プロローグ

3.閑話休題






「全ては、後の人のために。」

 後世のための政治をするという。
 リリーナのスローガンは、確実に指導者論を遠ざけた。
 個人主義の現代人には受け入れにくいスローガンだからだ。
 自分一人が良ければいいという時代にどっぷりと浸かった者には耐え難く、リリーナを指導者と仰ぎたい者にとっても最高だと手放しで喜べないものがある。
 未来のために自分達が我慢をしなければならないなら、本当に確かなインフラを行ってもらえるのか。
 後から裏切られるのは誰だって嫌である。
 数多くの疑問が出された。

 リリーナはそれこそ望んでいた。
 皆が言葉に出来ることを。


 ヒイロはリリーナが滞在する黒海のホテルにいた。
 リリーナはまだ施政方針演説を行った会場にいる。意見交換を行っているのだ。
 スクリーンを通して、世界中の人々と語り合っている。
 ペントハウスに置かれたデスクのモニターにも、その映像が映っていた。
 メールや通信による手書きの書類、普通郵便の手紙もそこにだいぶ積まれている。
 ヒイロは窓辺に立った。
 黒海は夕闇と月明かりを黒い水面に反射させていた。撃つとすれば海上の船からだろう。ボスポラス海峡も近い。
 プリベンダーもそのつもりで動いているらしく、いくつか船が見えた。
 窓辺から離れ、セキュリティとして盗聴器や超小型の爆弾などがないか調度を確かめて、慎重に部屋を一周する。
 何も無かった。
 ほっと胸をを撫で下ろす。
 そしてそのまま、すとんとヒイロはデスクに座った。
 今回の意見書を整理するためである。
 こんな作業を今夜持ち込めば休暇どころではない。
 応対を必要とするものもあるが、大半はファンレターに近いもの。
 手紙から手を付け封を切る。
 悪意のあるようなものが入っていないか確認の意味もある。だが取り越し苦労でどれも真剣な意見書ばかりだった。
「・・・・。」
 だから丁寧に封を切った。
 それから、リリーナが普段整理しているやり方で、メールや書類を整えていく。
 モニターから流れてくる音声は既得賢者からの執拗な苦言で、それをリリーナは聞いていた。
 リリーナは揺ぎ無い。どのような100年後が世界中の人々にとって『都合』がいいか把握している。
 都合というところが、痛快だった。自分に限らず、民衆にもそう思われている。
 あとは実行するためにはどのような手筈を取ったらよいかで、そのためにリリーナは意見を聞き続けていた。
「(あとは俺の方。)
 スナイパーの一件のかたをつけることだ。
 既に出入国審査にて一人あたりを付けてプリベンダーに情報を流した。手下がいる以上、しばらく泳がすことにしてもいた。
 ヒイロは目を伏せる。
 かたを付けるとは言っても自分はどう決着をつけるか決めかねていた。
 殺すか、捕縛するか。
 スナイパーを。
「・・・・。」
 ・・・リリーナを。
 地球に来た当初から行動の片隅に置いている事項だ。
「・・・・信任投票か。」
 口にしても別段何の憤りも感じていないというのが正直なところだった。
 リリーナは揺ぎ無くて、
 全世界の期待に追い詰められることも、翻弄されることも、演じることも無かった。
 流されもしない。導きもしない。奢りもしない。民衆の皇帝にも傀儡にもならなかった。
 必要なことを一つずつ一歩ずつこなしていくだけ。

 彼女は彼女で、他の何者にもならない。
 知ってる。
 ずっと前から確信している。
 本当は、リリーナを殺す必要などないのだろう、と。

 書類を整えながら、そっと思った。
 固執しているつもりは無い。言葉遊びに近い。
 まだお互い一緒にいる時間が無いから、
 なにか結びつける言葉を一つでも多く欲しいだけ。
「(リリーナが大統領になる。)」
 スナイパーを捕縛する。
「(殺さずに。)」
 そうすれば、俺はまた民間人に戻れる。





 リリーナがセツと共にホテルに戻ってきた。
 秘書を兼ねたセツがデスクワークを見て、完全にあきれ返っている。
 既に犯人のヒイロはいない。
 リリーナは普段なら淡白なはずのセツのそれがなんともいえない表情になっていて苦笑した。彼を知らない人には理解出来ないかもしれない。
 次期大統領候補の書類に勝手に手をつける。
 普通しない。
「では、私は休暇の調整を始めます。」
 セツは気を取り直し、いつもどおり用件のみだけを伝えて、次の作業に移った。
「お願いします。」
 リリーナはこのあと2時間後の20時に、旧日本国に向かい、自分の家にて三日間の休暇に入る。
 民衆のバラバラの意見も、少しでも時間を置けば議論を深めたものに変わる。意見がバラバラだと民衆の方がかえって混乱してくるものだ。
 自分個人としてはバラバラで聞きたいところだが、それではいつまでも政経が動かないのも事実で、リリーナはこれを期に一時休暇を取る事にしていた。
 リリーナはデスクに座る。
 意見書のうち、手紙だけ確認することにする。
 丁寧に封切られていて、彼らしく思えて、仄かに笑った。





 ヒイロはホテル周辺の街を歩いていた。
 スナイパーの痕跡をいくつか追っていた。
 どんな人物なのかそれでおおよそ見当がついた。
 銃で子飼いを脅すようなら、捕縛も可能だと思えた。
 そこに車が一台横に止まる。
「乗りますか?」
 ジョーだった。
「・・・俺は、まだすることがある。」
 この先の黒海までもいくつもりだった。
 ジョーが車を降りる。
「夫人を部屋までお連れしました。2時間後、飛行場に共に行かれるそうです。私も随行しますが、少し時間があるのでこちらに来ました。」
 一時間もあればホテルに戻れる。
「わかった。」
「・・・それはなんですか?。」
 ヒイロの手元には破片がある。
 ジョーには、この青年がまた何かを見つけた、ということだけわかった。
 空いた時間でこうして来てみた理由だ。彼の行動や配慮、物の考え、目で追うもの、全てがセキュリティの参考になる。
「・・・・。」
 ダークスーツに紺のブルゾンという出で立ちは街の影になるが、こうして相対するとそこらへんの男には見えない。
 はっきりとした造作の顔立ちに、均整の取れた身体つきもさることながら、その仕草の一つ一つに品がある。
 が、彼が優男に見えることはない。
 いつも彼は現実的でシュールで、やっていることに面白みの欠片もない。
「ここから会場が狙えた。実際に撃った。音はしなかったが振動でサイレント装置が砕けている。」
 五飛はよく避けられたものだ。表情には出ないが感嘆している。
 ジョーは閉口した。ここから演説をした会場まで優に1kmはある。対空ミサイルに相当する距離を撃つ銃を持ち、街中で撃てる神経を持ち、腕を持つ。
 自分の任務が命がけであることにあらためて気がつく。
 それを見抜いたかのように彼が口元だけで薄く笑った。
「気にするな。マダム・プレジデントが殺されても、その責めは俺にある。」
「・・・・。」
 殺されても気にするな、とは。まして責任が自分だけにあるという言い方をする。
 ボディーガードの矜持を根こそぎ持っていくような発言だ。
 ジョーは憮然とする。
 彼は笑みを浮かべながら続けた。
「本来俺が傍にいればいいのだろう。だがいるつもりはない。おまえ達にガードを押し付けているのは俺だ。」
「私達はそんなつもりではありません。」
「ならば、そのつもりでいろ。」
 命令口調だ。
 大統領の死について苦悩する必要はないという一面もあるにはあるのだろうが、むしろ大統領のガードの責任を譲る気はないという思惑を感じる。
 ついと踵を返した横顔は高慢ちきとしか言い様がなかった。
「何様ですか。」
 癇に障り、後姿にそう呟いた。









 旧日本国国際空港羽田に向かって、リリーナの一行を乗せた飛行機は黒海から飛び立った。
 ドーリアン夫人は背後の個室を見る。
 娘のリリーナが休暇のうちであろうこの移動時間にも意見書を読み、秘書と打ち合わせ、また通信を通じて各国の要人と会議もしていた。
 深い溜息をついた。
 こんなことで休ませられるのだろか。ただこんなことで参られたら大統領など出来ない。
 これまでの大統領と違って平和のお飾りではないのだ。
 参るような娘でもない。そのタフさにはピースクラフト王よりも夫を思わせるものがあった。
「奥様。」
 パイロットではなく執事として迎えに来たパーガンがこちらにやってくる。
「何か飲まれますか?。」
 20時で休む時間ではない。それに神経が高ぶって中々休めそうにもなかった。
 それにドーリアン夫人も疲れてはいなかった。夫の平和への思いがようやく形になり始めたのだ。気負うものより、高揚するものが夫人にはあった。
「いえ。リリーナが仕事中ですから。」
 夕刻というのもあってパーガンがアルコールを勧めてくれたのだ。この飛行機にはリリーナとそのボディーガード、パーガンとパイロットのみで、飲んで支障はなかったが、気分の問題だった。
「奥様。」
 つとパーガンが改まった言い方をした。
「・・・こちらに向かう前に、屋敷宛てのメールを精査してきたのですが。」
 その中の一通。
 丁寧な字で書いたものを通信で送ってきた。
「パーガン?。」
「ヒイロ・ユイがアポイントを求めています。いかがいたしますか?。」
 差し出された手紙を見る。夫人は目を見張った。あの青いノートと同じ字。今世間で言われているコロニー指導者ヒイロ・ユイではなく、ガンダムの01のパイロットの方だ。
「・・。」
 姿は見ている。どうもボディガードとして配されているようだった。
 だがなんのコンタクトも無かった。
 娘もまるで係わり合いを持とうとしていなかった。
 今更何故機会を持とうというのか。
 ・・・オフだからだ。
 ドーリアン夫人は、悩む。
 ただ断ったところで来ることが出来るはずだった。
「わかりました。でも先にこちらにお通しして。」
「かしこまりました。」
 困惑させてしまうことを持ち込んだパーガンはせめて尋ねる。
「やはり何かお持ちしましょうか?。」
「アルコールはやはりやめておくわ。紅茶を。」
「かしこまりました。」
 そういって下がる。
「・・・・・」
 さて何から話せばいいのだろう。
 ドーリアン夫人は先程のものよりも更に深い溜息をついた。







 飛行機は日本時間5時についた。
 そのままドーリアン家の屋敷に向かい、そのまま休暇となった。
 リリーナはドーリアン氏のかつての書斎をそのまま使っていた。思うところがあるのか、自室には戻らずその部屋に入って休んでいた。
 パーガンはボディーガードのジョーに言った。
「今からリリーナお嬢様にプライベートなお客様がみえられます。こちらは丁重ににもてなすつもりです。」
「わかりました。」
 ジョーが慮るように微笑んだ。
「ここのセキュリティは信用しています。」
「ありがとうございます。」
 そう言って、パーガンは下がっていった。
 セツはドーリアン氏の部屋の中にいた。が聞こえているだろう。
 リリーナがソファで眠っているから、セツだけ中に入れていた。
 プライベートがないと非難されればそれまでだが、セツの気配の無さはそれほど神経質になるものでもない。彫像というより、ぬいぐるみ感が強い。
 ジョーは腕を組んで再び部屋のドアにもたれる。
「プライベート・・か。」
 男だな、となんとなく思った。
 とすれば、大統領の恋人というやつだ。







 車高の低い白いスポーツカーでドーリアンの屋敷につながる道を滑るように走る。
 イタリア地方で当座に選んだ車だ。
 赤が正当らしいが、そんなのが似合うのはトロワぐらいだ。
 外装は白でも中のシートが赤で、ブランドの正当性を主張する。
 存外にスピードが出るので面白かった。ヒイロは軽快に走らせる。
 屋敷の前に来ると自動的に門が開いた。
「・・・・。」
 ドーリアンの屋敷はよく映像でも映される。が、入るのは初めてだ。
 要人用のスロープを通り地下に入れる。
 車を横付けしてヒイロは降りた。
 ヒイロはセキュリティの服を改めていた。黒基調のハイネックと白のスラックス。
 ハイネックの金のラメが目を引く。ジャケットは手に持っていた。
 パーガンがそこに立っていた。
「ミスターパーガン。私にそんな気遣いは無用です。」
 迎えになどこなくていい。
「いいえ。大事な方ですから。」
 パーガンは微笑んだ。
「奥様がお待ちです。」
「・・。」
 ヒイロは黙して頷いて、執事の後を歩いた。


「奥様。」
「お通しして。」
 ノックの後、ややかしこまった声が聞こえた。
「・・・・。」
 ドーリアン夫人はソファから立ち上がった。
 執事が中に入ってくる。
 その後ろから彼が来る。
 まともに見るのは初めてだった。
 当然だ。
「・・。」
 少しだけ息を呑んだのは、
 こうして明るい日差しの下に見れば・・というものだ。
 恐ろしく端整だったからだ。容姿に、背筋が通った立ち姿。
 端整といってしまえば清楚さや大人しさも想像させるが、それは無い。
 射抜くような眼差し。その眼差しがあれば、端整なことさえ瑣末なことだった。
 ドーリアン夫人はほっと息を吐いて肩の力を抜いた。そしてたおやかに微笑する。
「ごめんなさい。少し、驚きました。」
「?。」
「いろいろパーガンからは伺っています。けれど聞くのと見るのとではだいぶ違うようですね。」
「ミスターパーガンが何を話されたかは知りませんが、それが正しいはずです。」
「・・そうですか。」
 少年期を終えたばかりの子供とは思えない、落ち着いた話し方をした。
 自身を売り込む様も無く、謙遜しているようにも感じない。
 ドーリアン夫人は微笑を止め、毅然とした態度で口を開いた。
「その様だけなら、私も気を揉まずにすみます。」
「無論です。」
 ヒイロも今のセキュリティは望む関係ではないのだ。
 ドーリアン夫人は自分を目の前にしてへつらわない彼に一定の評価を下す。
 彼を案内しよう。リリーナは彼に会いたがっている。
「リリーナは夫の部屋です。」
「・・・。」
 彼が怪訝な顔をした。
 そんなところにいるのかと思っているのかもしれない。
 だがしかしリリーナにとっては思いを巡らすのにこれ以上の場所はなかった。
「・・あなたたちを見ていてもかまいませんか?。」
 そっと尋ねる。
「・・・。どうぞ。」
 ヒイロは頷いて、先に立って歩き出していった。
 執事が追い、部屋へ誘っていく。





 毛氈の絨毯の廊下を過ぎて、ドーリアン氏の書斎の前に来る。
 ジョーがこれ以上ないくらい目を見張っていた。
 その横を素通りする。
 交友関係に口を挟むことはボディガードの性質上しない。この場合もそのルールにのっとる。
 中に入っていく彼らを見送り、ドアを静かに開けたセツは彼らを招きいれ、そして出てくる。
 セツもセツなりに動揺しているようだった。彼らを凝視している。
 ドアは開いたままで、ロックアウトされなかった。それだけ公然にする余地があるのだろう。
 開いたドアから中の様子を伺った。
「・・・・。」
 リリーナは昨日のスーツのまま眠っていた。
 ソファに身を横たえて、疲労の海に沈んで、完全に熟睡している。
 ドーリアン夫人がリリーナの肩をそっと揺すった。
「リリーナ起きなさい。ヒイロさんがいらしてくれましたよ。」
「・・。」
 ヒイロは心の中で感歎する。
 さん・・づけか。この家の格式と客人層を思えばそれが普通だろう。
 この有り様だけならと釘を刺したのに、夫人も役者だ。でなければ13年もリリーナに嘘を突き通すことなど出来ない。
 リリーナが覚醒する。
 ヒイロ・・さん?。
「えっ。」
 がばっと起き上がった。
 母が言ったの?。
 髪を押さえて視線をあちこちさまよわせる。
「ヒイロ。」
 ヒイロが母の向こうに立っていた。
 セキュリティの格好ではなく、完全にオフの状態だ。
「・・。」
 リリーナは唖然とした。
 そしてみるみる赤面にしていく。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヒイロ。ずるいわ。」
 夜陰にまぎれて来ようものならなじってくれようと思ったのに。
 まさかこんな正規の正面から来るとは思っていなかった。
 リリーナは一生懸命髪を撫で付けている。
「・・何がだ。」
 剣呑として、ヒイロは心外だと言わんばかりだ。
「全部よっ。全部。」
 誰の目から見ても、浮上したのがあきらかだった。



 待っててねっ、帰ったら駄目だからねっ、とリリーナは言い置いて自分の部屋に走っていった。
 ヒイロは腕組みをして、いっそ帰ってやろうかと思ったりした。
 ずるいというのは正直心外である。
 このドーリアン邸に行くというのは避けたい部類の行為だ。
 それを堪えてきたのだから。
 面倒ごとは避けたい俺をいい加減わかってくれと思うところもある。
 そのあたりあえてわかろうとしていない気もするが。
「・・・。」
 ただ、今回はリリーナが悲しんでいるのがわかったから来たのだ。
 このドーリアン邸ならコロニーでの自分達になれる。
 ここにて通過していない案件が一つあったからだ。
 彼女の母であるドーリアン夫人と話すということだ。
 それはガンダムのパイロットではなく、一人の男になれることに他ならない。
 ・・・・このドーリアン邸ならコロニーでの自分達になれる。
「何を考えているの?。」
「全てを死ぬまでの通過点と思うなと。」
 通過点と思えば楽だった。
 思おうとすれば出来る。
 だがリリーナが言うのだ。待てと帰るな、と。
「・・当然です。」
 言い聞かせているのだろうか?。
 ヒイロの精神構造を訝るも、安易さから抜けようとしている努力は感じられる。



 ガードの二人は入ってこなかった。
 当然だ。俺がいるのだから不要だ。
 ロックアウトして退席したのはプライベートな状況を慮ってくれたのだろう。
 リリーナが戻ってくる。
 髪を下ろし、両方の横髪を一房ずつとってバレッタで止めている。
 白いブラウスとブラウンのロングスカート。
 顔は怒っている。
 ものすごく怒っている。
「頼んでもいないのに、どうして引き受けるのよっ。」
「セキュリティのことか?。」
「他に何の話があるというのっ。」
 どちらかと言えば、ここで喧嘩を始める方が難ありだと思う。
「傍にいるのに、いない気がするの。あなたがコロニーにいるほうがマシだわ。辛い以外の何物でもないわ。」
「・・そう、言うのは、おまえだけだ。俺の力は、まだガンダムのパイロットとしてのものの比重が大きい。当然だろう。」
「一般論でしょっ。あなたまで口にしないで。それこそ、つっぱねなさいよっ」
「リリーナ。」
 ヒイロが眼差しと声で制する。
 リリーナは黙る。黙った変わりに睨んでくる。
 ヒイロは口を開いた。
「俺を育てた男が、ヒイロ・ユイを暗殺した男だと言ったら、おまえは信じるか?。」
 リリーナだけではなくその場にいた全員が息を呑んだ。
 かろうじて思いついた名をリリーナは呟いた。
「・・ドクターーJではないの?」
「ああ。」
「・・・。」
「・・俺は今、その辺りを考えて動いている。」
 手口を真似ている話は聞いた。
「俺からすれば本当に猿真似だ。だから中途半端で他に犠牲を出しかねない。」
「あなたが動いたほうが得策ね。」
「ああ。」
 その方が確実に手っ取り早い。定石を知っているのだから逆をたどればいい。
「それでも、おそらくは実力を二分した腕だ。・・・ここでおまえが殺されるようなことになれば、また俺のような子供が出てくる。」
「・・・。」
「わかったな。」
「わかりました。」
「ならいい。」
 腕を組んだヒイロは世話が焼けると言わんばかりだ。えらそうな態度を改めない。
 こんなふうに説明文みたいに口にして、自分のことでしょうに。
 思い切り頭が冷えた。
 そういう行動指針ならば、私は動ける。
 今回の行動はヒイロ自身の思惑のうちでもあるのだ。それについて私がどうこう言う権利は無い。
 はじめに言ってくれればいいのに、・・だが聞いた内容も内容だ。軽く言える話じゃない。
「パーガン。お茶をいれてください。私朝ご飯まだなの。ヒイロ付き合って頂戴。」
「昼食だろう。」
 ヒイロは腕を組んだまま訂正する。
「もうアフタヌーンティよ。時間がもったいないったらないわ。テーブルセッティングしますから来て。」
 ヒイロの手を引いた。
 暗に手伝うように言っている。
 パーガンに言ったように、ヒイロも客のつもりでは無い。
 組んだ腕を解いて今度はヒイロがリリーナの手を引く。
「外がいい。」
「・・・・・・・・・いいの?。」
 外に出て狙われると言うこと。
 それから異性がいることについてマスコミ沙汰にされるということ、
 その両方へ質問だ。
「大丈夫だ」
 セキュリティは自分が補うから十二分だ。それからマスコミの映像と音声の受信への妨害電波は出してある。
 それから元々あるパーガンの用意したドーリアン邸のセキュリティはそれなりに信が置けた。マスコミ程度の人間が入り込めるようなものではない。
「はい。」
 リリーナが破顔した。





 テーブルに二人でクロスを張る。
 ここはイングリッシュガーデンに続く庭だ。
 リリーナもヒイロも晴れた今日の午後には野の草花のほうが心地よかった。
 簡易に正統派アフタヌーンティのテーブルセッティングをヒイロがする。
「出来てしまうから、悔しいのよね。」
「並べるだけだろう?。」
 まるで本棚に本を詰めるような言い方である。
「そうですけど。」
 使用人たちの視線が痛い。
 彼らは先入観がない分、そのまま彼を評価しているだろう。
 出来すぎの彼を苛めたくなる。
「・・なら母が来たら、ヒイロは何を話すの?。」
「・・・。」
 さすがに返答の言葉に詰まる。
「・・おまえに任せる。」
 それが無難である。
 あまり男がしゃべる必要もない。
 困らせたことがわかって、リリーナは苦笑する。
 そっと傍に行く。
 小春日和な午後が穏やかさを後押しする。
「好きよ、ヒイロ。来てくれて嬉しい。」
 背伸びして頬にキスする。
「・・ああ。」
 既に口元がリリーナの額の高さまで来ていた。
 だからヒイロはそのままリリーナの髪を分けて、額にキスを返した。



「素敵な方ですね」
 と、メイドが呟いた。
 アフタヌーンティに呼ばれる形になったドーリアン夫人は服をあらためていた。
「・・。」
 周囲の評価はそうだった。
 私も先入観さえなければそうだろう。
 外で遊ぶ。
 そんな当たり前のことが出来ないでいる。リリーナも許容していることだ。
 だが、それをものともしない。
 提案し行動することも出来る。
 守ることも出来る。
 責を負うことを引き受ける。任せることも出来る。
 リリーナを自由にすることが出来るのだ。
「本当に・・。」
 窓の下ではリリーナが笑っている。
 花のあるリリーナが彼に寄り添うことで、娘はより華やいで見えた。
 そして彼は紳士的で、何もかも板についていて、出身や生い立ちから思えば、ここは収まり悪いはずなのに、なんのてらいもなくこの場の視線の主役に納まっている。
「(何者なのでしょうね。)」
 あまりにも完璧すぎて、他のボーイフレンドが幼稚に思えた。



「なんでもお出来になるのね。」
「並べただけです。」
「・・・・。」
 それ私にも言ったじゃないと思ったりもする。
「コロニーで訓練されたの?。」
「いいえ。こういうことはほぼ映像で学びました。」
「ではあとはあなたのセンスなのね。」
「気に入ってもらえたなら光栄です。」
 そっと席を勧める。
 ドーリアン夫人は納まった。
「ダンスも?。乗馬も?。」
 リリーナに尋ねられる。
「・・コロニーに馬はいないからな・・馬に乗れることは話したか?。」
「聖ガブリエルの友人があなたが馬に乗っているのを見たの。」
「・・見られているものだな。」
「それはそうよ。あなたは少し余計なところがあるもの。」
 手紙を破り捨てただけならそれまでだ。涙を拭う仕草があった。
 リリーナもヒイロに促されて椅子に納まった。
 その隣の椅子にヒイロは腰を降ろす。
 お茶が運ばれた。
 ミルクを選んで、紅茶に入れる。
 スコーンも果物もある。
 リリーナの食事もかねているので、会話より食べるほうを優先させる。
「いつもそれくらい食べてくれたらいいのに。」
 が、隣で、リリーナ以上に食べているのだ。
 これは影響される。
 成長期なのだろう。半年前とでは背の高さが違う。
 必要なものを摂っている。そういう感じだ。
「栄養管理はしてもらっています。お母様。」
 ドーリアン夫人は溜息をついた。
「ヒイロさんから言ってもらったほうが聞いてくれるかしら?。」
「・・・。」
 リリーナが渋面になった。その分だけ不摂生であることは認めているのだ。
「目に余るようなら。」
 ヒイロは味方にもならないが敵にもならない。
「何をかしら。」
 しれっとリリーナは言い返した。
 ただこの場合は敵になりそうである。
 今まで怒っていたことと、それから食事に関してそこまで面倒見切れないから真面目にやれと言うのを言われたのだ。
 ドーリアン夫人がやおら真面目な話をしだした。
「ヒイロさんはこの選挙についてどのような感想をお持ちですか?。」
 出来レースだったことについてだ。
 ヒイロは大人しく答える。
「・・今は事件後なので世論が動揺しています。そして一年以内議会で非難されるでしょう。」
 その回答は主観を全くはさまず、短く端的なものだった。
「ただ議会もリリーナがフェアであることを知ります。」
 端的に、だが少し甘美に響かせた。
「強要もフェアであればまとまる。」
 夫人やパーガンだけでなく、その場にいた使用人も聞き入る。
「政界も経済界も。解体と消滅を余儀なくされている軍部集団も。」
「・・・・。」
「リリーナはフェアです。それは民衆が今、彼女に求めているものでもある。」
 圧政を排除することを顕示するために、民衆に媚びる必要はないという。
 ドーリアン夫人は感じ入る。そういうスタンスを提示されたのだ。
 では今までのが客観的なら主観はどうなのだろう。
 ガンダムのパイロットとしての意見は?。
「・・・・・・・・あなたご自身は?。ヒイロさん。」
「・・・私の場合は少し意味が変わります。」
 彼はそっと微笑した。






 参った、というのが正直な感想だ。人心を根こそぎ持っていくようなあの微笑は反則だと思う。
 あの容姿の良さも拍車をかけている。
 ドーリアン夫人は自室に戻っていた。
 手にとっている写真立てには夫が写っていてそれを眺めていた。
 先程の場に夫がいたらもう少し違っていただろうか。
 ピースクラフト王か実兄がいればこうまでも感服しなかっただろうか。
 否と首を振った。
 二人の父親は夫人と同じように、肯定するだろう。リリーナが求めた人を。
「・・・。」
 唯一リリーナの実兄は彼に会っている。
 戦争の最期の最後まで戦って生き残った二人だ。どんな会話があったかは知らないが女にはわからない言葉がそこにあったはずで。
 だからこそ、実兄は、火星に行ってしまった
 あとにリリーナを残しても大丈夫だからと言うことの他ならない。
「(彼がいるから、と)」
 指先で写真をなぞって、今後のことを考える。
 彼がリリーナにとって、恋人というだけではないことがわかった。
 父にも兄にもなる。
 甘く許容し、時に窘める。
 気高くりりしい恋人はリリーナが今必要な温もりを全て持っていた。
 夫人は頬杖をついた。
「フェア。・・・・言われてみたいものね。」
 今、二人は部屋で何を話しているのだろう。







 ドアが閉じられて、ヒイロはすぐに手を引いた。
 頬に手を寄せ口付ける。
 部屋の真ん中まで行く時間すら惜しい。
 他の誰もいないところに開放されて、ヒイロはリリーナにキスをした。
 唇を重ねて食む。いつもはあまりしない・・甘く舌を絡め取る。
「ん・・。」
 キスできる距離をなんどもすり抜けた。
 両肩を両手でつかんで引き寄せる。リリーナも背に手を回してくる。

 長いキスをした。

 ドアに背を預け、キスをしたままその場に座り込む。お腹の辺りにリリーナを座らせた。
 彼女は彼の胸に手をおいて仰のく。彼女の重みごと彼女の柔らかい感触を乗せた。
 リリーナの長いスカートの裾が柔らかく床に広がる。そんな些細なことでも彼女は優雅だ。
 ヒイロは薄く目を開けその様を見ながら、キスの続きと、胸に広がる独占欲を感じていた。
 美しい彼女を。
 そしてもうじき大統領になる彼女を、
 今この手中に収めている今の安堵感。
 彼女の顎を右手の指先で持ち上げて、唇を離した。
 この安堵感はそのまま地球圏に奪われる代物だった。
「・・。俺はおまえが大統領になることを歓迎する。」
 ヒイロは素っ気無い口調で呟いた。
 はっと目を開けたリリーナはヒイロの眼差しを見つける。
 口元に笑みも乗せず、その眼差しは信用を問う。
 信念に不安があれば、暴かれ萎縮させる眼差しだ。
「ええ。」
 先程は甘くフェアだと言ったのに、台無しである。
 そんなヒイロにリリーナは微笑んだ。
 これはヒイロ個人だけの意見ではなく、兵士全ての意見なのだろう。
「私は大統領になるわ。」
「・・。」
 自惚れも驕りもしない。流されもしない。
「クィーンにも皇帝にもならない。私はあなたのための大統領になるの。」
 あなたたちのための。
 全ての人達のための。
 揺ぎ無い眼差しで応える。
「・・・・。」
 そしてリリーナは首を傾いでヒイロに微苦笑をした。
 ヒイロに言葉にして、この胸に凝っていたわだかまりが霧散していくのに気がついたからだ。
 祀り上げられている現状に一番こだわっているのは自分だった。
 だがこの状況を利用して、願わくば思うとおりの地球圏の今後のあり方の基礎を作れるなら、幸運なのだ。
 戦後の今ならまだ将来に向けての街づくりや法秩序を構成しやすい。4年後になるよりずっと良かった。
 ヒイロは知っていたのだ。そして苦言を必ず言ってくれる。
 そしてずっと・・半月もの間機会がなかった。
 優しい人。
 言葉とは裏腹にキスは熱かった。
「あなたは?。」
「・・なにがだ?。」
「なにではないでしょう?。・・あなたはここに来てしまった。ただではすみませんよ。」
 リリーナの冗談めかした台詞だ。
「過去に女性のリーダーがいて、恋人はいたかしら。」
 当然ファーストレディほど表立っていない。
「・・。」
 ある意味痛いところなので、なんて応えてやろうかと、ヒイロは腕を組んだ。茶化すリリーナをお腹の上に乗せて言葉を返す。
「体裁ならある程度整えてある。」
 即答でヒイロは愛想なしだった。






[09/10/2]
■F430の白がイメージ。中が赤。
 シューマッハが作ったとかいろいろいろイメージ頂戴しました。
 時々ヒイロどんだけ金持ってるんだーとか思う。(捏造だけど、おそらく通貨為替に差があって、コロニー通貨側が買いやすいように出来ているとか考えている。戦後補償の一環で。そのうち変動相場制とか統一通貨とか、同一通貨としてもその価値の違いの是正とか。)
 でも似合うから書く。
 テスタロッサはトロワに乗ってもらいたい。
(デュオも赤が似合うと思ったが、奴は絶対に黒だ。赤が似合っても黒)
 
 女を乗せる車だが、正直ヒイロ一人で乗る車。そして、リリーナ乗せる前に廃車化させる気がする。
 ポテンシャル以上の走りを車に要求して、ぶっ壊す。そんな感じ。

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