蝸牛香炉






―梅ノ花―



 夕餉を終えた部屋では火鉢を囲って昌浩と父吉昌と物の怪がいた。何とはなしに陰陽寮であったことを話している。
 その中での話で穏やかでないものがあった。
「・・・遺品が盗られているんですか?」
 昌浩の呟きに吉昌は首を横に振る。
「盗られたとは一概に言えない」
 腕を組んで慎重に話す。
「同じような話が三件あるというだけだ。しかもぽつりぽつり。一年前。半年前、そして夕べ」
「・・・」
「それから盗られたものも数珠、くし、本。物が遺品でも家族以外にはそれほどのものではない。ともすればこの年の瀬で無くしてしまいそうなものばかりでね」
「・・・ただおまえとしては気になるんだな」
「そうですね」
 物の怪に吉昌は応える。
「だから昌浩、おまえに話した」
「わかりました」
「おまえが、たとえ物を失くしてもそれはただの物忘れだな」
「人をじい様みたいに言うなっ」
「晴明はその辺ぬかりないぞぉっ」
「へんっ。そらぞらしく忘れてくれるくせに・・・彰子?」
 彰子はなにやら器を抱えて眉を寄せていた。
 傍目からは吟味しているように見える。
 両掌に持ってちょうどいい大きさの器。
 でも茶碗には大きい。
 その通り彼女はこれについて考えて込んでいた。
 普段使う器達の中でそれだけ置き去られた感のある・・・薄い緑色の陶器。
 翳したり、撫でてみたりする。
 考えていて動きを完全に止めてしまった彰子だった。
「その器がどうかしましたか?」
 くすくすと笑顔で露樹が尋ねる。
 それは周囲を代表してだ。
 後片付けは終わり、昌浩と彼の父吉昌との談笑に混ざろうというところだった。
 見やれば不思議そうに物の怪が尾を振り、昌浩も目を丸くして、吉昌が興味津々、妻の露樹を促している。
「え、あ」
 いつの間にか注目されていたことに戸惑うが、その・・・これ、とおずおずと見せる。
「これ、香炉ですか?」
「あら」
 露樹が目を見張った。
「え」
 自分は変なことを口走っただろうか。彰子はその反応に戸惑う。
「そう、それ香炉なの。あらあら」
 驚き半分、さも愉快そうにくすくすと露樹は笑った。
「そう・・・、どおりで。食器としては使いにくいはずですね」
 昌浩が厨の傍まで尋ねる。
「母上は何だと思っていたのですか」
「何かの器というところでしょうか。以前父上が頂いてきたものですよ。ただ用途まではおっしゃられていなかったので」
「大雑把だなぁ。晴明の奴」
 物の怪は棚の上に飛び移り、からからと笑う。
 露樹は彰子から器をもらい、ひと撫でした。
「茶碗には大きいですし、深さもあるので。まあ何かの折に良い使い方がひらめいたらと。綺麗な器ですしね」
「じい様のことだから、自分より母上の方がいい使い方をするだろうって思ったんだね」
「だろうな」
 露樹を間に挟んで、二人頷きあう。
 その様子は露樹には見えないはずのものだが、彼女は微笑んでいた。
「・・・」
 彰子は目を見張ってしまう。この二月ほどで大分慣れてはきたが、まだまだ気後れする。
 自分は見えない人の前では見えない振りをしてきた。
「彰子さん」
 不意に呼ばれ露樹を振り向くと、ぽんと器を手渡された。
「え」
「どうぞ。差し上げます」
「え、と、使ってもいいのですか?」
「もちろんですよ。つくもになるくらい使ってくださいな」
「・・・母上」
 昌浩が母に半眼を据える。
「彰子が困ってる」
「冗談ですよ。半分は」
「半分ですか・・・」
 額に掌を当てる。物の怪がわかってないなーと半眼になった。
「それだけ大事に使えということだろ」
「そうですよ」
 にっこりと笑って露樹は踵を返し、香炉に必要なものが入っている戸棚に向かう。
 不思議と齟齬がないので彰子はそのままにしておくことに決めた。
 彰子は薄緑色の香炉を持って部屋の火鉢の傍に行く。
 興味深げに昌浩と物の怪がついてきた。
 彰子は木匙で灰を香炉に移した。とんと香炉の底を掌で打ち、綺麗に均す。
 そして中心には穴を開けて、火鉢から炭の小さなかけらを取り出し、その穴に落とす。
 灰を掻いて穴を覆い、つけなくてもいいだろうが平らになった表面に箸で中心から放射状の模様をつけた。
 そこまでして彰子は再び立ち上がった。
 確か露樹は日常の香りとして粉末状の香木を持っていた。
 衣服の香りつけとまではいかないが、黴臭さや体臭を隠せる。
 露樹が棚からそれを出してくれた。
 混ぜる匙と器もだ。
「他にはなにか入りますか?」
「・・・少しだけ花の蜜と貝殻を」
 いくつかある香木のうち二種をもらい蜂蜜をもらう。
 それを香炉の元にまで持ってきて、器で合わせる。
 慣れた仕草に、昌浩は見ているだけになっていた。
「うーん。息子ばかりだと、こうはいかないよな」
「まあ。そうですね」
 吉昌も感歎していた。
 妻を見ると彼女は喜色満面で。
 そういう機微をわかってくれるのは女の子ならではだろう。
 彰子は手早く練り合わせ、固形の香料を拵えた。
 形はたぶんおそらく近くなるだろう梅の香りにあわせ、梅の形。
 香炉の灰の上、中央を少し外して乗せる。
「・・・お見事」
 物の怪はひょんと尻尾を振った。
 香ってきた香りは春を思わせる香りだ。
「すごいなぁ」
「うん。・・・それからね」
 彰子は香炉を手に取った。そっと撫でる。
「うん・・・。やっぱり、思ったとおりね」
「?」
 その独白に首を傾げる。彰子は苦笑いした。
「・・・あのね。この香炉がいいなぁって思ったのはね」
 そっと昌浩に手渡した。
「・・・」
「ちょうど手を温めるのにいいと思ったの」
 冷えた手にじんわりと炭の温かさが伝わってくる。
「なるほど温石より風情があって、火鉢より軽いってか」
「うん。そう」
 彰子は嬉々と頷いた。








 部屋に戻ってから、彰子は昌浩にしっとりと思い出話をした。
「東三条殿でも、温かそうだなって思ったの」
「うん・・・?」
「でも香炉は銀で、熱かった」
「触ったの?」
「ううん。女房が触って、火傷を見せてくれたわ」
「うわ・・・。痛い」
 そこで負った火傷も心の傷も。
「うん。痛い。二度としようなんて思わなかった」
 彰子は香炉を手に持ちながら微笑む。
「でもこんな寒い日にはほんのりと手を温めたいなと思っていたのよ」
 でもその一件もあってあまり物を頼みたくなかった。
「これ、本当にちょうどいい大きさだわ」
 全ての材料が揃っていた東三条殿とは違うけれど、ある意味自分の工夫次第で出来るので、それが楽しい。
 満足げに笑うので、昌浩はほっとする。
 それからおもむろに掌を開いて閉じてをする。その手を一瞬見つめるが覚えがない。
 そっと物の怪は目を細めた。だがそれだけ。
 昌浩はそのままその手を出して、触らせてと彰子の持つ香炉に添えた。
 ほんわかと温かい。
 でもなんだか彰子の手の温もりが移っているだけのような気もする。
 既に炭の熱は落ちてきているはずだった。
 昌浩は彰子の甲に掌を重ねた。自分のより少し冷たい。
 女の子の方が手が悴みやすいそうなので、彰子の方が熱を感じやすいのかもしれない。
「・・・」
 そっと頬を赤らめる。けれど何か言えばその手はあっという間に離れてしまうから。
 横目に物の怪を見やるとやれやれと諸手を上げて首を横に振る。
 激しく同感でつられて苦笑する。
 物の怪も斜に笑って、でも放っておいてくれた







[08/6/6]

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−Comment−

はい、蝸牛香炉。タイトルは影響先がバレバレです。不味いかなぁと思いつつ。でもいーやこれしか浮かばない。
ぶっちゃけです。なるしまゆり先生の少年魔法士春の蝸牛。海潮音の上田敏の訳詩『春の朝』が好きですよ。
そのほかには、NHK教育テレビのハウススネイルと『しばわんこ和のこころ』も香の話の器。
でもこれらは元ネタではなくイメージ用。話はそれなりにシチュエーションを押し込んで戦闘物だったりします。

内容ですが、物語時間軸において半年かけて事件が解決します。
短時間では解決しない事件を書いてみようという気があって、それで書き始めた話です。

今月一週間ずつ更新していきます。
まとめて出すことも考えたのですが、訂正を入れなければならない箇所もあると思うので、推敲の時間を一週間ずつ。
副題の中で一番まとまってるのが女郎花で、お気に入りです。