蝸牛香炉






―紫陽花―



 安倍吉平は任を買って出てくれた藤原敏次を部屋に招き寄せていた。
 藤原に連なる貴人が穢れにあって祓って欲しいと言ってきたのだ。
 鳥妖の襲撃があった中で、かかずらっている場合ではないのだが、北の護りを任せている家の依頼だった。むげに出来ない。
「中宮が参内して、人手が今内裏に集中しているからな。手が空いているのは・・・うちの甥ぐらいだが、かまわないかい?」
「・・・」
 さすがに相手が安倍吉平なので一人で大丈夫とは言いにくかった。
 が、一応はっきり物は言わせてもらう。
「・・・大丈夫でしょうか。今朝方の様子から、本調子ではないように見えました」
「私もよくは聞いていないが具合が悪いというわけではないそうだ。また父から難問を出されているそうでね」
 肩を竦めた。
「今は鳥妖がいつ襲来するかわからない。出来るだけ二人以上で行動するほうがいい」
「わかりました」
「帰りに、今内裏の者と交代してくれ。甥は帰してかまわない」
「はい」
 そこに物の怪が入ってくる。
 吉平はぎょっとするが目の前に陰陽生がいるので堪えた。
 なりは違えど凶将騰蛇だ。
「昌浩はもうすぐ来る。書庫に寄っている」
 吉平は頷き返す。
「直丁の安倍昌浩です」
 声に敏次は立ち上がった。
「すぐ向います。説明は私の方から」
「おまえの的外れな話なんか誰がいるか」
 敏次を見上げ、物の怪がけっと毒づいた。
「・・・」
 その姿を一瞬たしなめたくなった。
 咳払い一つして、敏次に向き直る。
「わかった。ありがとう」
 敏次が出て行く。物の怪はおもしろくなさそうな顔で庭に下り、紫陽花を見上げた。
「敏次殿」
「・・・」
 直丁の顔を見るなり、藤原敏次はふかぶか溜息をついた。
「本当に酷い顔をしているな」
「え」
 昌浩は慌てて顔に触れ、または手などをあちこち見る。また顔色に何か出ていたのだろうか。
「心配事があるんだろう?。そういう顔だ」
「・・・はい」
「・・・・・」
 畏まって頷くだけで、理由を述べない。
 聞いてもらいたい話したい、そういう類ではないようだ。
「・・・まあいい。顔に出ているならな」
 言及はしない。安倍家の話に立ち入る気は無い。
 もう一度大様に溜息をついて、ついてくるように言う。
 塗籠に入り、必要なものを揃える。
「武官の父親が昨日の夕方、穢れにあったそうだ。手紙には、本人の怖気を祓ってほしいとあった。それから亡くなられた奥方の遺品も盗られたそうで、その在り処がわかればとも」
「え・・・。それは」
「・・・何か聞いているのか?」
「ええ。父から」
「そうか・・・」
 胸元から一通の手紙を取り出した。
 それを昌浩に手渡す。
 妖のようなものが絵で描かれていた。闇の塊のような・・・とも記されている。
「・・・博士によれば、それがなにかはまだわからないが、同じものではないかということだ」
「・・・」
「私もそう思う。それがだんだん力をつけているようにも思う。頻発してきた」
 春先、自分がいなかった間に散発的に出ていたという。そしてその間隔が短くなっている。
「今度は人を襲った」
 敏次は目を細める。
「敏次殿?」
 昌浩はその内に怒りを感じ取った。
 敏次は理由を直ぐに明らかにした。
「私もやられた。春に。数珠を」
 大事にしていた。
「私の兄の形見だ」
「・・・」
 昌浩は目をいっぱいに見開いた。
「・・・・。」
 知らなかった。
 拳を硬く握り締める。
 無知を愚かと思うなかれと言っても、己にはそれは当てはまらない。
 自分はそれとなく知っていたのだ。そしてまだこうして何もしていない。
 ・・・こうして彼が被害にあっているのに。
「昌浩殿?」
 まるで自分のことのようにうつむいてしまった昌浩に敏次が逆に戸惑う。
 ぽんと肩を叩く。
「・・・君が心を痛めることではない」
「いいえ」
 昌浩は首を横に振る。
「私は知らないことが多すぎます」
 今は祖父のことや中宮のことで手がいっぱいで、しかもまだそれ以外のことは出来ないだろう。
「それは私も同じだ」
 そっとその手を取った。
 堅く握られた手を開かす。
「拳を握っても思いは内側に溜まるだけ。よくないぞ」
「・・・はい」
 直丁の素直な返事に、ほっと無意識に息をついた敏次だった。
 踵を返し、塗籠を出る。築地を越えて物の怪も戻って来て昌浩の肩に乗った。
 その足で陰陽寮から出た。行く先は桂川の川上、一条より北のところだ。
 敏次は行き道で自らに起きた事件について静かに語ってくれた。
 姿は闇に溶けるように黒く、ぶよぶよ影が弛んでいたのだそうだ。
 盗るものは遺品。狙うのは今のところ藤原氏ばかり。
 被害にあった当事者でもあるため敏次はこの一連の事件について仕事の合間を見て調査をしていたそうだ。
「・・・・・」
 屋敷にたどり着くと敏次は衛士に誘われて主のいる部屋に入っていった。
 昌浩は何かあった時のための連絡係だ。庭で待機する。
「・・・なんだろう。風音の時の、なめくじみたいな妖だね」
「・・・だが、あれは完全に消滅させたはずだ。・・・残存は考えられん」
「藤原狙いだから、やっぱり丞安のなのかな?」
「奴ならもっと鋭い手を使いそうだ」
 手ぬるさを禁じえない。
 昌浩は手を額に当てた。
「わからないな・・・。何かまた起こっているのかな」
「・・・」
 その時、ガシャンと物々しい音が鳴った。
 槍の柄を地に叩き付けた音だ。
 視線をやれば、一番後ろの衛士が睨んでいる。
 昌浩の手の動きを訝ってだ。
「微動だにしない連中の中で、目立っているんだろうな」
 なんてことない動きだろうが、と物の怪は溜息をついた。
 この藤原家は武官ばかりのようだ。庭に帷子をつけて十人が仁王立ちしている。
 この庭も流鏑馬をするためにあるようであった。
 かろうじて紫陽花が咲いていて物々しさを和らげていた。昌浩はその影に身を寄せる。
 大きな男達に囲まれると、やはり自分は小さい。兄ぐらい大きくなれたらいいがさてはて。
「これは極端だな」
「だね」
 安倍の家は文官の家だ。しかも藤原ではない。
 あきらかに排他的な空気だった。
 昌浩はその神経を逆なでしないように両手を袖筒に納め、文官らしい姿勢をとる。
「いいけどね。住んでいるわけじゃないし」
 動かないよう慎重にぼそぼそと物の怪と喋る。
「そうだな。・・・昌浩。この一件は棚上げしろよ」
「・・・・・」
「こうして表立って動ける陰陽生もいる。おまえは今、何をすべきか」
 南東の方を見やる。
 昌浩は物の怪の視線を追う。そしてはっとする。
 少し遠いがここから今内裏の屋根の裏側が見えた。
「吉平も任務に当たれと言っているんじゃない。羅刹以外の京の様子を知ることが出来るということと、早く家に帰れるってだけだ」
「・・・わかってるよ。彰子を・・・」
 早く取り返さないと、と呟こうとして奪われたわけではないと口ごもる。
 彼女は自ら行ってしまったのだ。
「・・・羅刹を・・・中宮を助けることが先だ」
「ああ」
 視線を今内裏から庭に戻した。
 青い紫陽花を見る。よく見れば葉の表に立派な渦を巻いた蝸牛がいた。
 でも持って帰っても喜怒を返してくれる人がいない。
「・・・・・・」
 だから思っても虚しいだけだった。
 ついと物の怪が左方を見た。
「・・・なんだ」
 ざっざっと物々しい音が聞こえて昌浩も振り向く。
「交代っ」「はっ」
 そう言って衛士が交代する。今は正午で、そのための交代だろう。
 帷子が擦れて起こる金属音が物々しさを増長する。
「・・・・・」
 昌浩と物の怪は目を見張った。
 交代した衛士の足元に奇妙なものがへばりついていたからだ。
「・・・昨日の夕方って言っていたよね」
「ああ」
「敏次殿が言っていたのと同じ状態だ」
 衛士はその隊列を崩さないようにきびきびと動く。
 だがやはりその右足を引きずっているように見えた。
「妖しきもの禍つもの・・・」
 お人よしだなぁと物の怪は口の中で溜息をついた。
 疎外されても思いやりは別の所にある。
 差し引きされて減るものではない。
 昌浩は手甲の内から小さな独鈷を出した。
 葉っぱごと蝸牛を取る。
 物々しい衛士達の間をすり抜けた。
 少年が臆することなく通っていくので彼らは訝んだ。
「何用だ」
 威圧を強めるが、物ともしない。
 当然だ。
 物の怪は冷笑する。
 この程度の威圧、昌浩は毛ほどにも感じていないだろう。
 神将の悪意を一身に負っている。それに比べれば。
 昌浩は一番前の衛士、その足元に触れる。
 冷たくて。
 ぐにゃりとしていた。
 手の内の独鈷で、その黒い穢れをそぎ落とす。
「貴様」
「・・・・蝸牛がついていました」
 当座の嘘だ。
「あまりにも立派だったからつい」
 にこりと笑う。
「はんっ。これだから文官は温い」
「・・・失礼いたします」
「待て」
 難癖をつける機会を伺っていた。
「さっきから庭にいるが、暇だろう」
「・・・・・・」
 何が言いたいだろうこの人は。
 胡乱に思い、昌浩は蝸牛を紫陽花に戻した。
 振り返る。
 昌浩はそっと呟いた。
 背のずっと低いところから聞こえた声は少年のものとは思えなかった。
「・・・暇に、見えますか?」
 紫陽花の陰からその眼差しが閃く。
 その様を訝ったのが始まり。
 一同の血の気が引いていく。
 紫陽花が青から赤に変わっていく。
「・・・何をしている」
 上座の方から声が飛んだ。
 この屋敷の主の声だ。
 衛士達は慌てて整列した。
「子供相手に何をしている」
「・・・いえ」
「蝸牛一匹、そのぐらいの許容を持て」
「・・・申し訳ありません」
 衛士達は蒼白だった。
「・・・・・・・」
 横目に侮蔑をしながら簀子から庭へ敏次が降りてくる。
「大丈夫か?」
「・・・騒いで申し訳ありません。」
「・・・・・」
 そんなもの放っておけばいいのにと思ったが、仕方ない。そういう子供心は尊重したい。
 背後を見る。
 主に叱責されたぐらいでそんなにしょ気るかと思うくらい衛士達は青ざめていた。
 けったいな輩だ。
「終わりましたか?」
「穢れの方は済んだ。だが遺品の在り処は手がかりがない」
「そうですか。・・・香を焚かれたのですか」
 においがする。焚いた匂い。
「いや、これはおそらく妖の残り香だ」
「・・・」
「私の時も、そうだった。・・・ひとまず帰ろう。遺品の在り処を占じてみなければ」
 ふと敏次が呟いた。
「答えは手の中に」
「・・・・・・」
「いや。なんでもない」
 向こうを向いた。
 昌浩はふと手を見やる。
 掌には銀色の路。





    ◇ ◆ ◇





「・・・・・・彰子」
 夜のために午後を寝るのに費やしていたが、彼女が帝にかしずく姿を夢に見た。
 自室の天井が見える。雨音が耳に戻ってくる。
「夢か」
 茵から起き上がり顔面を押さえる。
 中宮の彰子。
 悪い夢。
「・・・・・・」
 それだけであきたらず更に寝覚めの悪いことになっている。
 けぶる雨の中に、浮かぶ異国の装束の二人。
 開け放たれていた妻戸から見えた。
 窮奇が見せた俺の望み。
 昌浩は目を細めた。
 何故あの時、あの窮奇の手を取らなかったのか不思議に思う。
 今なら、この手の非力さに選んでしまいかねない、悪夢だった。
 昌浩は一つ頭を振って幻を打ち消して立ち上がった。
「・・・もっくん?。じい様のところかな」
 穢れを内裏に持ち込むわけにはいかないという理由で昌浩はそのまま帰った。
 吉平の配慮だということがわかっていたのでそこはありがたく帰らせてもらった。
 もう夕刻だ。体内時計と言うべき腹時計がそれを教える。
 食事の用意を手伝おうと昌浩はその部屋に向った。
 食事をする部屋の縁側にぽつんと桶が置かれていた。
「・・・紫陽花」
 母が刈ったのだろう紫陽花が水切りされていた。
 それから、香り。
 香りが鼻について紫陽花かなと思ったが、違った。
 彰子の香炉が焚かれていた。
「・・・・・・」
 あの母はなにも聞かない。
 その思いが語られることもほとんど無い。
 けれどそれを焚いたのはあの子の温もりを思ってだろう。
 そっと触れて、思い出そうとする。
 その温もりを。









 何か言えばその手はあっという間に離れてしまうから。
 もう少しだけ感じていたかったから、黙っていた。
 彼が気づくまで。

 私は嫁ぐはずだった相手は年長の。
 その手しか知ってはならなかった。
 でも、手はその人ととなりを知ることが出来るのでよく眺めていた。
 女房達とならよく手をつないだ。
 昌浩の手は形だけ見ていると幼く骨ばっている。
 けれど触れると存外に堅い。
 堅くて、けれど触れ続けているとすごく温かい。
 だから触れ続けて欲しかった。

 応え・・・・と。

 昇殿を許されて、上がった内裏。
 外は雨が降り続いていた。
 御簾越しに紫陽花が飾られていた。色は紅。
 ・・・雨が続いていた。
 手が冷たい。
 でも頼めなかった。真夏に温石なんて頼んだら奇異に思われてしまう。
 彰子の心のように、紫陽花の色が、青ざめていく。
「失礼いたします」
 交代の女房がやってきた。
 御簾越しに尋ねられる。
「どうかされました?」
「・・・少し・・・寒くて」
 だがその場にいる女房達は寒気を覚えた。
 十三と聞いているがそうは思えないほど、艶のある声だったからだ。
「・・・・・・」
 言葉通りだ。・・・が、待っている相手が来ないやるせなさを演じてもいる。
 女房達にはそう聞こえただろう。
「・・・何か温かいものをお持ちしましょう」
 そしてそうとしか言いようがなくなったはずだ。御簾の向こうで一人の女房が下がる。
 彰子はまわりくどさに溜息をついた。
「今はどうなっていますか?」
 何もすることが無いから、戯れに尋ねる。
「・・・恐ろしいことばかり。お耳に入れるようなものではありません」
「・・・そう。・・・わかったわ」
 まだ襲撃が続いているということと、
 望む相手はしばらく来ないだろう、ということがわかった。
「・・・・・」
 雨が降る。
 静かに端座して時を待つ。
 耳の奥で、かすかに聞こえる。
 窮奇の声がする。
 胸の奥で呪詛が滾る。

―――応エ、と。

 そして私は応える。
 何度でも。

 そう、それで昌浩の元に行けるのなら。


 だが、恐ろしいほどまで中宮と言う立場は自分に馴染んでいた。
 心は彼を求めているのに、体はかつてささげるはずだった相手に向っている。
 その自らを恐れても、否定は出来なかった。
 その運命を断ち切ってやろう・・・。
 呪詛に見せられる虚構の果ては恐ろしく甘美な夢で。
 私は何度でも応えてしまう。
 触るな、と言ってくれるなら、
 それならば早く来て。
 私が心も身も中宮に成り果てる前に。
 紅の頬は青ざめて、脇息に突っ伏した。
「姫っ」
 天一の声もむなしく響く。
 紫陽花の色が鮮やかな青に変わった。









 桶に一緒に入れられた小刀に、蝸牛が這っていた。
 刃をたおやかに進む。
「・・・・・・」
 氷刃のような内裏は、彼女が住むはずだった場所。
 華やかで、憧れの。
 心変わりの花は鮮やかな青。
 庭を見やれば、鮮やかな青の紫陽花が群生していた。

 心変わりなどしない。
 くじけもしない、と。
 ただ、青ざめて。
 彼女の心が竦んでいる。









[08/6/13]

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−Comment−

日本史の範囲かな。遠い記憶のイメージを勝手に膨らませてます。
香炉は須恵器です。平安時代一般に普及していた堅い器です。
衛士のイメージは滝口の武士とか、北面の武士とか、ですね。


敏次を出したくて出してるなぁと思っていたり。あー彼には早く、昌浩のことを知っている先輩&理解者になって欲しいな。



さて小路の表紙が突然変わりました。バナーもです。
以前作ったのはいつだったか・・・。
しばらくはこのままで行きます。(コラ・・)
日向葵がいつの間にか描いていてくれました。ありがとうっ。
イラストにはちらっと書いたコメントが感想。うううう。
またよろしく。(他力本願」^-^)

それから・・週末4泊5日で石垣にいます〜。