蝸牛香炉






「だーかーらー。くそっ」
 駆けながら物の怪は憤慨する。
「たまには、陰陽生だけで解決してみやがれっ。・・・たまにはっ」
 だが鳥妖の残存と陰陽寮の方では理解して今内裏の警護が続くことになった。
「言っても仕方ないよ。内裏の方が大事だし。藤原氏を狙っているって点では同じだから。・・・同一の事件って思われても仕方ないよ」
 そう・・・羅刹は滅ぼした。
 これは春先から続く遺品強盗の事件のものだ。
 しかしその状況を理解できるのも、動けるのも昌浩だけだった。
 昌浩も駆ける速さを更に速くする。
 晴明から手紙を受け取った吉平は昌浩に状況を調べて欲しいといった。
 遭遇すれば調伏も、と。
 定刻を前に呼び出され、昌浩は彼の使いとして早々に退出した。
 現れた場所は東山一帯。やはり藤原氏に連なるなにがしの家で、それが今日だけで六つの家が襲撃にあったそうなのだ。
 これまでと違って素早さを持ち合わせたらしい。
 早急に対処せよ、と晴明は吉平への手紙で昌浩に言ったのだ。
 直衣姿のままでは目立つし、第一動きにくい。一度帰らせてもらう。
「おいっ。孫っ」
「鴨川を越えたみたいだぜっ」
 西へ移動している。
「報告はありがとう!、だけどっ、孫言うなっ」
「だって孫じゃーん。・・・あ、ほらあっ来たぁっ」
 雑鬼どもは散り散りに逃げた。
「え」
 昌浩は足を止め、振り返る。
 右方の東から突進してくる黒い固まりが見えた。
 大きさにして、車之輔くらい。妖気もそれくらいに感じた。
 転がり・・・もんどりを打ってこちらに来る。
「・・・・」
 ここは二条。
 両手で外縛印を結ぶ。
「オンアビラウンキャンシャラクタン!」
 絶対に止める。
 後ろは三条邸。
 硬直して、そこに縫いとめる。
 昌浩は目を見張った。
「これは・・・っ」
 呪文によって妖気が剥がれたところから神気を感じた。
 瘴気と化しているがこれは先祖達だ。
 先祖は神格化しているものもあり、祖神だ。
 陰陽師がすることじゃない。神官がするべきで・・・昌浩は手を止めた。
 自分なら出来るだろう。
 神に並ぶ焔を抱えている。
「昌浩っ」
 躊躇がそのまま油断になった。
 水気の含んだ冷気をかけられる。
「・・・・」
 ただ今は縫いとめるしか出来ない。
「帰って、鎮魂の符を取ってくる」
 額を拭った。





 藤原相手だからやはり丞安の手によるものだろう。
 それに、『手ぬるい』なんてとんでもない。
 あんな化け物化する前に止めればよかった。
 昌浩は手に息を吐く。
 安倍邸の自室に戻ってきた。直衣を脱いでいるのだが手が悴んで着替えが進まない。
 ・・・冷たい。濡れは大したことないのに。
 真夏なのに芯へと冷えていく。
 ほかの者達も寒気で熱を出しているのだそうだ。
 悪寒。怖気。
 一目瞭然だった。穢れが寒さを感じさせている。
 早く解決しないと風邪を引いてしまうだろう。
「昌浩っ」
「入るなっ」
 部屋に入ろうとして声に衝かれて彰子は足を止める。
「・・・・」
 けれど踏み込む。
 このくらいの穢れなら、私にとっては大したことない。
 彰子はきちんと乾いた狩衣を取り出し、几帳に掛けた。
 それから直衣の濡れて固まってしまった結び目を器用に解き、昌浩の肩から袖を外す。
 穢れているその直衣もシワにならないよう蔀の前に掛けて干す。
 濡れた後のシワはたちが悪いから。
「・・彰子」
 ・・・だが苦言は後だ。
 早く行かなければ、術の効力が失せる。
 用意を済ませ出る。
 昌浩が着替えている間に一度部屋を出た彰子が香炉を持って戻ってきた。
「手が悴んでいるみたいだから」
「・・ありがとう」





 夕方だが車之輔に乗ってくださいと言われて、それほど遠くは無いが乗った。
 昌浩は二条に戻る。
 黒い闇の塊がなんとかまだ縫いとめられていた。
 うねうねとし雰囲気は黄泉の瘴気を思い出せた。
「・・・・」
 それに近いものかもしれない。
 黒い闇の周囲に独鈷を刺し廻らせて、昌浩は手を合わせた。
「オンナウキシャタラニシダエイ、イダテイタモコテイタ・・・・」
 結界の中において瘴気を散らしていく。正体をあきらかにしていく。
 胸のうちでちらつく焔を気にしながら。
 でも声はそれ以上に高らかに。
「ナウマクサンマンダボダナン、ナンドハナウンドヤソワカ!」
 宣言する。
 黒い影は風となって散り散りになった。
 昌浩と物の怪は風から目を庇いながらその正体を見る。
 中にあったのは、香炉――の蝸牛。
 身をよじるその周りには包帯が巻きつけられていた。白い布地に黒い呪文。
「昌浩っ」
 突如上がった声に振り向いた。
 散らしたはずの大勢の霊魂と思念が再び終結しようとしていた。半透明だが黒い呪文が彼らの周りに投影されていた。
 一団は一斉にある方向に向って行った。
 様相に気づいて車之輔がガタリと大きな音を立てた。
 新しい寄り代を求め霊達は向っていく。
「しまった。・・香炉だ」
 物の怪は霊達を追い抜いて車之輔に飛び乗った。彰子の香炉を持ち出す。
「こっちだっ」
 おびき寄せようとした。
「おあっ」
 だが、霊魂たちは物の怪の横を素通りして車之輔に向っていく。
「・・・そうか匂いが移ったか」
 既に香炉からは何も香らない。
 車之輔が取り込まれたらやばい。あれは強く、しかも昌浩の式だ。
 車之輔が半泣きなって壁に追い詰められる。
「・・・・」
 昌浩はそんな物の怪から香炉を取った。


 藤原の者達がいっせいに振り返る。

 はぜる。

 香りが辺りを震撼させた。
 昌浩浄化と魂鎮の言葉をつむいだ。
 立ち上る香りは、伽羅。
「百鬼消除、及び、幸魂、奇魂、和魂、荒魂、―――」
 昌浩は目を伏せた。
 このはぜる香りは、痛みを呼び起すもの。
 物の怪の。
 そして彰子の。
 だが昌浩は顔を上げた。
 情念を帰し、神を鎮める。
 眼前の者達を救う。
「平らげく治まり給え」
 宣言した。










 昌浩は熱が下がったあとのような脱力感に襲われながら、これはお腹がすいてて食べれば治るだろうと踏んで速攻帰った。
 晴明への報告も物の怪に任せ、吉平への連絡も六合に頼んだ。
 がっついて食べたら、治ったような気がする。
 彰子は笑いながら再び御飯をよそう。
「白湯は?」
「ください」
 昌浩に茶碗を渡す。
 物の怪を振り返る。晴明のところから戻り、縁側で夕闇を眺めている。
 その空の色はまるで夕焼け色の目をもつ彼の心のようだと思った。
 理由は昌浩からほんの少し香る香りのせいだろう。
「もっくんもどうぞ」
 そういって茶碗を置いていった。物の怪は手にとってずずっと飲む。
 物の怪からも香る。
 匂い袋の中の合わせ香ではなく、焚かれたときの香り。
 それはあの貴船を思いださせた。
 おそらく、昌浩は胸の痛みを覚えている。
 私も物の怪も心の痛みを覚えている。
 彰子は蝸牛香炉の傍にいった。
 経緯は聞いた。
 遺品を取ったのは情念をかき集めていたからで、その中には祖神と化した強い者達もいて、その神の力をもってして藤原を滅ぼさせようとした・・・おそらくは。
 魔ならば退治しようと考える。だが神ならば躊躇う。それが先祖ならなおさらだ。人間の心情を逆手に取っているのだろう。
 香炉の中に納まってしまって、ただの香炉になっている蝸牛香炉だった。
「かたつむりさん・・・。何か食べますか?」
 妖に心安く話しかける、当代一の姫。
 箸を一瞬止めてしまう。
「食べたら元気になりますから・・・。・・何がいいのかしら。妖の食べるものって・・・・餅?」
「・・・さあ・・・。助けた後、香炉に引きこもって、中に入っちゃったからなぁ。一応事件の真相が聞きたいんだけど」
 死人も出ていないし、遺品も返ってきた。
 操られていたわけだから、責めるつもりは毛頭ない。
 ただ状況が知りたい。
「香炉だから・・・香がいいかしら、蝸牛だったお水?」
 思い立ったので、彰子は両方を試すことにしたらしい。
 冷たい水と、香炉を持ってくる。
 炭はまだ暖かいので、香の粉末を銀葉に乗せた。
 そのあと手ぬぐいに水で湿らせ香炉の側面を濡らす。
 なんでこう怖がらないのかな・・と思った。
「・・・あのさ。彰子」
「何?」
「さっき。帰ってきたとき、入るなって言ったのに入っただろ」
「・・・・」
「不用意に触ったらダメだって、俺だって物の怪に言われてるんだよ」
 本当は紅蓮に言われた台詞だ。
「・・・・たそがれてるもっくんの言葉なんか説得力無いもん」
「・・・・」
 後ろ向きだが物の怪の背中が本当にたそがれる。
「彰子・・」
 昌浩は唸るように呟いてジト目になる。
 彰子は苦笑いするだけだ。
 その時だ。蝸牛がゆっくり出てくる。
 本当にゆっくりと。
「出て・・・きた?」
 焦れてしまうが相手は蝸牛。
 物の怪もやってくる。じーっと辛抱強く待ってみる。
 たおやかに。ゆるやかに。
 焦れてもしょうがない相手。
 痛みもその一つかもしれない。
 低音でゆっくりと、しかもたどたどしい声だった。
「み・・・・ず」
「あ。はい、どうぞ」
 彰子は冷たい水で濡らした手ぬぐいを差し出した。
「ど・・・・う・・も」
 昌浩と物の怪はこの調子では一晩で話が聞き終わるかなぁと思った。
 彰子は桶の水を少し捨て、浅い水かさに手ぬぐいを敷き置いた。
 気持ち良さそうにその手ぬぐいに乗っかる。
 ふう・・と溜息をついて柔らかい体を更に脱力させている。
「大変だったわね」
「は・・・い」
「・・・・・」
 妖相手に井戸端会議的会話をはさむ姫。
 というか、彼女に任せたほうがいいのだろうか。
 彰子は妖と会話をするのが上手だ。
 会話のゆっくりさとか内容とか、
 物腰が丁寧とか、
 いろいろあるが、妖たちにはちょうどいいらしい。
 少し緩く絞った手ぬぐいで香炉の側面の汚れを拭っていく。
「橘・・・・が美し・・い頃」
 去年の春からではないらしい。
 木箱に集めた遺品を見る。
「そう・・りょと思しき・・・・・・・が、藤を・・・」
「・・・そう」
 彰子にとっては耳に入れたくないことも、でも表には出さずに耳を傾ける。
「・・・」
 昌浩は立ち上がって、柔らかい布と乾いた手ぬぐいを一つもってくる。
 木箱の中の遺品の一つ、数珠を取り出し、汚れを拭う。
 幸いなことに土汚れぐらいでどれも壊れてはいなかった。
 物の怪も手拭いを持ってきて手伝う。
 何せゆっくりで、夕飯時いっぱいかかりそうだった。
 吉昌が帰ってくる。
 その状態に目を丸くしたが、彼も食事を終えると、手伝った。
「そうだな・・・、単純に家の前にあったことにして、明日、おまえから陰陽生に渡してもらおうか。彼は持ち主について調べていたから」
「わかりました」

 蝸牛が語る。
 僧侶に術をかけられたと。
 思い当たるのはやはり一人。
 橘の花が咲く頃、市を抜け出した自分に寄代の呪いをかけた。
 蝸牛は内包する力をそれなりに持っていて、性質上、刃物も破邪の香も効かない。
 更に雪だるまのように邪霊にまとわりつかれても自身は己の殻に閉じこもれば蝸牛としての魂はしっかりと残り、霊力を失わないのだそうだ。
 半永久的に生きるその性質を利用され、より強力で凶暴な妖になっていった。

「僧侶の名前は丞安?」
 恐れて首をゆるやかに引っ込めようとする。
「でもね・・・その僧侶はもうこの世にはいなくて」
 引っ込む動きを止める。
「あなたを拘束する者の名はもう・・ないからね。私も、もうこれ以上口にしない」
 優しい言葉達をかける。
 蝸牛は頷いた。
 せっせと彰子は香炉の汚れを拭う。
 昌浩と吉昌も遺品の土汚れを丁寧に落とす。
 露樹は夕飯の片づけを始めた。
「あ」
 立ち上がろうとするがその彰子を露樹は制する。
「いいの。どうか、それをお願いね。」
 凍り付いていた時が、たおやかに流れ出すのを感じながら、くすりと笑った。




    ◇ ◆ ◇




 翌日。
 蝸牛香炉を彰子はこっそり市に連れて行った。
 蝸牛の言う、香炉売りがいる。
 彰子は抱えていた香炉を小路の端で下ろした。
 ゆるやかに動いて、進んでいく。
「・・・・・・」
 しゃがみこみ、膝に頬肘をついて苦笑した。
 どうして町の人やご主人様の香炉売りに気づかれないのかしらと思う。
 ゆっくりと元の住処の筵に戻った。
 盛大な溜息とともに、柔らかい体をことさら柔らかくして、陣取る。
 心底ほっとした蝸牛香炉の顔に、彰子は笑顔になった。



 昌浩は奪われていた遺品が届いたと、直丁の仕事をこなす。
 イの一番にやってきたのは藤原敏次で、遺品をすぐに検める。
 口の中で、あった・・と呟いていた。
 数珠を取り上げて大事そうに撫でる。
 君の手から戻ってきたな、と言うも、敏次は嬉しそうだった。
 だから昌浩も苦笑したのだった。

「手の中に」

 そう・・・蝸牛だけでなかった。
 天狐の運命も
 彼女達の運命も。







END
[08/6/20]

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−Comment−

昌浩より、彰子の方が妖たちとの会話が出来そう、とか思ったり。
碁も得意なので戦略とか攻略とかも。



石垣から戻ってきました。
おこちゃま浮き輪でぷかぷか。私もスノーケルでぷかぷか。
スノーケルだと自分の肺だけで浮くんだと実感しました。
今まで自動的に浮かぶウエットでスーツで海に入っていて、初めて水着だけで泳いだ。
綺麗な海が泳げない奴を誘います。

下にぱっくりと口を開けた巨大な貝(おそらくアコヤガイ)がいて、こんなものビーチに置いておくなよっとぎょっとしましたが。
(こういうスリルはゲームじゃ有り得ないないんだよな。危機回避って奴ですわ。ウミヘビやらガンガゼやら、オニヒトデもダイビング中ならフツーにいるし。)
カクレクマノミやらヒラメやらがふつーにビーチにいる石垣島。最高です。

あ、ダイビングもしました。三本も潜りました。(おこちゃま我慢できるかなーと思ったら、魚類旦那とのビーチサイドはなかなか良かったらしい。浮き輪でぷかぷか遊べるようになったもんなー・・・。)
マンタは見れなかったけど、こんな綺麗な海が日本にあるんだと思った。十年前ももぐっときゃーよかった。
母親になって、ほとんど3年ぶりのブランクダイバーだったけれど、全然怖くない海だった。むしろ入りたい・・・・。

新しいフルフットフィンも最高でした。
やはり道具は大事です。