アニバーサリー
2.長椅子





 ドーリアンの家に向かってこうして歩いているのも不思議だ。
 リリーナはヒイロの背中を見つめながら何度目かの苦笑をする。
 私が単独行動を取ることによって騒ぎになるかどうかの二者択一と両者の気持ちを論理式に当てはめての結果だろうけれど。
 この日にこうしてヒイロといられるのが嬉しい。
 不謹慎だとしても。
 だから先程から頬が弛んでどうしても笑ってしまう。
 いい加減ヒイロは聞いてこなくて、あきれているようである。
「・・・・・。」
 今通っているのは庭に通じる森だ。私は当然知っているが、ヒイロもそんなことぐらい知っているのだ。
 日が暮れて足元を照らすものは上弦の月明かりだが、慣れた道でもある。
 ヒイロが貸してくれたブルゾンは暖かい。いくらでも歩けた。
「地方の空港管理に興味があったからだ。」
 道すがらリリーナが尋ねた問いにヒイロは抑揚も無い声で答えている。
「ここが見本になれば、地方空港の見本になる。」
 言っていることは相当、熱烈で。
「ここはリゾート都市として?。」
 なのでリリーナは皮肉ってみる。
「そういう側面があるだけだ。この旧国は土地の所有権だけはmm単位で正確だ。」
「そうね。」
 リリーナは肩を竦めた。
「そう考えると宇宙は広いわ。星ひとつ自分のものに出来るのだから。」
「・・・・ああ。」
 星一つどころか、自分には。
 だからそんなこと考えたことがない。

 木々の間で光るものが見えた。
 屋敷の明かりではない。

「・・・・・・。」
 一本桜。
 ヒイロが少しだけ目を見張る。
 私は知っている。これは子供の時から大きな桜。
 リリーナは目を伏せる。
 ただ近年見ていない。季節が合わなかったり、予定が合わなかったりした。
 そうこの桜は子供の時の記憶の中にある桜だ。
 歩きを止めたヒイロの背に向かい歩みつつぶつかり、そのまま寄り添う。
 肩に頬を乗せる。ヒイロの温もりが冷えたそれに温もりを移す。。
「・・・・綺麗ね。」 
 幹から精一杯に枝を広げ、そこに四方白い花が房になって開く。
 山桜の大木は威風堂々たる姿でそこにいた。
「・・・・・。」
 花弁が風に散る。月明かりにきらきらと舞い落ちる。
 今日限りの桜木。
 私はここに桜があるのを知っている。
 だけど、この美しさを私は知らない。
 日系人の彼が見上げている。
 そうその姿が何より美しい。
 その地を離れても、その地に縁の深い者が最も似合うのだ。
「ああ。」
 ヒイロはただ頷くだけだった。









 



 窓の光が見え、ドーリアンの家の建屋が見えた。
 戸が開かれパーガンが出てくる。
「お帰りなさいませ。お嬢様。」
「ありがとうパーガン。それからいろいろごめんなさい。」
 セキュリティと一緒に帰らせたことだ。
 パーガンは微笑んだ。
「いいのですよ。お嬢様は奔放な方が安心いたします。」
「嬉しい。ありがとうパーガン。ヒイロを部屋に案内してね。私は一度自室に行きます。」
「かしこまりました。」
 リリーナはテラスを走っていく。
 ヒイロは見送って腰に手を当てて溜息をついた。
「甘やかしすぎだ。」
 つっけんどに言う。
「あなた様ほどではありません。」
 パーガンはいつもの通り穏やかに笑うだけ。
 ヒイロは目をすがめて、呟く。
「・・・・そんな気遣いは不要だと言った。」
「大事な方だと私も申し上げました。」
 パーガンは取り合わない。
 受け流され、ヒイロもまた話題を変える。
「・・・・門は?。」
「先程の道はもう閉じました。」
「セキュリティは?。」
「別室におられます。」
「・・・朝までは待機と伝えられるか。」
「私でよければ。」
「かまわない。」
 ヒイロはふいっと先んじて歩き出す。
「ヒイロ様。」
「・・・。」
 様づけか、と睨む。
 だが、パーガンは執事の顔のままだ。
「ヒイロ様、どうぞこちらへ。」
 客間への行き先とは違う方向を指される。
 階段を登り、テラスから。
 ガラスの戸を開けた。
「・・・。」
 カーテンの向こう、天上の高さに達する書棚群が見える。
 ヒイロもさすがに目を見張った。つられるように中に入る。
 ぎっしり詰め込まれた書棚の書に触れる。その背表紙を見る。金箔でうたれたタイトルに触れる。
「・・よくもこれだけ。」
 正直に感嘆の声がもれた。
 その後姿をみて、パーガンは苦笑する。
「そうお思いになられるのは、あなたが聡い方だからでしょう。」
 穏やかにそして落とした声で呟く。
「ほぼ電子書籍化された古本です。ここを訪れるほとんどの人には壁紙代わりでしょう。」
「・・・・・・・。」
 部屋は応接も兼ねているようだ。ただそれはだいぶプライベート下だろう。置かれているのは、3台の長椅子のみだ。
 この部屋自体は広いのだろうが書棚があるのでそれほどではなく、書棚を抜かした床面積相応の広すぎない部屋がもう二つ、左右にあった。
「私室ですが、どうぞお使い下さい。お嬢様もよくおくつろぎになっています。」
 そう言って、パーガンは部屋を出、廊下に通じるドアから屋敷の中に戻っていった。
「・・・・。」
 誰の私室だ、と尋ねるまでもなく。
 窓辺に向いた長椅子があった。くつろぎやすそうなのでそこに足を向ける。
 長椅子の背にジャケットをかける。
 部屋の中は十分温かかった。
「・・・・。」
 手紙が落ちていた。ヒイロユイ様とある。そしてパーガンの字だ。
 その手紙を拾い上げジャケットのポケットにしまいこむ。
 ネクタイを外し、鬱陶しい襟を開く。そしてそのまま本棚に向かう。
 ついついついっと5冊ほど引き抜いて、脇に抱える。
 長椅子に戻って、豊かな硬質の綿の上にどさりと乗せる。
 一冊を手にとって、ヒイロは足を組んでさっそく読み始めた。
「・・・・。」
 ノックは無い。が失礼いたしますと落ち着いた女の声がした。
 ワゴンの音と食事の匂いがした。
「お食事をお持ちしました。」
「・・・・そこに、置いてもらえればいい。」
 右隣の部屋は開け放たれていてテーブルがあるのがわかっている。
「かしこまりました。」
 そう言って食器類を置く音がした。手際よくテーブルセッティングを済ませている。
 そしてややあって、こちらの部屋にやってきた。
「お洋服など揃えてありますので、どうぞご自由にお使いください。」
「・・・わかった。」
 ここで反論しても仕方が無い。家主がそう言っているのだろうから。
「・・・お若いのにずいぶんと落ち着かれているのですね。」
「・・・・。」
 ヒイロは顔をそちらに向ける。
「皆感嘆しておりますよ。」
 メイド達の長だろうか。
「そこも私も屋敷の者も旦那様以外は座ることなど考えられなかったのですが。心は変わるものですね。」
 首を傾いで馳せるように呟く。
 そして本の上に一通の手紙を置いた。
 そしてスカートの裾を軽く持って一礼した。
「失礼いたしました。何か不都合があればおっしゃってください。」
 そう言って女官は下がっていった。
「・・・・。」
 ヒイロは、はらりと封筒をつまみ上げ、ややあって、ジャケットのポケットに封も切らずにしまいこんだ。





 複数ある父の私室を、ヒイロに案内したらしい。
 シャワーを浴び白いシャツドレスに着替えて、そのまま回れ右をしてきたリリーナだ。
 戸を開けると、室内に食事が置かれていて、その香りが漂う。
 テーブルにはボルシチとサラダとパンが、置かれていた。
 二人分。
「ヒイロ。」
 リリーナは呼びかけてみる。
「ああ。」
 ヒイロの声がした。
 窓辺の方だ。
 もう一つの部屋は開け放たれていて、戸も固定されている。
 記憶を手繰る。
 こうして中に入ると父はいつも長椅子の左端の方に座っていた。
 踏み入って、本棚の向こう。
 ヒイロは長椅子の背後、ラグに本を広げていた。
「・・・・・。」
 リリーナは剣呑に眦をつり上げた。
「・・。」
 何故かリリーナの怒気が伝わってくる。
 開口一番怒鳴られる。
「そこは私の特等席よっ。」
 しかもそんなふうに本を広げているなんて、過去の自分を見ているようである。
 こんなふうに私は父親に甘えていたのだと。
「・・・・知るか。」
 取り澄まして答えてやって、そんなふうにヒイロはうそぶいた。
 むくれているリリーナだ
 ふうわりと隣に座り込む。
 怒っていても拗ねていても美しさが損なわれることが無い。
「もう。どうして長椅子じゃなくて、ラグなんですか。」
「別に。場所なんかどこでもいい。」
 ただ女官に言われたので、なんとなくリリーナにもそう思われるのが癪だったので移動しただけだ。
「食事にする。」
 ヒイロは立ち上がった。
「はい。」
 気を取り直しリリーナも。







 食事を済ませたテーブルは片付けてくれる。
 二人してラグに戻っていた。
「何を読んでいるの?。」
「地球から月への初期宇宙航行のマニュアルだ。そういった想像力は火星行きでも引用できる」
「ずいぶん、古い本ね。」
「データ化したとパーガンは言っていたが古すぎて知られていない。」
 パーガンと女官がいても別に気にしない声だ。
 パーガンと女官は聞きながら苦笑している。どんな困難も粉砕できる。そんな安心感のある二人だ。
「水・・・・。そうだわ今日、貨物について少し習いました。」
 口元に手を当て思い出しながらリリーナは尋ねる。
「水は80かしら。」
「100だ。」
「?。多くないかしら。」
 リリーナは首を傾げる。素人でもそれは多いような気がする。
 ヒイロはページをひらりとめくりながら、リリーナを見もせずに答える。
「シャワー浴びてこい。そうすればわかる。」
「でもノインさんたちも確か80で行っているわ。ええ。80よ。」
「100だ。おまえと髪の長さが違う。」
 ヒイロの理由にリリーナは得心が行く。
「あ、それなら、切るわ。」
 リリーナは自分の髪を見る。ずいぶん長くなってしまった髪だ。つまむ。
 髪を見ているから、ヒイロがかすかに眉をひそめたのに気づかない。
「ダメだ。100だ。」
「80。」
「ダメだ。」
「マニュアルどおりでいいじゃない。」
「ダメだ。」
 ヒイロはこちらを見もしないで一点張りだ。
「貨物重いでしょう。」
 現役の大統領が言論で負けるわけにはいかない。
「他に持っていくもの・・・・・・。え。」
 もっと言いくるめてやろうと思ったところだ。が、ふと思い立つ。
「ダメって・・・。」
 言い差すも止まる。
 その理由にリリーナはそのまま真っ赤になる。
 毛先をつまんでいた手がそのまま硬直してしまう。
 何が駄目なのか。
「・・・・・・・。」
 ヒイロの横顔は何も言わない。それはつまり・・肯定だ。
 もう一度提案してみる。
「じゃあ半分。」
「・・・・・・・・半分ならいい。」
「では90で。」
 妥協案に折衷案。
 リリーナは真っ赤のままはにかんだ。
 ヒイロが顔を上げた。目が合う。
 ・・気がついた彼女に、軽く息をつきヒイロは観念して、そっと手を持ち上げる。
 その髪に手を伸ばす。
 リリーナは身じろいでその手が離れていかないように体を強張らせた。
 強張らせて、かえって引いてしまうだろうか。
 でもそれは思い過ごしで、ヒイロは躊躇も無く、その髪に指先を差し入れる。
 触れることに迷いはあっても、体は感情に素直で、一度かき上げるようにして・・髪を指に絡める。リリーナの髪は柔らかくしっとりとしていて美しい。
 その触れ方が優しすぎて、リリーナは頭を手に預けた。
 ヒイロはそのまま引き寄せて自分の肩にその頭を乗せる。
 頭を押さえしっかりと乗せられて、
 優しいくせにつっけんどで。
 そのあとはそのままでいろ的な態度で、髪から手を引き抜いて本に戻す。
 リリーナは嬉しすぎるもちゃっかり寄りかかる。
「・・・・。」
 流れて落ちてくる彼女の髪が手の甲に触れる。シャツの襟の中にも滑り込む。
 それから薫る。
 なめらかで柔らかい、触れなければわからない香り。




 



 リリーナは肩の上で寝てしまった。
 それは少しいつもどおりと呼べるものになってきた。
 破壊工作員の肩で眠る神経。彼女から怖いと思われた記憶は無い。
 怒鳴られたことは多々あるが。
「・・・・。」
 ヒイロは抱え上げて、右の部屋と同じように開け放たれている扉をくぐり、部屋のベッドに横たえる。
 スーッと穏やかな息が聞こえてる。
 左の部屋から踵を返して、自分は長椅子に横になる。
 本の続きと、睡魔に任せるままに寝る。
「・・・・・。」
 感情のままに生きることをあきらめていたかつての今日に、今夜はそれでも夢は見ないですむのだろう。
 リリーナがいるというだけで。
「(考えることが増えるから)」
 彼女を守るということのプレッシャー以上に、それがある。
 ヒイロは顔面にぱさりと本を乗せた。






[11/3/6]
■まあいろいろ。
如月の好きなもの押し込み中。もっと加熱していきます。おそらく・・。
勢いのあるシーンも書きたいですが、このアニバーサリーでは無いでしょう。

80とかはこの間のこうのとりの日本の水の量〜。
いいですよね。ソユーズにスペースシャトルにこうのとり。全機国際宇宙ステーションに引っ付いているときに、日本の水の提供。
若田さんがステーションのリーダーにもなる。日本の宇宙開発が熱いv
ロマンですv


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