三山で構成されていて、治める者は、東王夫である。
 秦の始皇帝がつかわした徐福の東海三神山探しは、日本にも縁ある話である。彼が和歌山に上陸したといういわれがあり、真偽はともかく新宮市に墓がある。
 さて、その実は、海に現れた蜃気楼。
 後年、陳寿が書いた魏志倭人伝からもわかるように、渤海の先にあるのは朝鮮半島であり、日本であり、東は未知の世界では無くなっていった。
 その結果、東海三神山は未知の世界である南海(南シナ海から西へ南へ広がる海を指す)にある、と言われるようになった。
 広東省に羅浮山という山がある。そこはかつて蓬莱山と呼ばれて、その形跡を残している。
 次に崑崙。
 崑崙は、漢の武帝が東の蓬莱と対称関係にした仙人の世界である。シルクロードより向こう西方にあり、治める者は、西王母である。
 さて、漢の武帝が蓬莱と崑崙の対称性を明確にして、西へ人(張騫)を送った結果、西方には別の文明(大月氏国)が開けてることが、あっさりわかってしまったのである。
 以後、崑崙の神性は薄れてしまった。が、その主、西王母信仰が民間に起こり、根強くその名が残ることになった。


 以上考察でした。
 参考文献は以下のようになってます。

=参考文献=
(最後まで目を通した本)
『能楽ハンドブック』三省堂
 船弁慶について舞台構成とか、とっても参考になりました。小道具とかも。
 見るべきものは見つ・・平知盛の台詞です。
『日本の幽霊−能・歌舞伎・落語−』大阪書籍
 同じく船弁慶について。
『不老不死−仙人の誕生と神仙術』 大形徹/講談社現代文庫
 仙人とはなんぞやと。陰陽の考え方、仙人になるための手段などなど、一通り書いてある。
 尸解仙なんて、なつかしー、仙人の階級だったとは。トルーパー外伝では屍解仙だったっけ。以来忘れてた。
『中国怪奇物語・神仙編』 駒田信二/講談社文庫
 神仙の説話・逸話を。ネタ探しに。
『中国の名言・故事100選』 田川純三/PHP文庫
 一家に一冊は欲しいぞ。でも売切れの本。名言・故事から歴史背景をつかめる本。
『龍の住むランドスケープ−中国人の空間デザイン−』 中野美代子/福武書店
 上記のうんちくの源泉。
 仙人を求める側は、こんなことしたよーという本。
 東王夫と西王母が不老不死の仙薬を持ってるというのもこの本で知りました。

(かいつまんで読んだ本)
『時代別展開・総合世界史図表』第一学習社
 うーん。高校の時はちんぷんかんぷんだったのだが・・・・読めるようになっている。
『地球の歩き方・中国』ダイヤモンド社
 上海の雰囲気とか、青海の位置などとか調べました。
 東に東海三神山
 西に崑崙
 南に拉薩
 北に敦煌シルクロード
 青海はかつて西洋と東洋の清濁をあわ飲んだ町。西域への通り道であり、中国歴代国家と周辺民族との戦場でもあった。